6-11 終結者の指摘
「板橋区、江戸川区、品川区、豊島区、共にインフラ・エラーが修復されていきます。他の地区についても同様です」
「電脳部隊より入電。ヴェーダ・システム普遍階層のデータ修復、完了しました。現在、特級攻性防壁によるプロテクトをかけている模様です」
オペレーターの一人がそう報告したのを皮切りに、緊張感に満ち満ちていたオペレーション・ルームのあちこちで、安堵の溜め息が漏れ出した。
仮想世界崩壊の危機は過ぎ去った。それを確信した今、誰もが緊張の色を解すのは当然の事だ。仮想世界は幻幽都市における『第二の世界』であり、個人情報管理技術において、なくてはならない存在なのだから。
「浮かれるな」
司令台の上から、機関長・大嶽左龍の檄が飛ぶ。
「まだ現実世界の混乱は依然として続いている。もう少しだ。ここが踏ん張りどころだぞ」
あちこちから、明瞭な返事が届く。オペレーター達の切り替え具合も大したものだ。いや、それとも機関長の檄が効いたのか。いずれにせよ、皆居住まいを正して、再度、現場の状況を把握するのに勤しみ出した。
再びの緊張感に包まれた中、大嶽は思い出したように、一人のオペレーターへ向けて声を上げた。
「板橋区、江戸川区、品川区、豊島区の避難状況はどうなっている?」
「はい。現在の所、四区ともに避難率は七十パーセントまで到達しています。人型二輪駆動機による避難活動の効果が大きいかと」
「引き続き、阿難陀隊、目連隊の面々には現地での救援活動を優先するように連絡しろ」
「承知しました。それと、すみません」
オペレーターは、何か言いにくそうな表情で大嶽を仰いだ。五年間も機関長という重要職に就いていれば、自然と部下の顔色を見ただけで、大体何を考えているのか判別がつくようになるものだ。大嶽は、オペレーターの顔色から少しだけ、『危機感』にもにた何かを垣間見つつ、尋ねた。
「どうした?」
「実は、新目白通り付近の《レギオン》からの通信が、一切途絶えているんです」
「新目白……練馬区か」
「付近に展開中の空挺艦からも、一切の連絡がありません」
「ふむ……」
報告を二、三聞いただけで、大嶽は大体の当たりをつけた。ヴェーダ・システムが回復したにもかかわらず《レギオン》からの通信が途絶えているということは、敵側に通信電波を阻害する能力を有したジェネレーターか、あるいは兵器を持つ者がいるということだ。
「あのベヒイモスじみた怪物以外に、テロリストが何人か紛れ込んでいたな」
殺戮遊戯の面々の事だ。彼らの姿は、今回の騒乱が始まって直ぐの時点で、蒼天機関によって存在が確認されていた。流石に個人個人の名前までは分からなかったが、匂う。
恐らくはあの面々の中に、新目白通りで起こっている異常事態の核がいるのだろう。
「練馬支部とは繋がるか?」
「ええ、そこは何とか」
「こっちから直ぐに応援部隊を出すと伝えろ……夜生」
突然自分の名前を呼ばれたことで、大嶽の隣に付き従っていた女剣士こと、副機関長の夜生真理緒は、若干驚き気味に反応した。
「な、なんでしょうか」
「聞いての通りだ。直ぐに練馬区へ向かえ」
「あ、いや、あの、しかしそれは……」
何かを口にしようとして吃る部下を横目で見つつ、大嶽は苦笑交じりに指摘した。
「さっきから、柄を握る手が震えているぞ」
「あ……」
思わぬ所で心中を指摘され、夜生は何も口にすることが出来なかった。「すみません」と、平身低頭で大嶽に向き直る。
夜生は我慢がならなかったのだ。己自身の不甲斐なさに対して。司令塔である大嶽の補佐を、十分に全う出来ていないことを自覚していた。それは、指令権限が大嶽に移ってからずっと、彼一人でこの喧騒渦巻く中枢部を仕切っていることからも分かる。
副機関長という立場にありながら、自分は芥ほども機関長のお役に立てていない。其れを薄々感じつつもはっきりと当の本人から指摘されたことに、顔から日が出るほどの恥ずかしさを覚えた。
大嶽もまた、夜生の胸の内を十分に察していた。彼も他の機関員同様、夜生の本領は前線にあると常々感じていた。戦場の現場におけるカリスマ性は、寧ろ彼女の方が自分よりも上だとさえ思っている。
「気にするな」
軽やかな口調で言う。
「お前の刃は、籠の中で腐らせとくものじゃないだろうに」
その一言で、沢山だった。それは、優れた剣術の才能を宿しながらも、それを余る所無く発揮する機会からは遠く離れた場所に身を置かざるを得なくなった彼女の心情を慮る、大嶽なりの最大の激励だった。
