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第11話

 ユーインが先生に加わっても、家庭教師による授業は普通に行われた。


「……へえ、リベリア王国の王城は、二百年くらい前から宙に浮いているのですね」

「はい。その頃にリベリア王国は、現在は既に滅んでいる隣国と戦争をしていました。当時の国王は類い希な魔力で敵国を一網打尽にして国を守り、権威の象徴として城を宙に浮かせるまでしたのです」


 現在私は、マダム――礼法の先生とお喋り中。話す内容はリベリア王国の歴史についてだからいわゆる雑談だけれど、実はこれも礼法授業の一環にあたる。


 和やかに話をしているけれどマダムの目つきは鋭く、私の全身をくまなくチェックしている。こうして話をしている間も正しい姿勢を保てているかどうかを確認しているのだ。


 立つ、歩く、座る、の単純な動作はなんとか覚えることができた。次は、その姿勢を「保つ」練習だ。座る時の姿勢はよくても、お茶を飲んだり話をしたりしていると意識がそちらに向いてしまい、だんだん猫背になったり体が歪んだりしてしまう。


 特に今マダムは、「魔力で宙に浮かぶ王城」というものすごくおもしろそうな話を話題に挙げている。彼女の話にのめり込んで姿勢の維持ができなくなれば、すかさずマダムの叱責の声が飛ぶ。


 かといって姿勢の維持だけに神経を尖らせていたらスムーズな会話ができないから、一度に二つのことをしなければならない状態だ。しかも、ご飯を食べながらテレビを見る、なんてレベルじゃない。


 おかげで、雑談も交えたというのにマダムの講義を終えた体はへろへろだった。マダムを見送り、次の富田さんが来るまでゆっくりしていよう、とソファに身を投げ出したら、コンとドアノッカーが音を立てた。


「お嬢様、いらっしゃいますか? ユーインです」


 うわ、まさかのユーイン! 侍女がお茶を持ってきてくれたと思ったのに!


 以前「どうぞ」で失敗した同じ轍を踏むまいと、私はだるい体に鞭打って立ち上がり、ドアを開けた。

 そこに立っているユーインはいつもの柔らかな笑みを浮かべていて、彼の後ろにはティーセットの載ったワゴンが待機していた。


「お茶の支度をして参りました。次の授業まで、一息つきましょう」

「……よろしく」


 ……養父の指示で私の「口説き文句の先生」になってからというものの、彼はカジノより屋敷で過ごす時間の方が増えたそうだ。


 前はなかなか私と彼の行動スケジュールがかみ合わず屋敷の中でも滅多に顔を合わせなかったというのに、今では事あるごとに彼の含みのある笑みを見ることになり、なぜかこうして侍女の仕事を彼が請け負うことも多くなった。


 いや、彼は従僕なのだからお茶の用意もお手の物なのは分かる。でも、この人が近くにいるだけで私のHPはゴリゴリ削られるから、れっきとした「口説き文句に耐える授業」でない時以外はなるべく顔を合わせたくなかった。


 ……まあ、「れっきとした」授業なんてないようなものだけどね。


「キーリ様。今、あなたが考えていることを当ててみましょうか?」


 手際よく茶の支度をするユーインを無言で見つめていると、振り返った彼が妖艶に笑った。その笑みは華やかで色っぽいんだけど……どことなく胡散臭いというか、私の警戒心を煽るような感じがする。


「……どうぞ」

「あなたは今、私のことを胡散臭い男だと思っていませんか?」

「よく分かっているじゃないの」

「はは、あなたの目は正しい。ああ、だからといってこの紅茶に媚薬を混ぜたりはしませんので、安心してください」

「……」

「今、黙っていればいい男なのに、って思っていませんでしたか?」

「分かっているなら黙ってて」

「かしこまりました。お嬢様の仰せのままに」


 一応私の方が彼を言い負かしたはずなのに、ユーインは楽しそうにくすくす笑っていて、敗北感が凄まじい。じとっと睨んでやるけれどどこ吹く風で、「さあ、できましたよ」と私の前に紅茶入りのカップを置いた。


 彼は紅茶を淹れるのも上手で、同じ茶葉を使っているはずなのに、彼が淹れたものはなぜか例のきゅうり臭が控えめだ。そして私の舌の好みをよく把握しているようで、いつもほどよい甘さに仕上げてくれている。

