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ナツメナツミ  作者: かに
24/25

これにておしまい(前編)

 春休み二日目からアルバイトをはじめました。

 時給七五〇円。期間は三月末まで。仕事内容はスーパーのレジ。

 午前中に高校で補習を受けてから、高校から一駅離れた駅前のスーパーでバイトする。

 目的は、携帯電話の使用料金を返すため。


 去年の十一月までには四千円程度で収まっていた使用料金が、十二月から一万円弱に跳ね上がり、『親の』限度額を超えた。

 限度額との差額が一ヶ月当たり六千円。その四ヶ月分。しめて二万四千円ナリ。


 これを返すまでは携帯を使えない。携帯は手元にあってもSIMカードが抜かれていて、電話もメールも一切できない。


 気長にお小遣いを貯めるのは待ちきれないので、アルバイトで稼いで返す。

 借金を時給で割ると三十二時間。一日に四時間働くとして、アルバイト期間は一週間強あれば充分。

 ところが、春休みの初日にアルバイトを探して近所を歩き回っても、募集条件は『長期アルバイト』ばかりだった。


 やっと見つけた短期のアルバイト。

 バイト先のスーパーは三月末で全面改装のために閉店するという。アルバイト募集のポスターには『三月末までの超短期募集!』と書かれていた。

 わたしには打ってつけの好条件!

 今回はクリスマスケーキ売りのバイトのときと違って、あらかじめ履歴書も準備してある。

 ポスターには『まずはお電話で』と書いてあったので、駅まで戻って公衆電話から電話をかけた。


 公衆電話を探す途中に、携帯があればすぐに掛けられるのに、と何度も思った。

 でも携帯を使うためにアルバイトをするんだよね。矛盾というべきか、ニワトリ卵というべきか。


 スーパーに電話をかけたら、今すぐに面接をしてくれるというので、駅の公衆電話からスーパーに取って返した。

 面接をしてくれた人は社員の女性の主任さん。まだ若そうで、小柄でショートカットで強そうな雰囲気だった。サボる人にはビシッと叱りそうな。サボるつもりなんて全然無いけど。

 面接の場ですぐに採用決定。「うちは短期だけどいい? すぐアルバイト終わりになっちゃうよ」と念押しされた。



 アルバイトを始めてから三日過ぎた。レジの仕事は思いのほか楽しかった。

 初日こそ不慣れで、割引きシールを見逃してレジを打ち直す失敗を何回かしたけれど、翌日にはミスもほとんどなくなった。

 レジは基本的に、バーコードのスキャンとお金の受け渡しを一人でこなす。混んでくると、スキャンとお金の受け渡しを別の人が担当する二人体制になる。

 わたしは一番の新人なので、二人体制の相方は慣れた人と組ませてもらっている。

 相方は高校二年生の女の子。高校入学と同時に、ここのスーパーでアルバイトを始めたらしい。


「主任さんは怖くて苦手なんだけど、店長も副店長もやさしくて、雰囲気よかったんだけどね」


 お客さんが途切れた合間に、相方の吉田さんが残念そうに言っていた。


 この辺りは大きな駐車場をそなえる郊外型スーパーが増えてきて、駅周辺のお店が次々と閉店している。

 わたしがバイトしているスーパーも新装開店とはいうけれど、建て直しとは相当思い切ったことをするものだと思う。


「新装開店したら、またバイトします?」

「えー、それって二年後だよ? その頃、何やってるかわからないじゃない」


 高校は卒業している。大学生か専門学校生か、はたまた就職か。

 漠然と大学に行こうとは考えているけど、具体的には何も思い浮かんでいなかった。


 夏目くんはどうするんだろう?


 頭いいんだから、そりゃ良い大学に行くんだろう。良い大学ってなんだ? よくわからないけど。

 とにかく選び放題ってことで。


 わたしが通う高校は中堅ランク。春休みの補習は一年生の勉強の復習。

 対して夏目くんが通う進学校の補習は、実力アップのためのもの。しかも午後まで補習。こっちは午前中で早々に終わっているのに。


 こうしている間にも、夏目くんとわたしの学力の差が開いている。二年後の進路も別の道になるんだろうな。

 同じ大学に通うのはまず無理だし。



 レジから見える柱の時計の針が午後五時を指した。吉田さんがバイトを終える時間だけど、夕飯時もあってレジには列ができていた。

 吉田さんは、お客さんが落ち着くまで残ってくれた。吉田さんが二人体制用に広げたレジの作業スペースを一人用に戻して、レジ台にしまってある私物袋を持ち、バイトを終わらせる準備ができたのは五時二十分だった。


