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アナザポリス・オリジナル-怪力乱神幻瞑録-  作者: 浦切三語
第八幕 正しさと、幸福と
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8-11 死闘 その1

 結社ダルヴァザの、地下に造られた巨大な部屋。


 完璧に外界と隔絶された、暗黒の大広間。


 地上部分まで吹き抜けになっている天井は、遥か高く、どこまで続いているのかすらわからない。広間に横たわる空気は恐ろしいほど密度が濃く、獄の底を思わせるように冷たく、あらゆる生命の繁栄を拒絶しているかのようにさえ感じられる。


 高窓に連なるステンドグラスは、かつてこの施設が死体安置所(モルグ)として運営されていた頃、亡者の魂が少しでも安らぎを得られるようにと、前の管理人が苦心して造り上げた清浄の絵巻物語である。


 だがそれも、今はアイロニー以外の役割を果たしてはいない。如何に聖光溢れる物語であろうとも、崩折れた人の魂を救うことなど出来はしない。悪徳が跳梁跋扈するこの幻幽都市にあって、救済を求める祈りほど、無意味で無駄なものはない。


 それこそが、バジュラが導き出した、ただ一つの真実だった。


 外陣から内陣へ。バジュラは、深淵を思わせる闇を纏う身廊をしめやかに歩いていた。宝飾を散りばめたトップスと、半透明に透けた蒼きフリルのスカートという出で立ちが、淫靡さと、得も言われぬ恐ろしさを演出していた。


 バジュラの視線の先にあるのは、合成獣(キメラ)の彫金が施された決戦の玉座。その周辺のみが、紫炎灯る数多くの燭台で邪艶に染め上げられていた。その様はまるで、嘗ての同胞を滅討する覚悟に燃ゆる魔女の鎮座を、今か今かと待ちわびているようである。


 ゆっくりと歩みを進めながら、バジュラは昔の想い出を呼び起こしていた。ひび割れた記憶の断片をかき集め、組み上げ、脳裏で甦らせていた。今となっては、硝煙と血糊に溢れた忌まわしき過去となってしまったが、髑髏十字(クロスボーン)に籍を置いていた頃は、糧になる経験も多く積んだ。


 その一つが、読書であった。お気に入りの本は創世記。アダムとイブが禁断の実を口にし、楽園を追放される下りが大好きだった。何故ならそれは、彼女自身の心に、『解放』の二文字を強く刻んだからに他ならない。


 人が神に追放されたのではない。逆だ。逆に人が神という名の縛りを追放してやったのだ。アダムとイブは禁断の実を食べた事で、人類が歩むべき運命を神から簒奪してやったのだ。


 考えは今でも変わっていない。自分もアダムとイブのように、大いなる見えざる存在からもぎ取ってやると、決意を固める。自分の運命を正しく歩く権利を、ここで手に入れる。


 ようやく玉座に腰かけ、バジュラは気持ちを新たにした。今頃外では、茜屋罪九郎の自己犠牲をトリガーに完全召喚された邪神が、都市を破壊せんと暴虐の限りを尽くしているだろう。しかし、蒼天機関(ガルディアン)は侮れない。普通に考えても、魂性起動兵器を持ち出してくるに違いないだろうが、それも大した問題ではない。


 最悪、もし邪神が滅ぼされるような事態になっても、最終的には己の手で死の審判を下してやりさえすればよい。都市を奈落に叩き落すには十分過ぎる、恐るべくも凄絶な力が、彼女には宿っているのだから。


 ジェネレーターたるバジュラの能力――《崩天・果てなき絶海獄(ナインスゲート・リヴェリオン)》。それは、次元の門の展開。所謂、異相空間と呼ばれる亜空間を出現させる能力である。


 ただ出現させるだけではない。彼女が展開させる異相空間には、三つの特別な効果が付与されている。そのうちの一つ……『停止』の効果を発揮して、彼女は外部と物流関係のやりとりを行っていた。《外界》と繋げた異相空間に『停止』の効果を付与させれば、金も機械も、あらゆるモノを安全に且つ完璧に、誰にもバレることなく運搬が可能となる。


