6-12 狂夜に魔人と遭遇す
淡い月夜。遠くで紅蓮に染まる叢雲。光子元素を求めて奇紋蝶が飛び交う、廃墟と化した練馬区の商店街。瓦礫とガラス片に満ちて灰色に染まる道という道を、二台のバイクが疾走している。後を付かず離れず、一定の距離を保持してついて回る《レギオン》が二つ。
生きている人は殆ど見当たらない。多くは呪工兵装突撃部隊練馬支部の地下シェルターに避難していた。それ以外の人々は、崩れた家屋に取り残されているか、軍鬼兵の餌食になってしまったのだろう。
「この辺りはもう、あらかた避難したのかもしれませんねー」
眠たそうな目つきで周辺に目を光らせつつも、ハンドルを巧みに操り、全身で風を切り裂きながら、フルフェイスヘルメット越しに七鞍朱美が間延びした口調で言った。すぐ隣を並走する村雨了一も「そうだな」と同調する。
あと数日後には呪工兵装突撃部隊立川支部への異動があるというのに、まさか直前になってこんな惨事が巻き起こるとは。村雨も、そして七鞍も、思いもしなかった。
事件が発生した当初から、村雨も七鞍も感じていた。この騒動は、恐らく長引くであろうと。何か明確な根拠があった訳ではない。只の直感と言われればそれまでだが、しかし街のあちこちで暴威を振るう軍鬼兵の奇怪さと対峙する度に、益々その思いは強くなっていった。
彼らの予感は的中している。
練馬支部の面々で協力し合い、住民の救助に尽力した。チームワークの良さが功を奏したか、何とか大多数の人々を地下シェルターまで誘導する事は出来た。それでも、軍鬼兵が宿す驚異的な自己再生機能のせいで、敵の進軍を止められるまでには至っていない。
今、支部の面々は四方八方に分かれ、逃げ遅れ、取り残されている区民がいないかどうかの調査に当たっている。村雨と七鞍も、また然りだ。
「楽観的な考えは控えめにしろよ、七鞍。まだ取り残された人たちがいるかもしれない。ARCLは使っているな?」
夜に溶けるマフラーの轟音に負けないくらいの大声で、前方へ視線を向けたまま村雨が問う。七鞍も同じく、大声で、しかしこの状況にありながら、どこか余裕のある声色で応じた。
「もっちろんっすよー、バイタルセンサーはバリハリ稼働中ですよー。でも、箸にも棒にも引っ掛からないって感じなんですよねー。マジでみんな、避難完了してる可能性高いっすよー」
「そうか……」
「どうしますー? 駅前方面まで突っ切っちゃいますかー?」
「いや、駅前には支部隊長率いる仲間が十数人向かっている筈だ。俺たちはもう一回、この辺りを徹底的に洗い出そう」
カーボン製のハンドルを固く握り締め、村雨は毅然と言った。その目つきは冷静そのもので、的確な判断を下そうという意志が感じられる。
しかしながら言葉とは裏腹に、村雨の心は今、燃え滾る怒りで一杯だった。
幼少期の頃から育った街の、変わり果てた姿。崩れたビルにアパート、マンション、馴染み深い商店街。七鞍にせがまれて無理やり連れて行かれた、高級ブティックの巨大なディスプレイミラーまでもが、粉々に破壊されている。
大通りのあちこちで見かける、折り重なる様に焼け焦げた死体の数々。裏路地に至るまで荒らされ、破壊され、見るも無残な光景へと変えられた世界。練馬区を心の底から大事に想っている村雨にしてみれば、これほどまでに凄絶な拷問は他にない。
バイクに跨る彼の胸に去来するのは、憎しみしかなかった。かといって、憎しみに身を預けてしまっては本末転倒である。ましてや、自分は部下のいる身だ。部下の前で、憎しみに我を忘れて暴れるなどという醜態を晒す訳にはいかなかった。
理性で無理やりにでも本能を抑えつつ、彼はバイクを走らせた。それは只のバイクではなかった。全体的に鋭利なナイフを思わせるフォルムをした、黒一色のフレームに覆われているそれは、とある『隠し玉』を有する軍用バイクだった。
前方から、何かが近づいてくる。フルフェイスヘルメットに装着された暗視スコープで確認すると、あの忌々しい異形の怪物集団が映った。
「出てきやがったな……」
