6-13 白炎魔瞳 その1
村雨は、己が一瞬、息をするのも忘れていた事に気が付いた。目の前に突如として現れた敵の姿は、それだけ凄まじい衝撃として、彼の目に映り込んだ。
敵は二人。男が一人、女が一人。あの醜い軍鬼兵とは異なる、れっきとした人間の姿をしている。
血化粧が施されたドレスを軽やかに着こなす金髪美女の佇まいも中々の迫力だが、村雨の視線は、女の傍らに立つ異様な風貌の男に釘付けになっていた。
左腕に移植されたギロチン型機械製義手。荷電粒子を漲らせるチェーンソー型機械製義手に挿げ替えた右腕。ファイバー・アーミーパンツに覆われた頑強な下半身も、筋肉の鎧に覆われた浅黒い上半身も、顔面に深く掘られた電子タトゥーの上で踊る0と1の幾何的模様に至るまで、その全てが、戦いの為にあるようなものだった。
「村雨パイセン」
七鞍が、普段とは打って変わって神妙な声を出し、男の首から乱雑にぶら提がっているペンダントを指さした。
「おい……まさか、それはッ!」
途端、村雨の顔に驚愕が張り付き、やがてそれは怒りの感情となって、男へと向けられた。その反応を面白がるかのように、男が哄笑を浮かべる。
「んあぁ、これカ? ついさっき、そこの大通りでぶっ殺した奴が身に着けてたんでなァ。戦利品として、かっぱらったって訳ダ」
ワザとらしく、男が見せびらかすようにして首を左右に振った。その動きに合わせて、ペンダントが頼りなく宙を舞う。ウロボロスと鷺を組み合わせたレリーフが彫金されたそのペンダントは、権威の失墜を暗喩しているのか、所々が欠け、灰に汚れ、赤黒い血を吸っていた。
――君たちのような優秀な部下を持てて、私も鼻が高いよ。
村雨の脳裏に、上官の声が反響した。細胞の一つ一つが、熱を持つ感じだった。憤怒の形相を浮かべ、一遍の迷いも躊躇いも無く、雄叫びと共に一直線に突っ込んだ。血濡れの大男――キリキック・ビューに向かって。
武器と武器が真っ向からぶつかり合う。重撃音が激しく轟いた。片方は、超硬性セラミック・ブレード。もう片方は、禍々しいギロチン型機械製義手を得物にして。
「貴様……よくも……ッ!」
「悔しいカ? 悔しくて悔しくてたまらないカ? なら、それでいイ」
鍔迫り合いの最中、キリキックが冷たい瞳の奥に、怒りを燃やす。
「俺達が大切な弟を亡くしたようニ、お前も、大事な人を失うべきなのサ。そうでもしなきゃ、不公平だろうガ」
セラミック・ブレードの一撃を左腕で受け止める形でいたキリキックが、反撃に転じる。腰と左腕に力を溜めると、力任せにブレードをかち上げたのである。
「なっ……」
衝撃的な光景であった。村雨の腕力は迦楼羅の倍力補正により相当引き上げられているにも拘らず、あっさりと破られてしまった。思いがけない反撃を受けてバランスを崩し、すんでの所で村雨はたたらを踏んだ。
そこへ、右腕を頭上高くに振り上げたキリキックの一撃が襲い掛かる。高音で唸るチェーンソー。荷電粒子の放電がもたらす眩いばかりの蒼光と共に振り下ろされたその一撃を、村雨は辛うじて受け止めた。セラミック・ブレードの刃身を上向きにし、ブレードを背中に背負い込むような形で。
重い。ひどく重い一撃だ。
恐らくは、体重百二十キロを超えるキリキックの全体重を乗せた振り下ろしが、村雨の全身に圧し掛かる。
日頃から手頃なチンピラを相手取っているのが仇となったか。村雨は、目の前に君臨する強敵の力を目の当たりにし、冷や汗をかかずにはいられなかった。
超硬性セラミック・ブレードの頑丈さのお蔭でこうして受け止めていられているが、それもいつまで持つか分からない。ブレードの柄を固く握る左腕に、鈍い痛みが延々と伝わる。まともに喰っていたら、いくら迦楼羅を装備しているとはいえ致命傷は免れない。そう確信してしまうほどの鬼気迫る一発だった。
