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アナザポリス・オリジナル-怪力乱神幻瞑録-  作者: 浦切三語
第七幕 魔血の贄/邪神降臨
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7-11 魂性機動兵器・釈迦如来

 時計の針が頂点にさしかかった頃の幻幽都市。紅き炎と黒に包まれた闇の中を進軍するのは、茜屋罪九郎の召喚により降臨した邪神だけではない。天まで届かんとする禍々しき虚躯を撃ち払わんとする役目を担うは、蒼天機関(ガルディアン)傘下の対霊的災害特務部隊――《浄道》である。


 そこに属する屈強な武僧らを率いるのが、筆頭大僧正(トップオーダー)の位にある聖欣坊冥塵だ。歳は既に百を超え、これまでに五度の《神秘》を体現した傑物だ。彼の声一つで、都市に巣食う悪霊どもは恐れをなして遁走すると言い伝えられているが、それは間違いだ。正確には、声一つで滅相してしまう。彼の魂は、長年の苦行により質を高められた法力のお蔭で、釈迦のそれに近い存在となっていた。


 彼が率いる武装僧坊の集団以外に、この未曽有の霊的災害(オカルト・ハザード)を鎮められる者などいない。誰かが決めたのではなく、彼ら自身がそう自負している。これは、俺達が為すべき仕事なのだと。鉄よりも硬い正義感と責任感に満ちた彼らの行動には一切の無駄が無く、一切の躊躇いがなかった。これから己が命が消えうる可能性だってあるというのに、決戦に備える武僧どもの顔には、恐怖心などという犬の糞のような感情は、微塵たりとも浮かびやしなかった。


 やるべきことをやる(・・・・・・・・・)。この上ないほど単純な覚悟を胸に抱いた彼らの動きは迫力に燃えて、どこまでも冷静でいた。冥塵の的確な指示の下、必要な武器弾薬と個人兵装を迅速に手に取り、各々が経文を独唱しながら地下の待機寺社から地上へと上がり、ここに展開されている。


 薙ぎ倒されたビルというビルや、炎上を続ける家屋の間を功徳走法でひた走りながら、武僧らは真言を唱えつつ、決められた持ち場へ向かっていく。経文詠唱により場に満ちた言霊エネルギーが、重仏装戦車の卒塔婆原動機を次々と駆動させていく。タイヤの回転する重々しい音が、大地を蹂躙するかのように都市中に響き渡る。あっと言う間に、人と機械が見事なバランスで混じり合った、正方形の陣が形成された。


 武僧軍団はまず、戦闘による周囲への被害を最小限にとどめる事に徹した。十二鐘の涅槃梵鐘を打ち鳴らして都市全域に阿頼耶識多重結界を敷き、臨戦態勢へ移行する。正方形型に展開した重仏装戦車の山の中央で、戦車に積まれて赤々と燃ゆる神聖護摩壇を前に蓮華坐を組んだ冥塵が、独特の調子で指示を出す。


「最高特性即身仏、用意ッ!」


 これに応じるは、百八輌の仏装戦車のうち、二十四輌である。戦車のハッチが次々と開いては、自動昇降式の台座に乗せられ、呪符防護処理済みの桐柩が、暗天の下に晒されていく。二十四台全ての柩が出揃ったのを確認すると、冥塵は原音に近い真言(マントラ)を唱え、力強く解呪の印を結んだ。途端、桐柩の呪符防護が解け、全ての柩の蓋が自動的に前方へ倒れ、中身が露出した。


 中から現れたのは、金色の僧衣に包まれた枯れ木色のミイラ。都市の安寧と平和を願い、その身を仏に捧げた聖人クラスの僧侶の亡骸だ。その身に内包された法力は熟成されきっており、煩悩塗れの一般人が触れたら、魂の底まで焼き尽くされてしまうほどの代物である。


 その絶大にして極聖の御力を今、ここで使い尽くす。


「曼荼羅術式・釈之陣、展開ッ!」


 間を置かず、冥塵の脇に控えていた十二名の大僧正位の武僧らが印を結び、即身仏の法力を拡散させた。濃霧のように周囲へ広がり満ちた莫大な力の奔流を、仏装戦車に搭載された各々の天気輪が吸収。更に高速回転を加えることで、即身仏の法力を召喚陣形成に必要な別種のエネルギーへ変換する。


 これと並行して、仏装戦車群と重機動僧衣を装備した武僧らが入れ替わり立ち代わり、一つの事象を描いた。頭上から俯瞰すれば、それが人と戦車の隊列で描かれた大曼荼羅模様の陣であるのが分かるだろう。これが、六波羅散華爆撃(ダーマ・ブラスター)と並んで《浄道》が秘匿しているもう一つの大規模攻撃。その始まりの合図に他ならない。


