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アナザポリス・オリジナル-怪力乱神幻瞑録-  作者: 浦切三語
第七幕 魔血の贄/邪神降臨
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7-8 征裁怒号の獣牙(ターミネイター) その2

「バジュラ……だと……?」


 マヤの顔面は既に崩壊しかかっているが、なんとか声を出すことは出来た。だからと言って、明瞭な答えが返ってくる訳ではない。


 そもそも、バジュラなどという名前は、マヤ自身にも、マヤの精神を支配している罪九郎にも、聞き覚えが無かった。


 バジュラ。それはマヤが初めて聞く(・・・・・)名前だった。その人物名が、自らが所属している組織の首魁を指しているという結論には、到底思い至らなかった。


「知らないな」


「とぼけるなッ!」


 暴力的尋問の続行。再牙が怒声と共に拳を振り上げる。そのタイミングに合わせて口を窄め、マヤがカウンターを見舞った。弱った姿をワザと見せつけてからの、狡猾な意趣返しであった。


 悪役のサイボーグ・レスラーが披露する毒霧の如く、内臓の一部が破壊された事により食道をせり上がってきていた粘い銀色の血を、再牙の顔面目掛けて、思い切り吹き付けたのだ。


 思いがけない反撃を受け、流石の再牙も避けるのが間に合わなかった。瞼を濡らし、視界を妨げる血を拭おうと、反射的に腕で顔を擦ろうとした。


 まさにその時であった。


「爆ぜろ」


 マヤが指を鳴らした拍子に、再牙の顔の筋肉が微細に震え出したかと思うと、突如として爆発した。衝撃波に煽られ、再牙の上体が仰け反った。肉の焦げる凄まじい異臭が立ち上る。顔面という顔面から、血があらぬ方向へ噴き出した。


 起爆だ。マヤの放った呪血により、再牙の顔面の皮膚が点火式爆弾へ変性されたのだ。それは、起死回生に繋がるであろう、恐るべき一撃であった。


 今度こそ、本当に殺った――マヤに限らず、この状況に出くわせば、誰だってそう思い込むに違いない。鮮やかな反撃に酔いしれ、愉悦の極みが全身を駆け登るのは当然だ。


 なにせ、顔面が破壊されたのだ。これでも生きているというのなら、もうそれは、肉体強化系のジェネレータ―の範疇を超えて、間違いなく『怪物』と分類されるに相応しいだろう。


 だが、そんなことは有り得ない。人間は所詮、どんなに力を持とうとも、人間の範疇からは超えられない。相手がベヒイモスのような超生命体であるならともかく、人間なら、ジェネレーターであろうと何であろうと、人の枠組みを超える力を、手に入れることなど不可能だ。


「(勝った……!)」


 凄絶な笑みを浮かべ、ここから先は俺の独壇場だと言わんばかりに、マヤが第二の攻撃へ移ろうとした。


 そこへ、空間を破るかのように、拳が右下の角度より飛翔してきた。


 剛拳の主が一体誰なのか。認識するよりも早く、マヤは右側頭部に凄まじい痛みを感じた。


 次に意識を取り戻した時。彼は自らの置かれた状況に不思議がった。


 反撃した筈の自分が、どうして十メートルばかし離れた地面に、仰向けで横たわっているのだ?


 状況を正しく把握しようともたつきながら思考を巡らせ、そうして最初に感覚したのは、酷い頭痛であった。頭の奥で、白い光がチカチカ点滅している。脳細胞の一つ一つが、衝撃で破壊されたのではと疑るぐらいの、爆発的激痛。


 マヤは恐る恐る、右側頭部に左手を当てた。手を離して、ぎょっとした。掌には、彼のピンク色の毛髪に混じり、べっとりと血がこびり付いていた。


「まさか……」


 断じてあってはならない最悪の展開が、脳裡を過った。


 顔を上げた瞬間だった。マヤの口から、悲鳴交じりの叫び声が上がったのは。


「き、貴様……貴様、なぜ……何故、立っていられるッ!? い、いや、そもそも、どうして生きていられるッ!?」


 果たして、火門再牙は『怪物』だった。彼は驚愕に満ちたマヤの問いかけに答える代わりに、変わり果てた貌を向けた。その様は、不気味の一言に尽きる。顔面の皮膚は全て焼け爛れ、剥き出しになった二つの眼球が蒼炎を宿し、爛々と輝いている。