「行ってこい」
「……はいッ!」
軍隊式の敬礼の後、失礼します。そう一言口にして、夜生は総司令本部を後にした。その直後である。
「あ、機関長。ええと、その」
一人のオペレーターが指令台の方を振り仰ぎ、報告する。さっきのオペレーターと同じく、こちらも歯切れが悪い。しかし、先程のような危機感を、大嶽は彼から感じなかった。
それはどちらかというと、面倒臭いクレーマーに当たって難儀している、コールセンターのオペレーターが見せる表情に酷似していた。
「文京区に出撃していた舎利弗隊から、入電です」
口から出たのは、かなり面倒な性質のクレーマーだった。
これには思わず、大嶽も渋い表情になる。
「……善鬼か」
「はい。あの、いかがいたしましょうか」
「……奴の事だ。無視するわけにもいかんだろう。繋げ」
「承知しました」
オペレーターは頷いて、手元のマンマシンインターフェースを操作し、文京区に飛ばしている《レギオン》の映像情報を送信許可する。壁面スクリーン一杯になって現れたのは、
『オイゴラァァァァッッ! 大嶽ェェェッ!』
怒号と唾をまき散らしながら、ダミ声で《レギオン》のカメラの向こう側で威嚇する、イカツイ刺青を顔面全体に施した一人の青年であった。
マイクを通じてオペレーション・ルームに響き渡る大声。驚きと青年の人相の悪さに当てられて、何人かのオペレーターが「ひっ」と小さな叫びを上げる。さしもの大嶽も、これには煩そうに眼を瞑った。
「マイクの音量を落とせ」
「は、はい……」
『って、オイコラ聞いてんのかテメーはよォ!』
「言われなくても聞こえている」
『だったらさっさと出ろっつってんだよゴラァ。さっきっから《レギオン》越しにずぅーーーーーーっと喋りかけてたんだぞぉ? なのに出ねーって、なんだコラ。どーいうつもりだコラ。寂しいだろうがコラ』
「さっきまでヴェーダ・システムに異常が発生していたんだ。そのせいで、《レギオン》の通信が混雑していて、連絡が届かなかったんだ。こちらの事情も察してくれ」
『はぁ? んだそれ聞いてねー……っておい、ヴェーダ・システムに異常だと? 大丈夫なのかよそれ』
眉間にこれでもかと皺を寄せていた舎利弗隊大隊長・水喰善鬼は、一転して眉根を下げて心配そうな表情を見せた。この緊急時においても、普段通りの感情の波の激しさを覗かせる部下を見て、大嶽は、どこか奇妙な安心感を覚えた。いつも通りの彼だった。
「既に電脳部隊が対処済だ。だからこうして連絡出来たんだろうが」
『あ、それもそうか……』
顎に手をやって一人ブツブツと何事かを呟きつつ、善鬼は《レギオン》のカメラ位置からやや後方へ下がった。顔だけでも派手だというのに、壁面スクリーンに映り込んだ彼の戦闘服には、じゃらじゃらと装飾類が至る所からぶら下っている。見た所、大隊長特注の警邏服を独自に改造しているようだった。まるで、一昔前に流行ったソーシャル・ゲームキャラの、最終進化形態を彷彿とさせる衣装である。
大嶽が、嘆息気味に尋ねる。
「お前、高機能性強化外骨格はどうした?」
『あんなもん邪魔だから着てねーよ。俺様のイカした警邏服が隠れちまうしな。そんなことよりも報告があるぜ、大嶽ェ』
へへっと、善鬼は先ほどまで滾らせていた怒りを何処かへ置き去りにしてかのように、実に自信満々といった風体ではにかむと、言った。
『文京区、全区民の避難誘導終了したぜぇ。文京支部の奴らも、あらかた無事だ。ついでに邪魔だったから、あのクソ気持ち悪いベヒイモスモドキの怪物達も、一匹残らず掃除してやったところだ』
オペレーション・ルームに騒めきが波紋のように広がった。未だ現時刻を以て、各大隊から避難誘導完了の連絡は一つも報告されていない。少なくとも、目の前で得意げに笑っている、この極悪人面の大隊長を除けばである。
「《終結者》……やっぱり、ズバ抜けてる……」
水喰の二つ名を呟き、オペレーターの一人が感嘆とも驚愕ともつかぬ声を出した。大嶽も、全く同意見である。事実、彼の働きぶりを見れば誰もが、二つ名に劣らぬ働きぶりだと讃えるだろう。
「そうか。御苦労だったな」
労いの言葉を掛けてやると、水喰は実に調子の良さ気な声色で応えた。
「なぁーに。この俺様の手に掛かれば、こんなもん朝飯前よ。てか、もう三十分程前に誘導は完了していたんだがな。《レギオン》の不具合のせいで、報告が遅れたって訳だ」
「状況は把握した。しかし……一つ気になる点がある」
