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アナザポリス・オリジナル-怪力乱神幻瞑録-  作者: 浦切三語
第七幕 魔血の贄/邪神降臨
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7-4 兄妹無惨

 兄が向けてきた悲痛な眼差しを、忘れる事なんて出来なかった。


 いつになったら、この戦いは終わりを迎えるのか。散らばる骸を前にして、ネコミミのゴスロリ少女は重い溜息をついた。右手に握られた金色のタクトを繰るのをやめてから、既にそれなりの時間が経過していた。


「(もう、戦いたくない)」


 月は雲に呑まれ、チャミアの顔に増々濃い影を落とした。


 今更、人殺しに抵抗を覚えた訳ではない。人は生まれ持った業を背負わなければならない。やれと言われれば平然とやる。今までもそうしてきた。けれども、一人で人を殺すのには慣れていなかった。それは少女の幼い精神性に、多大な負荷をかけていた。普段の習慣からは、余りにも逸脱が過ぎていたせいだ。


 殺し方を忘れた訳ではないし、深い後悔の念に押しつぶされようとしているわけでもない。それなのに、チャミアの魂は疲弊していた。


 兄姉達が……マヤがいつも傍にいてくれたから、チャミアは人を殺すことが出来たのだ。彼がいたから今日まで生き永らえてきた。それは間違いなかった。マヤと一緒にいると、不思議と自分に自信が持てた。


 勿論、『訓練』と称される任務の遂行中に何度か失敗したこともある。だが、優しい兄は自分を決して責めたりしなかった。大丈夫だ。そう言って優しく頭を撫でて励ましてくれた。心地よい温もりだった。血濡れた兄妹間の確かな親愛がそこにはあった。


 チャミアの両手は血に濡れていた。粘り気の強い血だった。足元に転がる都民や機関員の亡骸は無残を極めていた。肉が四方に弾け、原型を全く留めていない。それは『遺体』というよりも『死骸』と定義した方が正しかった。


 ジェネレーターとしてのチャミアの能力。《蘇生乱造(チャイニーズ・メイド)》は土地に根差した力である。その土地で死んだ人間を地上に呼び寄せる。死者には、触れれば相手の神経を麻痺させる毒を放射し、爆発炎上する力が宿っていた。手に握られた金色のタクトは、召喚した彼らを統制する道具(ツール)である。


 造りの荒い死者の人形。チープな亡者爆弾。標的を惨たらしい死に貶める、無邪気な鎮魂歌。死者を蘇生し、新たな死者が創造され、彼女の足元に平伏していく。チャミアの能力が《殺戮遊戯(グロテスク)》の中で一番残酷だった。死者の尊厳を弄ぶという点において、彼女の能力に勝るものはなかった。


 それでも彼女自身、別に何とも思ってはこなかった。彼女にとって大事なのは、能力云々ではなく、マヤに褒められるかどうかという点だけだった。マヤはチャミアの憧れであり、誰よりも愛している存在だった。


 そのマヤが、悲痛な眼を自分に向けてきた。


 思い出す度、叫びたい衝動に駆られた。脳裡に過る兄の痛烈な視線が、少女の小さな胸を燃やし尽くすかのように侵し続けた。この『卒業試験』に臨む前、マヤに問われた。本当に、いくのかと。チャミアは、ただ黙って首を縦に振った。即ち、頷いたのである。


 仕方が無かった。考えに考え抜いた結果だった。決められた運命を克服し、自由を勝ち取るには、それしか選択肢がないと思い込んだ。


 不安はあった。でも、他にどうすればよかったというのだ。マヤと共に都市の外へ出たい。その目的を成就するには、こうして死体の山を築き上げる他に、手段が無かった。


 チャミアは想った。マヤ兄は最後まで、私みたいな出来損ないの妹の身を案じ続けていたのだろうと。あの悲痛な眼差しの奥には、憂愁の感情が込められていた。


 行くな――そう、訴えかけているように思えた。茜屋罪九郎の思惑に従う事を、彼は最後まで良しとしなかった。そしてまた、もう一つの目的を成し遂げるために、最後までアジトに残留したのだろう。


