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第15話

 ふと、視線を感じて私はそちらを見る。三人組の男性のうち、最後の一人が私を見て、ふわっと笑った。くるっとした癖のある茶色の髪にブルーの目の、気さくそうな青年だ。


「ああ、よかった。ずっと困ったように顔を伏せているから、話しかけてもいいのかな、って心配になってたんだ。若葉の色を纏う、可憐なお姫様?」

「そ、それは申し訳ありません。ちょっと、靴の紐が気になっていて……」


 ……とりあえず会話はできたけれど、我ながらしょぼい言い訳だと思う。

 いや、本当に靴紐が緩みかけていたから、嘘じゃないんだよ。でも、もうちょっと気の利く言い訳をすればよかったと後悔。ユーインがくすくす笑う顔が目に浮かぶようだ。


 男性は、私の足元を見た。そして、「あ、本当だ」と声を上げると、人のいい笑顔で私を見てくる。


「よかったら俺が結びますよ。靴に触れてもいいですか?」

「…………え?」


 想定外の申し出に、つい言葉に詰まってしまった。


「お茶に誘われた時にどう答えるか」や「頼み事をしたい時にどう切り出すか」は、マダムに教わった。

 他にも、「女性が落とし物をした時、男性が触れてもいいものと触れてはいけないもの」なども聞いた。


 でも、靴紐を結んでもらってもいいかどうかというのは、マダムは言ってくれなかった。まあ、こんな特殊な例がしょっちゅう起こるわけじゃないと分かっているけれど。


 靴紐を結んでもらうなら、相手は屈むことになる。

 確か、「女性の靴を履かせる」は夫婦ならオッケー、恋人以下ならだめ。「女性のスカートに付いた埃を取る」は恋人以上、もしくは女性の方が身分が上ならオッケーだったけど……。


 さっと、隣を見やった。セリーナは私に背を向けているけれど、シャノンは横を向いている。

 ……そして、私にしか見えないよう後ろ手に回した彼女の右手が、親指と人差し指でアルファベットのLのような形を作った。


 これは、この世界における「オッケー」の合図だ。ちなみに「だめ」は親指を立てて他の四本の指を丸めることで表せる。


 ……つまり、靴紐を結ばせても大丈夫ってことだな。ありがとうございます、シャノン大先輩!


「……はい、ではお願いします」

「光栄です」


 男性は笑顔で頷くとしゃがみ、少し緩みかけていた私の左の靴の紐を手早く結んでくれた。……随分慣れた仕草だな。よし!


「とても器用でいらっしゃるのですね。もしかして、手先を使うお仕事でもなさっていますか?」


 表面上は涼しげに、でも内心では緊張で心臓が口から飛び出そうになりながら聞くと、立ち上がった男性は嬉しそうに微笑んだ。


「あ、分かりました? 実は俺、四番街の工房に弟子入りしているんです。四番街のシルヴェス縫製工房、知ってます?」

「……すみませんが、存じません」

「ああ、いや、いいんですよ。あなたは服飾雑貨とかに興味はないですか?」


 服飾雑貨……つまり、ハンカチとかポーチとかかな。雑貨屋巡りは日本で暮らしていた時から趣味の一つだったし、知らない世界、知らない国の雑貨屋なんて未知の世界できっと楽しいだろう。


「はい。見るだけでも楽しいですよね」

「うんうん、ですよね! 俺はまだ、なかなか商談が入らないんですけど、うちの店ならきっとあなたの気に入る品が見つかりますよ。……ってことで」


 そこで青年は一旦言葉を切り、ぱちりとウインクをして右手を差し出してきた。


「……これも何かの縁でしょう。慎ましくて恥ずかしがり屋のお嬢さん、よかったら工房をご案内します。あなたにぴったりの小物を選んで差し上げますが……どうですか? もちろん、二人っきりで」


 き、来た! 男性から女性への「お誘い」だ!

 前回の散策時は頭がフリーズしてしまったけれど、今の私はひと味違う。マダムからもユーインからも教わった通り、この場をスマートに切り抜けてみせる!


 ひとつ、深呼吸。

 その間に頭の中で言葉を並べてから、マダムにしっかりと叩き込まれたよそ行きの笑顔を浮かべた。


「それは素敵ですね。でも……ひょっとしてその言葉、他のたくさんのお嬢さんにも言っているのではなくて?」


 今回選んだのは、ユーインが教えてくれた「断り文句」の一つだ。

「結構です」とどストレートに言うのではなく、婉曲に、回りくどく、ちょっとの嫉妬を込めたりして言葉をお返しする。そっちの方がリベリアの男はどきっとくるらしい。知らんけど。


 男性は、きょとんと目を丸くした。その青の目にどことなくおもしろがるような光が見えた気がして、私は調子よく言葉を続ける。


「もしそうなら、私、妬けてしまいます。他にも工房に案内されたお嬢さんがいるのかしら、と思うと、気もそぞろになってしまいそうでして……」

「……あはは。これは参りました。どうやら俺のような尻軽男では、可憐な小鳥を籠に入れることはできなかったみたいですね」


 男性はからからと笑い、顔の前で両手の平を広げてみせた。これは「降参」「お手上げ」のサインだ。


「今回は潔く諦めます。でも……そうですね。今度あなたを見かけたら、懲りずに誘わせてもらいますからね。もちろん、今度は頑ななあなたでも首を縦に振りたくなるような言葉を添えて」

「それは楽しみです。もしまた会えたら、ですけどね」

「会えますとも! あ、俺はシルヴェス工房縫製士見習の、ザカライアっていいます。俺のことは忘れてくれてもいいんで、是非シルヴェス工房の名は覚えていてください。ご贔屓にしていただけたら助かりますんで!」

「分かりました。……では、またいつか会えたら」


 そう言って手を振ると、ザカライアも笑顔で男性のおじぎをしてきびすを返した。

 どうやら他の仲間たちは一足先にセリーナとシャノンにフられたようで離れたところで待っていて、三人で小突き合いながら次のターゲットを探しに雑踏の中へ消えていった。


 ……。

 ……よ、よし! なんとか一人目をクリアした!


「お疲れ様です、お姉様。……わたくしが心配するほどではなかったですね」


 ひょっこり顔を覗かせてきたセリーナに言われ、私はぶんぶん首を横に振った。


「そんなことないない! セリーナは気づいていなかったみたいだけど、途中でシャノンに助けを求めたんだから!」

「あら、そうでしたの?」

「いーえ、わたくしは言うほどのことはしていないわよー? キーリの頑張りの結果じゃないのー」


 セリーナに問われたシャノンは、おっとりと笑っている。


「今みたいな感じでやっていけばいいわよー。ふふ、これならユーインにもいい報告ができるのではないかしらー?」

「……ありがとうございます」


 そうだ、ユーインだ。


 さっきのザカライアもなかなかぐいぐい来たけど、ユーインに比べればなんてことない。

 あの全身から駄々漏れの色気を一ヶ月間、至る所で食らってきたからか、男性から口説かれるのにかなり免疫ができた気がする。ユーインがやばすぎるのが大きいけどね。


「……あ、ほら、また次の人が来ていますよ」

「頑張りましょうね、キーリ」

「はい!」


 よし、このままリベリアの女らしく戦うぞ!

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