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アナザポリス・オリジナル-怪力乱神幻瞑録-  作者: 浦切三語
第七幕 魔血の贄/邪神降臨
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7-7 征裁怒号の獣牙(ターミネイター) その1

 救世主。


 琴美の心に、希望の虹が橋を架ける。マヤから受けた暴行による痛みも、今は遥か忘却の彼方にあった。琴美は眩しそうに眼を細めて、暖かな息を零した。悠然と背中をこちらに向けて、肩で息を吐き続ける男を――火門再牙を仰ぎ見る。


「火門さんッ! 良かった、無事で――」


 明るい調子で声をかけようとしたが、最後まで言葉が出てこなかった。


 ここまでの道中で、一体どんな目に遭遇したのか――再牙の身なりは、壮絶さの渦中にあった。その屈強な肉体の至る箇所が、戦いの傷痕に溢れている。靴もズボンもボロボロで、彼のトレードマークたる《オルガンチノ》も、裾の部分が少し破けていた。両腕に装着されたガントレットの表面には、得体の知れない緑色の血が、大量にこびりついていた。


 ガントレットには、別の血も付着していた。それが再牙自身の血であると反射的に理解した途端、琴美は、見てはいけないものを見てしまったかのような感覚に襲われた。


「再牙さん、その、血が……」


 何かを言いかけようとして、思いとどまる。琴美の放った言葉は、具体的な意味を孕む前に霧散した。肩を震わせ続けて、マヤが吹っ飛んで行った方向を睨み続ける再牙の耳に、彼女の声は届かなかった。


 一通り呼吸を落ち着かせたところで、再牙は慌てるように振り返り、琴美に駆け寄った。彼の瞳は、既に蒼い輝きを失くし、普段通りの優し気な瞳へと戻っていた。


「大丈夫か? 」


「あ、えっと……」


「すまない、遅くなっちまった。本当ならもっと早く、君達と合流する予定だったんだが……経口摂取タイプの治癒膚板(ポーション)だ。これで、多少は痛みが引くはずだ」


 心底申し訳なさそうに眉根を下げ、再牙は《オルガンチノ》のポケットに手を突っ込み、取り出したケースから白い丸薬を取り出して、琴美の口に含ませた。


「噛まずに、そのまま飲み込んでくれ」


 言われるがまま、ゴクリと喉を鳴らして嚥下する。


「有難うございます」


 まだ痛みが残る身体を動かし、琴美は笑顔を浮かべた。心配をかけさせまいという、彼女なりの配慮の現れ。だがその笑顔が、再牙の心を耐え難い程に締め付けた。琴美の頬につけられた痛々しい傷痕が、再牙の眼に映り込んでいた。微笑みでごまかせる傷ではなかった。


「申し訳ない」


 それまで聞いたことのない、重々しい調子の声だった。


「依頼人である君を、怖い目に遭わせてしまった。俺が、もたもたしていたせいだ」


「私のことなんて、別に良いんです。それよりも、エリーチカさんが……」


「私なら……」


 再牙の後ろ。丁度、琴美の位置と直線距離上にある瓦礫の上で仰向けに倒れ込んでいたエリーチカが、呻くような声を漏らし、起き上がった。マヤとの戦闘で、そして琴美が放った三発の銃弾で傷つけられた、純白のボディ。華奢な人工の身体は、無残に化粧されていた。銀色の血とアスファルトの粉塵で、あちこちが汚れてしまっている。


「心配いりません。これくらいの傷、どうってことないですから」


 破壊された関節部から、ナノマシンの雫が垂れ落ちている。にも関わらず、彼女の意識は、はっきりとしていた。その表情は、普段通りの鉄仮面に戻っていた。人工魂魄(ノウアスフィア)への強制介入が、失敗に終わったことの証拠である。


