2-3 再牙、隠し事はいけません
『何事も整理は大事よ。頭の中が散らかっていると正しい判断も出来なくなる。だから、まずはメモを取る事を忘れないでね』
万屋の手伝いを始めた頃、先代に口酸っぱく言われた言葉を再牙は思い出していた。あれから結構な月日が流れるが、彼は今でも『彼女』の教えを忠実に守っている。
その証拠に、彼の雑記帳には事細かく獅子原錠一の出自や経歴が書き込まれていた。家を出た日付も、殺害された日も。全て、獅子原琴美が話してくれた内容だった。
時刻は夜の九時を回っていた。既に琴美は帰宅済みである。小さなアパートの小さな一室には、再牙とエリーチカの二人しかない。
ソファーに仰向けで寝転がり、相棒が台所で夕飯の準備に取り掛かっている気配を感じつつ、再牙は雑記帳に何となく目を通し始めた。
「(錠一氏が家を出たのが二〇三三年の春先。殺されたのが二〇三六年の十二月一二日。つまり約三年と半年以上もの間、この街で生活していたという訳だよな……)」
兎にも角にも、まずは動かなくてはならない。再牙はソファーから身体を起こすと、左のこめかみを強めに三回押し込んだ。脳内に埋め込まれたサーキット・チップが超現実仮想空間へ限定アクセス。電気信号が擬似視覚情報へ変換され、網膜の裏側に映像が広がった。早速、仮想世界への表層接触による情報収集へ取り掛かる。
「(そうだな。まずは……)」
独り言を呟きつつ、視界上に広がる仮想ユーザーエージェントに向かって、再牙は検索ワードを脳内で唱えた。サーキット・チップが発声思念を読み取り、言語信号へ変換して脳内検索エンジンへ入力。
探し人の正確な住所や勤務先を洗い出す上で、仮想世界――超現実仮想空間は有用性が高い。何せ、その手の検索サービスが数多く転がっているのだから。
苗字と大凡の居住地域さえ把握出来ていれば、地理マップ検索サービスの代表格である『幽歩道』の検索機能を使って、郵便番号と住所一覧を表示させる事が出来る。
このサイトの一番優れている所は、『亡くなった人物が、昔住んでいた場所』まで分かるという点だ。無料会員登録さえすれば誰でも利用可能な事から、駆け出しの探偵業者に愛用された。逆に、固定・携帯問わず、電話番号のみが判明している場合は、都市に点在する各基地局に問い合わせさえすれば良い。ものの五分足らずで、対象者の住所を教えてくれる。
現在及び過去の勤務先を手掛かりに、幻幽ビジネス・データベースへアクセスするのも良い。掲載されている各会社の組織要綱から従業員名簿帳へ飛び、そこから現在、あるいは過去に居住していた区域を割り出す事が出来る。惜しむらくは個人運営のサイトであるため、登録されている会社情報の数に限りがある事か。
加えて、当サイトは数週間前に無差別サイバーテロに見舞われてしまい、データベースの七割近くが電子蜂に食い荒らされてしまっていた。未だに復旧の目途が立っていないという事実が、利用者に一抹の不安を与えている。
探し人のフルネームが分かっており、検索サービスにそこそこの金を掛ける事に対して抵抗感が無いなら、最も確実な方法は官報ならぬ『機関報』の利用であろう。蒼天機関の公式ホームページからリンク先へ移動し、機関報情報検索サービスを使えば、郵便番号と住所はもちろん、最終学歴、国家資格の取得、自己破産手続きの有無、過去の犯罪歴等の情報を、一度に取得出来る。
それ以外の方法としては、都立図書館に出向き、電話帳を紐解いて情報を得るのも有りだ。一昔前は役所に出向いて親族を装い、戸籍謄本から個人情報を洗い出すのが最も一般的なやり方だったが、十二年前に都市新法の個人情報保護法に関する条例が改正されてからは、迂闊にそれをすることも出来なくなった。
再牙は幽歩道へアクセスすることにした。視界に映し出されている情報映像が即座に切り替わる。その内容を確認した途端、再牙の背筋に鈍い悪寒が奔った。
獅子原錠一
住所登録:無し
固定電話記録:無し
脳内仮想検索エンジンの導きだした答えは、余りに素っ気ないものだった。
画面右下にある居住条件の項目欄には、ゴシック体で『滞在』と記されている。この情報が記載されているという事は、少なくとも錠一氏は正式な入都手続きをしたのに違いない。
また、彼が『永住』でなく『滞在』であることから、やはり何らかの目的があって自主的に幻幽都市を訪れた可能性が高いと思われた。
しかし、住所登録も通話記録も無いとは……