「(私だって……)」


 本当は嫌だ。あんな、あんな得体の知れない科学者の指示に従う事は。生みの親であっても、彼は自分たちに愛情を注がず、ただの兵器として扱ってきた。罪九郎への反骨心は、チャミアだって抱えていた。


 それでも、結局は抗えなかった。人造生命体(ホムンクルス)として生まれてきた業を、彼女はついに捨て去ることが出来なかった。だから、ここにこうしているのだ。


「(マヤ兄、大丈夫かな……)」


 空を仰ぐ。黒々した雲が見える。


 一人の、造られた少女の命運を予知するかのように、重く垂れ込んでいる。


 数日前、暖かいベッドの中で、マヤは囁くように言った。『卒業試験』を前に悲哀を吐露したチャミアを励ますようにして、口にした。『大丈夫だ。安心しろ。俺が、何とかする』と。少女は今でも、あの時のマヤの言葉を信じ続けている。


 マヤが何をしようとしているのか、チャミアは薄々感づいていた。止めて欲しいと口にしても、彼は聞かなかったろう。それほど、マヤの決意は固かった。眼を見れば分かった。自分も、残ればよかった。残って、彼の力になりたかった。しかし、願いを叶えようにも、事態は余りにも進み過ぎていて、彼女の手から遠く離れていた。


 無事に、事をやりおおせているのだろうか――


 チャミアはふと、足元の死骸を見た。


「あ――」


 飛び散った脳漿。砕かれた肋骨。ぱっくりと割れた腹部。濁った粘い血。それらが、どういう訳だろうか。チャミアの不安に苛まれた心境を映すかのように、敬愛する兄の死を想起させる。


 意識した途端、彼女の力は意味と価値を変遷させた。


「あ――あ――」


 それまで何とも思ってこなかった自身の力が、急に忌まわしいものに感じられた。呪われし力。希望なき運命を定義する力のように思えた。己が魂の奥底から穢れているような存在に思えて、ならなかった。脅迫じみた悪寒が、背筋を走った。


 逃げたい。


 もう、いやだ。


 何もかもが、耐えられなかった。


「チャミアか?」


 その場を離れようと踵を返しかけたところで、チャミアは確かに耳にした。

 兄の声を。冷たく響くマヤの声を(・・・・・・・・・・)


「マヤ兄ッ!?」


 振り返って、歓喜に満ちて叫んだ。しょげかえっていたネコミミが、息を吹き返してピンと立つ。瞳から溢れる涙を拭う暇さえ惜しい。意識するより先に、体が勝手に駆け出していた。


 既に、マヤの魂は別のなにか(・・・・・)に置き換わっているのに、悲しいかな、チャミアは気が付かなかった。兄が無事に帰ってきた。その事実を受け止めるのに精一杯だった。彼女がマヤの異変を看取出来なかったのも、無理ないことだった。


「良かった。無事だったんだねッ!」


 チャミアは身を投げだすようにして、マヤに抱き着いた。黒いコートがごつごつしていて、ちょっと痛い。が、そんなのはどうでも良い。今は、愛しい兄の温もりを、その小さな身体で存分に味わいたかった。


 暫くマヤの胸に顔をうずめていたチャミアだったが、ふと、顔を上げて鼻を啜った。その可憐な瞳はまだ、涙に濡れている。


「心配してたんだよ? そ、それで、アイツはどうなったの?」


「アイツ?」


「とぼけないでよ。茜屋だよ。殺ったの? 殺ったんだよね? だからここに来たんだよね? あたしたち、もう自由の身になれたんだよねッ!?」


「チャミア、他の奴らはどうした?」


 マヤの声は冷え切っていた。うっとおしそうにチャミアを体から引きはがし、再度尋ねた。


「おい、他の奴らは……キリキックやスメルトはどうしたと聞いてるんだぞ?」


「え……あ……」


 口ごもる。様子がちょっとおかしい。しかし訝しむよりも先に、チャミアは口を開いていた。きっと茜屋を殺した余韻のせいで余裕が無いのだろうと、言い聞かせた。だったら仕方がない。兄の心労を労わるのも妹の務めだ。