『ああぁ? なんだよ、俺様のやり方にケチつけるって訳かぁ?』
「なんでそうなる。聞け。お前、どうやってあの怪物達を倒したんだ?」
なんだそんなことかと、善鬼はツンツンに逆立てた金髪を神経質気味に弄りながら、問いかけに応じた。あの怪物とは、言うまでも無い。軍鬼兵の事である。
『まぁ確かに最初は手を焼いたわな。何せ、腕を引き千切っても足をもいでも頭ちょんぎっても、あっと言う間に再生しちまうんだから。でもよ大嶽、ジェネレーターたる俺の能力が何なのか、知ってるよなぁ?』
知っている。過分なまでに知り尽くしている。
「《貫通悪/黄金暴喰怪腕》。背中から多数の黄金色の触手を生やし、触れた相手の『熱量』を奪い取る能力……端的に言えば、そんなところだったな。それがどう関係してくるんだ」
『大ありなんだよなぁコレが。奴らにしてみりゃ、まさに俺は天敵だったという訳だ。俺の触手でちょいと撫でてやった途端、奴ら、粟を喰ったようにして倒れ込んだのさ。そこを思いっきりぶちのめしてやったんだ。するとどうだい。奴ら、ちっとも再生しやしねぇじゃねぇか』
「間違いないのか?」
『嘘ついてどーするよ?』
大嶽は考え込んだ。彼にしては珍しく、険し気な目つきで足元を睨んでいる。
熱量とはつまり、エネルギーそのものだ。この惑星に生きとし生ける者全てが生命活動をする上で必須となるエネルギー。それが熱量だ。その点について言えば、軍鬼兵もその法則の範囲内の生物である。
暫くして、大嶽は口を開いた。
「つまり、あの化け物の再生機能の源となっているのは熱量で、奴らはそれを糧に再生機能を実現させている。奴らの全身から一気に大量の熱量を奪う攻撃方法でもなければ、奴らの再生機能は封じ込められない。そういう事か?」
『そういう事になるだろうなぁ。恐らく、細胞同士を摩擦させて、恒常的に熱エネルギーを生み出したりでもしてんじゃねぇのか?』
「突拍子過ぎる考えのような気もしますけど……」
オペレーターの一人が呟いた独り言が、マイクを通じて善鬼へと伝わる。しかし、彼は特段不快な顔をしたり、粗野な反応を見せなかった。代わりに、困ったように頬を掻く。
『名前も知らんオペレーター、確かにあんたの言う通りかもな。でもよぉ大嶽、オマエと話していて、そう言えばふと思い出したぜ』
「何をだ?」
『確か今年の頭くらいに、全工学開発局の連中が、遺伝情報出力装置《GOT》とナノ細胞改編機器《NCPM》を開発したよなぁ? あれで合成したミクロスケールの生物式ナノマシンをちょこっと見させてもらったことがあったんだ。予め、生物式ナノマシンに傷をつけて、ある特定の条件下で電気信号を与えてやると、これが見事に自己修復機能を発現させやがったんだ。なんだか、あれに似ている気がしないでもねぇんだよな』
「それは、つまり……」
超高再生。その単語が頭を過った時、大嶽は何か重大な事実に気が付いたかのように顔を上げ、壁面スクリーンに映る善鬼の顔を見た。
善鬼は粗暴な性格をしているが、決して頭の足りない男ではない。寧ろ、専門外の事にまで首を突っ込み、貪欲に知識を吸収する性格の持ち主だ。彼の言葉には、ある一定のリアル感があった。
不老不死の実現に取り組んでいる全工学開発局が、超えるべき関門。それが『不死』の実現である。その第一段階として、遺伝情報出力装置《GOT》とナノ細胞改編機器《NCPM》は開発された。この二つの装置で合成された生物ナノマシンは、今はミクロスケールでのみ、自己修復機能……超高再生の発現が確認されている。
もしも、善鬼の言葉が的を射ているとしたら、あの怪物達は全工学開発局が未だ到達していない高いレベルでの超高再生を実現している事になる。マクロスケールでの自己修復機能は、未だにどの研究機関でも確認されていないのだから。
「(敵方に、優秀な覚醒者がついている可能性が高いな……とすると、あのベヒイモスに類似した怪物達は、覚醒者の手で人工的に製造された生物兵器ということになるが……)」
まだ憶測であるがゆえに、明確な判断は下せない。しかし、調べる価値は十分にある。大嶽は威勢よく声を張り上げ、オペレーターに指令を下した。
「機関創設時から今日に渡るまでの、全工学開発局及びそれに準じる公的機関と、関係する民間企業に所属していた経歴を持つ研究者の中で、出奔履歴のある者や不可解な経歴がある者を、徹底的に調べ上げろ。時間が惜しい。最優先事項で取り掛かれッ!」