一人ごちる。七鞍が村雨の指示を待たずに、ギアを上げて前に出た。何だかんだと言っても、それなりに息の長い二人である。ツーカーの間柄に近い。だから七鞍は、自分が何をすべきか把握していた。自分が今、村雨の為に何が出来るのかを。
喉奥から唸る、面妖な鳴き声。凶悪の代名詞とも言える赤く濡れた爪牙を振りかざして迫り来る軍鬼兵の群れを前にして、七鞍は一切の迷いを見せることなく、ハンドルから右手を放して軽く腕を振った。その瞬間、右腕として移植されている彼女の機械製義手が武装展開し、黒めく機銃へと生まれ変わる。
「邪魔だから、死んでくださいねー」
緩い口調とは真逆に、銃口から発射される弾丸の勢いは凄まじかった。弾薬の材料になっているのは七鞍自身の体細胞であるため、薬莢の排出はない。狙いも精度が高く、飛んで弾を躱そうとする軍鬼兵の頭部を、正確に撃ち抜いていく。
辛うじて弾丸を逃れた者も、七鞍の後に続く形で突進してくる村雨の餌食となる。村雨はバイクに跨ったままで、背中から引き抜いた超硬性セラミック・ブレードを縦横無尽に振るい、徹底的に切り裂いた。どろっとした緑色の血しぶきで顔が濡れようともお構いなしに。
息の合ったコンビネーションだ。だが、絶大なダメージを与えているにも関わらず。村雨の表情は渋かった。二人はとどめの一撃を加える事無く、只ひたすらに襲い来る軍鬼兵を撃ち抜き、切り刻み、前へ前へと進んでいく。
止めを刺さないのではない。刺せないのだ。軍鬼兵の攻略法が分からない彼らにとっては、これが精一杯の抵抗だった。
バイクに体を預けたまま、撃ち、斬り、撃ち、斬る。そうして三十体程斃した所で、視界が開けた。背中越しに、傷口の修復と部位再生を始める軍鬼兵の気配を感じる。
「本当に、しつこい奴らっすねー」
七鞍が苛立たしげに呟く。何時までも奴らに構っている場合ではなかった。七鞍はライダースーツの胸ポケットから指向性拡散式手榴弾GⅤを三個取り出すと、それを後方へ思い切り投げつけた。
手榴弾が、俄に再生を始めた軍鬼兵の群れの中心で盛大に弾けた。激しく周囲を燃やす爆炎。これで、多少の時間稼ぎにはなるだろうか。
「……もーっ!」
右腕を元の形状に戻した七鞍が、唐突に叫んだ。
「あたしたち、何時まで奴ら相手にこんな無様な立ち回りしなきゃいけないんですかーっ!」
「七鞍、少し落ち着け」
超硬性セラミック・ブレードを背中に背負った鞘に戻しながら、村雨が窘める。それでも、珍しく七鞍の怒りは収まらない。普段はひょうひょうとした態度を崩さない彼女だが、腐っても蒼天機関の機関員だ。自分が今まで過ごした街が汚される事に、並々ならぬ憤怒を感じていた。
「むかーッ! 本当に腹が立ちますよッー!」
「七鞍」
瓦礫の道を走破しながら、村雨が口にする。
「感情を吐き出す余裕があるなら、今は任務に集中しろ」
「……むーっ」
『村雨連絡隊長、聞こえますか? 応答して下さい』
村雨のフルフェイスヘルメットに装備された小型無線通信機器から、若い女性の音声が届いた。練馬支部のオペーレーターだ。バイクのスピードを緩める事無く、村雨は応答した。
「こちら村雨。どうかしましたか?」
『先ほど、統合司令本部から連絡がありまして、あと三十分程したら、そちらに応援を寄越すとのことです』
「応援って……大隊の人たちが?」
応援が来る。それも、蒼天機関の統合司令本部から。来てくれるのが大隊丸ごと一つなのか、あるいは一部の中隊のみなのか。それは分からないが、心強い事に変わりはない。
しかしながら、村雨は思った。なぜ『練馬支部』に応援を寄越すのだろうかと。確か、事件鎮圧に取り掛かった最初の方では、避難活動及び救助活動が進展していない区域を中心に大隊が派遣されるという話だったはず。
練馬区は、既に九十パーセント以上の避難率を達成している。それにもかかわらず、なぜ――頭に沸いた疑問をそのまま口にする。すると、オペーレーターか寄越してきたのは、意外な返答だった。
『実は、新目白通りに向かった部隊と、一向に連絡が取れないのですよ』