「みんな、死んじゃったよ……残っているのは、私たちだけだよ、マヤ兄」


 ARCL(アークル)が映し出す疑似視界情報を脳内で()て、チャミアは答えた。


「……あれ?」


 違和感が湧き上がる。

 マヤの質問に対する違和感だ。


 ARCL(アークル)は兄姉の全員が装着している。それぞれのARCL(アークル)は同期されており、互いの生命活動が常時監視できる仕様になっている。マヤが弟妹たちの動向を知らない筈がない。知っていて口にしたのか? いや、そんな意地の悪い事を聞くような性格の持ち主ではない。


 チャミアの知るマヤ・ツォルキンという人物は、そんな人ではない。


「マヤ兄……どうしたの? ねぇ、何だか……おかしいよ?」


 疑念が渦巻く。

 チャミアはやや距離をとって、兄の様子を伺った。


「そうか、全員、死んだのか」


 マヤは、チャミアのことなど見ていなかった。

 死んだような青い唇を開き、実に投げやり気味に言葉を放った。


「中途半端な結果になったな」


「え?」


「あいつら、もっと働くかと思ったが、どうやら買い被りが過ぎたかな。たかだか機関員如きにやられるとは。情けない。愚図な馬鹿共め」


「――!?」


「だが、まあいい。チャミア、お前は何人殺した? お前の能力は、この俺でも恐ろしいと感じる程だからな。結構期待しているんだぞ。さぁ、教えてくれ。何人殺した? 」


「……」


「おい、頭のネジが吹っ飛んでるのか? 何人殺したんだ。答えろ。本当に、毎度毎度世話が焼けるな、お前は。どうしようもない妹だよ」


「あなた……誰ッ!?」


 疑念が確信に変わると同時、チャミアは身の危険を感じて後方へ跳んだ。さっきまであったはずの親愛の感情は、完全に瞳から消えていた。今は、恐ろしさと憎しみと恨みの念が込められていた。止めどない怒りの感情もあった。


 気づくのが遅すぎた。こいつは兄の姿をしているが、兄ではない。


 彼は決して、兄弟を愚弄する言葉は口にしない。


 ましてや、死んだ彼らを侮辱する科白を吐くことなんてしない。


 私の事を、『どうしようもない妹』だなんて、絶対に口にしない。


 この男は、マヤではない。


 マヤ・ツォルキンではないッ!


「誰……なのかだって?」


 青く死んだ唇が、邪なる気配を灯して歪んだ。唇の隙間から、悪意の込められた嗤いが毒ガスのように漏れるのを、チャミアは機敏に感じ取った。マヤの姿をしたマヤではない何かが、その薄気味悪い瞳を向けてきた途端、少女の胸中に一切の光を拒絶する暗黒の風が入り込んできた。


「兄の顔を忘れたのか? マヤだよ。お前の大好きな兄さんだよ」


「嘘……嘘よッ! 答えなさいッ! 本物のマヤ兄は何処にいるの!?」


「何を勘違いしているんだ。とにかく、落ち着くんだよ、チャミア」


「その姿で、あたしの名を口にするなッ!」


 小さな身体が弾け飛ぶのではと思うくらいの怒声だった。頭の先からつま先まで、猛烈な感情が体中の血管を駆け巡った。迷いは無かった。力強くタクトを振り上げ、死者の召喚に移る。


「喚くな。小娘」


 コンマ数秒、マヤが動くのが早かった。四方より鞭がしなり、チャミアの四肢を絡め取ったのだ。衝撃で、チャミアの手からタクトが落ちた。


「兄に牙を剥くとは……つくづく、残念な妹だよ」


 マヤの足元には、何時の間にか銀色の血池が出来ていた。彼の体から垂れ落ちた血だ。四本の硬質な鞭は、その血だまりから伸びていた。呪詛の込められた鈍く光る銀血が、何の変哲もないアスファルトの地面に染み込み、形状を変性させていた。恐るべきは、《巨獣殺しの大血界(インビクタス)》の発動スピードであった。


