第13話
そうか、ユーインも明日は忙しいのか。シャノンが「キーリにぴったりのドレスがあるのよー」と言って用意してくれたドレスを見せるのは、難しそうだな。
……。
……いやいや、私は今、何を考えていた!?
というかなぜ、明日ユーインが忙しそうだと聞いて気落ちしたんだ!?
別に、お出かけの報告なら明後日の朝になってからでも遅くはない。
お出かけだって、セリーナとシャノンが一緒だから寂しくないし、いよいよ噂のみに聞いていた「宙に浮く城」を間近で見られるのだから、がっかりする要素なんて一つもないじゃないか。
……でも、ふと考えてしまう。
シャノンが見繕ってくれた深緑色のドレスは、外出用なので動きやすさを重視している。相変わらずお尻を膨らませたデザインだけど室内用よりスカートの丈が短く、袖もきゅっと絞られている。
大きめの帽子を被るから髪はほとんど隠れてしまうけど、せっかくだからきれいに結ってみてはどうかとセリーナに勧められているんだ。
それを着た姿を見せたら、ユーインはなんて言うだろうか。いつものようにそつなく「おきれいです」と言うのか。
いや、もしかしたら私をからかうつもりで「もっと笑った方がドレスにふさわしくなりますよ」と言うかもしれない。まさか、「全然似合いません、チェンジ」はないだろうけど……。
「キーリ様?」
「いっ!? な、何!?」
考え事をしていたからか、背後への注意がおろそかになっていた。いつの間にか目当ての本を見つけて戻ってきていたらしく、ユーインは数冊の本をふよふよと宙に浮かせながら私の後ろに迫っていた。
彼は飛び跳ねる勢いで反応した私を少し意外そうに見ていたけれど、やがて何か思いついたかのようにニッと笑った。
「おやおや……私の顔を見て頬を赤らめるなんて。さては、イケナイことでも考えていましたね?」
「べ、別にそんな変なことは考えてない!」
顔が熱いのを指摘されたのでちょっとやけになったけれど、「イケナイこと」を考えていないのは事実だ。ただ、明日着るドレスとユーインの反応を考えていただけで――
あ、また顔が熱くなった。
「言葉よりも体の方が素直みたいですね」
「その言い方、よくないと思う。破廉恥」
「おや、私は別に含みがあって言ったわけではないのですが……さてはキーリ様、とても恥ずかしいことを考えてらっしゃいましたね? 破廉恥なのは私ではなく、あなたの方なのでは?」
「…………もう部屋に帰る!」
「ええ、はい。お気を付けて」
レスバ敗北。これ以上の恥を重ねる前にと、情けないとは思いつつ撤退の道を選んだ。
ユーインが笑う声を背中に浴びながら、私はかっかと火照る顔に手を当てて唸った。
絶対に、絶対に!
明後日の朝ドヤ顔で、「ちゃんと練習の成果を発揮できたけど?」って報告してやる!
覚えていろ、色男!
