8-5 濁りきった空の光は その3
またまた今回も、火門再牙の過去話を彼の一人称視点で描いていきます。
それから更に一か月が経過したある日の午後、何気なくつけた居間の壁面スクリーンに目を向けた俺は、腰が抜けるかのような衝撃に襲われた。
流れているのは、臨時ニュース映像。男性姿の旧式アンドロイドアナウンサーの淡々とした口調が、有り得ない事実を告げる姿から、一瞬も眼を離せなかった。いや、眼を離してはならなかった。
逃亡を続けていた髑髏十字の生き残り二名が、昨夜未明に蒼天機関の機関員らに拘束され、即刻射殺されたという。
「なん……だって……?」
唐突に混乱の渦中に突き落とされたこちらの事情などお構いなしだと言わんばかりに、無慈悲にも映像が切り替わった。
サイレンの赤い光が、夜の帳を幾重にも切り裂く中で、警邏服を着込んだ機関員らが、マスコミのカメラに向かって何事かを大声で叫んでいる。押しつ押されつの問答の最中、カメラは激しく揺れながらも機関員の波を掻き分け、ついに決定的な場面を視聴者へ見せつけた。
両腕を縛られ、疲弊しきっている二組の男女。身に着けている黒の戦闘服はボロボロで、拘束時に抵抗したのか、顔には幾つもの生傷が刻まれていた。事情を知らぬ者が見れば同情を寄せてしまいそうなほどの憐憫に満ちた佇まいからは、生気が殆ど感じらなかった。恐怖か、あるいは後悔からか。二人の身体がぶるぶると小刻みに震えているのが、映像越しでも伝わってきた。
「は……」
変に乾いた笑いが、無意識のうちに漏れる。捕えられた二人のうち、一人は髪型から顔つきから何から何まで、そっくりそのまま俺の姿をしていたからだ。
妙な気分だ。もう一人の自分がテレビの向こう側にいることに対し、どういう反応をすれば正解なんだ。
「替え玉ってわけね」
ベランダに干していた洗濯物を取り込みながら画面に目を通していた涼子の言葉に、黙って頷く。
俺とそっくりの替え玉を用意する。幻幽都市の一切を管理する立場にある蒼天機関の手にかかれは、そんなことは造作も無い。死刑執行を間近に控えた死刑囚か、周囲から孤立したホームレスを巧妙に口説き伏せて、俺とそっくりの顔に整形して、役者を揃えたのだろう。
今更になってそんな手段を講じてきたということは、向こうもそれなりに焦っていたということか。指名手配されてから半年も経過したのに、依然として全く何の進展もないとなれば、彼らの沽券に関わる。だがそれにしたって、随分と杜撰で乱暴な手段に出たものだ。
「多分、もう片方の女性も、同じなんじゃないかしらね」
その通りだ。俺の姿をした別人の傍らで涙を流して叫び続けている女を見ながら、俺は強い違和感に苛まれた。こいつもまた、バジュラの替え玉にされたのだ。そうに違いない。本物の彼女は、捕まって泣き叫ぶような醜態を晒すような奴ではない。同じ釜の飯を食った間柄の俺には、考えなくとも分かる。
それに、いくら精鋭揃いの蒼天機関とはいえ、彼女の能力を打ち負かして捕えるのは至難の業だろう。彼女に植え付けられた能力は、機関の中でも最も異質であった。あの力があれば、機関の追手から行方を晦ませるなんて簡単だし、既に実行しているに違いない。
急に、全身の力が抜けていくのを感じた。何はともあれ、こうして一連の事件は沈静化したのだ。あくまで表向きの話ではある。それは機関側も承知しているはず。それでも、事実を知らない一般人の目を欺くには十分だ。
ともかく、これで良い――心を落ち着かせようと念じるが、それでもどうしたことか、胸のざわめきが鳴り止むことはなかった。
△▼△▼△▼
物心ついた時から、俺はいつも、とある夢ばかりを見てきた。ひどく生々しくて、現実味のある夢。俺が今まで殺してきた犯罪者達が奏でる、死者葬列の夢。
夢のシチュエーションは、いつも決まっていた。
透明な空色の床を歩く俺の背中を、物言わぬ死者らが地平線の果てまで横一列に並んでは、眼球を何度も瞬かせて見つめている。こちらが振り返っても振り返っても、彼らは俺を追いかけてはこない。
