淡い恋心を打ち砕け
月曜日はやせ我慢の日。
私と私の彼氏の夏目君は違う高校に通っている。私が通う西高は夏目君の地元だけど、夏目君が通う高校は地元から離れているので時間が合わない。平日はゆっくり会えないから土曜日か日曜日か、はたまた両日はなるべく会う。そして週明けの月曜日は休日に会ったばかりなのだからと我慢する。
しかしやせ我慢はそうそう続かない。火曜日の朝には私の地元の駅で夏目君が待ち伏せしている。しかも私が痴漢にあうまでは私の後をこっそりつけて一緒の電車に乗っていたという。一緒の車両にいれるだけでも満足なんだとか。夏目君は私がドン引きしたと思っているみたいだけど、そのおかげで痴漢から助けてもらえたし、私は夏目君が好きだからドン引きはしない。ドン引きはしないけど、ズルイと思う。私だって逢いたいよ。
痴漢を撃退した翌日から、私と夏目君はちゃんと一緒に電車に乗るようになった。
電車は満員。通学と通勤は半々くらいの比率だ。知り合い同士で電車に乗っている人は少なく、皆スマフォをいじったり、小説を読んだり、音楽を聴いたり個人個人の時間を楽しんでいる。私と夏目君は声をひそめて話す。
窓を向いて横に並んで立つ。夏目君は右側、私は左側。つり革も隣同士。夏目君の左手と私の右手が隣あっている。
電車から見える風景に「あのマンション、もうじき完成だね」「駅から結構遠いよねえ」なんて他人にとってはどうでもいい話題をしている。
私は私が話すことに相づちをうってくれたり、夏目君が話しかけてくれたりする声が好き。電車が揺れて体がひっついたり慌てて離れたり、そういうドキドキ感も好き。
私と夏目君は付き合ってそろそろ2ヶ月になる。手はすぐに繋いだ。で、その後が無い。膝まくらはスキンシップではあるけど、状況が状況なのでノーカウント。
こんなに格好いいのに、たぶん初めての交際ってわけでもないだろうに、今のところは清い関係続行中です。
私は普通の女子高生だけど、普通の女子高生故に交際経験が無く、むしろ同級生の男子と喋る機会すらなく、段階というかステップがよくわからない。
私はどうすればいいの?こんな風に思っているのは私だけなの?
そんな悶々火曜日。
バレンタインデーのケリ姫騒ぎは未だに尾を引いていて、私の通り名もほぼ定着してしまった。花ちゃんたちは変わらず「なっちゃん」と呼んでくれるけど、面白がってケリ姫と呼ぶ人の方が多い。私も否定するのが面倒で適当に返事している。
先生まで私に用事を言いつけるときにケリ姫と呼び、授業中に当たる回数も増えた。なんてのんきな学校なんだ。
今日も英語の授業の後に「誰かノートを集めて職員室の机に置いておいてくれ、誰に頼もうかな……、おーこのクラスには姫がいるじゃないか」
姫のところでクラスのみんながクスクス笑う。先生が満足げに「頼むな、ケリ姫」
生徒への用事で笑いを取ろうとしないでください。まったくもう。
数学はプリント、国語も課題のレポート集めを頼まれてるんですけど?こき使われすぎじゃないですか、姫なのに。
休み時間に、隣の列の席に座る田辺君に話しかけられた。
「川島さんはどうしてケリ姫って呼ばれてるの?」
学校中で噂になったと思っていたけど、そうでもなかったのか。
「人を蹴飛ばしたから」
「ケンカしたの!?」
「ケンカじゃないけど」
説明するのが面倒くさい。私は夏目君とお付き合いしていて、でも夏目君は私の足が好きで、私もそこそこ大事にされているけど、肝心なときにはやっぱり足で、コラコラって気分でポンと軽く蹴っただけ。そういう私と夏目君の間に流れる空気を他の人に説明するのは無理だと思った。だから適当に笑ってごまかした。