 不浄なる邪神は、実に目敏かった。武僧軍団が地上に現れだした時には、特にこれといった興味も持たずに、人々の魂と街を破壊し続けていた。ところが、彼らが防御結界を敷いて曼荼羅型に隊列を整えるのを見るや、街の破壊を一旦停止し、魂が凍りつくほどの雄たけびを全身から発した。


 邪神には頭部らしき部位が無かった。それでも、重仏装戦車を盾に居並ぶ武僧達は、数多の強い憎しみが込められた獰悪な瞳に睨みつけられているような、ひどく気味の悪い寒けを感じた。だがそんな中にあって、オカルト武装に身を包んだ一団を率いる長の覚悟は、幾許も揺るがない。


「昇天迫撃砲、用意ッ!」


 邪神の変化を一早く察した冥塵が号令を鳴らし、武僧らが(おう)ッと応え、標的の小手調べに出る。総重量三十キロに及ぶ重機動僧衣の三番兵装。その背面に取り付けられている瓔珞ジェネレーターが黄金光を放射し、レフトアームにマウントされた莫迦でかい砲身の中央に、白き光が収束した。


 たまらず、邪神の左腕が――暗黒の色を纏う三本の巨腕(・・・・・)が、鋭い衝撃と共に武僧らに向かって振り下ろされた。まさに、天空から墜落してきた神の杖じみた威力があった。


「――()ぇッ!」


 悪意が込められ死神の杖を落とさんと、一斉に砲撃が轟いた。武僧らが放つ昇天迫撃砲が、次々と邪神の左腕に命中する。凄まじい衝撃が大気を千切り飛ばし、邪神の腕が爆ぜた。聖なる爆炎に包まれて、三本の腕のうち一本が炭化して極楽浄土へ逝きかけたが、あっと言う間に再生した。たまらず、ぎょっとした顔を見せる武僧らであったが、冥塵だけは笑っていた。


「ほう、やりおる。輪廻転生に準じた生命回帰機構を標準搭載しておるか。なら話は早い。さっさとおっぱじめるとするかの……総兵、仏舎利用意ッ!」


 きた――誰も口には出さなかったが、内なる猛りが激しさを増しているのは、彼らの瞳の色を見れば一目瞭然であった。重機動僧衣のサブウェポンケースから仏舎利入りの薬包を取り出し、示し合わせたように一気に呷る。


「これより、魂性機動兵器の召喚に移るッ! 総兵、経文詠唱ッ!」


 間髪入れずに、一斉に読経が始まった。文字通り、武僧の読経は命を削る業だ。術式展開を円滑に進める為に仏舎利を拝したわけだが、そこには更に重要な意味があった。魂性機動兵器の運用である。


 心霊工学(スペクター・エンジニアリング)の根幹となる心霊力学の六大定義。その内の一つに、『あらゆる事象は潜在性であり、意識との強い相互作用を持つ』というのがある。この宇宙に存在するとされる、あらゆる物質や事象は常に確定されたものではないというのだ。


 この世に存在するどんなモノであろうと、その本質は不確定なもの。我々人間が、あらゆる物体や現象を確定されているモノのように観測できるのは、人間の意識と事象の潜在性とが強い相互作用を持つ為である。


 この定義は、幻幽都市で頻発する霊的現象を説明するのに、十分な説得力を持っている。本来なら幽体に過ぎない死魂霊(マーラー)を知覚できるのも、人の意識がその潜在性と強い相互作用を起こすからだ。


 心霊力学に則って考えれば、この世に存在するとされる事象の存在確立は、人の意識や精神と密接な関わり合いを持っている。現世に留まることすら有り得ないとされるどんな突飛な事象であろうと、当人がその潜在性を強く認識することが出来れば、たとえ神だろうと顕現できる。


――ならば、仏を呼び出すのも可能なはずだ。


 誰かがそんな科白を口にした時、多くの人々は一笑に伏したことだろう。ありえぬ話だ、と。


 だが、この魑魅魍魎渦巻く異形の都市で、有り得ない事なんて有り得ない。《浄道》の武僧らは全工学開発局(サルヴァニア)と協力し合い、ついに、有り得ない話を実現化させた。