高機能性強化外骨格の《迦楼羅》には高レベルの絶縁耐久性が備わっている。そして、得物であるセラミック・ブレードは伝導率が限りなく低い。故に、ひとまずは荷電粒子による感電の心配はないと見て良い。それでも、キリキックが放った渾身の一撃をまともに受けきってしまった事で、村雨の足元は三センチも地面に埋没してしまった。
それこそが、キリキックの狙いだった。
「(くそっ! 足回りを封じられた……ッ!)」
焦ると同時、明後日の方向から鋭い視線を感じる。ふと見ると、少し離れた位置で、女――パック・ルブタニアことルビーが、右手の平を自身の顔に押し当て、人差し指と中指の隙間から、こちらを覗き込むように見つめている。
思わず、村雨はルビーの瞳を見つめてしまった。紅蓮の炎を圧縮して封じ込めたかのような、燃え滾る瞳を。その瞬間、これまで感じた事もない程の恐怖感が、村雨の全身を強烈に嬲り始めた。
死。
その一文字が、今まさに彼の全身を徹底的に焼き尽くそうとした時のこと。
けたたましく村雨の耳元をつんざく、機銃の連射音。
口より発射されし無数の弾丸がコンクリートの地面を歪に抉り、追い縋る様にしてルビーへと迫る。咄嗟に後方へステップを踏み、ドレスの裾を翻らせて、ルビーはこれを回避した。
「やらせませんよー」
間延びした、しかしどこか冴え冴えとした響きすら感じる声。銃撃の主は、七鞍朱美だった。義手を武装化させたのだ。
攻撃の手は緩めない。七鞍は機銃形態と化した右腕の肘を左手で支えながら、自身の体細胞を素材に造り出したバイオマグナム弾を、一心不乱に打ち込んでいく。
七鞍の目元は相変わらず眠たそうなままだが、その瞳からは、これまでにないほどの力強い光があった。短期決戦。一気にこのまま、蜂の巣にしてやろうというのか。
だが、そんな彼女のやる気に反して、弾丸は掠りさえしない。。
「(まだまだね)」
ルビーが胸中で嘲った。七鞍の、やる気のなさそうなその見かけとは裏腹に繰り出される、実に攻撃的で獰猛で、何者をも寄せ付けない連射撃。勢いがあると言えば聞こえはいいが、ルビーの瞳には、後先を考えない無計画な攻撃にしか映らなかった。
だから、容易かった。
己の身を穿たんと襲い掛かる弾丸の嵐。
その全てを、『炎やして浄化させる』なんてことは、実に――
「簡単、実に簡単よ」
舞踏をするかの如く身を躱しながら、ルビーはARCLの『弾丸予測機能』を起動させた。彼女の視界上に、赤い光線が幾条も表示される。弾丸軌道の予測線に他ならない。
続けて、きつく奥歯を噛み締めた。脳の奥で、機能片が効力を発揮するのが分かる。ルビーが脳内に埋め込んでいるのは、体感時間を緩慢化させるという、希少効果を宿した機能片だった。
彼女はここに至るまでの所作を一秒と掛からず終えると、視界に映る赤線と、ゆっくりと直進してくる弾丸に意識を集中させた。それだけの動作で、ルビーの攻撃は完了を迎える。
「む……ッ!」
不満げに顔をしかめ、今度は七鞍が後方へ退いた。ほぼ間を置かずして、炎上と爆発が眼前で巻き起こる。
爆発したモノ。それは、七鞍の右腕から発射され、今まさにルビーの命を狩ろうとしていた、弾丸そのものだった。
「なんと……」
僅かに目を見開き、ぼそりと呟く。それを驚愕の反応と読み取ったルビーが、冷たい声色で囁いた。
「オリジナルの魔眼保持者を相手にするのは、これが初めて?」
図星だった。七鞍は歯噛みしつつも、何も言い返せないでいる。だが、仕方ない。天然の魔眼保持者など、希少種も良い所だ。こうして直接目にする事自体が珍しい。
魔眼保持者。分類上では、ジェネレーターに属する彼らの異能。その根源は全て、名称の通り『眼』に由来する。対象物を見つめ、軽く意識を向けるだけで、その強大な力は現実のものとなる。
「(見つめた対象物を『炎上』させて、更に『爆破』させる魔眼か……)」
七鞍が予想した通りだ。ルビーの《炎浄眼》は何の捻りもない、シンプル極まる魔眼である。燃やして、爆破させる。それ以上でも、それ以下でもない。精神干渉系の魔眼と比べると、攻撃パターンは絞られる。