でも本当はごまかすべきじゃなかった。
足云々はさておき、私はハッキリ言っておくべきだった。私が蹴ったのは私の彼氏なのだと。
噂はどんなに真実味を帯びていても真実ではない。人から人へと伝わっていく間に、面白い事実は誇張され面白くない事実は端折られる。
バレンタインデーの放課後の出来事の噂は、西高の校門にとてつもなく格好良い人がいて、1年4組の川島菜摘がチョコレートを渡そうとしたが断られ、逆上した菜摘が蹴りを入れたというところで落ち着いた。
いろいろとツッコミどころは満載だが、当のご本人の夏目君は他校生で、私も誰に訂正すればいいのかもわからないので放置していた。私自身に悲愴感が漂ってないから、逆上して蹴りをいれたという噂もキャラとして受け入れられたようだ。どんなキャラなんだか。他人の評価なんていい加減なものだ。
水曜日。今朝は夏目君に会えず。そういえば、昨日の夏目君はちょっと声がいがらっぽかったと思う。風邪でもひいてなければいいけど。
今日は地理の先生に教材運びを頼まれた。大きな地図を抱えて廊下を歩く。女子高生の平均身長の私には少し手に余る長さだ。
「それ、持つよ」
いつの間にか田辺君が隣にいて、代わりに地図を持ってくれた。手ぶらになった私は田辺君の後ろを着いていく。
「ありがとう」
「いえいえ」
大きな地図を軽々と運ぶ田辺君。男の子なんだなあ。
木曜日。今朝も私の自宅の最寄り駅に夏目君はいなかった。メールをしてみる。夏目君からすぐに返事がきた。
『風邪引いた。今日は遅刻する。ごめん』
短くて用件のみ。熱は?咳は?休まなくて大丈夫なの?電話したら迷惑かな。
夏目君への返信を打っているうちに西高の最寄り駅に着いた。夏目君はまだ家を出てないのかな。寄って行こうかな。でも私は夏目君の自宅がどこにあるかを知らない。
駅の改札で返信メールを打ち終わり、送信ボタン。携帯電話を通学鞄に入れたところで話しかけられた。
「川島さん、この時間だったの?」
田辺君も改札を出るところだった。
西高まで歩いて15分。田辺君と一緒に登校した。何かを話しかけられて、私は何かを答えた。的外れな返事はしていなかったと思うけど、心ここにあらずとはこのことだと思った。
今日の昼食は購買のパンだ。冬は200mlパックのコーヒー牛乳が保温されていて、私はそれが好きで購買で買うことが多くなる。朝、授業が始まる前に購買にある紙袋に注文内容と氏名を書いて袋に代金を入れる。代金と引き替えに注文品が紙袋に入れられ、昼休みに取りに行くという仕組みだ。だから注文さえ忘れずにしておけば昼の混雑時も食いっぱぐれることはない。注文を忘れても運良く残り物があれば昼休みに買うこともできる。
昼休み開始のチャイムが鳴って席を立つ私に田辺君が話しかけてきた。
「購買行くの?」
「そう」
「ついでに僕の分もとってきてくれない?」
何で?と思ったが昨日の地図の借りがあるので引き受けた。
購買に行ってパンを受け取り頼まれた分を田辺君に渡して、私は花ちゃんたちの待つ席に行った。
みっちゃんが不機嫌そうに吐き捨てる。もちろん小声で聞こえないように。
「田辺がウザイ」
不機嫌なのはみっちゃんだけじゃなかった。
「見え見えすぎ」
「あれ、なっちゃんが失恋したって勘違いしてるよね」
「乙女の心の傷に入り込もうとするなんて男の風上にもおけない」
ともちゃんと花ちゃんも寄ってたかって扱き下ろす。
ああ、やっぱりそういう風に見えるんだと私も納得。私は今まで男子生徒とほとんど話すことはなかった。男嫌いとかそんなんじゃないけど、盛り上がる話題もなかったからだ。遊ぶ相手もお喋りの相手も女友達。