「お仕置きだ、チャミア。せいぜい、あの世で死んだカス共と仲良くやってろ」


 チャミアは見た。こちらを冷たく一瞥する、マヤの姿をした怪人の獰悪な眼を。狂気に彩られた得体の知れぬ貌から、目が離せなかった。


 壮絶な眼をしていた。チャミアが、何かを叫ぼうと口を開いた。漏れたのは言葉ではなく、赤々と汚れた液体だった。両腕と両足に鋭い痛みを覚えた前後で、彼女の意識は昏倒し、奈落の底へ落ちていった。


「ふぅむ……しかし、驚いたな。キリキックやスメルトも殺されていたとは」


 四肢をバラバラに砕かれ、達磨と化した妹の横でマヤはひとりごちった。たった今、その手で妹をひどく嬲ったというにも関わらず、彼は平常心を保っていた。彼の魂と精神性が茜屋罪九郎の手で完璧に支配されたことの、何よりの証明だった。彼の心に兄弟達の死を弔う想いなど、もはや一欠片さえ残されてはいなかった。


 生贄が足りない。マヤは困ったように頭を掻いた。チャミア一人を殺しても補えるものではない。もっと多くの死が必要だった。肉と血と脳漿の贄が切り札を呼び寄せる。哀哭と、生への執着と、決然と横たわる死の実感こそが、都市陥落には必須だった。


「仕方がない。網を張るか」


 チャミアの血と己の血が混じって広がった銀の血池を踏み越えて、マヤは先を急いだ。彼の昏い瞳が捉えたのは、曇天を貫いてそびえ立つ白き巨塔だった。




△▼△▼△




 地下の惨劇を乗り越えた琴美とエリーチカは、互いに手を繋いで千代田区一番の大通りを走っていた。通りに人の気配はなかった。中央分離帯に埋め込まれた受送電クラスタのランプが、寂しそうに明滅を繰り返し続けている。


 ひっくり返った電気自動車や脚が折れた多脚式戦車の残骸が、都市で勃発している戦況の酷さを物語っていた。離れたところから銃の発砲音が聞こえる。それよりも幾分か大きい戦闘の残響音も、琴美の鼓膜を十分に揺らした。


「見えてきましたよ、琴美さん」


 エリーチカは顎をしゃくり、前方へ視線を向けるよう琴美を促した。先ほどからずっと走り続けているというのに、彼女の呼吸は僅か程も乱れていない。


 アンドロイドが体内に飼っているナノマシンは優秀だ。それは、人間の臓器や代謝機能以上の働きをする。活動に必要なエネルギー量を、必要な時、必要な分だけ生成・貯蔵できる。アンドロイドは疲労感とは無縁の存在だった。


「ほんとだ……ようやく……だね」


 息を滅茶苦茶に乱れさせ、琴美はしかと見つめた。白き衣を纏う巨大な尖塔。蒼天機関(ガルディアン)の本拠地。彼女らの希望の丘。塔の壁面は、警告灯により一部が赤く輝いていた。その周辺には小型の風力機動偵察機(エアロコプター)や《レギオン》が待機している。


「もう少しですよ。さ、頑張りましょう」


 エリーチカの励ましに琴美は黙って頷いた。走るたびに肩から下げたショルダーバッグが跳ね、中身が躍る。今日の昼頃に秋葉原のショップで購入したナノカンが、ちゃぷちゃぷと音を立てているのが煩わしい。


 両者手を取り合って走っていると言うより、琴美がエリーチカに引き摺られていると言った方が正しかった。琴美の体力は、限界をとうに超えていた。あちこちの筋肉が悲鳴を上げている。千代田区の地下シェルターからこの大通りまで、足を止めずにずっと走ってきたのだ。


 距離にして、およそ三キロ。普段から運動慣れしていない琴美にしてみれば、これ以上の苦痛はない。だが各種交通機関が封鎖されている今、頼れるのは己の足しかないのも事実だ。


 汗が滝の様に流れ、心臓が破裂してしまいそうなほどに脈動している。乳酸が溜まりに溜まり、全身が鉛のように重い。固い地面を靴底が叩くたび、鈍痛が骨にまで響いた。もう一歩も歩けないと、何度口にしかけたか分からない。