「私なら、大丈夫です」


 念を押すかのように、再度口にした。


「エリーチカさん、ごめんなさい!」


 瞳に涙を溜めて、琴美は叫ぶようにして、謝罪の言葉を述べた。


「私、貴方を助けようとしたのに、なのに私、貴方を傷つけてしまって……」


「琴美さん。謝らないでください。謝るのは、私の方なのですから」


「なんで、そんなこと言うんですか」


「情けない話です。貴方を、守り切れなかった。逆に、私の危機を救って頂いて、感謝しているくらいなんですよ」


「感謝……?」


「結果はどうあれ、貴方は私を助けようとして下さいました。凄く――」


 一瞬、言葉にすべきかどうか迷った。だがそれは、ほんの刹那の戸惑いに過ぎなかった。唇を舐め、エリーチカは己の魂で感覚した感情を、言葉に乗せて言った。


「凄く、嬉しかったです」


「エリーチカ……さん……」


 耐えきれず、琴美の瞳から、暖かい雫が流れた。雫は頬を垂れ落ち、やがて口元へつけられた傷へ差し掛かった。鈍い、染みるような痛み。だが、今はそれさえも心地良い。


「チカチ」


 再牙が素早く駆け寄った。エリーチカを労わるように、そのボロボロになった体をゆっくりと起こした。


「どうだ? 動けるか?」


「相変わらず、心配性ですね」


「心配するに決まっているだろうが」


 やや怒りを込めて、再牙が言った。

 エリーチカが、安心させるように口を開く。


「何度も言っているように、私は大丈夫です。人工魂魄(ノウアスフィア)も、破壊されずに済みましたし。ボディだって、修理すれば何とかなりますよ」


「おい、ちょっと待て。人工魂魄(ノウアスフィア)の破壊だとッ!? 野郎、そんなことを……いや、だが普通に考えて無理な話だ。素人がそんなこと、出来るわけがない」


「それを実際にやろうとしたんですよ。原理は不明ですが、驚きました。敵は、覚醒者(エデンズ)の技術力を手にしているとも口にしていました。あのまま干渉を受け続けていたら、私の人工魂魄(ノウアスフィア)は、まず間違いなく破壊されていたでしょう」


覚醒者(エデンズ)の技術力か……成程、あのデータ(・・・・・)に記されていた内容と、一致するな。これでようやく、確信が持てた」


「データ?」


「後で話す。それよりまずは……お前と琴美さんをこんな目に遭わせた奴に、仕置きを与えてやらなくてはな」


 息がかかる程の距離。気が付いた時には、再牙の眼に強い稲光のような光が灯っていた。紛れもない怒りの感情だった。大切な相棒の危機に駆け付けてやれなかった、自分への怒り。エリーチカをこんな目に遭わせた敵への怒り。二つの怒りが、轟々と音を鳴らし、彼の瞳の中で燃え上がっていた。


「駄目ですよ」


 エリーチカの鋭い一言が飛ぶ。


「マクシミリアンは、駄目です」


「え……」


 驚いて、再牙は己の左手を見た。ぎょっとした。自分でも意識しないうちに、左手の指が、腰のホルスターに伸ばされていた。


 口径八十ミリの大型リボルバーハンドガン・マクシミリアン。人間相手に使ってはならないと、あの日(・・・)以降、己に課してきた誓約。それを無意識のうちで破ろうとしていた事に、再牙は我ながらぞっとした。怖気づいたかのように手を引っ込ませる。


「分かっている」


 自分に、言い聞かせるかのような口ぶりだった。

 昔の自分に戻る訳には、いかない。


「分かっている。大丈夫だ。ただ、あの野郎にはまだ仕置きが必要だ。それに、ちょっと聞き出したい事もある」


「聞き出したい事?」


「俺は、WBCカンパニー跡地で全てを知った。獅子原錠一が幻幽都市を訪れた理由と、この街を混乱に陥れている事件は、裏で繋がっている。あの男も、この一連の事件に絡んでいるかもしれない。データに奴の画像が登録されていたんだ。可能性は、十分過ぎるほどにある」