 異相空間。それは、時空間の一時的な歪みにより生じた孔だ。そして、古典物理学における時空間の定義は、実にはっきりしている。未来も過去も現在においても、時の流れる方向は決まっていない。時間は常に対称性を有する概念として存在するのだと。


 だったら、時間には人間が思うところの現在や過去、未来といった『固定された任意の場』としての意味が存在しないことになる。故に、異相空間を利用すれば、時の流れを無視した移動が可能となるのではないだろうか。ヴァジュラは己の能力にそのような理屈付けを行い、実際に実行したこともある。


 だが、彼女自身が異相空間を通過することはできなかった。彼女はどこにも行けなかっし、行くことを許されなかった。未来にも、過去にも。


 彼女が歩めるのはただ一点だけ。現在という名の、この一か所の時空間のみだけだった。


 過去を克服できていないから――直感的で非科学的かもしれないが、原因はこれしかないと思った。


 ならば、それを今、ここで乗り越えるだけだ。未来への扉を開くために。ここで全力を尽くして、来るべきあのガントレットを打ち砕くだけだ。


「……アヴァロ……ッ!」


 玉座の肘掛に置いた手を、気が付けばひび割れるほどに固く握り締めていた。嘗ての同胞にして、打ち倒すべき男の事を想えば、鼓動は高鳴り、殺意の波動が波打ち、どうしたことか体の震えが止まらない。


 恐怖か。いや、違う。これは憎しみが生じさせる武者震いだと、バジュラは結論付けた。十年ぶりに彼と相対し、その激しくも鮮烈な、見えない光を放つ瞳を見れば見るほど、バジュラの体内に怒りの萌芽が宿った。


 あれは、希望を得た瞳だ。自分にはない光だ(・・・・・・・・)。恵まれた境遇の者が湛える輝きだ。未来への希望を勝ち取らんとする戦士の――――


「……………………ッ!」


 無意識に背筋に鳥肌が立つ。バジュラの血のように赤い唇から、絶大な殺意の籠った吐息が漏れた。思わず、ジェネレーターとしての力が漏れそうになり、必死に力を抑え付ける。


 早く来い。そう願わざるを得ない。場所は伝えた。それだけで十分だった。奴は必ず、一騎打ちを所望するはずだ。蒼天機関(ガルディアン)の出る幕など、どこにもない。


 バジュラは、獰猛な肉食獣のような瞳で、真っすぐ正面を見据えていた。地上からこの部屋へ繋がる唯一の入り口が、そこにあったからだ。そこを通って、必ず火門再牙がやってくる。確信していた。


 しかしその希望は、意外な形で破られる。


 特にこれいった前触れもなく、突如として爆撃と激震が、辺り一斉に炸裂した。光と硝煙が奔流と化して室内に雪崩れ込み、怒涛の勢いでステンドグラスが破壊され、壁が地鳴りと共に崩れていく。


 虚を突かれた形で戦いの火蓋が切って落とされた。そのことに憤慨する余地もないまま、バジュラは全神経を集中させ、次に自身が取るべき最善にして最良の行動にとってかかろうと、真上を見上げた。


 大きく崩れた天井。夜空を背景にしてバジュラの瞳に映り込む、無数の白き殺戮の矛。D式地殻貫通弾・アグニの群れが、すぐそこまで迫っていた。


 バジュラは、しかしこの絶望的状況にあって、悲嘆に暮れた嘆きを漏らす代わりに、歓喜の雄たけびを()げた。これから十分に殺戮が出来るのだという喜びを最大限に表現するかのように、両手を広げて見せる。


 その瞬間であった。バジュラの周辺空間が歪に歪み、虹色に輝く異相空間が無数に現れ、物凄い速度で標的目がけて伸長を始めた。一つ一つの軌道が、実に精緻に計算されつくした、絶なる妙技。


 異相空間は虹色の煌きを伴いて、光線のように天井へ奔り、網目模様を形成し、あっという間に全てのアグニを飲み込んだ。爆発炎上したものは、一つも無かった。文字通り、丸呑みという表現が相応しい。


 これこそ、《崩天・果てなき絶海獄(ナインスゲート・リヴェリオン)》に宿りし二つ目の能力――エントロピー増大の効果が直撃し、対象の乱雑さが極限にまで膨れ上がり、粉みじんに『分解』された結果であった。


