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ナツメナツミ  作者: かに
17/25

ホワイトデーは逃亡日

 夏目君は私の足が好き。

 夏目君がクリスマスイブの夜に私に話しかけたのも、クリスマスの夜に交際を申し込んだのも、私の足を好きだったから。ついでに、私が東高の女生徒の皆さんに囲まれたときに私が怯まなかったのもこの足があったから。この足でいる限り夏目君は私に首ったけ。私には揺るぎない自信がある。

 そして菜摘という名前。この名前のおかげで夏目君のお母さんのおぼえもよく、夏目君の風邪が治ってからも夏目君を通じて「遊びにきてね」と誘っていただいている。

 お母さん、夏目君好みの足に産んでくれてありがとう。お父さん、私に「菜摘」と名付けてくれてありがとう。私はこれほどお父さんとお母さんに感謝をしたことはなかった。


 感謝をするだけでなく、足のお手入れも念入りにするようになった。夏目君の熱っぽい視線に耐えられるように。冬であろうがむだ毛の処理は怠りない。カサカサの乾燥した足なんてもってのほかだ。

 私は毎日お風呂上がりに念入りに足をマッサージをする。輸入雑貨店で買ったお手頃価格で評判のマッサージクリームを塗って、むくんだ足を揉みほぐす。

「無駄な努力休むに似たり」

 一歳年下で中学三年の弟が偉そうに減らず口をたたいてきても

「”下手の考え”だバカ。早く風呂入れ」

 弟がわざと誤用したことわざにツッコミを入れつつお手入れの手は休めない。


 売り言葉に買い言葉でバカと言ったが、弟はバカではない。中学校での定期試験も優秀で内申点も良く、受験シーズン早々にAランクの私立高校に推薦で合格した。

 私立なんて金がかかるので止めろと言う父母と私に対して弟は三年後に付属大学へ進学すると宣言。予備校に行く必要もなければ大学入試模試すら受けない。浪人のリスクもない。そして私立高校の中では比較的学費も安い。大学入学までにかかる経費を試算したら、公立高校から進学するのと大して変わらないというのだ。

 私が大学入試でヒイヒイ言った翌年に弟は余裕綽々で大学進学できる。自分が楽をするための努力は惜しまないのが私の弟である。

 ちなみに顔は十人並みである。


 話を戻して、私は服装も足を見せることを意識するようになった。制服のハイソックスにも気を遣う。以前はハイソックスが洗濯でヘタれても気にせず穿いていたが、今はおろしたてのようにピシッとしたものしか穿かない。十五年くらい前にはルーズソックスが流行っていたらしく、今も再流行しかけているが私は穿かない。太ももが細く見えるかわりに足首が見えなくなるから。

 夏目君の目を最初にひいたのは足首からふくらはぎへのライン。これを隠しちゃいけないでしょ。


◇◇◇


 三月に入って、私は夏目君とホワイトデーの約束をした。平日なので学校が終わってから待ち合わせをして出かけようと予定を立てた。遠くに行く時間はないから、近場の美味しいお店で一緒に夕飯も食べようね、と。

「俺はナツミちゃんにお返ししていいんだよね?」

「どうしてそんなこと聞くの?」

「バレンタインデーがちとトラウマで。ドッキリ仕掛けられたし」

「ドッキリなんか仕掛けてないわ!」

 私の言葉足らずと夏目君の早とちりで、バレンタインデーへのカウントダウンは夏目君にとってかなり辛い日々だったらしい。

 でもホワイトデーは大丈夫。気持ちの行き違いは無い。私は夏目君が好きだし、夏目君も私にお返しをしようとしてくれている。私はホワイトデーまで指折り数えて待ち焦がれられる。


 その翌朝の土曜日のことだ。バカ弟(バカではないがバカと罵りたい)が体調不良を訴えたのは。食卓に現れた弟は歯をガタガタ鳴らしていた。熱を測ると三十八度超えという。

 弟は推薦で高校を決め、大多数の生徒も高校入試は既に終わり中学校の卒業式を待つのみだが、二次募集を受けようとする生徒も若干残っている。この時期にインフルエンザの感染を拡大させたら酷い。母は弟を病院に行かせた。