叫びもしない。石を投げるような真似もしない。涙すらも流さない。何かをするかと思いきや、何もしない。ただひたすら何かを堪えるかのようにして、俺を睨み付けるだけだった。視線だけで射殺すかのように。
それがいったいどうした。死んだのは、お前らのせいだ。お前たちが市井の人々を傷つけるから、裁きを与えてやったのだ。自業自得だ。逆恨みもいいところだ――今まではそう決めつけて、彼らの声なき声を一笑に付してきた。
でも、今回は違う。
夢なのに、呼吸が止まってしまうのではと思うくらいに、息苦しくてたまらなかった。異様な圧迫感を胸に強く意識しながら、俺は透明な床を靴底で叩き、天空模様のだだっ広い空間を、震える両足で横断する。
何か、恨み言の一つでも言ってくれたほうがまだマシだった。黙って非難の目を向けられるのは、どうにもこの先、やりづらくなってしまうから。
空色の床を縦断するかのように、深い溝が刻まれているのも、夢の世界ではいつもの事だった。北欧のフィヨルドに見られるような、一切の容赦なき溝の壁。俺と彼らが、既に交わってはいけない関係性であることを明示する現象。死者と生者の境界線。決して乗り越えてはならない、禁断の防波堤。
今も、今日も、この瞬間も、俺は確かに夢の中にいる。奇妙な感覚だ。夢を夢だと自覚しながら過ごしているのに、どこか現実的な空気感が漂っている。
夢の中で俺はためらいながらも振り向き、俺と彼らの間に横たわる深い溝を見て、思った。
――以前よりも、溝の深さが浅くなっている。
なんでそんなことになっているのか。彼らが俺を死の世界へ引き摺りこもうとしているのか、それとも、俺が彼らの未練を背負い込んで、現世へと呼び寄せようとしているのか。分からない。
振り返り、死者の葬列を注視する。後頭部がザクロのように割れた、武器密輸組合の元締め。鼻の穴から脳漿の一部を露出させ、眼球の破裂した浅黒い肌の少年。どてっぱらに円形の穴を穿たれ、ボロボロの内臓を剥き出しにした巨漢の用心棒。一番多いのは、首なしの死者。
全部、俺が殺した。生かしておいてもしょうもない奴らばかり。誰も、彼らの為に涙なんて流さないと信じ込んで、俺が殺したのだ。そうして、物言えぬ死者達の一大行列が出来上がった。
『もう、誰も殺さないで欲しい。たとえ、相手が許しがたい悪人であっても』
俺のせいじゃない。
悪いのは俺じゃない。
命令に従ったまでだ。
俺のせいじゃないんだ。
「……あ」
視界の端に、新たな死者がいるのに気が付いた。目が移るのは必然の流れだった。吸い込まれるかのように、俺は彼らを見た。見なければいいのに、無視してしまえばいいのに、どういうわけか意識してしまう。
ちっぽけな自己弁護を繰り返している俺の心を打ち砕こうとでもいうのか。俺そっくりの顔をした男と、バジュラの顔をした女が、怨嗟を込めた眼力で、俺を睨み付けていた。
途端に、胸の奥が燃え盛るかのような熱さを覚えた。彼らの肉体は紫色に変色し、あちこちから夥しいほどの血を流している。激しい暴行を加えられた後で、銃殺刑に処せられのが、一目でわかった。
「なんだよ……」
下唇を噛む。血が滲むほどに。
「俺のせいだって……言うのかよ」
俺が捕まらなかったから、彼らは身代わりとして殺された。
「あのまま、黙って捕まれば良かったのかよ……」
そうすれば、彼らが身に覚えのない罪を被ったまま、死ぬことはなかった。
「でも、それじゃ……」
――我儘な奴め。
しわがれた老人の声。聞き覚えのある声だった。忘れもしない。声のしたほうに目線を移すと、確かにいた。死念を燃やす屍の大軍勢。その最前列に、血まみれの白衣を着た首なしの死者達が立ち並んでいた。顔はない。だが俺にはわかる。白衣を身に着けた集団が、実に様々な年齢層で構成された科学者集団であることを。
俺たち人造生命体の寿命が二十年しかないことを秘匿し続けた、覚醒者のトップ達。全工学開発局の頂に君臨する忌まわしき賢人衆。俺たちを人間ではなく、道具としてしか見ていなかった、唾棄すべき存在。生命の冒涜者が、今更になって面を見せてきやがった。
――生命の冒涜者? それは、君たちの方ではありませんか?