 再牙はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。

 すかさず、エリーチカが助言を与える。


「気を付けて下さい。敵はジェネレーターです。どうやら、血を媒介にして物体の形状を変形させる能力のようです」


「わかった。チカチ、お前は琴美さんの傍にいてやってくれ。なぁに、安心しろよ」


 両腕のガントレット同士をぶつけて火花を散らし、力強く宣言する。


「一分でカタをつける」





△▼△▼△▼





「(なんだ……なんなんだコイツはッ!? アスファルトの檻をぶち破って、いきなり俺の目の前に現れたコイツはッ!?)」


 マヤの口調は、普段通りに戻っていた。依然として罪九郎の洗脳は解けていなかったが、しかし、融合しかけていた魂と肉体が外れたのだ。それほどの衝撃的な一撃だった。現に、マヤの両足は酷くねじ曲がり、右腕は千切れ、顔面もひどく崩壊している。


 だが、それでもマヤは諦めなかった。彼は戦いの継続を望み、能力を発揮した。ジェネレーターとしての能力を。


 血が――戦いの中で、そこら中のアスファルトにべっとりと塗りたくられていた銀の血が揮発した。それは銀色に輝く血煙となって宙を飛び、吸い寄せられるようにして、マヤの全身に吸収されていった。右腕と両足、顔面から溢れ出る血も、まるで逆再生された映像のように、マヤの身体の中に還っていく。


「(俺の《巨獣殺しの大血界(インビクタス)》を舐めるなよ。血で汚した物体の形状を変性させるだけじゃない。血、そのものの動きすら、俺は操れる)」


 荒い息を吐きながら、闘いの姿勢を整える。回収している血液の内、両足から溢れたそれを再利用。血で汚れたアスファルトが変性し、さながらギブスのように、彼の両足を固く固定した。


 マヤは、何とも言えぬ表情を浮かべて立ち上がった。全身を走る猛烈な痛みに耐えて。血を回収したといっても、体力が回復したわけではない。朦朧としていた意識が、徐々に覚醒していくだけだ。しかも、意識がはっきりすればするほど、身体を駆け巡る痛みがより鮮明化されていくような気がした。


 より多くの生贄を捧げる。たったそれだけの目的を叶える為だけに、マヤは生かされ続けている。それが、本心からの(・・・・・)、彼自身の想いではないのに、そうせざるを得ないと自覚する。一種の強迫観念が、マヤの意識の深くまで刷り込まれていた。


 立ち上がり、敵を視界に収める。

 黄色いコートが目に入った。

 黒いガントレットに包まれた威圧的な拳が、すぐ目前に迫っていた。


「(なに――!?)」


 馬鹿な。

 何時の間に距離を詰めてきたというのだッ!?


「迅脚歩法。昔取った杵柄だ」


 剛風と共に、ガントレットが勢い良く突き出された。


「その動き、その蒼い瞳。貴様、肉体強化系のジェネレータ―かッ!?」


 吼えつつ、マヤは素早く身を捻った。攻撃をガードするのではなく、回避に転じたのだ。後方へ飛びすさって拳の一撃を躱し、地面に着地するやいなや、左腕を大きく振るい、手の中に握られていたカプセルを、地面に思い切り叩き付けた。マヤの血が封じられた、赤色の外殻をしたカプセルだった。今までずっとカソックコートの内側に仕込んでいた、必殺の呪具である。


 カプセルが割れて、中に閉じ込められていた銀色の血が、一気に弾け飛ぶ。地面という地面が、血生臭い呪詛の渦に呑まれて変性。波紋が生じたかのように大地がうねり、瞬きをする間もなく、頑強な茨の群れが地中から飛び出してきた。


 茨の群は蛇のように空気を切り裂きながら伸長し、再牙の全身に絡みついた。咄嗟に振り払おうとするが間に合わず、茨は嘲るように万力を発揮し、再牙の全身を縛り上げると、動きを完全に封じ込めた。


「(良しッ!)」


 マヤは両足を蝕む痛みに耐えながら、獣の如く疾走した。驚異的な脚力でビルの壁面を駆け上がり、再び地面へ駆け下りる。闇が広がる空間を、蜿々たる軌道を描いて走りながら、彼は次々にカプセルをばら撒いていった。叩き割れた数多のカプセルから血が驟雨の如く噴き出し、月光を浴びて優美に輝く。辺り一面が銀妖に満ち、死闘の舞台は完成を迎えた。


「這い出よ、鉄塊武人(クレイドル)