 魂性機動兵器――戦闘用にチューニングした仏尊をこの世に召喚させる、究極のオカルト・バスターの誕生である。


「神聖護摩壇、言霊エネルギー充填率、九十パーセントに到達ッ!」


 冥塵の傍らに立つ観測役の武僧が、神聖護摩壇の中で激しく燃える炎の揺らぎを数値化し、伝達。仏舎利がもたらす強烈な精神幇助を受けて、経文を唱え続ける武僧らの言葉が、一つ一つ、明確な力を宿していく。


 たまらず、邪神が動いた。奇怪な行動に出た武僧らを蹴散らそうと、その驚異的な三本の巨腕を垂直に振り下ろした。だが、攻撃は通らない。読経により大気に満ちた言霊が不可視の防壁(フィールド)を展開し、邪神の一撃を弾き飛ばしたのだ。


 読経には、カルマを発散させる効果もあった。武僧らの煩悩は既に極楽浄土の彼方に消え去り、六根清浄の域に達している。今の彼らが紡ぐ言霊の力を前にしては、さしもの異国の神も、用意に手出し出来ぬようであった。


「言霊エネルギー充填率、九十七パーセントに到達ッ! 九十八……九十九……百パーセント到達を確認ッ!」


 炎の揺らめきが、凍結されたかのように静止した。瞬間、神聖護摩壇に装備された十の蓮の花弁が一斉に花開き、高速回転を開始する。


三尊形態(トライアド)、実行ッ! 経文詠唱を加速ッ!」


 そこから先は、怒涛の詠唱の連続であった。

 一秒間に六千正道回転する蓮の花が、神聖護摩壇に貯蔵された言霊エネルギーを黄金色の法力として発散させていく。


 武僧らの精神が、仏尊の潜在性との相互作用を増々強める。蓮の花を媒介にして、法力に真理の意が込められていく。やがて、法力が真実の本性たる悟りの境地にまで高められた時、依代と化した神聖護摩壇が変異を遂げる。法力の影響を受け、火の粉の一片が葉となり、外炎が枝となり、内炎が幹となり、炎心が太い根と化していき、巨大な一本の沙羅双樹と成り変わったのだ。聖なる大樹の枝葉は瑞々しいほどに青く繁り、見るからに頑強そうな幹には深い窪みがいくつも刻まれていた。


 やがて、沙羅双樹を守護するかのように虹色の霧が周囲に濃く立ち込めた。武僧らが経文詠唱を継続していくに従って、霧が完璧なる守護者の像を象った。


「機動仏尊文殊型、普賢型、顕現を確認ッ!」


 圧倒的な威圧感と慈愛を込めて、大曼荼羅型に展開された陣の両脇に、それは現れた。片や、六牙の白き巨象の上で結跏趺坐し、合掌する菩薩。片や、獅子の背で結跏趺坐し、左手に経典、右手に宝剣を携えた菩薩。どちらも神位の魂性機動兵器であることに変わりない。単体で見ても相当の力を誇るこの二体が、しかし今宵は言霊エネルギーの変換器役に留まる。


 本命は、これからだ。


 これが、御仏への最期の奉公になるやもしれない。そんな想いと共に、冥塵は結印した。施無毘印、与願印、定印、降魔印、説法印を神懸かり的な速度で展開。鬼気迫る表情で唇を清浄級の速度で震えさせた。


「オン・サン・マヤ・サトバン、オン・アラハシャノウ、ノウマク・サンマンダ・ボダナン・バク。我、正しく思考する者。我、正しく語る者。我、正しく業を導く者。我、正しく天命に従う者。我、正しく精進せし者。我、正しく念ずる者。我、正しく定める者。我、不徳を忌み、功を積まんとする者。我、悪徳を断じ、これを(きよ)めんとする者。我、地に堕ちること非ず。我が魂、秤に偏りを与えず。我、身命天地に潔白を捧げん。さればこそ、満ちよ、満ちよ、今こそ満ちよ。その血意を以て衆を導き、その悟りを以て全果を手にし者よ。その絶苦を以て愚過を覚え、その真謝を以て識道を開き、御霊の涯てを知らしめんとした者よ。我に魔祓の聖杖を与えよ。鬼力を以て嬲る者。傲を振り翳し尊和を乱す者。暴悪を貪り破壊を善しとする者。それら全てを祓う聖樹を与えよ」


 一節に千理を超える意が込められた超高密度の呪的祝詞を唱え終わった刹那、暗黒色の叢雲漂う天空で鋭い稲光が幾重にも奔り、武僧らの集団を直撃した。いや――正確には、神聖護摩壇を依代としてこの世に顕現した沙羅双樹をだ。


