6-10 彼女には魔眼が似合う
数値に変換された人の死ほど、無味乾燥なものは無い。
何処か遠い異国の地で戦争が起こり、何十万という数の人間が死んでも、デジタル映像を介して届くそれらの情報が示すのは、何十万という人が死んだという『かたち』だけ。
近場の踏切に車が突っ込んで誰かが一人死んだ場合でも、同様の事が言える。ニュースを通じて世間に伝播するのは、人が一人死んだという『かたち』だけだ。
ネットワークを通じて流される死人の数が多ければ多いほど、高度な悲劇性を生むわけではない。ましてや、少ない場合は言うまでもない。我々が人の死を情報として受け取った時、まず感じるのは無風である。心がさざ波立つことも無い、全くの無風状態となる。
デジタル化された死に心が揺さぶられるなんて事は有り得えない。あってはならない。もし数値化された『死』が人の心に影響を及ぼすとするのなら、そんな精神的に不便な生き物が、今の世まで子孫を残し続けられる訳が無い。
殺戮遊戯のメンバーの一人、パック・ルブタニアことルビーは、常日頃からそんな事を考えていた。
夜天の幕が降りた幻幽都市。炎に包まれる街並み。大地は悪鬼の唸り声で鳴動し、迸るは虐殺の嵐。軍鬼兵や他の兄弟達の手で人々が殺されている様をARCL越しの瞳で観察しながら、彼女は思った。
こうして目の前で積み上げられていく無残な死体の数々も、直ぐにデータ化されて電子情報誌のトップを飾るのだろう。馬鹿馬鹿しい話だ。数値化された人の死に意味なんてないのに、なんでそんな事をするのだろうか。
ほんの五分ほど前まで、彼女は己の主張の正当性を、改めて確信していた。即ち、デジタル処理された人の死に、意味も価値もないのだと決めていた。
けれども、今は違う。
今、この時、ルビーは嗚咽を漏らして苦しげに涙を流していた。崩れたビルの物陰に潜みながらARCLの視界情報に表示された数字を見て、女は頬を濡らし続けた。無様な姿である。普段の妖艶さは、露ほども見受けられなかった。
「アハル……そんな……どうして、あなたが……」
口に手を当てがい、切れ長の瞳が赤く濡れるのも気にせずに、ルビーは泣き続けた。角膜に張り付けられたARデバイスが非情にも突きつける現実に、彼女の精神は、はち切れんばかりの悲鳴を上げている。
疑似視界情報が投影するバイタルサインの消失と、表示された『20:38 殺戮遊戯 生体状態:死亡』の文字群。その下に白文字で列記されているのは、彼女の愛すべき弟の名前だった。
ああ、そうか――嗚咽を必死に堪えつつ、ルビーはふと思った。
自分は間違っていた。
人の死が重要なのではない。
『誰が死んだか』と言うのが重要なのだ。
死んだ人の数に意味を求めていたのが、そもそも間違っていたのだ。
「アハル……アハル……」
ルビーは拳を握り締め、哀しみで身体を震わせた。そんな時である。頭部に埋め込まれた通信型の機能片を介して、聴き知った男の電子音声が、脳裡に流れたのは。
〈ルビー〉
電子の声の主は、殺戮遊戯きっての暴れん坊。《黒きジャグワール》の次男坊たる、キリキック・ビューであった。心なしか、彼の声もどこか震えている。彼もまたルビーと同じく、アハルの死を既に知ってしまったのだ。
〈ルビー、アハルの野郎ガ……〉
〈ええ、分かっている。分かっているわ。キリキック……〉
〈ちっ……っくしょォ……ッッ!〉
無念の気を言葉に孕ませたキリキックの怒声が、ルビーの脳内で響いた。顔は見えずとも、彼が今、どれほど慚愧の念に満ちた表情を浮かべているか。ルビーには、手に取る様に分かった。彼女もつい先ほどまで、愛すべき弟の死を前にして、鬼女のような相貌を浮かべていたのだから。
〈アハル……あんな、あんないい奴が、なんで、糞ッ! どうして、どうしてなんだよルビーッ!〉
〈キリキック。私も、貴方と同じ気持ちよ。どうして、どうしてアハルが……〉
〈許せねェ。ああ、糞。許せねぇヨ……ッ!〉
怨嗟の声を漏らし続けるキリキック。声に混じり、耳障りな怪音がルビーの脳裡に届いた。キリキックがその身に宿す武装の一つ・チェーンソー型機械製義手《ジェイソンG5》の細やかな刃が、迫り来る機関員の肉を切り刻んでいる音だ。
キリキックは戦いの最中で慟哭の叫びを上げ、仲間と連絡を取り合いながら、次々と死体の山を築き上げていた。それもこれも、ジェネレーターとしての彼が宿す奇怪な能力の賜物だ。能力を発動した彼の前では、集団はでくの坊と化してしまう。
〈キリキック、貴方、今どこにいるの?〉
〈あァ? 今何処にいるかだってェ?〉
鼻を啜りながら、キリキックは喘ぐ様にして言った。
〈練馬区ダ。新目白通りの七丁目だ〉
近いなと、ルビーは思った。
〈十五分後に、合流するわ。そっちで会いましょう、キリキック。貴方と私の二人で――〉