 診察結果はインフルエンザだった。私は発症していないけど念のため夏目君にデートのキャンセルを連絡した。

 翌朝には母が、月曜の朝には父と私が発熱した。川島家総崩れである。


 家族全員で寝込んでいるので誰も看病なんかしてくれない。氷枕を用意するのも自分、薬を用意するのも自分。食欲はないので食事が作れないのは問題無い。箱買いしてあったスポーツ飲料で水分補給をするのが精一杯だ。

 夏目君が心配して携帯電話に連絡をくれたが、差し入れも一切断った。欲しい物があればコンビニ宅配で充分。

 ただ会いたかった。顔が見たくて声が聞きたくて手を繋ぎたかった。


 そして一週間後に弟が回復した。次に母が、最後に父と私が回復した。

 インフルエンザは発症してから一週間、解熱してから二日間は自宅待機と学校から通達が出ている。私はやっと外出できる。

 気づけば翌日はホワイトデー。待ち焦がれて恋い焦がれてホワイトデーまでカウントダウンするつもりが、わけのわからないうちに時が過ぎていた。


 のんびり入浴するのも久しぶり。体の芯まで温めてホカホカになってお風呂を出た。足のお手入れをするのも久しぶり。いつも使っているマッサージクリームを手に取り、パジャマを膝まで捲りふくらはぎを出した。

 私は自分のふくらはぎを見て違和感を覚えた。なんか違う。

 膝丈のパジャマのまま姿見の前に立ち、自分の姿を見た。

 姿見に映る私のふくらはぎ。こんなに細かったっけ?細いというか、貧相な感じ。運動して引き締めたのではなく、単に栄養不足でしなびただけの足。体重を量ったら四キロ減っていた。



 付き合い始めたときの夏目君の言葉を思い出す。

「君が極端に痩せたり太ったりしない限り、ないよ」



 私は頭の中が真っ白になった。呪文のように「フラれる。フラれちゃう」と繰り返すばかり。

 何も知らない弟がのんきに「姉さん痩せた? ケガの功名だな」と言う。ことわざの使い方は間違っちゃいないが、今の私にそれを言うか!?