だが、ただ一点。『殺し』というその一点において、これほど単純且つ絶大な威力を誇る魔眼もない。何せ無条件且つ特定の動作も無しに、相手がどんなに頑丈な防具を身に着けていたとしても関係なく、『見つめて』しまえば、一瞬で灰の山を築いてしまうのだから。
そこで、七鞍はふと思った。
どうして、さっさと自分たちを燃やさないのだろうか、と。
あれだけの力、それも天然の魔眼を宿しているのなら、なぜ早くそうしないのか。
「直ぐには殺さないわよ」
七鞍が抱いた疑問に答えるかのように、ルビーが言った。
「アハルが味わったのと同じ絶望感と屈辱を、貴方たちにもたっぷりと味わせる。じっくりと、時間をかけて殺してあげる。でなきゃ私は、自分の心に折り合いを付けられない……ッ!」
「その通りだゼ、ルビー」
キリキックが、全身に力を込めながら答える。村雨は依然として、怪物じみたチェーンソーの攻撃から抜け出せていない。頭より高い位置から繰り出された攻撃に、押し込まれてしまっている。単純な力比べにおいては、キリキックに軍配が上がっていた。
「食事と同じサ。大好きな食べ物は、じっくり咀嚼してから飲み込むに限ル。なぁ、あんたもそう思うだろウ? 名も知らねぇ機関員さんよォ」
「ぐっ……」
チェーンソーが空気を切り裂き、激しく戦慄く。蒼白い火花を散らす回転刃を、村雨は首元ギリギリの位置で、超高性セラミック・ブレードで受け止めるので精一杯だった。
その表情には、確かに苦悶の色が見てとれた。体勢もやや仰け反り気味になってしまっている。不利な状況にあることは、日の目を見るよりも明らかだった。
時間の問題だ。このままでは、確実に二人とも殺される。
道を切り開かんと、七鞍は再び右腕を構えた。脳内にコマンドを下し、内部機構を一瞬にして再構成。銃口が六十ミリのそれへと変換され、ニトロマグナム弾の弾雨を浴びせる。
だがこれも、ルビーにしてみればどうってことない攻撃だった。彼女の視界に入った時点で、弾丸は本来の目的から外れ、跡形も無く爆破された。
七鞍は、攻撃を止めなかった。狙いをルビーだけに定め、機銃形態の右腕を突き出し続ける。しかし、どう頑張っても炎浄眼の壁を破れない。爆破と爆炎が周囲に弾け、七鞍の纏う迦楼羅に、あられ大ほどの火の粉がかかる。
「何度やっても無駄なのよ。それが分からないのかしらねぇ」
馬鹿にするかのようなルビーの言葉もお構いなしに、七鞍は命令に従う愚直なアンドロイドのように、弾幕を張り続ける。相も変わらず、芸の無い攻撃を続ける目の前の少女を忌々しく思いながらも、ルビーは休む間も無く炎浄眼を駆使し続けた。
一秒間に数十発以上発射されるニトロマグナム弾が、次々と燃え、爆裂し、灰と化していく。
燃え盛る怒涛の炎と、地面を揺らすかのように轟き渡る爆音。それらは互いに混じり合い、融合し、規模を段々と大きくしていく。
爆炎は周辺の廃ビルも、離れた所で剣戟の応酬に追われている村雨とキリキックをも飲み込む熱のカーテンとなって、ルビーと七鞍の間に分厚い炎と黒煙の壁を形成した。
完璧なカーテンだった。相手の姿が視認できない程の。
そしてそれは、七鞍が『本当の反撃』を披露するのに、絶好の舞台だった。
七鞍が、再度右腕の構成を変化させる。
スムーズな動作でその銃口から放たれたのは、一発の白い弾丸。
それは、助燃剤を内包した弾丸だった。
炎のカーテンに跳び込んだ白色の弾丸は、まるで水に溶ける墨汁の様に、周辺の空気を一変させた。
劫、と熱が爆ぜる。
これまで以上に巨大で、そして暴力的に。
「なっ――」
ルビーが驚きから目を見開く。助燃剤の投下を受けて轟々と襲い来る炎と火の粉の舞を前にしては、さしもの魔眼保持者も退がるしかなかった。
視界が赤き熱に塞がれた中、ルビーは咄嗟に相棒の名を必死に叫んだ。
「キリキックッ!」
呼びかけに答える様に、爆炎の中から姿を現したキリキック。あれだけの爆発の最中にいたというのに、彼の屈強な肉体は、火傷の一つも負ってはいなかった。