「やっばーい! 遅刻しちゃう!」

「約束でもあるんですか?」

「うん。彼氏がね。この前も遅刻しちゃったし。川島さんはシフトは閉店まで?」

「はい」

「バイト始めてからいつも閉店までいるよね? 遊ばないの?」

「電話するお金も無くて」

「えー!? 彼氏は?」


 吉田さんは急いでいるはずなのに、話題に火がついたようでなかなかレジから離れない。


「こら、吉田さん! 終わったなら早く帰りなさい! それとも残ってやってくれるの?」


 主任がおつり用の金銭袋を抱えてレジを通り過ぎざま、叱った。

 吉田さんはペロリと舌を出した。


「川島さんも相手しない!」


 うへえ。とばっちり。


 吉田さんは主任が通り過ぎたのを確認してから、最後にこれだけと「彼氏は?」


「いますよ」

「見せて見せて! 今度写メ見せてね!」


 言い残して駆けていった。

 わたしは吉田さんが帰ってからも閉店までレジのバイトを続けた。閉店時間は八時。それからレジを締めて、レジに残ったお金をまとめて金銭袋に入れて、チャックの端を細い紙で封印する。その袋を事務室の店長か副店長か主任さんに預けるまでが仕事。

 そうこうしていると、スーパーを出るのは八時半を過ぎる。家に着くのは九時半少し前。

 夏目くんは、さすがに補習も終わっているけど、こんな時間から会えるわけない。夏目くんの家の近所でバイトをしていながら、お預け状態もいいところ。


 ふう。

 溜息をつきながら帰り道を急ぐ。春になっても夜はまだ寒かった。



 帰宅して、玄関でノロノロしていたら家の電話が鳴った。

 わたしは脱ぎかけていたローファーを放り出してバタバタと家の中に駆け込んだ。

 タッチの差で弟に受話器を取られた。

 イーッと口を横に開くわたしと、鼻で笑う弟。弟は二言、三言話したあと、受話器を寄こした。


「変態から電話」

「その呼び方止めなさいって言ってるでしょ!!」

「事実じゃん」

「あんたが何を知ってるって言うのよ!?」


 もう一回ズイッと受話器を差し出されて、言い争いしている場合じゃないと思い受け取った。

 いちいち『変態』呼びするくせに、なんでわざわざ電話を取るんだろう。今だって放っておけば、わたしが電話を取れたのに。

 心の中で弟にブツクサ文句を言った。


 気を取り直して、電話の横にある砂時計を引っ繰り返した。ありふれている木製スタンド付きの砂時計で、三分間計だ。

 SIMカードを取り上げられてから、電話の時間をきちんと考えるようになった。わたしが電話代を使いすぎているのなら、夏目くんだって同じくらい使っていたはず。

 夏目くんから掛けてくれた電話も三分間で終わらせると決めていた。


『バイトどう?』

「結構楽しい。ちゃんと三月末には稼げそう」

『ずっと閉店まで?』

「三十一日は閉店時間が早いから、帰るのも少し早いよ」

『何時くらい?』

「六時半」

『わかった』


 会話が途切れた。砂時計の青い砂がサラサラと上から下に落ちていく。時間が過ぎていくのが目に見える。

 家の電話でする会話は携帯電話よりも恥ずかしくて、当たり障りのない話題を必死に探した。


 その結果

「補習もね、この前に先生のお手伝いしたときにテキストとか見ちゃったから、覚えがあってね、とっつきやすいよ」

 と、どうでもいい話をしてしまう。本当はこんな話をしたいわけじゃないのに。


 砂時計の上の部分の砂溜まりが無くなった。タイムアップがいよいよ近い。

 言いたい言葉があるのに出てこない。何度もツバを飲み込んだ。

 夏目くんが言ってくれないかな。そしたら返事をするだけでいいのに。


 砂時計の砂が全て落ちたのを見て「三分たっちゃった」と言うと、受話器から聞こえる夏目くんの声が『そっか。おやすみ』と言った。

 わたしも「おやすみ」と答えて電話をきった。

 本当は「会いたい」と言いたかった。




 閉店の日が近づくにつれて、スーパーの売り物はみるみる減った。生鮮食品やお総菜以外は入荷を止めて、在庫を売り尽くすのみだから。それも日ごとに二割引き、三割引きと値引率が上がり、お客さんも増えてくる。


「ホントに閉店しちゃうのね」

「これからどこで買い物すればいいのかしら」

 と言われることも多かった。


「あら、新人さん? 慣れた頃に終わっちゃって残念ね」

 と気の毒そうに言われたときには苦笑した。短期で終わることを望んで始めたのに、自分でも残念だったから。

 たった十日程度の間に、同じ時間帯に働いているパートさんとも、ほとんど顔なじみになっていた。


 売り物が無くなった陳列棚はその日のうちに解体されて、翌日には撤去されている。

 アルバイトに行くたびに広くなっていく店内が寂しかった。


 だから主任さんから

「三月三十一日に閉店でレジの仕事も終わりだけど、翌日にちょっと片づけがあるのよね。もし来てくれるならバイト代出すけどどうする?」

 声を掛けられたときには飛びついた。



 その日の夜、夏目くんに電話でアルバイトが四月一日まで延長になったことを言うと、文句も一切言わずに了解してくれた。

 わたしは会いたいのに、夏目くんはそうでもないのかな。

 ホッとしているくせに、全然残念そうじゃない夏目くんに少しガッカリした。

 会えない原因はわたし自身なのに。




 三月三十一日。アルバイト先のスーパーの閉店日と補習の最終日。

 補習は予定通り午前中に滞りなく終了した。

 まじめにサボらず補習を受け続けた現在思う。


 補習を受けて本当に良かったーー!!


