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ナツメナツミ  作者: かに
22/25

やっぱりあいつは

 あいつがいる。


 僕は書店の文庫本の棚で見覚えのある男を見かけた。

 書店はうちから電車で数駅離れたところにある大型店舗で、僕は高校一年生の参考書を買いにきていた。

 うちはお金に厳しくて、基本的に本を買ってくれない。図書館があるからだ。だけど、正当な理由があればお金を出してくれることもある。勉強のための参考書は『正当な理由』と認めてもらえた。

 うちはお金以外は放任だ。成績や素行を口うるさく言われたことはない。きっと、偏差値が高くて学費も高い学校よりも、偏差値が低くて学費も安い学校を勧めると思う。

 僕は費用対効果を主張して何とか私立高校に進学することを許してもらえたが、こんなマヌケな交渉をしたヤツなんか他に知らない。どうしてAランク高校に進学することを説得しなければならないんだ。ふつう親は諸手を挙げて喜ぶんじゃないのか。

 ただ、まあ、お金以外に口うるさくないから窮屈感は無い。

 気持ちの面では自由だけど、お金という手綱をしっかり握られていては、ハメを外すことはできないわけで、僕も姉もわりと地味な生活態度で過ごしている。


 ただし、姉は数ヶ月前くらいから男と付き合っているらしい。

 それが文庫本の棚にいる男だ。


 探している本でもあるのか、作家別に文庫本が並んだ一番左の棚の真ん中のあたりをじっと目で追っている。

 服装は私服。この辺りの高校は昨日三学期の終業式だった。

 何てことない長袖とジーンズ姿なのに、何となく周囲から浮いている。

 あれだ、雑誌の巻頭グラビアに載っている『アイドルの休日』ってタイトルの写真のような。


 あいつに女が声を掛けてきた。逆ナンか?