それがここ数日、やたら田辺君に話しかけられる、と思っていたのは私だけではなかったようだ。
バレンタインデーの日にあげる相手はいるの?と聞かれ、その後に例の噂(失恋して逆上してケリを入れた)。田辺君の中で私は当たって砕けて玉砕した傷心の人なのだ。その隙につけいろうとしているというのが、みっちゃんたちの見立て。私はそこまでかなあ?と思う。考えすぎというか自惚れすぎというか。
だって田辺君は足フェチじゃないでしょう?私に女としての価値があるとすれば、この足しかないんだから。あの夏目君を虜にしている足ですよ。この足の何が良いんだかは未だにわからないけど。
金曜日。夏目君はとうとう学校を休んだようだ。夏目君からのメール。
『今日一日寝て絶対治す。明日どこ行くか考えといて』
どこって……。明日も寝てようよ。そんで自宅教えて。お見舞い行くから。
溜息混じりで西校最寄り、夏目君地元の駅の改札を出た。出たところに田辺君がいた。
見なかったことにしよう、気づかなかったことにしよう。夏目君以外のことに気を煩わせたくない。
と思っていたのに。
「川島さん、おはよ」
実に爽やかな、邪心など欠片もないような表情で挨拶してきた。正直言って、私の足を眺める夏目君の方が遙かに不純そうな目をしている。でも私はそんな夏目君の目が嫌いじゃない。むしろ結構好き。
「おはよう」
無の気持ちで挨拶を返す。どうしたの?なんて絶対にきかない。
挨拶をして少し喋って学校に行く、友達なら普通にしていること。疑問をもつようなことじゃない。頭の片隅では「気をつけろ、用心に越したことはない」という声も聞こえる。とにかく普通に。隙は見せない。友達なら普通なんだから。
友達?ここ数日突然話しかけるようになった人が友達?
今日は英語の小テストが返された。私はギリギリ補習を免れてホッと一安心。西高の補習は東高のハイレベル補習と違って、理解が足りない生徒のための補習で不名誉なことである。それに帰りも遅くなる。
普段ならば、少しくらい学校に残った方が、もしかして学校帰りの夏目君に会えるかも、と期待もできるが、今日は風邪で寝込んでいるのでそれもなし。サッサと下校するに限る。
帰りに夏目君の家に寄ろうかな?夏目君にメールを送信した。
『帰るよー。おうち教えて。お見舞い行きたい』
10分待ったけど返事はこなかった。
寝ているのかもしれない。今日は諦めて帰ろう。花ちゃんたちと一緒に通学鞄を持って教室を出る。
教室の隅で男子生徒同士で話していた田辺君が、輪から抜けてこっちにきた。
「川島さん、一緒に帰ろう」
田辺君が誘うような声かけをしてきたのは初めてだった。
――なんでよ?
――なっちゃんは私たちと帰るんですけど?
みっちゃんと花ちゃんの顔にクッキリ浮かび上がる言葉。
「ちょっと話したいことがあって」
――話ってなによ?
――ここで言いなさいよ
声は出さずとも、何を言おうとしているのかよくわかります。ありがとう。でもこれは私の問題だから。
「いいよ。駅までね」
たとえ同じ方向だとしても同じ電車には乗りたくない。
そして決定打を出してくるなら早く出せ。このモヤモヤ状態を早くなんとかしたかった。スッキリさせてから夏目君に会おう。
一応、私と田辺君は揃って西高を出た。「一応」と付けたのは、花ちゃんたちが私たちの後をつけているのが丸わかりだから。つけているも何もみんな駅までの道は一緒なのだ。
田辺君は英語の小テストの話をしたり、学食のメニューの話やら世間話に終始している。
ただ一緒に帰るだけ?話したいことがあるって言ったじゃない?ああ、もう、面倒くさいなあ。私から話を振る?どんな風に?