「あんたのせいよ」

「は?」

「あんたにインフルエンザうつされたから!! 痩せちゃって! どうしてくれんのよ!?」

「普通痩せたら喜ぶだろ、女って」

「痩せたくなんかないわ!! 私の足を返してよ!! 夏目君にフラれちゃうよ!!」

 私が夏目君と付き合っていることを知らない弟は私が怒り出した理由なんかわかるわけがない。

 私だって、病気をうつしたうつされたなんて怒るようなことじゃないのもわかってる。

 でも、私にとって足が唯一の拠り所で、それを奪われたらどうしたらいいのか全くわからなかった。


 そのとき、私の携帯電話が鳴った。発信元は夏目君。間が悪いことこの上ない。

「どう? 調子は?」

 久しぶりに聞けた夏目君の声が心地良い。私は怒りで乱れた息を整えた。

「うん。熱も下がったし明日から学校行くよ」

「よかった。大変だったね。明日さ、朝テストがあってそっちに行けないんだ。放課後は西高まで迎えに行くから」

「来ないで」

「はい?」

「明日は会えない」

「え? ちょっと、え? どうして?」

 夏目君の声と言葉から動揺しているのがわかる。

「明日、ホワイトデーだよね? 約束したよね?」

「でも会えないの!!」

 会ったら、会って足を見られたら私はフラれちゃう。

 会いたいよ。一週間会えなかったんだもん。会いたい、話を聞きたい、話を聞いて欲しい。たくさん話して、手を繋いで歩きたいよ。でもできないんだよ。

「ごめんね」

 痩せちゃってごめんね。私は電話をきって涙をぬぐった。

 弟に「電話、誰?」とたずねられた。あんたまだいたの。

「彼氏。私の足が好きなの。痩せる前のね」

 私は気持ちに余裕がなくて、一切取り繕うことなく答えた。

 弟は絶句していたが、私の知ったことではなかった。


◇◇◇


 翌日のホワイトデー。昨夜の電話の通り、朝に夏目君は駅にいなかった。私は会わずに済んでホッとした。会いたいけど会ったら終わりなのだから。

 一週間ぶりに登校した私に花ちゃんが歓声をあげた。

「お見舞いもかねて、みんなで選んだの」

 みっちゃんが透明な瓶に入ったカラフルな飴玉をくれた。

「赤いのが苺で、黄色がレモン、オレンジはミカンだよ。見たまんま」

 ともちゃんが笑う。

「どれもビタミンCたっぷりだから」

「ありがとう!」

 私はその場で瓶を開けて赤い飴玉を取り出して口に含んだ。カラカラに乾いていた口の中が甘酸っぱく潤ってくるのを感じた。


 西高校内は一ヶ月前の告白の返事で浮き足立っていた。周囲を伺いながら何度も鞄に手を突っ込む男子や、教室の出入り口を何度も振り返る女子。

 いいなあ……

 と思う。同じ学校だと、いつ渡そうかドキドキしちゃうよね。羨ましいのはそれだけでなく。

 私は今日会えない。この貧相なふくらはぎを何とかしないと。私は自分のふくらはぎをスッポリ隠すルーズソックスを見つめて溜息をついた。


 放課後になった。友達はみんな彼氏と一緒に過ごすので私は一人下校した。

 駅に着いて定期券を出して改札をくぐろうとした。そして見つけた。改札の向こう側にいる夏目君を。

 どうしているの!?

 この駅は夏目君の自宅の最寄り駅でもあるのだから、いるのは不思議でもなんでもないけれど!なぜ、今!?

 夏目君も私に気づいた。私はきびすを返した。この改札を通らなければ家には帰れないのに、私はどこに行く!?とにかくこの場からは逃げるしかない。


 夏目君は私を追いかけてきた。いやーー!!

 私は来た道をそのまま逆戻り。そのまま西高の校門に飛び込んだ。やっと振り返って夏目君を見て勝ち誇った。東高生の夏目君は西高には入れまい。

「どうして逃げるんだよ!」

 理由なんか言えるもんか。言ったらフラれるでしょうが。しかし理由を言うまでもなく夏目君は気づいてしまった。

「ナツミちゃん、痩せた?」

「なんでわかるの!?」

「いつも見てっからだよ!」

 校門を挟んで怒鳴り合う私と夏目君。下校時間のピークは過ぎて人通りはまばらであるけど、通りゆく生徒はみんな私たちを見ている。

 明日になったらどんな噂が流れることか、そんなことはどうでもいい。どうとでもしてくれ。


「見ないで! もう夏目君が好きな足じゃないんだから!」

 言ってしまった。もうおしまいだ。

 私は夏目君に背を見せて校舎に向かって走り出した。

「待って!」

「待たない!」

 走りながら振り向いて夏目君を見た。夏目君は西高の敷地に足を踏み入れていた。

「うそー!」

 ここは西高、貴方は東高生。

「うそじゃねえ!」

「ち、治外法権が……」

「知るか!」

夏目君は肩にかけていた通学鞄を放り投げて走り出した。


 私は校舎に逃げ込み通学鞄を放り出し、靴を履き替える間もなく靴下で廊下を走る。その後を夏目君がおいかける。

 人目につかないように人がいないところを選んで逃げる。そして走りながら私は疑問がわいていた。

 どうして夏目君は追いつかないのだろう。

 私は必死で逃げているけれど、私よりも身長が高くて、つまり足が長くて、男の夏目君が追いつけないのはおかしい。私は違和感をおぼえながらも階段を上る。上って上って屋上への扉に辿り着いた。屋上への扉は開かない。ここで行き止まり。