 さらに、私に出す前にちょっと魔法で冷やしてくれているらしく、猫舌の私でも飲みやすい。


「おいしい……」

「そう言っていただけで、光栄です。器用な方だと自負しているので、指先を使う仕事は基本的に何でも得意なのです」

「……それじゃあ、ディーラーの仕事も?」


 この人に隙を見せてはいけない、と思いつつも、どうしても興味を惹かれたので尋ねてみる。


 手を拭いていたユーインは振り返り、微笑んだ。その笑みはいつもの意味深な微笑とは違ってどこか無邪気ささえ感じられ、なんだか新鮮だった。


「はい。私は孤児だったのですが色々あって、旦那様に拾われました。カジノの仕事を勧めてくれたのも旦那様です。手先が器用だと、カードを配る手つき一つでも客を魅了でき、チップの量が増えます。後は、イカサマを見抜くのも私の仕事ですね」

「イカサマ……やっぱり魔法を使って小細工をしたりするの?」


 そもそもこの世界のカジノがどういうものなのか分からないながら聞いてみると、ユーインは首を横に振った。


「そういうのは私が出ずとも、他の従業員でも発見できます。あなたにはピンとこないかもしれませんが、魔法が発動されたら気配で分かるのです。……私が見抜くイカサマは、魔力を使わず手先のみで行われるものです。大商家ブラッドバーン家が相手でも、イカサマをする命知らずはいくらでもいます。……そういう連中を摘発し、旦那様のお役に立つのが私の使命です」


 そう言うユーインの横顔は、なぜか少しだけ寂しげだった。

 孤児だった自分を拾ってくれた養父の恩義に報いるため、自分の能力を生かして仕事をしている。


 それって、状況はかなり違うけれど私に似ているし、養父の役に立つために働くというのが彼の信条でもあるのなら、もっと誇ってもいいはずなんだけど。


「……なんというか。あなたの本来の仕事以外のものまで押しつけて、申し訳ないわ」

「そんなことをおっしゃらないでください。……前にも言いましたが、私はこの役目、結構楽しんでいますよ」


 ……私は彼の心中を思ってちょっと神妙に言ったというのに、ユーインはさっきまでのアンニュイな雰囲気はどこへやら、いつものような妖艶な笑みを浮かべた。そして私が座るソファの肘掛けに手を掛け、ぐいっと身を乗り出してくる。


 いきなり目の前にイケメンのご尊顔が迫り、ちびちび紅茶を啜っていた私はぎょっとして身を退いてしまう。

 うわ、やっぱり顔きれい……肌も白いし、睫毛長い……睫毛まで灰色なんだ。


 ……いや、見とれている場合じゃない!


 彼は薄く笑うと私の手の中のカップを没収してテーブルに置き、空いた手でそっと私の顎に触れてきた。


「ち、ちょっと! 近い! 近いから!」

「ええ、近いですね。わざとやっているのですから、分かってますよ」

「分かってるならなお質が悪いっ!」

「ほら、そんなに口を荒らさない。……淑女らしからぬ振る舞いをする悪い子には、お仕置きをしないといけませんね?」


 お……おし、おき……?


 そう言われて一番に思いついたのは、私の尻をペンペンと叩くユーインの図。

 いやまさかそれはあるまいと頭の中の像を消しゴムで消去するけれど、「お仕置き」とデカデカと書かれた字ばかりが脳みその内部を占める。


「……お、お仕置きって、具体的に……?」


 こんな状況でそれを聞く私は、馬鹿かもしれない。でも、美形に迫られていつもよりもIQ値が下がった私に、冷静に思考せよと言う方が無理だ。


 ユーインは愚かな質問をした私を見つめ、笑った。

 それは、獲物を追いつめた肉食獣のような、ちょうどいいおもちゃを見つけた幼児のような、相手を意のままに操ることに成功した詐欺師のような、無邪気でかつ危うい微笑みで、私の背筋がぞくりと粟立つ。


「おや、それを聞くのですね? 本当はこんなに日の高いうちから言うべき台詞ではないのですが……あなたがどうしても、とおっしゃるのでしたら、一つ一つ丁寧にご説明し申し上げましょう。……なんなら、実演も交えて」

「びえっ……!?」


 相変わらず可愛い悲鳴を上げられない女である。それもこれも、ソファに座る私にのしかかるように迫り、わざとらしく耳元で囁いてくるこの男が悪い。うん、きっとそうだ。


「や、やっぱりさっきの発言はナシ! 遠慮します!」

「そうですか? それは残念ですね。恥じらうあなたの可愛い顔を見られると思って、期待していたのですが……私は女性を鳴かせる趣味はあっても泣かせることに興味はないので、ここで退いておきましょう」


 そう言って思いの外あっさり体を離したので、私はいつの間にか止めていた呼吸を急いで再開させることができた。


 ……それにしてもこの人、やっぱり「鳴かせる」と言っている。まだ「泣かせる」方が分かりやすくてよかったかも、と思う私は、未だにIQ値が元に戻っていないみたいだ。


 ひとまず、ユーインには要注意だ。

 話し上手だからホイホイ乗せられてしまうけれど、油断だけは絶やさないようにしないと……!

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