「ちくしょウ……」
キリキックは、ルビーを火炎から守る様にして彼女の前に立った。が、直ぐに前かがみ気味の姿勢になり、顎から垂れる汗もそのままに、荒く息を吐く。どうやら爆発から脱出する際に、多少の爆炎を吸い込んでしまったらしい。
しかし、彼の瞳には依然として生気が漲っている。恐ろしい、野獣の如き眼光である。その凶悪な顔相からは、先ほどまでの余裕たっぷりな表情は消え失せていた。
今のキリキックに出来るのは、遠くを睨みつけるようにして目線を彼方へ送り、じっと爆炎が止むのを待つことだけだった。
三十秒が経過した。そして一分後――霧のように立ち込める硝煙が、突如として吹き荒れる秋風に払われた。徐々に晴れていく視界の中、キリキックとルビー、どちらかが先に舌打ちをした。
彼らの視線の先には、誰もいなかった。
村雨も、七鞍も。
誰も、いなかった。
「逃げられたカ……」
キリキックは悔しそうに眉根を寄せて呟くと、首だけを回して、肩越しに立つルビーを見た。
「見てたカ?」
「……何をよ」
「あの角刈り野郎、こっちが爆発に気を取られて少し力を緩めた途端、俺のチェーンソーを弾き返して逃げやがっタ……ご丁寧に土産まで置いてナ」
そう言って、キリキックはわざとらしく、二の腕付近をルビーに見せた。浅黒い肌の上を、一筋の血が滴っていた。
これには、キリキックの強さを良く知っているルビーも、流石に唸るしかなかった。衝散性筋繊維が詰められたキリキックの肉体に傷がつくのを、ルビーはこの時、生まれて初めて目にした。
「奴ら、中々つぇぇゼ。舐めて掛かったら、こっちがやられるかもしれねェ」
「そんな事、言わないでよ」
視線を外し、ルビーは周囲の廃ビルを睥睨した。怒りの表情を滲ませて。
「……あのションベン臭いメスガキが、まさかこんな形で私たちの手から逃れるとはね」
美貌にそぐわぬ下品な言葉。彼女の本心から出たものだ。まさか《炎浄眼》の能力を逆手に取られるとは、彼女自身予想もしていない事だった。眉間に皺を寄せながらも、しかし、覚悟のある目をしている。
これは、自分たちに与えられた試練だ。ルビーはそう解釈した。アハルの力になってやれず、あまつさえ死なせてしまった自分たちが背負うべき十字架だ。共に、この卒業試験を乗り越えられなかったことの贖罪だ。
そして、彼女はこうも思った。
試練は、乗り越えられない者に、降りかかったりはしない。
キリキックは、吼えた。
腹に力を溜め、夜天高くに轟く裂帛の叫びを響かせて。
「殺るぜッ! 俺ァ、ルビー、俺ァ、殺ってやル! 殺ってやるんだッ!」
悔しさと憎しみの籠った眼から一転し、狂いの極みに満ちる。口角が歪み、顔面にはこれまで誰にも見せた事の無いほどの、欲望に塗れた凄絶な笑みが浮かんでいた。
「あの角刈り野郎、絶対にぶブチ殺スッ! 殺し甲斐があるぜありゃア。さっき細切れにしてやった部隊の奴らよりも、ずっと、ずっとなァッ!」
「だったら私は、あのメスガキを屠り去ってやるわ」
夜風に靡く金髪を手櫛でときながら、ルビーはキリキックとは対照的に悠々と答えた。
「骨の一片すら残してなるものですか。後に残るのは、赦しだけよ」
決意を秘めると、ルビーは胸の谷間から薬液入りの注射器を取り出し――勢い良く、自身の首筋に突き刺した。
△▼△▼△▼
「(助燃剤の分量、ちょっとミスったかも……)」
決死の逃亡を敢行した結果、無人のショッピングモールへと駆け込む事となった七鞍朱美は、そんなことを思いつつ入り口の方を振り返った。普段は滅多に見せない、他人を気遣うような視線を暗闇の彼方に送る。誰かが近づいてくる気配は、感じ取れない。聴こえるのは、遠くで鳴り響くサイレンの音と、人々の叫喚。それだけである。
「(村雨パイセン……大丈夫かなぁ)」
唐突に閃いた逃亡作戦が成功したのは良いものの、逃げる途中で、予想以上の爆風に煽られて村雨と逸れてしまったのは、七鞍にしてみれば大きな誤算だ。助燃剤の量を多めに生成してしまったのが、間違いだった。