 峻厳なる呼び声に、大地が応じる。地面から沸き立つように現れたのは、黒き殺戮人形の群れ。鋼鉄鎧を纏いし、禍々しい悪意に満ちた武者の集団だ。


 殺戮の泥人形に瞳はなく、しかし確固たる意志は宿っていた。それは、マヤの意志と同期していた。眼前に立ち塞がる敵を必ず殺すという、冷酷極まる彼の意志と。


 自らが呼び出した人形たちの背後に陣取り、マヤは脳内で指令を下した。ほぼ同時に、鉄塊武人(クレイドル)らが獣のような唸り声を上げた。各々が手に刃を握り締め、颯爽と陣形を展開。天を覆い、地を這い、四方を囲んで、茨に囚われた再牙へ、猛然と襲い掛かる。


 万事休すか。常人なら、まず間違いなく死を迎えるであろう局面だ。だが、再牙は死ぬのを良しとしない。もとより、くたばるつもりなど毛頭ない。


 再牙の瞳に、闇夜に隠れた悪霊の本性を暴くかのように、蒼光が灯った。


 精神のギアを入れ替え、変性意識状態へ移行(シフト)


 願望へと至る手段が、あるいは既に手にした『あるべき姿』そのものが、現実世界で顕在化を遂げて――


征裁怒号の獣牙(ターミネイター)》が発動した。


 再牙の引き締まった筋肉が、反撃の躍動を始める。収縮と膨張を間断なく繰り返し、全身に絡みついていたアスファルトの茨を、木っ端微塵に吹き飛ばした。


 マヤの崩れた顔面に、驚愕が張り付いた。つま先から頭の先までを、戦慄が駆け上った。相手がどんな猛者であろうと関係なかった。


 未だかつて、この秀逸なトラップが破れた事はないのだ。たとえ、肉体強化系のジェネレータ―が相手であろうとも。それを易々と突破されてしまったのだから、彼の精神的ショックは計り知れない。


 造物主の激しい動揺がリンクしたのだろう。一糸乱れぬ統制の下にあった鉄塊武人(クレイドル)の動きが、一瞬遅れた。


 その一瞬を衝いて、再牙が素早く攻撃を見舞う。刹那的速度で距離を詰めて拳を振るい、切り裂くように蹴りを見舞い、立て続けに裏拳を放つ。


 時間にして、およそ五秒。十数体の鉄塊武人(クレイドル)を破壊するのに要した時間だ。全て、一撃の下に叩き潰した。尋常ならざる膂力であった。


「ちぃッ! なら、これでどうだッ!」 


 マヤが負けじと左腕を振り抜く。手から幾つかのカプセルが放たれ、近くのビル壁面にぶつかって、割れた。中から大量の血が溢れ、灰褐色の壁面に染みをつくり、大爆発。甚大な爆炎の豪嵐が、鉄骨を砕いてビルを崩す。


 マヤの能力。その真骨頂。ビルの外壁全面が血の呪いを受け、高威力の点火式爆弾へ変性したのだ。


 離れた所で見守っていた琴美とエリーチカが慌てて退避したのに合わせるかのように、地割れが起こり、凄まじい圧撃音が到来した。大量に次ぐ大量の瓦礫の雨を周囲に降らし、ビルが鋭く傾いて倒壊する。再牙の真上に。実に正確に。


 瞬間、大気が爆発し、空震が沸き起こった。衝撃で周辺ビルの窓ガラスが全壊。瀑布のように吹き荒れる粉塵。崩壊の連鎖に包まれる周囲のビル。言葉にするのも躊躇われるほどの、悲劇的惨状だった。


 やがて、時の経過と共に粉塵濃度が下がり、視界が明瞭になっていく。


「決まったな……!」


 勝ち誇るように胸を膨らませ、マヤが喜々として呟いた。晴れた視界の先に、出来損ないの古墳のような姿をした瓦礫の山と、深い亀裂が刻まれたアスファルトの大地が現れた。


 再牙の姿は、どこにも見当たらなかった。影も、形すらも、気配すらも感じられない。


 口元を歪ませ、マヤは勝利を確信した。アスファルトの茨を筋肉操作だけで破壊したのは眼を疑ったが、こうなってはどうしようもあるまい。奴を押し潰したのは、十五階立てのビルだ。重力加速度を伴った凄まじい力の奔流には、能力者と言えども、耐えられる訳が無いと信じ切っていた。