そうこうしているうちに駅に着いてしまった。何だこりゃ。
今日中にケリをつけたかったのに。何かしらの結論が出ると思ったのは私の見込み違いだったか。
あと数歩で改札に入る。ここまでだ。
「川島さん」
改まった声で話しかけられた。
「もう、わかっていると思うけど……」
なにが?なんもわかってないですよ?
私は知っている。こういうタイミングで必ず現れる人を。
「言わせねえよ」
おなじみの声、いつもよりもガラガラな声。そして2人のときには発しない不機嫌そうな声。
改札の外の近くの壁に寄りかかって夏目君がいた。マスクをしてその上までマフラーを巻いている。その上から丈の長いダウンジャケットを羽織っていた。
パチッと拍手が1つ鳴りかけたのは花ちゃん、拍手喝采しそうになるのを止めたのはともちゃんかな。
「菜摘、誰?」
熱っぽい目で呼び捨てにされて私は卒倒しそう。
「同じクラスの田辺君」
「ふーん、転校生?」
「ううん。入学したときから一緒だよ」
田辺君が私を見ている。「誰?」とききたそうに。
「斎藤夏目君。私の彼氏です」
夏目君は見下した表情のまま、軽く頭を下げた。下げる気なんか全くないくせに。
「え? 振られたんじゃ……ケリって……」
やっぱり田辺君は噂を知っていたんだね。真実ではない噂を。
「いや、振られたのにつけ込むとか、そういうつもりじゃなかった」
それは本当の気がする。でも、キッカケではあったよね、だって
私の思ったことの続きを夏目君が代弁してくれた。
「菜摘と会ってからどんだけ経ってんだよ? 今まで指くわえて見てたんだろ? だったらこれからも、そうしろよ」
夏目君が初対面の人にケンカを売っている!しかも詳しい事情もよくわからずに!
私は止めるどころか、夏目君のあまりの凛々しさと格好良さに目眩がした。熱があるみたいにクラクラする。
顔の半分がマフラーで隠れていても、着ぶくれてモコモコになっていても、目が、佇まいが、声が何もかもが格好良かった。
田辺君はそれ以上何も言わず「じゃあね」と言って1人で改札を通っていった。何も言わずに、何も言えずに。
改札の外で私と夏目君は見つめ合う。
「はーー、疲れた」
夏目君が肩を上下させて大きく溜息をついた。「久々に気合い入れちゃったよ」
「いつ以来?」私は答えがわかっているのに聞いてしまう。
「クリスマス。あのときも必死だったからさー……ゲホッ」
一息ついて咳が出た。咳を交えながら話を続ける。本当は「無理して話さないで」と止めるべきだろうけど、聞きたいから止めない。
「俺は住んでるところも学校も違うから、気長になんてやってらんなかった。
田辺だっけ? 油断しすぎ。毎日学校で会えるもんだから、その気になればいつでもとか思ってたんじゃねーの?」
風邪で熱があるのか、すごい毒舌。
「昨日、遅刻するってメールしたでしょ。そのあと道でナツミちゃんを見たんだよね」
ナツミちゃんに戻っちゃった。菜摘は威嚇限定?
「あの野郎と一緒に歩いていてさ。血の気がひいたよ」
「ごめん」
「何とかしなきゃと思って、病にむち打って来ました」
「ホントにごめん」
「慰めて欲しいなあ。この足で」
この足で?どうやって?手を握るだけの私たちなのに?
付き合うまでの夏目君は先手必勝だった。でも、その後がひっじょ~~~に、のんびりしてません?
何を考えているのか聞いてみたいけど、私に体重を預けてくる夏目君の体がメチャクチャ熱くて、それどころじゃないと思った。
「そうだ、家!! 家教えて!! 送ってくから!!」
「いま家誰もいないよ。かーちゃん仕事だし」
え?そりゃすごいチャンス!?……いやいや、相手は病人ですから。
ひとまず<おわり>