 稲妻の直撃を受けて、聖なる大樹が縦に激しく割り裂けた。その中から、熱風を迸らせて灼熱に燃える超巨大な火焔塊が上宙に放たれ、闇を昼間のように眩しく照らした。そうして、ついに『それ』の脚が、火焔の中から現れた。


 圧倒的畏怖に満ちた聖なる巨脚が、軽く大地を踏み締める。次いで、炎を突き破って伸びてきた黄金の指が降魔の印契を象った。その途端、物凄い地鳴りと共に、半径十キロメートル内にいた軍鬼兵(テスカトル)死魂霊(マーラー)らが、たちどころに浄化された。


 炎の中から誕生した『それ』の全長は、邪神と同じくおよそ八百メートル。しかしながら、破滅の瘴気に満ちた邪神とは全く打って変わり、『それ』が背負う瑞雲光背は、力強さと暖かさに満ちる光を散布している。それは生気に満ち溢れ、生命の営みを祝福するかのような、悦びが込めれらた絶光だった。


 余計な装身具を何一つ身に着けず、袈裟だけを羽織った螺髪の巨人。魂性機動兵器の一つにして、《浄道》の最終兵器。その黄金の輝きに満ちた姿が完全に露わになった時、武僧らの唱える経文の響きに、今夜最大の意気が灯った。


「超機動仏尊《釈迦如来(シャーキャムニ)》。現世へ完全顕現ッ! これより、標的の完全解脱に移るッ!」


 呼びかけに、聖なる巨人が無言で応えた。黄金満ちる威光を纏いし《釈迦如来(シャーキャムニ)》は、邪神へ向かって一直線に走り出した。莫迦かと思うほどのスピードだった。もし、この場に結界を敷いていなかったら、その足踏みで生じる衝撃波だけで、周囲の建造物は跡形も無く塵と化してしまうだろう。


釈迦如来(シャーキャムニ)》の勢いを押し潰そうと、邪神が腕を鞭のようにしならせ、襲いかかる。《釈迦如来(シャーキャムニ)》は間一髪のところでこれを避けると、邪神の胸部目掛けてカウンター気味に忿怒拳を放った。偉大なる聖衝をモロに受け、勢いそのままに邪神の体勢が後方へ崩れかける。そこへ、追い打ちとばかりに両指を内縛拳に組み、大地もろとも叩き割らんばかりの勢いで振り下ろした。


 大気が爆裂したかのように震動する。邪神は、背面を強かに地面へ打ち付けた。表情が無くとも、どれほどのダメージを受けたかは分かる。涅槃の境地に至った釈迦の力を前に、抗う術などない。


 標的を解脱させて無害化するのに、今こそが最良の好機であった。すかさず十二合掌の体勢へ移ろうとした《釈迦如来(シャーキャムニ)》であったが、そこへ予想外の一撃が襲いかかる。邪神の腹部ーー黒き上半身と白き下半身とを結ぶ虹色の珠が眩く輝き、赤黒く輝く光線を発射したのだ。既に完全解脱させる為の準備に入っていた《釈迦如来(シャーキャムニ)》は、不意を突かれた形となり、光線の一撃を受けて両腕が吹き飛んだ。


 仏にとって、両腕は重要な部位だ。彼らは手指を駆使して森羅万象を表し、己の威力をそこへ込める。だからこそ、万が一両腕が破壊されたなら、すぐに再生へ移るのが鉄則とされる。


釈迦如来(シャーキャムニ)》の輪廻転生機構は、吹き飛ばされた腕が極楽浄土へ旅立つ前に発動した。宙を舞う二本の腕は金色の粒子となり、両腕の断面へ吸い付いて再構成され、元の形へ復元。一旦距離を置こうと足を動かした《釈迦如来(シャーキャムニ)》だったが、その足を、依然として倒れこんだままの邪神が掴んだ。絶大な万力である。逃れようとする《釈迦如来(シャーキャムニ)》を嘲笑うかのように、邪神の暗黒の瘴気が、仏の聖なる巨軀を蝕んでいく。


 いや、これはーー


「だ、大僧正閣下。て、敵は《釈迦如来(シャーキャムニ)》の神通力を書き換えているようです」


 一連の流れを小曼荼羅型のモニターで観察していた武僧の一人が、声を震わせて言った。


「ヤツが上半身に纏っているあの黒い瘴気から、複数の強い怨霊共鳴反応が検出されています。敵は単一型では無く、複合的呪禁要素を持つ邪神……このままでは、いずれ《釈迦如来(シャーキャムニ)》も怨霊と化し、取り込まれてしまいます!」


