第16話
途中で昼食やティータイムを挟みながら、私たちは王都の散策を続けた。
「……ああ、そうだわ。キーリはまだ、王城を見たことがないのよねー?」
カフェでお茶をしていると、シャノンが切り出した。
ちなみにこのカフェ、おしゃれで可愛らしい外観でお茶やお菓子もおいしいけれど、「ナンパ禁止」のお店だった。
ここはあくまでもお茶を楽しむための場所だから、男性が入ってもいいけれど、女性客や店員を口説いてはならない。口説きたいのなら別の店に行きなさい、ということだ。
こんな感じで、「ナンパ禁止」「男子禁制」の店や休憩所は結構あるみたい。確かに、喉が渇いたからお茶を飲みたい人からすれば、口説かれても鬱陶しいだけだしね。女性専用車両みたいな扱いなのかな。
シャノンの言葉に、クッキーのような焼き菓子を摘んでいたセリーナが反応する。
「ああ、そういえばそうでしたね。キーリお姉様、宙に浮く城を見たいっておっしゃってましたよね」
「あ、うん。魔法で浮いているんでしょう? これまでは遠くから見ることはあったけれど、やっぱり近くでもじっくり観察したくて」
二百年前の国王の代からずっと宙に浮いているという、リベリア城。城の尖塔の先くらいは屋敷の窓からも見えたし、王都の道を歩いていればどこからでも城の一部は見られる。
でも宙に浮いているというのを確かめようと思ったら、やっぱりぎりぎりまで近づいてみないと分からない。前々から、近くで見てみたいと思っていたんだよね。
「そうねー、まあ、これからのことを考えると、一度は見ておいた方がいいわよねー」
「お姉様も気になっているみたいだし、この後で行きましょうか」
「いいの? ありがとう!」
セリーナたちからオッケーをもらえて、テンションが上がる。
魔法で宙に浮く城……これぞファンタジー! ってやつだ。どんな感じなんだろう……?
宙に浮く城を見に行けることになって、わくわくしながらジュースを飲むキーリは、気づかなかった。
セリーナとシャノンが顔を見合わせ、悲しそうに微笑み合ったことに。
城を見に行くのが目的になったので、今は口説かれたらちょっと鬱陶しい。そういうことで私たちは最初来た時のように帽子のつばを前に下ろし、辻馬車を拾った。
例の「車」を所持できるのは富裕層のみで、王都では辻馬車が愛用されている。出発地から目的地までに掛かった時間で代金を払うことになっているから、バスよりもタクシーに近いってことだね。
辻馬車で時間短縮して、王都の北――王城付近で降ろしてもらう。
「うっわ……っと」
あんまりにもおのぼりさんな発言はできないから、途中で口を閉ざした。でも、目の前にそびえる王城を目にして、凄まじい興奮で胸がどきどき鳴っていた。
前方数百メートルほど先に、巨大な鉄の門が立っている。その付近は高い塀でぐるりと囲まれていて視界が遮られているけれど――塀越しでも見える位置に、王城があった。浮いていた。
この距離だと正確な高さは分からないけれど、庭園の木を参考にするに、多分二十メートルくらいは浮いているんじゃないか。
小さめのビルくらいなら下に建てられそうな空間を空けて、城が浮いている。重力の法則とか、自然の摂理とか、そういうのをまるっと無視した非科学的な光景に、私の目は釘付けになってしまう。
「す、すごい……本当に浮いているんだ……えっ、これってどうやってお城に入るの?」
「もちろん、魔法で飛んで入城します」
「……あ、今ちょうど、巡回の兵士たちが出てきてるわー」
シャノンが言うのでそちらを見ると、城の正面にある観音開きの扉が開き、米粒のように小さな人間たちが滑空して地上に降りていた。
降りる時もバラバラと気まぐれに飛ぶんじゃなくて、リーダーらしき人一人を先頭に、三角形を描くようにきれいに降りていた。うーん、やっぱり軍人って感じだな!