「いや」
再牙は右のこめかみを長押しして、表層接触を終了させた。再びソファーで横になる。
考えてみれば、別段不思議な事でもない。幻幽都市の特異な風土に飲み込まれた結果、周囲の環境に対応できず、浮浪者に身を落とす者も少なくなかった。いくら《外界》でそれなりの立場にあった人物と言えども、それが幻幽都市で高水準の生活を送る保障には全くならない。
ここで生きるのに必要なのは地位や名誉では無い。地域住民との適度な交流。それが基本であり、最重要事項でもあった。
幻幽都市の都民は、余所者――つまり《外界》からやってきた人間に対して、中々冷たい所がある。再牙は常日頃から、そう感じていた。
旧態依然とした村社会的構造と言うと、少々言い過ぎかもしれない。しかしながら、《外界》の人間が、都市の居住者から好意的な態度で受け入れられるかと言うと、そうとも言い切れない。大多数の都民が彼らに冷徹な視線を投げかける。
そういった都市の風習もあってか、興味本位で都市を訪れた者は滞在期間を消化せぬまま、気まずさに堪え切れずに早々に退散する。止むに止まれぬ事情があって都市に移住してきた者達も、周囲に対する気配りとコミュニケーションが出来なければ、街の人達からは相手にされない。
《外界》から来た人々は、まずその多くが近所付き合いで苦労する。その一番の要因とされるのが、各市区で生活する上で守らなければならない暗黙のルールの存在だ。ルールを決めたのは行政ではなう。区民達が自主的に、各々の知恵を振り絞って事細かく決めたのだ。この魔窟と化した土地で暮らしていく為に、それは必要な事だった。
しかも市区毎にルールが違う為、転居したらしたで、また新たなルールを近所の住人から聞き出して覚える必要がある。幻幽都市で引っ越し業者に勤める人間が少ないのは、これが原因とされているのが専らの噂だ。皆、転居の度に新しいルールを覚えることが面倒なのだ。
新参者扱いされる《外界》からの移住者は、まずこのハードルを越えなければならない。そのハードルを越えるのを諦めた者は、家に引きこもりがちになる。もしくは成るべく人と関わらないような仕事を選び、生活しようとする。
結果として待っているのは、社会からの孤立だ。非日常が日常と化しているこの都市において、地域住民との連携が確保出来ないのは、命取りに等しい。
『人探しっていうのは詰まる所、人と人との縁を探り当てる事なのよ』
先代の万屋――涼子先生が良く口にしていた言葉だ。本当にその通りだと思う。
来訪者の多くが街で行方知れずとなるのは、まともな人脈が作れない事に原因の一端があると言ってもいい。他人から距離を置き、他人との関わり合いを自ら拒絶する。そんな人物が何時の間にか自分の住む地域から姿を消し、浮浪者に変わり果てたとして、それに気が付く者は皆無であった。
疲れからか、欠伸が出た。
琴美の話では、錠一氏は人付き合いに不慣れな人物らしい。加えて幽歩道から得た情報を照らし合わせれば、彼の死にドラマチックな匂いは感じ取れない。案外、浮浪者同士のいざこざに巻き込まれて、呆気なく死んだだけなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
何にせよ、もっと情報を集めなければならないのは確かだ。しかし、機関報には頼れない。再牙の営む万屋《火炎ぐるま》は、その名前通り台所事情は火の車だ。洒落にならないが。そんな状況下で、毎月数万円もかかる出費は痛すぎる。
なにより、会員登録をする事で個人情報が機関側で管理される事を、再牙は好まなかった。何も、機関が気に食わない訳ではない。個人的な事情の為だ。彼の過去に関わる、個人的な事情。
「骨が折れるよなぁ~~」
ソファーに身体を預けたまま、思いっきり背伸びをする。
「愚痴を吐いて依頼が解決できるなんて、この業界も随分と楽になったものですね」
感情を無くした声でそう語りかけるのは、夕飯の支度を終えたエリーチカである。彼女が台所から運んできたのは、熱々のビーフカレーが盛られた皿と、スプーン。遅めの夕飯にしては中々に高カロリーな訳だが、そんな事を気にする再牙ではない。
好きな物を好きな時に好きなだけ食べるのが、再牙の持論だった。彼にしてみれば、ダイエットなんてものは『人生』という名の宝石に混じる不純物でしかない。
「今日も相変わらず美味そうだな」