 しかし、マヤの見立ては全く外れていた。


 瓦礫の山と化したビルの中心が、前触れも無く一気に弾け飛んだ。まるで、内側に仕掛けられていた大量の爆薬が、一息に作動したかのような破壊だった。


 三百六十度、全方向に容赦なく吹き飛ぶ、瓦礫と粉塵の波飛沫。たまらず、左腕のみで上半身をガードした途端、マヤは、ぞっと背筋を震わせた。


 腕や脚を掠めて飛んでいく瓦礫から、荒れ狂う生命の波動を感じたからだ。殺したはずの敵の、生命の波動を。


 さっきまで自信に満ちていたその表情から、見る見るうちに余裕が無くなり、鬼気迫る形相となった。汗腺という汗腺から、恐怖と畏れの汗が噴き出すのを、一体誰が止められようか。


 空間が、更に強く鳴動する。マヤは、己の心臓の鼓動が早くなっていくのを自覚したが、どうする事も出来なかった。ただ黙って、目の前で起こって欲しくない事が起ころうとしているのを、愚かにも見守ることしか許されない。


 瓦礫という瓦礫が、内側から発生した巨大な力の奔流に揉まれては、木っ端微塵となって周囲へ激しい衝撃と共に拡散していく。


 その最中、マヤの視界にそれは映った。瓦礫の山を押しのけながら、竜巻の様に風を巻き起こす巨大な一本の黒い鞭と、その鞭を操る再牙の姿を。


 長大な黒鞭は、再牙の右腕から伸びていた。右腕を包む暗黒色のガントレットが――使用者の精神状態に応じて形状を変化させる、精神感応鉱物(エスプリ・ロッシュ)の武装が、今この時、その潜在能力を発揮したのだ。


 小高い丘の様に積み重なっていた瓦礫をあらかた一掃したところで、鞭の役目は終わった。掃除機のコードを巻き取るように、あっと言う間にガントレットへと取り込まれていく。


 呆けたように一部始終を見守っていたマヤを、再牙が眼光鋭く睨みつける。強固な意志宿す蒼き瞳が、斃すべき敵をしっかりと見据えていた。闘志は依然として揺らめき、立ち消える気配はない。何としたことか。彼は十五階立てのビルに押し潰され、頭や体の至る所から血を流してもなお、こうしてしっかりと生きている。


「ひっ……!」


 それまで感じた事のない、魂が凍えるかのような恐怖に気押されて、マヤは本能的に後ずさった。


 再牙は、怯える彼を気にも留めない。全身から流れ出る血すらも、意に介さない。ただ、悠然と歩みを進めた。一歩一歩、噛み締めるように。靴底が地面を叩けば叩くほどに、彼の命の火花が、激しく散り咲いては消えていく。


「貴様……その血の色は――」


 驚愕に眼を見開き、何かを言いかけるマヤ。されども、それ以上を口にすることは叶わなかった。再牙が迅脚歩法で間合いを一気に詰め、マヤの顔面を、ガントレットに包まれた左の剛腕で、思い切りぶち抜いたからだ。


 肉が、肉に衝突したとは思えぬ轟音が鳴った。人が人を叩いた時に出る音ではなかった。しかしながら、再牙の拳に撃たれたマヤの身体は宙で面白い様に回転し、爆発的な力で、したたかに地面へ叩き付けらたのだ。


「答えてもらおうか」


 攻撃をまともに喰らい、意識が朦朧としかけたマヤの襟首を掴んで引き起こし、語りかける。


「ダルヴァザの本当の目的は何だ。貴様らのボスは……バジュラの真の狙いは何だ。何を考えて、こんなこと(・・・・・)をしているんだッ!?」


 悲痛な叫びだった。バジュラの名を口にした再牙の表情は、苦痛に満ちていた。尋問をしている割には、彼の視線はマヤではなく、更に奥へ向けられているようだった。過去に追いやった記憶と対峙し、その中に答えがあるのではないかと、必死にもがいているようにも思えた。

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