 兇暴。それ以外に、今の再牙の状態を、どう表現しろというのか。普段の彼を知っている者からしてみれば、これが本当にあの火門再牙なのかと、信じがたい気持ちになるに違いない。それほどまでの、衝撃的な光景だった。


 それ以上に衝撃的な出来事が、今まさに彼の身に起こっていた。顔中から噴き出していたはずの血が、いつの間にか止まっているのだ。


 理由は明らかだ。顔面に張り巡らされている毛細血管の動作を能力で制御し、余計な血の流出を防いでいるからに他ならない。血管の収縮を操作する等、再牙にとっては造作も無いことであった。


 まるで、地獄よりの死者の如き狂相である。それでも不思議な事に、骨を覆う筋繊維は焼け爛れてはいても、そのどれ一つとして断裂を起こしていなかった。


 実におかしな話だが、超高密度の筋量を誇る顔筋のおかげで、爆発時の衝撃波が相殺されたのだ。それは明らかに、人のレベル(・・・・・)を逸脱した生体現象であった。


 反撃を成功させたことに浮かれ過ぎていて、意識が向かなかったのか。それにしても、マヤはもっと早く気が付くべきだったのだ。再牙が凄惨な顔面爆破を喰らったにも関わらず、上半身だけを逸らして、爆発時の衝撃を耐え抜いた事について。


 通常なら、そんなことはまず起こり得ない。どんな人間だろうと、至近距離で爆発物の攻撃を受けたら、間違いなく身体そのものが吹き飛ぶ筈である。だが、再牙はそうはならなかった。


 その時になって、ようやくマヤは思い至った。再牙の宿す能力の本質に。


征裁怒号の獣牙(ターミネイター)》が、普通の肉体強化系の能力とは一味も二味も違う、異質な能力であることに。


 幻幽都市に住むジェネレーターの中でも、肉体強化系の能力者は最底辺に位置している。都市の科学技術で生み出された肉体補助系統の道具(ツール)。その大部分が、彼らの能力を上回るスペックを宿しているからだ。機能片(フラグメント)、サイボーグ手術、伝搬強壮剤(スジャータ)……単純に思いつくだけでも、これだけある。


 しかし、火門再牙の《征裁怒号の獣牙(ターミネイター)》は、同じ肉体強化系に属していながら、他と明らかに一線を画していた。


 能力の強化範囲は、五感強化や筋量増大、運動神経の著しい向上だけに留まらない。血流操作、神経伝達物質の合成と放出、、骨芽細胞と破骨細胞の生成、体内を流れる電気信号の加速……


 己の生命活動の全てを自由自在(・・・・)に、そして精密に調整できる。ありとあらゆる生命活動を、人間の身体強度を超える段階にまで引き上げ、自在に操作する。


 それこそが、《征裁怒号の獣牙(ターミネイター)》の……再牙だけが背負う事になった、能力の正体。この世に生を受けた時からずっと、己の生存意義として隣に横たわっていた偉大な業。


 再牙が顔面の爆破を堪えられたのも、これのお蔭だ。彼はエンドルフィンを一度に大量放出して痛覚を鈍らせ、血流速度を速めて細胞にエネルギーを効果的に且つ迅速に供給し、頸骨から尾骶骨までの筋量と骨密度を極限値以上に高めた。この三つの操作を0.1秒以下で同時に実行できたからこそ、彼は今、立っていられる。


 サイボーグ手術や機能片(フラグメント)の移植に、伝播強壮剤(スジャータ)の摂取。これらがもたらす効果とは詰まるところ、脳力の速やかなリミッター解除と、それに伴う身体性能の向上を持続させることにある。


 だがこれらの技術に頼ったとしても、リミッターの限界点そのものを向上させることは出来ない。脳力を百パーセント解放出来ても、それ以上のパーセンテージまで高めることは不可能だ。それを唯一可能とするのは、魑魅魍魎蠢く幻幽都市といえども、火門再牙ただ一人だけである。


 今の再牙が持ち上げられる重量は、一トンや二トンどころの話ではない。リミッターの限界点をどんどん上げていけば、十トンは余裕で超えるだろうし、重量に耐え得るだけの肉体も、簡単に構成できてしまう。