首なしの死者が、笑った。いや、顔が無いから笑えるはずがないのはわかっている。それでも、俺には彼らが笑ったように思えた。俺の、削ればすぐにメッキが剥げてしまう自己弁護を嘲っているのが、手に取るように伝わった。
――生命は等しく平等の価値を持つ。ただしそれは、社会に貢献をしている、生産性のある者にのみ語ることの許される方便です。
――犯罪者にも、君たち人造生命体にも、それを語る資格はない。また、自分自身の命の価値を新たに見出すことも許されません。何故かって? 理由は簡単です。あなた達の脳みそに詰め込まれているのは、紛い物の知性なんですよ。
――人造生命体と人間では、立っている次元が大きく異なるのです。我々は創造主。あなた方は遺伝子操作で我々が造ってあげた存在。我々より低次元に位置している貴方がたに、命の在り方について説教をする権利など、無いものと思ってください。
頭の中に直接響いてくる。彼らの卑しい嗤いと、安全地帯から都市を見下ろせる特権からきた傲慢さ。あの時――そうだ。俺たちが蒼天機関に反旗を翻す直接的きっかけとなった会話を、奴らは夢の世界で再現している。
――我々人類が太古の時代から、時に争い、時に互いを理解し合い、共通の敵を作り上げながらも生き延びてこられたのは、なぜだと思うかね。
――知性のおかげさ。私たちは知性を獲得し、結果として自然の法則を理解する術を手に入れた。この幻幽都市で一番力を持つのは、ジェネレーターでもベヒイモスでもない。神にも等しい科学力を実行できるだけの力を会得した、われわれ覚醒者なのだ。
――言い換えるなら、テメェらは神に反逆しようっつー愚か者なわけだ。いい心構え……とは、言えねぇわなぁ? そーいうのをな、蛮勇って言うんだよ。
――嘆かわしいですね。私たちは、あなたたちをこんなくだらないことの為に作り上げたのではありませんよ? 馬鹿なことはやめて、本来の業務に戻ってください。
――寿命が二十年しかない? それがどうしたというのだ。被造物とは得てして、どこかしらに欠陥を宿して生まれてくるものだ。それが神の摂理だ。人々の感情が、本人の強靭な意思や努力を以てしても、御しがたいのと同じだよ。欠陥を抱えているからこそ、人は己の弱さを克服しようと努力する。違うかね? それとも何かね。君たちは、努力なんかせずとも幸せを享受できると思っているのか? そうだとしたら、一から教育しなおす必要があるな。
――それに、命の価値は年数で決まるものではありません。長生きが美徳とされる時代は終わりました。限られた命の中で、何を想い、何を考え、何を為して死ぬか。それが大事なのですよ。
「違う……ッ!」
そうじゃない。
俺が聞きたいのは、そんな戯言じゃない。
「ただ、ただ一言……」
――何ですか、その反抗的な目は。
――まさか、この期に及んでまだ考えを改めないと言うのかね。
――ったくよぉ、一体今まで、誰がテメェらの躾をやってきたのか忘れたのかぁ?
――やはり、下手に心を植え付けるのは止した方が良かったのかもしれませんね。彼らの反逆は予想外でしたが、良い教訓となりました。次の人造生命体はもう少し、自律思考を調整してやる必要が――
そこで、耳鳴りは止んだ。
首なしの死体達が盛大に爆ぜ、汚れた臓物が周囲に飛び散る。
「あ……あぁ……」
そうだ。
確か、このタイミングで、俺。
我慢できなくなって。
あいつら……皆殺しにしたんだっけか。
血に塗れた両手に、ぼんやりと目を通す。
誰かが、俺の体を揺さぶっている気配がした。