 年はあいつと同じくらい。パッと見カワイイ子。逆ナンするくらいだから自分の容姿に自信があるんだろう。

 二言三言、言葉を交わして女が離れた。女は悔しそうな表情。

 女が離れたあとに、あいつはジーンズのポケットから携帯を取り出した。

 画面を見てニタリと笑った。そう、ニタリだ。ニヤニヤと言ってもいい。いやらしい目つきなのだが、顔の素材がいいもんだから下品な雰囲気がない。

 だからイケメンはムカつくんだ。


 あいつと目が合ってしまった。

 さっきとはうって変わった爽やかな笑顔。よそいきの笑顔。

 僕は駆け寄ろうともせずにその場で固まった。そしたら向こうからやってきた。


「こんにちは。弟くんだったよね」

「ひろあきです。川島宏明」


 あいつは僕が手にしている参考書に目を落とした。

「入学前から勉強するの?」

「前もって目を通してからの方が授業が楽なので」

 大学附属高校とはいえ、内部進学するには学内の成績をそれなりに良くしておかないと足きりがある。それでも大学受験をするよりは楽だ。

「予習が目的だったら、これも良いよ」

 僕が参考書を取り出して隙間ができた場所の隣に並んでいる参考書を指さした。

 それを取り出してパラパラ数ページめくり、代わりに持っていた参考書を棚に戻した。悔しいが、こいつが勧める参考書の方が良さそうだ。こいつ頭良かったんだっけ。


「値段もこっちの方が安いな」

 僕のひとりごとをあいつは聞き逃さなかった。

「勉強絡みでもお金に厳しいの?」

 そんなことも知っているのか。姉はこいつにベラベラ喋りすぎだ。

「遊びも勉強もジャンル問わずで。おかげさまで、姉はバイト探しです」

 姉は携帯電話を使いすぎて使用料金が『親の』限度額を超え、使用禁止になってしまった。限度額を超えた分を支払うためのアルバイトだ。


 姉はまだいい。アルバイトで稼げるから。

 僕はつい先日まで中学生だったからお小遣い内でやりくりするのも一苦労で、本一冊買うのだって交渉が必要なんだ。

 だからイケメンのあいつが文庫本を選んでいるのを見て、少し苛ついた。文庫本なんて趣味の読書にお金を使える余裕を妬んだ。完全な八つ当たりだけど。


 そろそろ話を切り上げようと思って、話題を変えた。

「なんか探していたみたいですけど」

 そう言えば元いた文庫本の棚に戻るだろう。

「借りて何回か読んで欲しくなった本があって、買いにきたんだよね」

 あいつは手にした文庫本を自分の顔の横に掲げた。

「本借りるんですか?」

「毎日電車の中で読んでるから、いちいち買ってたら大変だよ。うちの高校、公立のわりには図書室も充実してるし」


 へえ、結構まともなんだな。

 僕は姉から断片的な話をきいただけで、こいつを変態と決めつけていた。

 でも話してみると人当たりは良いし、頭も良いし、金銭感覚も普通そうだ。姉だって、泣いたのはあれっきりで、それからは毎日楽しそうにしている。



 昨夜、姉に言われた。

「家に電話がかかってきたら、ちゃんとわたしに繋いでよ。勝手にガチャ切りするんじゃないわよ」

 姉は携帯電話を使えなくなり、こいつに家の電話番号を教えたという。そんな不便な事態にも、こいつは全く動じていなかったらしい。

 なんだ、結構いいやつじゃん。


 姉の彼氏はジーンズのポケットから携帯を取り出しながら「悪いんだけど、宏明くんの番号教えてくれないかな」と言った。

「連絡手段はなるべく多く持っておきたいんだよね」

「すみません、僕まだ携帯もってなくて」

 うちの親が中学生に携帯を持たせるわけがない。高校入学祝いで買うわけもない。高校生活の様子を見て、必要そうだったら持たせる腹づもりだ。


「あ、そうなんだ? 残念」

 彼氏はアドレス登録操作を中断しようして、携帯を手から滑らせ取り落としそうになった。片手には文庫本を持っていて手から跳ねた携帯を受け止められない。僕が代わりに片手で受け止めた。受け止めた拍子に待受画面を見てしまった。


 待受画面を見た瞬間。僕は携帯を書店の一番奥の書棚の遙か向こうに、ぶん投げそうになった。


 そこに映っていたのは、何かに腰掛けている姉。体は横向きで、顔が正面を向いている。振り向いた瞬間を撮ったようで、ブレ気味だが笑顔なのはわかる。

 問題は体。主に腰から下。ショートパンツに生足で少し上気している雰囲気で……ってこれ以上見てられっか!!


 なんだこの写真。美女でも美少女でもグラビアアイドルでもなく、うちの姉だ。顔もスタイルも十人並みの姉だ。

 誓って言うが、僕はシスコンじゃない。

 カワイイ子に惹かれる。美人によろめく。スタイルがイイ子を凝視する。いかがわしい雑誌に興味だってある普通の15歳(来月16歳)の男だ。

 スケベだし、エロいことだって考える。でも絶対、相手はこんな、うちの姉みたいな、パッとしない女じゃない。


 僕の目の前にいるこいつは、姉をそういう目で見ているということか?

 逆ナンをフッたあとに、この写真をニヤニヤと見ていたのか。

 キモイ。ありえない。ドン引きだ。


 変態だ、やっぱりあいつは、変態だ。

 変な五七五調になってしまったが今の僕の正直な気持ちだ。

 僕があいつを変態と呼ぶことをお許しいただけるだろうか。いただけなくても呼んでやる。


「変態」

 携帯を押しつけるように返して、僕は変態と別れた。


 少し離れてから、気づかれないように変態の様子を眺めた。

 変態は携帯を見て(見るなよ! キモイから!)、首をかしげて不思議そうな表情をしていた。

 自分の異常さに気づいていないのか。ホントにヤバイじゃないか。


 それから、また女に声をかけられていた。

 女は美人だったけど、無駄無駄、無理無理。

 その人、変態ですから。




ひとまず<おわり>

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