 エリーチカは彼女を気遣った。依頼人の体調に気を配るのは、万屋の助手がすべき当たり前の義務であるからだ。ここまでの道中、彼女は何度も休憩を提案した。


 しかし琴美は、提案を呑むのを拒んだ。足を止めてしまったら、再び動かすのは不可能のように思えた。足を止めた途端、全身に溜め込まれていた疲れがどっと沸き、崩れる様に倒れ込むのは目に見えた。


 気力の勝負だった。絶対に立ち止まる訳にはいかない。意地が、少女の小さな体を衝き動かしている。逃亡を助力してくれた捜索屋の為にも、諦めるなんて選択肢は捨てた。


 生きなければ。


 何としても生きて、再牙の到着を信じて待たねば。


 それが、少女に課せられた使命。


 琴美が切り開くべき、運命の道しるべ。





 絶対に、生き残るんだ――





 すぐ傍に建っていたビルが突如として崩壊したのは、そんな決意をした矢先の事だった。


「危ない」


 エリーチカが咄嗟に機転を利かせ、琴美を覆い隠すようにきつく抱きしめると、その場にしゃがんだ。崩れたのは三階建てのビルだった。ビルは巨大な何かに横殴りにでもされたかのような、盛大な破壊のされ方をした。ひしゃげた鉄骨が砲弾のように通りに転がり、ガラスのシャワーが二人の全身に降り注いだ。


「大丈夫ですか?」


 こんな緊急事態に遭遇してもエリーチカの言葉には感情がなかった。どころか、表情もいつも通りに鉄仮面。それでも、彼女が真に琴美の安否を気遣っているのは、守られた琴美自身が身を以て理解していた。


「ええ、なんとか……エリーチカさんは?」


「私の体表皮は特殊な金属繊維で出来ています。これくらいのハプニング、強度的に全く問題ありません」


 視界に立ち込める濃い粉塵の波が少女らを包み込んだ。エリーチカは眼球に搭載された多面式光学受容体の感度を上げた。《メカニカル・サンガン》を実行した彼女の視界に死角はない。上下に加えて前後左右、あらゆる方角を精査する。三重の縞模様が浮き出たその瞳で、彼女は見た。崩れたビルの他にもう一つの、別の何かがあるのを。


「あれは……」


 汗まみれの口元を拭って立ち上がった琴美にも、それは見えた。晴れ行く粉塵の向こう側に仰向けで横たわっていた。機械で編まれた、巨大な機関砲を背負う赤い蜘蛛が。


「多脚式戦車……」


 それは幻幽都市が誇る最新鋭の軍事兵器であり、都市が危機に脅かされた時にのみ姿を現す。乗り手の代わりに、高度な人工知能を搭載された無人の牙。自分で考え、自分で決断する、威圧的な独立の執行者。


 だが、無残だ。赤い機械蜘蛛の八脚のうち、六本が折られている。だけでなく、何か鋭い物に穿たれたかのように土手っ腹に大穴が空いていた。それが人為的に負わされた損傷であることは琴美にも理解出来た。


「琴美さん、気を付けてください」


 急に、エリーチカの態度が変わった。腕を横に出し、琴美を守るように盾になる。彼女の両眼に搭載されたメカニカル・サンガンは、多脚式戦車の折れた脚の近くに注がれていた。


 黒い人間がいた。余りにも黒すぎて、夜の闇の中で浮いて見える程だった。


 黒いブーツ、黒い軍用パンツ、黒いカソックコート。顔もまた、黒いフードで覆われていた。体格の良さから推測するに、男であるのは間違いなかった。


「ほう」


 男は折れた多脚式戦車の脚に体を預けるような体勢で、網に掛かった二匹の蝶を見つめた。一人はアンドロイドだ。ARCL(アークル)の検索機能を使わなくとも、マヤは雰囲気で察した。旧式のアンドロイドであろうと。規格のギミックしか装備していないのなら、特に問題は無い。


 残るもう一人は――


「ただの小娘、か」


 マヤ・ツォルキンの漆黒の瞳が、少女らの意識を穿った。

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