ぷりぷりしつつ、黒髪の令嬢が図書室を出て行った。
彼女の髪は艶やかな漆黒で、下ろせば肩の下くらいになる長さ。肌は純リベリア人よりも黄味がかかっていて、二十一歳という年齢の割に幼い顔立ちをしている。
そんな風変わりなお嬢様を見送るユーインは楽しそうに口元をほころばせていたが、やがて令嬢と入れ違いになるように図書室に入ってきた青年を見て笑みを消し、おじぎをした。
「これは、アラスター様。本は私の方で戻しておきましたよ。ご要望の本も見つけましたが……」
「ああ、うん、分かっている。ただ、廊下でキーリを見かけてね。なにやら怒っている様子だったから気になったんだ」
次期ブラッドバーン家当主であるアラスターは、父親とは全く似ていない柔和な顔を不安の色に染めてそう言った。
現当主である彼の父親は、見た目は厳つく不正には厳しい権力者だが、家族の前では相好を崩すし案外ひょうきんなところがある。
息子のアラスターは父親とはちょっと違い、母親似の優しい顔の通りの性格を見せるのは家族の前だけで、商談中やカジノの視察中などは、これが本当にあの気のいい兄なのかと思えるほど冷めた眼差しになる。
彼とも長い付き合いになるユーインだが、家族と仕事とで表情をがらっと切り替えるアラスターのことは好ましく思っている。
彼の現在の主君は当主だが、アラスターが父のあとを継いだとしても今と変わらぬ忠誠を誓う覚悟は決まっていた。
今のアラスターはまさに、「妹の様子を心配するお兄ちゃん」の顔をしている。
にやにや笑いそうになるのを堪え、本を手にユーインは彼に近づいた。
「そんなに気にしなくても、キーリ様は大丈夫ですよ。あれでなかなか図太いし、わけが分からないなりにも言い返すだけの度胸は持っています」
「それ、褒めているのか?」
「褒めていますとも。キーリ様はセリーナ様のように、権力者や腹汚い人間たちを裁けるだけの才能は持たないでしょう。しかし、勉強熱心で非常に義理堅いので、上流市民の妻として生きていくことは可能です」
ユーインのずけずけした物言いに、アラスターは何か考え込む素振りを見せた。
ブラッドバーン家は、リベリア王国の下手な貴族よりもずっと歴史があり、発言力が強く、広く名が知られている。
その嫡子として生まれたアラスターやセリーナはもちろん、嫁入りしたシャノンだって、歪な社会構造の上に築かれたこの王国で生き抜くだけの才覚と度胸を持っている。
だが、キーリはそうではない。彼女はセリーナやシャノンのように、時に人を支配し、時に人の支配を蹴破るほどの才能を持って生まれたわけでも、それを覚悟でこの家の一員になったわけでもない。
頑張り屋なところは魅力だと思うが、その実体は魔法使いとしての才能がゼロの、この世界で生きるにはあまりにもひ弱な女性なのだ。
だが、ユーインたちは彼女を見捨てるわけにはいかない。
「……僕たちはやっと、キーリを見つけることができたんだ。手の内に入れたからには、彼女の命が尽きるまで、その責任を取らなければならない」
アラスターの言葉に、ユーインは頷いた。
「分かっています。……本当に、彼女を見つけたのが俺でよかった。もし国の連中に先を越されていたら彼女は無事では済まなかっただろうし、俺たちもまた次の機会が巡るまで待たなければならなかったのですからね」
そう語るユーインは、いつもキーリの前で見せる色気のある好青年の顔ではなく、物言いも険のある様子だった。
「そうだね。そういうこともあるし、君は本当によくやってくれている。ああ、そうだ。父上も感謝していたし、来月の給金は奮発するそうだけど……」
「いや、それは辞退します」
調子よく話していたアラスターは、ユーインの言葉に心底びっくりしたように息を呑む。
「えっ、断るのか!? 君、仕送りをしているだろう?」
「確かにそうですけど、給金の増額ならまた別の形でいただくつもりです。……少なくとも俺は、キーリ様に『教える』ことに個人的な喜びを見出しています」
ユーインは薄く笑って言い、ふと、窓の外を見やった。
ここからはちょうど、屋敷の回廊を見下ろすことができる。そこを、黒髪の女性が通ったのが見えたのだ。
アラスターはユーインの視線の先を辿り、彼が何を見ているのか知ると、やれやれとばかりに肩をすくめた。
「……キーリを気に入ってくれたのなら、兄として嬉しく思う。ただ、彼女はいずれ父上の指示に従ってどこかに嫁ぐ身だ。『教える』のはもちろんいいことだが、一線を越えることだけはないように頼むよ」
「分かっていますよ。旦那様のご命令があっても、俺は使用人で、キーリ様はご令嬢。……それを忘れたりはしません」
振り返ったユーインは、真意の読めない笑みを返した。