 危機を凌いだにも関わらず、バジュラはなおも警戒を解かない。星が一つも瞬かない漆黒の天空を見上げ、次なる攻撃を察知せんと目を凝らした時、闇夜が二重にだぶるのを感じた。錯覚ではなかった。確かにそこに、見覚えのある人影を見た。


 バジュラは衝動に任せるまま、爆裂の雄たけびを胆の底から響かせた。それこそ、一生分の感情を爆発させたのではと思うほどの、激情の嵐であった。


 彼女の止め処ない殺意と未来への希望に応えるかのように、異相空間が再度煌き、伸長し、分解せんと人影へ襲い掛かる。しかしどうしたことか、全くもって、手ごたえの一つもなかった。


「(ダミーかッ!?)」


 気づくと同時、バジュラは表情を一変させた。偉大なる暴力に身を晒されたかのような、胸がつまりかける圧迫感。戦慄を覚えて背後を振り返る。


 先ほどの攻撃に巻き込まれて破壊された玉座。それを押しのけ、轟然と拳が迫っていた。ほんの数瞬のうちの出来事だった。容易に侵入を許しただけでなく、何時の間にか背後を取られてしまっていた。


 打倒すべき、昔の仲間に。


「アヴァロッ!」


 あらゆる障壁を打ち壊そうとする決意に満ちた、黒きガントレット。その主たる者の表情は、これまでの人生の中で、最も覚悟の決まったものだった。双眸は青々と満ち、彼のジェネレーター能力が万全であることを、これでもかと主張している。


 黒き右の拳が、黒き衝動を纏いて襲い掛かる。


 バジュラも同じく、右腕を裏拳気味に振るい、真っ向から応戦した。





△▼△▼△▼





『電脳部隊が入手した情報によると、バジュラ率いるダルヴァザの本拠地は、旧ライフトロン死体安置所と、その周辺一帯となっている』


『ああ、バジュラも直接、俺にそう言ってきたよ』


 遡ること一時間前。王皇ノ柱塔(ギガストス・バベル)の最上階。蒼天機関(ガルディアン)総本部の第三ヘリポートで、大嶽左龍と火門再牙の二人は、最後の確認をしていた。


『確認できた内容では、本部と思しき地下施設を備えた研究実験棟が一つと、訓練場、プラント設備等を備えた予備施設が十棟。それ以外にもあるかもしれん』


『中々の規模だな』


『今、緊急要請で呼び戻した大隊が三つある。これを十の小隊に臨時編成し、周辺施設へ突入させ、隠し部屋も含めて手当たり次第に捜索し、破壊工作を行う』


『すると、本拠地には俺が単身で乗り込むという算段か』


 大嶽は、ゆっくりと頷いた。


『ヤツはお前を直々に指名してきたんだろう? こちらが下手に刺激して、損害を出すのだけは避けたい。奴を誘き寄せる為に、無人爆撃機による地殻貫通弾投入を初手で実行する予定だが、我々にできるのはそこまでだ。あとは再牙、お前にしか頼めない。分かってくれ』


『ああ』


『お前が突入して三十分経過しても、特に何の連絡もよこさなかった場合、我々は最後の手段に打って出る事になるが――』


『構わねぇよ』


 言外に含まれた意味も考え、再牙は頷いた。戦闘時間が三十分を過ぎても何の音沙汰もなかった場合。あるいは、再牙が殺された場合。最悪の事態に備えた攻撃手段を考えるのは、蒼天機関(ガルディアン)としては当然の判断である。


『……死んでこい、と言ってるようなものだな。これでは』


『そんなこと、アンタが気にする必要ないって』


 苦笑いを浮かべた大嶽を、再牙がつまらなそうな視線で見つめた。


『心配するなよ。俺は必ず生きて帰る。生きて、バジュラをここに連れ帰ってくる。それまで、大将はどっかり腰を下ろして、茶でも啜ってなよ』


 連れ帰る。意外な返答を前に、大嶽が目を丸くした。


『貴様、正気か?』


『ああ。人殺しは、もうやめたからな。重傷は負わせても、殺すことはしない』


『馬鹿か貴様はッ!』


 ここ一番の大嶽の怒声は、しかし、既に離陸準備を整えた風力機動戦闘ヘリのローター音に掻き消されてしまう。だがそんなことには構わず、大嶽は必死に捲し立てた。


『自分が何を言っているのか分かってるのか? 奴は、バジュラは神罰計画が生み出した人造生命体(ホムンクルス)の中でも、最悪の能力を持っているんだぞ。確かに、数値上の計算では、ジェネレーターとしての格はお前も負けてはいない。いや、唯一、対等に渡り合える可能性があると言ってもいい。しかし、それにしても生け捕りというのは、余りにも愚かすぎるッ! 』