「(でも、危なかった……あのまま何もしないでいたら……)」
今思い出しても、ぞっとする。まさか、こんな形で魔眼保持者と相対する事になるとは。魂の奥底にあるものまで燃やしかねない煉獄の瞳を思い出すだけで、背筋に氷を押し当てられたような感覚になる。
敵は、必ず追ってくる。それは間違いない。こんな形で逃げた自分たちを、許す筈がない。それでも、圧倒的な実力差を見せつけられて、七鞍は一旦撤退する道を選んだ。村雨がどう考えていたかは分からないが、少なくとも、あのままでは二人ともやられていたに違いない。
それほどの強さだ。見れば分かる。全身血に塗れ、それでも呼吸一つ乱す事無く自身の前に立ち塞がったあの姿を見れば、自ずと理解できる。だから、ここは一先ず引いて出方を伺うべきだと、七鞍はそう考えた。
「(でも……)」
逃げた所で、どう転んだところで、事態の変転には至らない。あの怪人共を何としても打倒しなければ、明日はない。
七鞍は腕時計を見て、時刻を確認した。長針と短針の組み合わせは、午後の九時半を指していた。さっき、村雨を通じて本部からの応援に関する連絡を聞いたのが九時十五分くらいであったから、あと十五分後にやってくるという事になる。
「(十五分……かぁ)」
深く溜息をつくも、七鞍は気持ちを素早く切り替え、今の自分に何が出来るかを考えた。恐らく自分を殺そうとやってくるのは、あの血濡れのドレスを纏った魔眼保持者だろう。七鞍は、確信めいた思いでいた。
ルビーの顔を見た時、七鞍は女の勘を働かせて気が付いた。
あれは、実にプライドの高い女であると。
だからこそ、きっと彼女は自分を許さない。持ち味の魔眼を逆手にとった戦法で尻尾を巻いた自分の逃走行為は、彼女の虐殺心に火を点けること間違いなしであると、七鞍は思考した。
《炎浄眼》の攻撃の最も恐ろしい所。それを、七鞍は先ほどの銃撃戦でこれでもかというくらいに思い知らされた。
「(見つめただけで燃やすかー。本当に、本当に面倒くさいですね。でも……)」
この施設内でなら、十分に戦える。
フルフェイスヘルメットの暗視スコープを使って視界を確保した七鞍は、目の前に映る光景を見て、自身を発奮させた。
七鞍が偶然にも逃げ込んだ、その八階建てのショッピングモールは、練馬区で一番の規模を誇る商業施設であった。幸いな事に、ここはまだ軍鬼兵による凌辱を受けてはいないようだった。電気が止まっている為に、施設内は濃厚な黒と冷気に満たされている。
七鞍は、改めて周囲を一瞥した。入口から入って直ぐの所にある一階部分は、化粧品と服飾品の売り場であった。展示スペースに立ち並ぶディスプレイ商品の数々と、洒落た衣服を着させられたマネキンだけではない。製品PRの為に天井に設置された立体映像装置もそうだし、通路の奥にある試着室に掛けられたカーテンのシミまで見える。視界は、実に鮮明極まっていた。
良い場所だ。これだけの障害物を盾にすれば、あの火炎の一撃だって防げるはず。七鞍は右腕を機銃形態にしたまま、身を屈めて隠れそうな場所を探し出した。
入り口から一番離れた奥の試着室手前まで来たときだ。
ARCLのバイタルサインが、突如として強まり出した。
「(きたッ!?)」
七鞍は目敏く大通り沿いのショーウインドーに目をやった。瞬間、そのガラス張りの飾り棚が一瞬にして粉微塵に吹き飛んだかと思いきや、とてつもない威圧感を纏った『何か』の姿が、目の前に跳び込んできた。
「見つけたわよ」
ゆらり、と立ち上がったそれの姿を見て、七鞍は絶句した。右腕の機銃を構えるも、果たして効くのかどうか。
この、非常極まる肉体を前にして。
「ぐっちゃぐちゃのメタメタにしてあげる。メスガキが、魔眼保持者に勝てる訳がないでしょうがッ! このド間抜けがッ!」
全身の筋肉という筋肉、骨という骨が異様なまでに肥大化したパック・ルブタニアが、赤い眼光を湛えて突進した。