 私はとうとう追いつかれた。

 追いつかれてやっと気づいた。私は人がいないところに誘導されて追い詰められていたのだと。


 夏目君が私の腕を掴んだ。私は走り疲れたのと緊張の糸がきれたのでその場に座り込んだ。夏目君も腰を下ろした。

 私は泣いていた。何度もしゃくりあげて「もうダメ」「もうおしまい」と繰り返していた。

「どうして?」

「足が、足が……、別れたくないよー」

 もう支離滅裂だ。

 私は息苦しくなった。私の背中に回された夏目君の腕。私は夏目君に抱きしめられていた。

「大丈夫」

 夏目君の抑えた声が私の耳に響く。

「ちゃんと好きだから」

 夏目君の言葉が私の頑なな心をとかし始める。それでもこの期に及んでも私はなお食い下がる。

 私は座り込んだまま投げ出した右足のルーズソックスを足首まで下ろした。

「これを見ても言える?」

 貧相に細くなった私の右足のふくらはぎ。

 夏目君はそれをいちべつした後に私の顔を見つめて捉えた。あっという間に顔が近づいてきて、唇をかすめた。

 いま、何が起こった!?


「はあ~~」

 私の両肩に両手をのせて夏目君が溜息をついた。

「こんな、言い訳みたいなキスしたくなかったのに」

「やっぱキスでしたか!?」

「なんだと思ったんだよぉ」

 夏目君が体育座りをして拗ねたような声で言う。

「初めてのキスはさあ、もっとこうさあ……」

 付き合ってから三ヶ月。私と夏目君のファーストキスだった。

「もったいぶるからだよ。夢見すぎ」

 あれだけ待ち望んでいたキスがあっけなさ過ぎて笑えてきた。軽い調子で話す私を見て、夏目君がフッと笑う。

「ちゃんと好きだから」

 私は首をかしげた。

「”これを見ても言える?”って言われたから言ってみた」

 甘い囁きにとろけて引っ繰り返りそうになる私の背中を夏目君の腕が受け止めてくれた。

「言われるまでルーズソックス穿いているのにも気づかなかったけど。ルーズソックスもいいね」

 清々しい笑顔でサラリと言う。端正な顔立ちとのチグハグさも相変わらずで。

 夏目君の腕にもたれて見上げた夏目君の横っ面を張り飛ばさなかった私を誰か褒めて欲しい。



◇◇◇



 校内鬼ごっこをしてしまったせいで、のんびりしている時間は無くなった。一緒に夕食を食べる約束もご破算。せめてもう少し長く一緒にいたくて、夏目君が私を自宅まで送ってくれることになった。

 昇降口で私の通学鞄を拾い、校門近くで夏目君の通学鞄を拾った。

 西高の校門を出たところで夏目君が「無事でいてくれよ」と祈るように言いながら通学鞄に手を入れて中身を探っている。

「足の肉が落ちてションボリのナツミちゃんにはコレ!」

「別に足の肉が落ちたからでは……」

 それは間接原因であって、直接原因はお前だお前!と心の中で突っ込んでおく。

「まあまあ。コレを食べればきっと元通り」

 夏目君が差し出してきた箱を私は受け取った。箱は透明で中身が見えるようになっていて、赤いリボンがかかっている。

「コレは……非常に食べづらいのですが」

 バレンタインデーの前に洋菓子店で見かけたチョコレートのオブジェ。つぶらな瞳で愛らしい口元のクマは、放り投げられた鞄の中でも割れることなく、けなげに私を見つめていた。

 クマはカワイイ。そしてこのプレゼントを選んでくれた夏目君がいとしい。

「食べるのもったいない。しばらく飾って眺めるね」



◇◇◇



 楽しい時間はあっという間に過ぎて、私の自宅の前に着いてしまった。私は呼び鈴を鳴らす。

 ドアを開けたのは弟。私の隣にいる夏目君をチラリと見て。

「あんたが姉さんの変態彼氏か。イケメンだからって調子に乗ってんじゃねえぞ」

 とても初対面とは思えない台詞を投げつけて、ドアを開けたままサッサと家の中に戻っていった。

 あっけにとられる私たち。しばらく無言ののち、

「ナツミちゃん、君は弟くんに何を言ったの?」

 夏目君に問われたが、私は何を言ったのか覚えていなかった。




ひとまず<おわり>

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