『殺しを強要されるくらいなら、俺は愚かなままで十分さ』


 再牙は大嶽の怒りを真正面から受け止め、それでも、自身の覚悟を曲げることはしなかった。


『大体な、俺にもいくつか策はあるんだよ。それに、バジュラの膂力は、俺と比べてはるかに劣る。あんな細い腕で、俺の拳をまともに受け止められるはずがない。そこは大丈夫なはずだ。危惧すべきは、奴が多重展開する次元の門。だがそれも、俺の全感覚を同時に集中させれば、躱すことは出来る』


『……貴様は……』


 全く理解できないといった表情の大嶽に向かい、再牙は不敵に微笑んだ。


『まぁ、なるようになるさ』





△▼△▼△▼





 膂力という点に着目してみれば、確かに間違いではなかった筈だ。ぞっとする冷気を感じながらも、再牙は自身の見立てが誤りでなかった事を再確認し、ではなぜ、全力で放ったはずの拳の一撃を、バジュラが容易く右腕だけで受け止めているのかを、死に物狂いで考えた。


 だが、彼がこの状況ですべきことは、打ち砕かれた希望的観測論に未練を残すことではなく、いち早くその場から離れる事だった。


「しゃらくさいッ!」


 拳と拳の鍔迫り合いの最中、怒号と共に、バジュラが猛然と右腕を振り払った。大気が震えるほどの衝撃で、再牙の体が勢い良く真後ろへ吹っ飛んだ。能力を発動した状態で押し切られたという事実が、彼のプライドに僅かな綻びを生じさせたかに見えた。


 だが、敢えて強烈な一撃を喰らったことが、再牙の精神状態を更新させるきっかけとなった。衝撃を上手く逃がして壁を足場に立つと、再牙は肉体に染みついた経験に、身を委ねた。素早い動作で、腰からマクシミリアンを引き抜くと、その空恐ろしいまでの八十ミリの銃口を眼前の敵ではなく、敢えて数メートル離れた地面へ向かって四発撃ち込んだ。


 砲火の如き爆炎と、炸裂したコンクリートの粉塵が周囲を包み、バジュラを煙の迷宮へ閉じ込めた。すかさず、再牙はマクシリアンを構え直し、近くの柱に銃弾を撃ち込んだ。大きく円形状に一部が抉れたことで支える力が大きく減衰したそれを、再牙は左手の五指だけをめり込ませて掴んで捥ぎ取り、思い切り爆炎の最中に叩きつけた。


 手ごたえ。だがそれは、叩きのめしたという感覚ではない。火花の如き閃光のような、反抗の意志を手元に感じた。


 そうして、柱の先端部分が勢いよく弾け飛び、バジュラが姿を見せた。服は所々破けてはいるが、肉体にこれといったダメージは、及んでいない。しかし、再牙が目を見張ったのは、彼女がまたもや右拳の一撃だけで、柱を粉砕したという事実だった。


「この力は、初めて貴方に見せるわね。アヴァロ」


 暴虐に満ちた笑みを覗かせ、思わず、再牙のこめかみを冷汗が伝う。


「《崩天・果てなき絶海獄(ナインスゲート・リヴェリオン)》が宿せし三番目の効果……開花させたわ。異次元空間から『運動量』を引き寄せて、自身の体に付与(エンチャント)させる能力。実戦でやるのは、これが初めてだけどね」


 バジュラは、ジェネレーター能力を成長させていた。その本源が恨みや憎しみであるかどうかは関係ない。重要なのは、再牙の生きるべき明日が確実に遠のいたということ。残酷な現実が、到来したということ。それだけだった。

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