第26話
「……あなたのような可愛い人に触れてもらえるなんて、男冥利に尽きます。……でも、ね」
目を細めて微笑んだユーインがそっと女性の手に触れ、自分の手から引き離した。
そして女性の手を優しく包み込みながら、やんわりと言う。
「もしあなたに触れてもらえるのなら、ここでない……二人きりの場所にしていただきたいのです。そっちの方が私も嬉しいですから。……いいですか?」
「は、はい……!」
「ふふ、いい子ですね」
色っぽく笑われた女性はすっかり骨抜きで、夢見るような顔でこくこく頷いている。周りの女性陣は、これ幸いとばかりに彼女を引きずり、人混みの中に消えていった。
周りで様子を見ていた人たちは、女性を傷つけることなく丁重にお断りしたユーインの手腕に感心しているようだ。やんやと褒められる中、ユーインは気取った様子でおじぎをして――
……その時、彼が私を見た。
何気なく周囲を見ていて私に気づいた、のではなく、明らかに私だけに視線を注いでくる。
――青紫の目に見つめられ、私は喉をひゅっと鳴らせた。
でもその視線に負けじと、努めて上品に見つめ返してやる。
別に、悪いことをしているわけじゃない。今ここにはいないけどシャノン同伴だし、大人しく立っていただけだ。いくら彼でも、私を叱る権利はないはず。
そう思って胸を張って見返してやったけど、彼はすぐに元の笑顔に戻ると残ったカードの山を台の隅に置き、客に声をかけた。「お好きなカードを」と言われた客が、真剣な様子でカードを選んでいる。
……その間に、また彼が私を見た。
今、周りの人々は男性客の手元に集中しているので、ユーインの方を見ている者はいない。
それが分かっているからだろうか。ユーインは目を細めると、ほっそりした人差し指を自分の口元に当てて口の端を釣り上げて笑った。
客に見せるのとは違う、妖艶で色っぽいその動作はまるで、「いい子だから、静かに」と言っているかのよう。
……顔が熱い。
心臓がすごい速さで動いている。
しばらくユーインの「授業」がお休みだったし、彼の口説き文句にも少しずつ慣れてきたかな、と思っていた今日この頃。
しかも直前には女性客とイチャイチャ――は語弊があるか? まあとにかく仲よくお喋りした後で、ちょっと心がささくれ立っていた。
それなのに、仕事着姿の彼に見つめられ、「静かに」という動作をされるだけで私の顔は火を噴き、耳の奥がきいんと鳴り、体中が熱くなる。
……な、なんでこんなに、どきどきするんだろう?
ユーインだって、ちょっといつもと違う格好、いつもと違う場所で会っただけなのに、どうしてこんなに――
彼のことが格好いい。
他の人を口説かないで。なんてことを思ってしまったんだろう。
「あ、お待たせー。連れてきたわよー」
ふよふよとカジノの天井付近を彷徨っていた魂は、シャノンの間延びした声によって私の中に戻ってきた。
ぼんやりとそちらを見ると、シャノンと知らない男性が。燕尾服のようなジャケット姿の男性は両手にワイングラスを持っていて、私に微笑みかけてきた。
この人が、アラスターたちが言っていたミルズ領主だろう。ふわっとした雰囲気の男性で、優しそうな人柄が全身から溢れている。
この人と、お見合いも兼ねた顔合わせをする。それが今日の目的の一つだと、ちゃんと覚えている。
でも私はシャノンに連れられて別室に移動する前に、ついカードゲーム台の方を見てしまった。
青紫の目のディーラーはもう私の方を見ていなくて、「おや、おめでとうございます」と、いいカードを引いたらしい客に微笑みかけているだけだった。
よく食べて、よく飲んだ。
このまま寝ると牛になるのは目に見えている。
「はあ……久しぶりのカジノだったけど、楽しかったわねー」
馬車で帰宅する道中、向かいに座るシャノンは満足そうに微笑んでいる。
彼女は案外酒豪で、アルコール度数が高そうなお酒もがんがん飲んでいた。私はお酒は好きだけどそれほど強くないので果実酒をちびちび飲むだけだったけど、結構体に堪えた。
シャノンの体は、どうやってアルコールを分解しているんだろう。肝臓が三個くらいあるのかな。
「ミルズ領主ともお話ができてよかったわねー。キーリは彼とお話をしてみて、どうだったー?」
「……えっと、優しくて誠実そうな人だと思いました」
シャノンに問われた私はひとまずそう答えてから急ぎ、さっきカジノの個室で対面したミルズ領主について思い出す。
顔は……あれっ、もうはっきり思い出せない。でも人がよさそうで、いかにも好青年って感じがしたのは覚えている。
話し方もおっとりしていて、自分のことだけをペラペラ喋るんじゃなくて私にも質問をし、しっかり相槌を打ってくれた。私をソファに座らせる仕草もスマートで、貴族の男の人がみんな彼みたいな感じだといいなぁ、と思った。
……あとは、何だっけ?
確か、「これから仲よくしていただけたら嬉しいです」みたいな感じで話を締めくくったはずだ。
彼はあくまでも「結婚候補」の一人であって、婚約したわけではない。だからそつない言葉で別れの挨拶をして終わったんだけど……。
私の言葉のキレが悪いことに、シャノンも気づいたようだ。
ほわほわ笑っていた彼女は表情を引き締め、そっと私の手に触れてくる。
「……ミルズ領主を未来の旦那様として考えるのは、まだ難しそう?」
「……はい。いい方だとは思ったのですが……そこまでは考えられなかったです」
「ええ、それも仕方ないわよね。まあ、お互いこれが初対面だったのだから、焦る必要はないわ。もしミルズ領主ともっと仲よくなれそうなら、これからもちょくちょく会えばいいし、無理そうならお義父様に言えばいいわ。お義父様だって、嫌な相手だろうと添い遂げろとはおっしゃらないから」
シャノンの声は優しい。その言葉に甘えてしまいそうになり――怠惰な心を叱り飛ばす。
なに、きれいごとを言っているんだ、私は。
本当はミルズ領主のことなんて、ほとんど覚えていないくせに。
ミルズ領主と談話しつつも頭の中を占めていたのは、青紫の目のディーラーだった。
領主と話をしていると、そんなはずはないのにユーインを裏切っているような気持ちになり……こんな馬鹿げたことを考える自分が恥ずかしくなった。
調子に乗るな、勘違いするな、と、ふらつく自分の心を戒める。
さっきも見たじゃないか。ユーインはなにも、私しか口説かないわけじゃない。
裏切るも何も、私と彼は主人と使用人。それをまるで私だけの人のように思うなんて、勘違い甚だしい。
私はいずれ、どこかに嫁ぐ身。
ミルズ領主のような人の妻になるために、私はブラッドバーン家の養女に迎えられたのだ。
それを、忘れてはならない。