 一年生の勉強を復習せずに二年生になっていたらと想像すると恐ろしい。

 補習を受けて理解したからこそ、補習前に勉強を全然理解できていなかったと思い知った。

 わたしは授業に全然ついていけてなかった。

 そのことに気づけて、本当に良かった。


 補習最終日の到達度確認のためのテストの結果は、自己採点でほぼ満点だった。

 定期テストのヤマ張りでヤマが当たって高得点だったのとは違う。本当に理解して回答した結果だ。


 テストと言えば、わたしには答え合わせがもう一つ残っている。

 三学期の終了式の日の朝に、夏目くんが二回もキスをした理由。

 結局、夏目くんが何を考えているのかはわかっていない。


 春休みが始まってから今日まで夜に三分間電話をしていただけ。

 それも、毎晩夏目くんが家の電話にかけてくるから、当たり障りのない会話をするばかり。

 何度もわたしが公衆電話からかけると言っているのに「それはダメ」の一点張りだった。


「公衆電話からだったら、喋りやすいのに」

『ダーメ』

「電話代だって、わたしも払うし」

『ダーメ』


 とどめは

『夜に電話のために一人で外に出て何かあったらどうすんの? 俺、一生後悔するでしょ』


 そんなことを言われたら、それ以上食い下がれるわけがない。

 こんな調子だからヒントは与えられているような気はするけど、模範解答はわからない。

 この際、開き直って、正しい答えであるかは放棄して、わたしはわたしのやりたいように、やらせてもらうことにした。



 最終日のスーパーの閉店時間は六時半。翌日も片づけのアルバイトで会うからと、普段通りの挨拶で済ませて、駅の公衆電話まで走った。

 ああ、もう本当に携帯電話が使えればいいのに!

 だから、携帯電話が使えないからアルバイトしているんだって!


 電話ボックスに入って、公衆電話の受話器を取り、十円玉をありったけ入れて夏目くんの携帯電話の番号を押した。

 電話が通じると同時にわたしは受話器に向かって叫んだ。


「会いたいの! 会って下さい! お願いします! まだ七時前だからいいよね!?」


 夏目くんが会いたかろうがそうでもなかろうが、それもどうでもいいことだった。


『はい。喜んで』


 余裕タップリでおどけた口調に軽くイラッとしながらも、断られなくてホッとした。


「ええっと、いま西高の一つ手前の駅だから、そっちに着くのは……」

『いいって』

「なにが? 時間決めなきゃ待ち合わせできないでしょ? 一駅五分くらいかかるから……」

『いいの、いいの』


 コンコンとボックスのガラス扉が外から叩かれる音がした。

 予想外の音と振動にギョッとして、ドキドキしながら恐る恐る振り返った。


 携帯電話を左手に持って右手をヒラヒラ振っている夏目くんがいた。

 長袖のシャツにデニムの普段着姿だった。家に帰ってからわざわざ出てきてくれたの? 約束もしていなかったのに。


 わたしは受話器を叩きつけるように公衆電話に戻した。

 おつり口にジャラジャラ十円玉が落ちたけど、それを回収する余裕もなく、電話ボックスから飛び出た。


「おつりが……」


 電話ボックスを指さした夏目くんの首すじにしがみついた。

 どうしてここにいるの?

 聞きたいことを言葉にできない。声も出せない。

 通り過ぎる人も目に入らない。

 首すじにしがみついたまま、踵をあげた。軽くかがんでくれた夏目くんの唇に自分の唇を重ねた。

 一瞬触れただけですぐに離した。

 夏目くんの反応を見るのが怖くて、背中を向けた。


「あ! 十円玉!」


 白々しく棒読みで台詞を言ってから電話ボックスに戻って、おつり口から十円玉を回収した。


「ナツミちゃん」

「補習ね、テストもできたよ」

「ナツミちゃん」

「明日、バイト増やしちゃってごめんね」

「ナツミちゃん」


 ごまかす手段を思いつかず、観念して振り向いて夏目くんを見た。


「ナツミちゃんが好きだよ。全部好きだよ」

「全部!?」

「そう。顔もかわいいし、頭もいいよね」

「いやいや、顔はアレだし、頭も決して……」

「ナツミちゃんと喋ってると楽しい」


 なんだなんだ、どうしたんだ。

 自分からキスしてしまったことなんか吹っ飛ぶくらいの衝撃発言だ。

 驚きながらも、この先を予想していた。

 こうやって浮かれさせて最後の最後に「足が良い」と言ってオトすんだ。

 それがいつものパターンだから。


 でも夏目くんの口から「足」という言葉は出なかった。

 わたしは補習帰りにバイトに直行しているから西高の制服を着たまま。

 スカートからのびた足は生足でハイソックスを穿いている。

 いつもは足にジロジロと熱っぽい視線を送っているのに、それもなかった。


 足フェチの夏目くんが足に関心を向けない。

 やっと足以外も見てくれるようになったと喜ぶべきこと?

 ううん。違う。

 わたしにとっては最大のピンチだった。

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