息を呑んだ後、ルビーは我慢がならなかったのか、頭の中で精一杯の叫びを上げた。
〈弔うのよ、アハルをッ!〉
言葉の意味を瞬時に理解したキリキックが、力強く言葉を返す。
〈やろうぜルビー。二人で殺すんダ。卒業試験を、二人で乗り切ってやろうゼ。アハルの分もよォ〉
〈ええ、そうね〉
〈殺ス。殺ス。殺してやルッ! 一人残らず殺してやルッ!〉
それだけ言い残して、通信は切れた。ルビーは重い溜息を一つ吐いて心を落ち着かせると、ビルの物陰から足を伸ばし、大通りに姿を見せた。
「動くな」
暗がりの中で声がした。次いで、足元を何かが掠めた。音からして、銃弾であろう。ルビーは即座にARCLの暗視スコープ機能を起動させて、銃弾が飛んできた方を見やった。
そこには、大通りを封鎖するような恰好で、暗視バイザーをかけた機関員が三名と、無人多脚式戦車が一基、砲門をこちらへ向けて陣取っていた。
三人の機関員はライフルを構えていた。だけではなく、生体電位信号感知による動作補助を行い、気液流動回路システムが装甲部に内臓された、高機能性強化外骨格シリーズの《天帝》をも身に纏っている。その立ち姿には、実に堂々としたものがあった。全工学開発局が心血を注いで造り上げた未来的甲冑に身を委ねているのが、自信の表れとなっているのだろうか。
三人の背後に位置する形で陣取っているのは、二十ミリ機関砲を装備した多脚式戦車だ。外観は、赤紫色の塗装と、頭部、腹部を想起させる部位を有することもあってか、なんとも毒々しい気配を孕んでいる。名称が『タランテラVC-Ⅲ』と言うからには、毒グモをイメージして造られた事に、まず間違いないだろう。
タランテラVC-Ⅲの頭部に相当する箇所には、くらくらと燃える八つの電子眼が装着され、きろきろと周辺の状況を伺っている。その巨大な八つの脚先には分子間力結合強化装置が取り付けられており、これを駆使して、本物の蜘蛛の様に自在に壁を這い、よじ登る事だって出来る仕様になっている。
加えて、この四者のすぐ傍にフワフワと漂う銀色の球体――複眼式無翼回転飛翔情報収集機《レギオン》の姿を確認したとき、ルビーは直感し、即決した。まずは、こいつらから『焼く』必要があると。
パッと、紅い灯が暗闇に花咲いた。
四つの《レギオン》が、一瞬のうちに火だるまと化したのだ。
あっと、機関員の一人が声を上げ、慌ててルビーに狙いを定めてライフルの引き金に手をかけようとするも、叶わない。何故なら、引き金に手を掛けようとした寸前、機関員の体は灼熱の渦に焼かれてしまったからだ。
声も上げずに絶命した同僚を傍で見ていた機関員も、行動を起こす前に焼かれた。続いて、その隣にいた機関員も。あれよあれよという間に、三人の機関員は仲良く炎に舐められ、十秒と経たずに灰燼と化した。
圧倒的な力を見せつけたルビーは、しかし依然として一歩もその場を動いていない。何か具体的な行動を起こした訳ではない。ただ、《レギオン》と機関員を『見つめた』だけである。たったそれだけの所作で、彼らをほぼ同時に焼き殺したのである。
異変を感じ取ったタランテラVC-Ⅲに搭載されたAIが、すかさず攻撃判断を下す。戦慄く砲身から発射されし弾丸の嵐を、ルビーはステップを刻み、空中を飛び石の様に蹴り、舞い、躱していった。ARCLの弾道予測機能は優秀だ。どの位置にどの程度の弾丸が降り注ぐかが、簡単に予想出来た。
タランテラVC-Ⅲの砲身は可動式となっている。故に砲身の位置を微妙に変化させつつ、追い縋るかのようにルビーへ弾丸をぶつけるも、それを難なく回避していく。弾丸で抉られたコンクリートの破片も、どうしたことか、全くルビーには掠りもしない。
応酬の最中、先に攻撃の手を緩めざるを得なかったのは、タランテラVC-Ⅲの方であった。弾丸の連続発射により過熱した砲身を冷却させるため、時間にして凡そ十秒のクールタイムに突入する。
十秒。ルビーにとっては十分過ぎる時間だ。
金色の長髪を秋風に靡かせて、彼女はすかさず見つめた。不気味な赤紫の装甲に覆われた、タランテラVC-Ⅲの砲身を。
その瞬間、先ほどの機関員同様に、砲身が赤い炎に包まれた。爆発炎上して高熱に焼かれる砲身から目を離さずに、ルビーは何歩か後ろへ下がると、今度はその双眸でタランテラVC-Ⅲの全体像を視界に捉えた。
先刻の炎とは比較にならない程の巨大な炎塊が、タランテラVC-Ⅲの全てを飲み込んだ。エンジンが爆破し、重々しい音を立てて崩れ落ちる機械の毒グモ。
哀れなり最先端科学。何としたことだろう。この、見るからに腕も足も細い、見た目はただの『人間』に、しかしタランテラVC-Ⅲは敗れ去ったのだ。
「ゲロ雑魚野郎が。大人しく消し炭になってなさい」
見つめた対象を炎の地獄に引き摺り込む魔眼――《炎浄眼》を宿した彼女の進撃を、止められる者はいなかった。