ソファーから飛び起きると、テーブルに置かれたカレーに瞳を爛々と輝かせつつ、再牙は手元に置いておいたビニール袋の中身を漁った。
取り出したのは、カレーパン。再牙にとっての精神安定剤で、今日の仕事帰りに買ってきたものだった。一個三百円とそこそこ値が張るが、老舗の菓子パン屋である『聖菓堂』が作っているとなると、納得のいく値段ではある。
ビーフカレーにカレーパン。何ともおかしな食べ合わせだが、この組み合わせが、再牙にとってのジャスティスだった。
カレーパンの端を小さく千切って口に運び、すかさずビーフカレーを口に運ぶ。口の中で踊り狂う香辛料達のコクと、ハバネロ・エキスが一リットル分の刺激を味わってから、嚥下。
再び、カレーパン、ビーフカレー、カレーパン、ビーフカレーのローテーションで食事を楽しみ続ける。結局、三杯カレーをお代わりする羽目になった。
再牙が夕飯を摂っている一方で、エリーチカは何をしていたか。特に、何もしていなかった。ただじーっと、同居人の食事風景を眺め続けるのに徹していた。特に楽しむためにやっているのではない。それしか、暇を潰す方法がなかったからだ。
アンドロイドたる彼女の生活において、食事ほど縁遠いものはない。全身の大部分がナノマシンで組み上げられているアンドロイドに、食事を摂る必要など無いし、そんな概念を人工魂魄は内包していない。その事を、彼女は悲しいと思ったり残念がったりした事は、一度として無かった。
人間には人間の、アンドロイドにはアンドロイドの生き方がある。エリーチカはそう割り切っている。長きに渡り稼働してきた中で会得した、彼女なりの考えであった。
「あー、食った食った」
飯を平らげると、再牙はビニール袋を屑籠に放り捨てて、皿とスプーンを持って台所へ向かった。そこでようやく、エリーチカが口を開く。
「それで、これからどうするんですか?」
「どうするって、何を?」
蛇口の栓を捻りながら、再牙が気の無い返事を寄こす。
「解っているくせに。琴美さんの件です。先程から随分と難しい顔をしていましたけど、何か妙案は浮かびましたか?」
「クエスチョンマークなら腐るほど浮かぶぞ」
「手詰まり……いや、そもそも始まってすらいませんでしたね。何をそんなに悩んでいるんです?」
「そりゃあ悩むさ。今回の依頼はいつもとは訳が違う。死んだ人間の足跡を辿らなきゃならねぇんだ。しかも、錠一氏は人付き合いが下手だって言う話だ。取り敢えず、地道に聞き込みから始めるしかないな」
「没入という手もありますけど」
「最後の手段だ。今は表層接触だけで十分」
「またそれですか。いい加減にして下さい、再牙。わざわざ高いお金を払って何重にも安全装置を組んだサーキット・チップを埋め込んだ意味がありません。表層接触ばかりで没入しないなんて。こういうのを、確か『宝の持ち腐れ』と言うんでしたっけね」
「だって、電解症が……」
「出ました。二言目にはいつもそれです。再牙は心配性が過ぎます。石橋を叩いて叩いて、結局渡らないつもりなのですか?」
「あのな、言わせてもらうが、そもそも俺は電脳なんてものは好かないんだよ。だけど、お前がどうしてもやれって言うから……」
「当然です。今や電脳化手術は都市の常識ですからね。これから先、仮想世界絡みの案件だって増え続けるでしょう。そんな時になって慌てても遅いんです。ここは恐れを捨てて、時流に乗るべきです。それが一番合理的な判断かと」
「危険性を考慮せずに判断するのが合理的だというのか? お前も結構、風変わりな事を言うんだな」
「またそんな事を言う。普段は弱気な姿勢なんてまるで見せないのに、こと電脳に関する話となると臆病が先に立つ。そんな様子では、涼子先生だってきっと悲しむに違いありません」
「それはどうかな。涼子先生は案外、俺の意見を支持してくれるかもしれない。いや、支持してくれるに決まってる」
と、洗剤を塗したスポンジで皿を洗いながら、自信たっぷりに再牙は口にした。
「どうして、そんな事が言えるのですか」
「電解症だよ。あれの存在を知ったら、涼子先生だってきっと俺と同じことを言うはずさ。そんな恐ろしい病気に罹ったりでもして、想い出を失いたくないってな」
「そうでしょうかね」
「一々煩いなぁ。想い出を大切にすることの、何がいけないって言うんだ?」
「いけないとは言ってません」
「だったら別にいいだろうが」
「何回も言わせないでください。私はただ、貴方が電脳に対して恐れを抱き過ぎていると指摘しているんです」