 再牙がおもむろに動いた。まるで軽石でも持ち上げるかのように、マヤの襟首をつかみ上げる。そうして、流れるような動作で、片手だけで軽々とマヤをビル壁面目掛けてぶん投げた。腰と肩と手首の度を越えた骨筋状態を保持しているからこそ、可能な技であった。


 その恐るべき投擲力のおかげで、マヤの身体が見事なまでに、ビルの壁中に埋まった。内臓が損傷を受けて、口から血が噴き出した。


 吐血。この程度で済んで良かったと思うべきだろう。もし全力全開の状態で投げていれば、壁にぶつかった途端、マヤの肉体は原型を留めないレベルまで崩壊していたはずだ。


 だが、再牙はそうはしなかった。彼は、意図的に力を弱めていた。たとえ相棒を傷つけた憎き相手だろうと、決して『殺し』だけはしないと、誓っているからだ。


「バジュラは何を企んでいる」


 有無を言わせぬ迫力が込められていた。再牙は壁に埋まったままのマヤの襟首を再度掴んで引き出すと、地面に放り出した。眼を白黒させたままのマヤに顔を近づけた。


「答えられないのか?」


「答えるも何も、知らねぇな。そんな奴は」


 言い切ったところで、拳が顔面に飛んできた。鋼鉄のような硬さにまで強度を高めた再牙の殴打だ。


「口の利き方まで教えている時間はない。バジュラ……俺のココに入っているデータでは、『御台所』と呼ばれているようだな」


「データだ――」


『と』と言いかけるよりも先に、また顔面が殴られた。ガントレットも、マヤの顔面も血塗れだった。


 顔面だけじゃなく、色々なところを再牙は殴った。喉元を一本拳で突き、心臓付近を蹴り上げた。何度も何度も、執拗に執拗に、再牙の暴行は繰り返された。


 殴るたびに骨の折れる音と、内臓が潰れる音が、マヤの体内でリズムを奏でた。残虐なリズムだった。鳴かない鳥を無理矢理にでも鳴かす為なら、再牙はどんな手段も厭わなかった。


「は、話す。話すからもう、殴らないでくれッ!」度重なる暴行の果て。ついに、マヤが折れた。「た、頼むからッ! もうやめてくれッ!」


 自発的に口を割ったのだ。罪九郎の精神支配が、外部からの痛烈な衝撃を何度も受けた事で、幾分か和らいだのが影響していた。


「だ、だが何をどう話せばいいんだ? お、俺は何も知らされていない。ただ、卒業試験に合格さえすれば、いいと……」


 恐怖に顔を引き攣らせ、びくびくと情けなくも震えるマヤ。《殺戮遊戯(グロテスク)》の長兄として君臨していた頃の面影は、どこにもなかった。ピンク色の髪は銀色の血で染まり、顔面は陥没寸前だ。筋肉はもちろん、骨にまで異常が出ていた。


 それでも、彼は必至で口を動かした。なぜそんな事をしたのか、自分でも良く分からなかった。魂の奥深くまで突き込まれた打撃の数々が、彼の神経を疲弊させ、判断能力を奪っていた。


「こちらが質問することだけに答えろ。まず一つ目、貴様の名は?」


「マ、マヤ・ツォルキン」


「その銀色の血は、人造生命体(ホムンクルス)だな? 誰に造られた」


「茜屋……茜屋、罪九郎だ」


「ダルヴァザのブレーンか」


「そうだ」


覚醒者(エデンズ)だと聞いている」


「俺の他に六人の人造生命体(ホムンクルス)を造った。みんな、機関の奴らに殺され……」


 言葉が途切れた。視線を宙にやり、その瞳に暗闇が降りた。僅かに取り戻した自我の中で、マヤはそれを認めざるを得なかった。瞬間、脳裡に浮かぶのは、自らの手で殺した妹の姿だった。四肢を千切られ、絶望と慟哭に染まった瞳で、こちらを見つめるチャミアの姿だった。


「そうだ……そうなんだ」


「おい、どうした?」


「殺した……そうだ、俺が殺したんだ」


 とり憑かれたように、マヤはうわ言を繰り返した。強烈なフラッシュバックが作用し、ついにマヤは自身の意識を取り戻した。精神支配を受けていたとはいえ、自らの手で引き越した、残酷な事実と共に。