ざわりと、村雨の背中が総毛立った。
「まさか、支部隊長が率いている部隊の事を言っているんですか?」
『そうです。付け加えるなら、現場に連れていった《レギオン》からの映像通信も途絶えてしまっています。本部の話によると、付近に軍鬼兵とは異なる、電波妨害系統の能力を宿したジェネレーターがいる可能性が高いという事です。それで、事態を把握する為に、大隊の人を向かわせることになったようです』
「ジェネレーター……」
今回の事件では、あの奇妙な怪物以外にも何人かのテロリストじみた男女が混じっているとの情報が、本部よりもたらされていた事を村雨は思い出した。その中の一人が、新目白通りの近辺に潜んでいるとするなら――
「報告、感謝しますよ……あぁ、そうだ。今、七鞍と移動中なんですけど」
「はい」
「俺たち二人の現在地を《レギオン》を介して本部に送ってください。大隊との合流時に、相手が何処に待機しているか分からなくなったら、笑えませんからね」
「了解しました」
「お願いします。それと、報告ありがとう……おい、七鞍ッ!」
無線を切ると、隣を奔るバイクに向かって言う。
「迦楼羅を纏えッ!」
「はーい」
「はーいじゃないッ! 『ウィルコ』と言えと何度言ったら……」
「はいはいー。うぃるこー」
面倒くさそうに間延びした声を出しながらも、七鞍は周辺に注意を向ける。これと言って目立つ障害物はない。七鞍は軍用バイクのスピードを緩める事なく、ハンドルを強く手前に引くようにして握り込んだ。
フロント部が青白く発光し、瞬く間に変形を開始。フレームの至る所がパーツ毎に裏返る。ハンドルが、トランスミッションが、タイヤホイールが、サスペンションが、パワーユニットに内蔵された制御コンピューターの構造変遷指令に従い、その用途を変えるべく重々しい機械音を鳴り響かせ、七鞍の全身を余す所なく藍色一色の装甲でに包み込んだ。
バイクを駆ったままの姿勢から形態変化に至ったため、現時点における七鞍のスピードは時速百キロを下回ってはいない。その状態から今度は地面への着地体勢に入る。
背面部から突起物の様に生える四対のマフラーから勢いよく排気熱が上がり、慣性補助機能を起動。ほぼ同時に、脚部、腹部、首を分厚く覆う装甲に内蔵されている空気抵抗軽減補助機構と、各パーツに備わったジャイロセンサー及びオートバランサーが起動する。
足底が瓦礫と激しく擦れて、茜色の火花が散る。変形を開始してから百メートルほど進んだ所で、七鞍朱美の両足は完全に地面を掴んだ。
軍用バイク《トルーパーZACE》に搭載された『隠し玉』。戦術的移動を可能とする軍用バイクでありながら、スイッチ一つで使用者の肉体に絶大な補正効果を与える、高機能強化外骨格《迦楼羅》への変形を可能とする。
「一体どーしたんですかー?」
自分と同じ装着工程で迦楼羅を纏い、スピードを完全に殺して地面に着地した村雨を横目で確認しつつ、七鞍は相も変わらず眠たそうな声で尋ねた。
「練馬支部から連絡があった。新目白通りにいる部隊と、連絡が取れないそうだ」
「新目白通りって」
ぐるりと、後方を確認して七鞍が言う。
「この先を行ったところじゃないですかー。何なら、この目で確かめに行くってのもありですけどー」
「話を最後まで聞けよ」
村雨は周囲に軍鬼兵がいないかどうか確認しながら、七鞍を引っ張って近くの廃ビルの陰へと移動した。
「いいか?」
村雨は人差し指を顔の前で一本立てると、難しそうな顔を浮かべる七鞍に向かい、オペレーターから聞いた情報を伝えた。
それによると、新目白通りで発生している異常を突き止める為に、統合指令本部に待機中の大隊を練馬区まで引っ張り出す。到着は、三十分後。
「だったら、ここで大人しく大隊との合流を待つのが得策だ。向こうにはこっちの居場所を《レギオン》を通して伝えてあるから、合流不可、なんてことになりはしない」
「その間、こっちは何をすればいいんでしょうねー?」
「決まっている」
村雨が、おもむろに両手を組んだ。