「……あ、でも、魔法で移動するのなら、私だったら城に入ることもできないのかな」
「できなくはないですが、少なくともお姉様一人では無理ですね。お姉様は小柄なので、ユーインあたりに抱えてもらって飛ぶくらいでしょうか」
ユ、ユーインに抱えてもらって……ですか。
そういえば彼は森で私を保護した時も抱っこして屋敷まで運んでくれたそうだし、できなくもないかな……いや、でもユーインに抱えられて飛ぶ自分の姿が想像できない。というか、恥ずかしくて多分無理だ。
「……まあ、心配しなくても大丈夫よー。多分キーリがお城に行くことは、ないと思うからねー」
「やっぱりそうですよね。セリーナやシャノンも、お城に入ったことはないのですか?」
「お父様や跡継ぎであるお兄様はともかく、わたくしたちはありません。お父様たちだって、平民階級だけどリベリアの流通を牛耳るブラッドバーン家だから、必要に迫られて登城するだけ。それでも通りすがりの貴族たちからは胡散臭そうな目で見られるそうだから、わたくしたち平民にとっては居心地のいい場所ではないのですよ」
セリーナが淡々と言う。いつでも溌剌としていて流暢に喋るセリーナにしては珍しい物言いだ。……身分で差別されるのは、気分がいいことではないんだろうね。
私がじっとセリーナを見ていたからか、彼女ははっとして手を横に振った。
「ああ、ごめんなさい。生まれのことなんて嘆いても仕方がないし、わたくしたちは平民としての誇りがありますからね。……有り余る魔力に酔いしれ、城郭の外には貧しい民がいることも、僻地の地方都市には浮浪者が溜まっていることも、税に喘ぐ農民がいることも知らない貴族に蔑まれたって、痛くも痒くもありません」
さっきと違ってセリーナははきはき言うけれど、「貴族は嫌い」という主張がびしばしと感じられる。
それに、リベリア王国は大陸でも随一の文明国家ということだけど、やっぱり陰の部分はあって、日々の生活に困窮している人もいるんだな……。
もう一度、城を見上げる。そして――
ぞわっとした不気味な感覚を覚え、私は反射的に自分の体を守るようにさっと体をかき抱いた。
……今の、何だ?
「どうしたの、キーリ?」
「寒いのですか?」
シャノンたちに問われ、私はふるふると首を横に振った。
寒い、というのは違う。
怖いような、泣きたくなるような、息苦しくなるような、負の感情が胸の奥から湧いてくる。
そして同時に――
「……懐かしい」
「えっ?」
「よく分からないけど……なぜか、あの城を見ていると懐かしく感じられて……」
妙だ。リベリア城はヨーロッパ風の構造をしていて、しかも魔法で宙に浮いている。
私は海外旅行をしたことがないからヨーロッパ風の城を実際に見たことはないし、日本の大名の城とは全然見た目が違う。
それなのになぜか、あの白亜の王城を見ていると恐ろしさと同時に、妙な懐かしさと既視感を抱くのだ。
懐かしいと思うはずがないのに、なぜかまぶたの裏に日本の町並みが、鼻孔の奥にアスファルトの道路の匂いが、指先に自転車のハンドルの感覚が、蘇ってくる気がする。
……必死に考え込んでいた私は気づかなかったけれど、この時セリーナとシャノンは顔を見合わせ、険しい表情をしていた。そして私を見ると、シャノンが私の腕に、セリーナが肩に触れてきた。
「きっと、疲れてしまったのねー。たくさん歩いたしたくさんの人とお喋りをしたから、ちょっと感覚が麻痺しているのかもしれないわー」
「きっとそうですよ、お姉様。……さ、お城は見られたのだから、そろそろ帰りましょう。わたくし、馬車を拾ってきますね。シャノンお姉様、キーリお姉様をお願いします」
「ええ、任せてー」
セリーナがすぐに馬車を拾いに行き、シャノンは私の肩を抱いて何か呟き、どこからともなく出現した小さな丸椅子に私を座らせてくれた。
道行く人たちも、私が体調不良でふらついていると思っているらしく、心配そうな顔をしつつ道を空けてくれる。
「す、すみません、シャノン」
「いいのよー。慣れないことをすると、人間って予想以上に疲れちゃうのよねー。お屋敷に戻ったら冷たいジュースでも飲んで、ゆっくり体を休めましょう。それで、明日の朝にユーインに報告するのだからねー」
「……はい」
頷いた私は、顔を上げた。
さっきはすごい、と無邪気に思えた王城は、今はなぜか恐ろしく、まがまがしいものであるように思われた。