「俺が、俺が妹を殺したんだ……糞ッ! あんな奴の言い分に乗ったのが、間違いだったんだッ! ちくしょうッ! ちくしょうッ!」


「おい、落ち着け」尋問相手の様子が俄に変わったのを、再牙は見逃さなかった。「茜屋罪九郎は、お前たちに何をさせようとしたんだ」


「……卒業試験だ」


「なんだそれは」


「人殺しだ。より多くの人を殺し、血をまき散らす。ただそれだけをやり遂げれば、俺達を自由の身にするという話だった。提案したのは茜屋だ。今思えば、全部奴の思い通りに事が運んでいたんだ。だが、俺達は人造生命体(ホムンクルス)……あんたにも、分かるだろう? 俺たちが、いかに不自由な生き物かってことを」


 再牙は答えなかった。反応が薄いのを見ると、マヤは話を続けた。


人造生命体(ホムンクルス)は、無意識下で造物主の意志と繋がっている。精神接続の強弱はあれど、俺たちは所詮、飼い犬でしかなかった。結局、奴には誰も逆らえなかった」


「核心を教えてくれ。ダルヴァザの本当の狙いはなんだ」


「都墜し。幻幽都市の殲滅だ」


「それは分かる。だが、それならどうしてこんな回りくどいやり方をするんだ。覚醒者(エデンズ)が造った最新鋭の機械を使った方が、よっぽど効率がいいはずだ」


「機械?」


 マヤが、自嘲気味に笑みを零そうとした。だが顔の骨が折れているせいで、不気味な嗤いにしかならなかった。


「機械なら、どれだけマシなことか」


「何だと?」


「聞け。ダルヴァザの本当の狙いは――」


 再び言葉が途切れかけた刹那、再牙の極限まで鋭敏化された触覚が、空気の歪な流れを察知した。


――殺気。


 動物的な勘と俊敏な動きを駆使し、再牙は身を翻して後退した。


 咄嗟に顔を上げる。目にしたのは、左半身がざっくりと割れたマヤの姿だった。間欠泉の如く血がしぶいて、ビルの壁面を銀色に染めていった。


 予想外の一撃であった。突然の出来事に、攻撃の軌道を見極めることさえ叶わなかった。


『そんな小物に尋ねなくとも』


 何処かより、声がした。声の調子に、聞き覚えがあった。それは懐かしくも、しかし地獄の底から轟くような、忘れ去りたい音色が込められていた。


『直接、私が教えてあげるというのに』


 空間が、虹色に光り輝いた。


「次元の門……」


 緩やかに流れる虹の波が、宙を舞っている。異相空間の果て無き海。その一部がいま、確かに目の前に広がっている。その唐突な出現には明らかに、何者かの意志が介在していた。


 次元の門から、脚が現れた。長い足だ。続いて手が、身体が出た。最後に、顔が現れた。


「やはり、そうか……」


 僅かな驚愕と、諦め……そして、怒りがあった。


 次元の門を潜り、再牙の目の前に立ったのは、一人の女。


 その整った小顔の鼻下は薄紫色のヴェールで覆われていた。引き締まった浅黒い上半身を覆っているのは、宝飾品で彩られたブラジャー風のトップスだ。脚はカモシカの様に細くしなやかで、余計な脂肪の一切がそぎ落とされている。下半身を覆うのは、蒼一色のフリルスカート。


 一見して麗美。しかしながら、それのみに終始しているに非ず。良く見なくとも、女の肉体のあちこちには、多数の古傷が散見された。腕や肩や腰回りだけでなく、スカートに隠れた美脚にも、痛々しい刀傷や弾痕があった。十年前に負った傷は、女の心と肉体に、永劫消えぬ疵痕をつけていた。


 そして、右頬から額にかけて施された、毒々しい艶を放つ紫色の竜を象った刺青が、再牙の視界に食い込んだ。


 鼓動が高ぶる。


 再牙の記憶の海から猛烈な勢いで引っ張り出される、過去の鮮烈な記憶の数々。


 どれもが、血生臭い死臭を纏っていた。


 死臭の傍らで、いつも彼女は憂う様子で佇んでいた。


「バジュラッ!」


 気がつけば、叫んでいた。こちらの声が届いているのか。女は、『あの頃』には再牙に対して一度も見せた事が無い、妖艶な目付きで微笑んだ。


「お久しぶりね。アヴァロ」

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