「俺の能力で、今、新目白通りで何が起こっているのか探って――――いや、待て」
神妙な表情になる村雨。彼の眼球に装着したARCLの視界でバイタルサインが反応を示している。オシロスコープが見せる波形のように波打つそれは、波長の強度から言っても微弱なもの。しかしそれは間違いなく、この荒れ果てた駅前通りのすぐ近くで逃げ送れた何者かがいることを如実に表していた。
波形の強度から言って、生命反応は間違いなく弱っている。うかうかしている暇はなかった。村雨は七鞍を連れて、バイタルサインと連動して随時更新される擬似視界情報マップに注視しつつ、救助の為に足を運んだ。
暗視スコープのおかげで難なく辿り着いた。さっきまで村雨達が身を隠していた廃ビルと、目と鼻の先にある、崩れた五階建てマンションの一階だ。上空から巨大な鉄塊でも突き落とされたかのように鉄筋がひしゃげ、見るも無残な形状となっている。
しかし、バイタルサインを発している主の姿を発見した村雨には、マンションの惨状に息を呑んでいる暇なんて無かった。
マンションの一階部分に相当していたと思しきひび割れた壁に、死んだように体を預けている一人の女が、暗視スコープ越しに確認できた。それが、村雨のARCLに表示された、バイタルサインの主に他ならなかった。
女は奇しくも、村雨や七鞍と同じ高機能強化外骨格迦楼羅を纏っていた。唯一違うのは、フルフェイスヘルメットの半分が砕け、顔の左側が露出しているという点のみ。砕けた部分から明るい金色の長髪が覗いていなければ、女であるかどうか、見分けがつかなかっただろう。
暗視スコープを切り、村雨と七鞍は腰に廻したアーミーベルトから軍用ライトを取り出し、照らした。ライトの青白い強発光が照らし出したその顔を見て、村雨も七鞍も、思わず息を呑んだ。
女の顔に、見覚えがあったからだ。
「お前……杉沢……か?」
同じ練馬支部に勤める同僚の名を、村雨は呟いた。返事は無い。村雨は慌てて駆け寄り、彼女の体を労わる様にして抱き寄せた。後に、七鞍が続いた。
「杉沢ッ!? おいッ! 大丈夫なのかッ!? しっかりしろッ! 杉沢ッ!」
「……う……」
杉沢、と呼ばれたその女性機関員は、村雨の必死な呼びかけにうっすらと瞼を開けると、聞き取れるかどうかのぎりぎりの声量で反応を見せた。
「……村雨……連絡隊長……」
「待ってろよッ! 直ぐに応援部隊が来るッ! それまで何とか――」
「に、逃げて……くださ……みんな……でくのぼうに……なる……」
たったそれだけだった。それだけを口にすると、杉沢の瞳から光が消え、それきり、何もしゃべらなくなった。
「でくのぼうに……なる……?」
「……なんなんでしょうかね」
腕の中で冷たくなっていく同僚の死に心からの悼みを覚えながらも、村雨と七鞍は、彼女が最期に言い残した言葉に、妙な引っ掛かりを覚えていた。
「おい見ろヨ、ルビー。まぁだいたゼ」
この場に似つかわしくない、実に粗野な大声。
村雨と七鞍ははっとして、声のした方を振り返った。
敵がいた。それも、実に異様な風貌の敵が。
「二人だけみてぇだガ……なぁに、関係ないねェ。アハルの弔いの贄になってもらうには、一人でも多い方がいイ。だよなァ?」
顔面に十字形の電子タトゥーを刻んだ、上半身が裸の大男。その分厚い胸板と太い両腕には、大量も大量の返り血の痕がある。
「ええ、そうね。こいつらもやっちゃいましょう、キリキック。愛しい愛しいアハルの為だもの」
応えるのは、大男の隣に立つ美貌の女。ルビーと呼ばれた女だ。女の両眼からは、なんとも例え難い闘気が溢れに溢れている。
「……!?」
ルビーの服装を見て、思わず村雨は超硬性セラミック・ブレードを引き抜き、構えた。続いて七鞍も、迦楼羅に包まれた右腕を変性させ、機銃形態を取る。
キリキックが、凄絶な笑みを見せた。
「いいねェ、背中を見せない辺りが実にいいゼ。だがよォ、よぉく覚えておけヨ。これは戦いじゃなク、俺たちの一方的な虐殺なんだって事をよォ!」
虐殺の義手から、青白い熱光が眩いばかりに迸った。