「怖いに決まってる。電解症に罹ったら脳神経は全滅。脳死ライフへ真っ逆さまなんだぞ。軽度の症状でも、記憶が虫食い状態になる。そんな目には遭いたくない。だから俺は、極力は表層接触で済ませたいんだよ。安全安心をモットーにしてな」
「別に没入が全ての原因ではないでしょう? そういう重篤の電解症患者の多くは、有害サービスに長時間没入したのが原因とされていますよ。通常の『健常な電脳ユーザー』の罹患率は大した事ないって、知らなかったんですか?」
「例の電子科学雑誌に載ってた論文か? さぁてどうだか。俺は信憑性に欠けると思うね」
「根拠は?」
「無い。勘だよ」
ワザとらしく、エリーチカがため息をついた。能面のように無表情なのも相まって、ワザとらしさが強調されて見える。
「とにかくだ。お前が何と言おうと、没入は極力避ける。まずは足を使って探すのが基本だ。涼子先生だってそう言ってたしな」
洗剤の泡に包まれたスプーンの縁を強く擦りながら、不満を滲ませた態度でそう言った。それに対してエリーチカの反応は、実に淡々としたものだった。
「足を使う、ですか」
「不満は言わせないぞ」
「不満なんか、言いませんよ。私は貴方のパートナーで、貴方の財布持ちですからね。貴方がどういうお考えなのかはわかりませんが、最低限の意見の尊重はさせて頂きます。しかしです。一言宜しいですか?」
「なんだねワトソン君」
「足を使う。果たしてそんなやり方で、二週間の内に解決出来ますかね? ホームズさん」
二週間。それが再牙に与えられた有効期限だ。それを過ぎてしまえば、琴美は《外界》へ帰らなくてはいけなくなる。エリーチカが心配するのも無理はない。
都市での滞在期間は、最初に申告した日数から延長する事は禁じられている。不法滞在者を減らす為の措置だ。それ故に、再牙はなんとしても、二週間のうちにこの奇妙な依頼を片づけなければならないのだ。
「やってみせるさ」
力強くそう答える再牙。根拠のないその自信に、エリーチカが冷たい声で釘を刺す。
「私には、貴方一人でこの依頼を成功に導けるとは到底思えません」
「随分と辛らつだな。何が言いたい」
「電脳に頼るのが嫌なら、『あの方』に頼ってみてはどうでしょうか」
スポンジを握る再牙の手が、ぴたりと止まった。洗い物を中断し、提案を投げかけたアンドロイドを軽く睨む。
「捜索屋の事か?」
「ええ。彼の能力は、今回のようなケースにうってつけかと思いますが」
「そんなの、俺だって考えたさ」
「じゃあ、そうしたらいいじゃないですか」
「あのなぁ、チカチ」
タオルで濡れた両手を乱暴に拭って台所を離れる。再牙はお節介を焼く同居人の正面に立ち、抗弁を垂れた。
「もうちょっと、俺の腕を信頼してくれてもいいじゃないか。俺がこの五年間、どれだけ多くの依頼を成功に導いてきたか。一番近くで見てきたお前なら分かるだろう?」
「分かっているから言っているのです。再牙、貴方がここに流れ着き、涼子先生の助手を務め、万屋を継いで、今日で十年の時が流れました。出会ったころに比べたら、貴方は立派に成長していると思います。万屋としても、人としても。ですが、長年に渡って涼子先生のお傍に仕えていた私からしてみれば、貴方はまだまだ未熟。ハードボイルド成らぬ、ハーフボイルド。半熟卵のような存在です」
「俺は固ゆで卵より、半熟卵のほうが好きだ」
「くだらない冗談を言う暇があったら、私の提案を受け入れてください。貴方はいつもそうです。なんでもかんでも、自分独りの力で解決しようとする。思い出して下さい。今まで請け負った仕事の数を。その内、貴方自身の力だけで解決出来た依頼が、どれだけありますか?」
「それは」
口ごもる再牙。エリーチカは、尚も喋り続ける。
「自分独りの力で仕事を完遂する。それが悪いとは言いませんし、寧ろ理想の形です。ですが、理想はあくまで理想です。現実を見てください。自分独りの力で生きている人間が、一体この世にどれだけいると思っているのですか? 他者と協力し合わなければ、人は生きてはいけないのです。特に幻幽都市に限っては、尚更それが当てはまるでしょう。万屋のような特殊な生業に身を置くなら、時には他人に全て頼りきるくらいの、ある種の図々しさが必要になってくるはずですよ」