 部下の必死の訴えを耳にしても、冥塵は具体的な指令を出さなかった。彼は、動かない。ただ、黙って事態の経過を見守っている。この切迫した状況を前に、頭が混乱して言葉が出ないからではない。無策であるからというわけでもない。空前絶後の修行を今日まで続けてきた彼には、この後の展開が、予知めいて分かっているからこその、無言の返答。


 邪神が雄叫びを上げ、膝下まで瘴気に侵食された《釈迦如来(シャーキャムニ)》の体を軽々と持ち上げ、そのまま垂直に地面へたたきつけた。その反動を利用して立ち上がると、世界中へ怨恨を撒き散らさんとする勢いで、永い慟哭を木霊させた。咆哮のおぞましさは先ほどよりも威力を増し、聴く者全てを地獄へ追いやろうとする迫力が込められている。実際に、武僧の何人かは魂魄が凍結され、昏倒する者まで出ていた。釈迦の神通力を汚染したことで、間接的に邪神の力が増しているのだ。


「測定不能レベルの怪念波を確認ッ! 阿頼耶識多重結果に、甚大な損傷を与える可能性大ッ!」


「経文詠唱速度を六徳級速度へ上昇。第三、第四武僧隊は、《釈迦如来(シャーキャムニ)》の援護へ回れ」


 冥塵の指揮の下、必至の形相で武僧らの経文詠唱速度が数段階跳ね上がる。彼らの唇が鳴らす経文は言葉としての体裁を崩しながらも、その真意は変わらずであった。それは、既に我々が知る『言葉』の観念からは大きく外れ、森のさざめきや川のせせらぎにも似た、極自然的な領域の一種と化していた。


「このデカブツめがッ! さっさと六文銭を支払いやがれッ!」


 重機動僧衣を纏いし強面の武僧集団が、邪神目掛けて一斉に攻撃を開始した。僧衣背面に設置された瓔珞ジェネレーターが清浄の如き速度で回転。全身の至る所にマウントされた砲身から放たれる、金剛杵榴弾、種字誘導弾、昇天迫撃砲の数々。嵐のように撃ち込まれる、オカルト・バスター用の支援攻撃。真言と仏舎利が高密度に圧縮封入された砲撃は、爆煙と爆炎の海を造り出し、一瞬、邪神の姿が全員の視界から消えた。


 瞬間、内側から物凄い圧力でもかけられたのか。爆煙が周辺空域へ弾けとび、邪神の全身に喰らいついていた炎が、無数の欠片となって四方へ飛散した。


 聖なる攻撃をものともしない邪神は、ここにきて更なる変貌を遂げていた。


 誰もが息を呑んだ。あの爆炎に包まれていた中で、何があったのか。それを知る者はただの一人もいない。ただ分かっているのは、いつの間にか、邪神の頭部が形成されているという事だ。


 いや、果たしてそれは頭部と呼んで良いものなのか。だが、首から上にあるということを前提として述べるなら、それは間違いなく頭部だ。


 誰も見たことがない、異形にして巨大。それでいて、極彩色の禍々しい色味を伴う五枚の花弁。それが、邪神の首から上に生えていた。花弁の中央部には、極太の長大な触手が何本も生え、互いに絡まりながらうねり狂っている。生理的な忌避感を植え付けるには十分な光景だった。


 邪神の異変は他にもあった。背中には、黒々とした男根型の背ビレが縦に三列生え茂り、そのズルムケになった先端からは黄色い液体が噴水の様に吹き上がっている。そこから下に下って行くと、今度は尻尾だ。先端に亡者の顔が写り込んでいる。亡者は、邪神の体に閉じ込められているようにも見えた。まるで、ここから出してくれと懇願しているかのような、絶望と恐怖に染まった色をしていた。


「なんと、哀れな……」


 怒りでも、恐怖でもない。冥塵の胸に去来したのは、哀切にも似た感情だった。怪物が無意識のうちに発している歎き。それを知りたいと思う。その意味を考えたいと思う。何をそんなに苦しんでいるのか。何が不満なのか。何がお前をそうさせてしまったのか。


 答えはわからない。ならば救おう。《釈迦如来(シャーキャムニ)》は依然として倒れたままだが、まだ闘う力は残っている。なんとしても、仏の御心で彼の者を天へ返す。ひいてはそれが、幻幽都市の寿命を延ばす事に繋がり、人々の明日へと繋がる。


「骸は野に朽ち、風は空へ還るもの。もうそろそろ、幕切れといこうか」


 まだ暫く、夜は続く。


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