再牙は答えない。いや、答えられなかった。エリーチカの語りは静かで丁寧に言葉を選んでいたが、再牙の心に深々と突き刺さるだけの棘があった。彼女の忠告を、万屋の事情を何も知らないアンドロイド風情の戯言だと切り捨てる事など、再牙には到底出来なかった。
その昔、《火炎ぐるま》が練馬区ではなく新宿区を拠点に活動していた頃。
エリーチカは、そこの経営者である一人の女性とコンビを組み、万屋稼業に勤しんでいた過去がある。
その女性こそが、今なお新宿区において『伝説の万屋』と語り草にされ、再牙に万屋のイロハを教えた人物に他ならない。
つまりこの業界において、エリーチカは再牙の先輩に当たる存在なのだ。
万屋稼業の酸いも甘いも知り尽くした彼女の助言には、豊富な実勢経験に裏打ちされた的確さがある。その事は、再牙自身が良く知っている。故に、彼女の発言を無視できない。
だがそうは言っても、先輩の言い分に納得がいかない事を覚えるのは、これ即ち仕事に就く者の常である。
「もしかして、嫌いなのですか?」
「何が?」
「あの捜索屋の事が、です」
「まさか。寧ろ信頼している。あいつほど、自分の仕事に真剣な奴もいない」
肩を揺らし、再牙は思わず噴き出した。
「でしたら、何故?」
「俺だってさ」
再牙は彼女から距離を置くと、ソファーに静かに腰を下ろした。鍛え上げられた筋肉の重みで、黒塗りの革が僅かに沈んだ。
「たまには、自分独りの力で依頼を成功させたいって、思う時があるんだよ。それにここ最近、捜索屋に頼りっぱなしだしな。それだとなんか、自分が少し、情けなく思えてくるっていうか」
「つまらないプライドは、身を滅ぼしますよ」
「その台詞、中々クルねぇ。ブスリと心に突き刺さったぜ」
「堪えたのでしたら、私の案を呑んでくださいよ」
「ふん」
不機嫌さを隠そうともせず、腕と足を組んで鼻を鳴らす。苛立ちからか、乱雑に自慢の銀髪を暫し掻き毟った。一体誰に似たのか、或いは持って生まれた性格か。再牙は仕事を遂行する上で、妙な頑固さを発揮する所があった。
エリーチカの言う事が、ある種的を射ているのは分かる。しかしだからと言って『はいわかりました』とは答えたくもない。彼の、つまらないプライドのせいだ。
再牙が、おもむろに指を三本立てて、言った。
「三日だ。明日から三日間だけ、俺一人で錠一氏死亡までの足取りを追う。そこで手掛かりが見つからなかったら、お前の言う通りにする。それでいいだろ?」
「……」
申し出に対し、エリーチカは首を縦にも横にも振らなかった。暫し見つめ合う両者。どちらも譲る気は更々無いようだ。
先に反応を見せたのは,、エリーチカの方だった。無表情のままで溜息を一つ吐きだす。感情の一切が込められていない吐息だった。
「本当に、しょうがないですね。今回限りですからね」
テーブルに置かれたリモコンを手に取る。壁掛けのテレビは、再牙の真後ろに位置していた。彼の頭髪が、壁面スクリーンの下半分を覆っている。
「邪魔です」
手を軽く振り、除ける仕草をとる。再牙は渋々と言った様子で、窓際に寄った。
エリーチカは、やや強めに、そして適当にリモコンのボタンを押していく。だが面白そうな番組はやっていなかったようだ。仕方なしに、アンドロイドの司会者が務めるニュース番組に落ちついた。
幻幽都市が建都されて以来、長く続いている老舗番組である。無感情な表情と淡白な口ぶりで原稿を読んでいる辺り、恐らくはこのアンドロイド司会者も、エリーチカと同じ旧式なのだろう。
「この都市のテレビ局も、最近はロクなバラエティをやりませんね」
「……あのさ」
「なんでしょうか」
「なんか、今日のお前機嫌悪いよな?何があったよ」
「……あの女の子。獅子原琴美さんと仰いましたか」
「彼女がどうかしたのか?」
「何故、彼女をここへ連れて来たのですか?」
「何故ってお前……あの子、行き倒れていたんだぞ? おまけに怪我もしていた。助けるだろ普通」
「病院に連れて行けばよかったじゃないですか」
「あの時間帯じゃ、近くの病院はどこも診療時間外だ。隣区の病院ならやっているかもしれないが、行くにしたって電車に乗らなきゃならない。傷ついた女の子を、こんな人相の男が背負っていたら、人目について面倒事になるに決まってる」
「それにしたって、どうしてわざわざ、私に彼女を看病させるようにしたのですか?」
「いや、だからそれは……」
言葉に詰まった。エリーチカが、視線をテレビから再牙へ移した。先程までの静かな口調とは異なり、ハキハキと口元を動かし、ついにそれを口にした。




