6-9 決死~VS.アハル・ダンヒル~ その3
司狼が纏う白羅漢は、先ほどからずっと腹這いになった姿勢のままだ。両の肘を熱砂にピタリとつけ、白い流線形フォルムをしたメイサー型狙撃銃を、地面と水平になるように構えている。銃口は砂の窪みに挟まれた位置で固定され、隙あらば何時でも狙いを付けられるようにしている。
遠くに見据えるは、アハル・ダンヒルが纏いし黒の騎士・クロガネ。そのクロガネから、拾声機能を通じて、司狼はある言葉を耳にした。
卒業証書。遠くに映る敵は、確かにそう口にした。
それが一体何を意味しているのか、司狼には皆目見当もつかなかった。
しかしながら、そんなことはどうでも良い。本当にどうでも良い事だ。
そんな事を考えている場合ではない。
頭に血が昇りそうになる。
昂る感情を必死に堪える。
敵に罵声を浴びせたいところだが、ぐっと諫める。
今は、不知火の援護に集中する時だ。
『(アレを出すのは、まだ早い……ここは一先ず、無難に行くか)』
視界に表示されたテレスコピックサイトがクロガネの頭部を捕捉したのを確認し、すかさず、音声入力でスキルを発動する。
『白衝狙撃ッ!』
凡そ990メートルでゼロインを決め、白羅漢はメイサー型狙撃銃の引き金を力強く引き絞った。ここまでの動作。一秒たりとて掛かっていない。
『へなちょこ狙撃が、一体どうしたってぇ?』
アハルが余裕に満ちた態度でひとりごちる。司狼の方へ目線を向けていないにも関わらず、一体どこから狙撃がやってくるのかが、手に取る様に分かっているかのような態度だった。
事実、そうだった。ヴェーダ・システムの演算能力。その一部を『完全に』掌握した今のアハル・ダンヒルに、見えないものは存在しない。位置欺瞞を施した白羅漢の居場所は既に掴めているが、悪ふざけからなのか。アハルは、わざととぼけた振りをしている。
クロガネが地響きをがなり立てて稼働を開始。全く焦る素振りも見せず、その巨大な掌を前方へ向けて、大防御による防御壁を展開する。
またしても長距離狙撃による一撃は阻まれた。熱線が白き粒子となって呆気なく拡散する。
だが、これで司狼の攻撃が終わった訳ではない。
『空衝狙撃』
続いて雹の如く放たれるは、数十発の熱線だ。その弾速は、白衝狙撃で見舞わせた一発よりも幾分か速度があった。
『芸が無い。反射迎撃』
アハルの素早い音声入力。防御しつつ、攻勢の体勢に入る為のスキル展開。それは、必然の一手と言うべきか。
大防御で展開された防御壁が輝き、その性質を『反射』へと変化させる。
メイサー型狙撃銃から放たれた幾条もの熱線は防御壁に衝突すると、ピンボールゲームで弾かれた弾の様に、複雑に軌道を変えて白羅漢へと襲い掛かった。
反射された熱線の一発を、右腕の手甲でガードする白羅漢。降りかかる熱線の雨中において機敏に立ち上がり、メイサー型狙撃銃を両手で抱えたまま砂漠を駆ける。
オートバランサー機能を働かせ、白羅漢は不安定な砂上をものともせず走り続けた。跳ね返っては襲い掛かる熱線が時折、肩や足元を掠めるが、攻性防壁を張っている今の状態では大したダメージにもならない。
熱線を躱しながら攻撃へ移る。両肘と両手首を固定して狙撃銃を構え、空衝狙撃のスキル発動。銃口から発射された熱線の連続放射が、空気を削ぐかのように直進する。
だが当然というべきか。熱線はその悉くが、防壁の前に反射されてしまうばかり。
『口で言っても分からないなんて、思った以上の大馬鹿者だね、君は』
不可視の防壁に身を包んだクロガネ。そのクロガネを纏ったアハルの小馬鹿にするかのような声を、白羅漢の拾声機能がキャッチして解析。クリアな音声となって、司狼の耳に届く。
『学習しなよ。反射迎撃で展開された防護壁には、どんな熱線だろうと効きはしない』
勝利したも同然だと言わんばかりの科白を吐きながら、右手で握り締めた狂器ーー機銃戦斧を頭上高くへ持ち上げる。太陽の光を反射して鈍く光る肉厚の刃に、アハルの殺意が凝縮されていく。
『盤面は既に、詰みの段階に入っているのさ』
振り下ろす。力任せに。
大気が断ち割れ、砂が砕かれる。
圧倒的衝撃波が、怒涛の勢いで白羅漢へ迫りくるッ!
白羅漢は即座にブーストを引き上げて、何とかしてこれを回避しようとする。されどもそれは、雪山で遭難した裸一貫の遭難者が、突如として襲ってきた雪崩から逃げ切る事と同じくらい、難しい話だった。
何度も、何度も、何度も。まるで気が狂ったかのような激しさで、クロガネは機銃戦斧を豪気に振り下ろし、地面へ叩きつける。その度に地面が割れ、凄まじい轟音と共に、白羅漢の全身を無数の真空刃が斬りつける。
砂嵐の真空刃だ。機銃戦斧の執拗な攻撃が飽和した結果、クロガネと白羅漢を包み込むようにして、巨大で獰猛な砂嵐が形成されたのだ。
両者の距離は凡そ一キロ弱離れている。
しかしこの凄絶な砂嵐の前では、そんなのは些細な事情に過ぎなかった。
『ぐっ……!』
竜巻状と化した砂塵のせいで、視界は悪くなる一方である。
このままではまずい。一旦退避を決めると、白羅漢は空中へ飛んだ。
荒ぶる砂塵の網を突き破って、下を見下ろした時だ。
司狼の視界の端で、紅い光が蠢いた。
見覚えのある、赤光だった。
不知火――炎后楼の機体に間違いなかった。
『(三佐を、殺らせてなるものですか……ッ!』
さっきの手痛い一撃からようやく復活したのだろう。砂嵐による轟音の最中、よろけながらも立ち上がる、紅蓮の量子機動戦闘体。その両腕に握り締められた赤き双剣を振り翳し、目の前の敵へ斬りかかる。
だが――その一撃が、クロガネの首を捉える事は無かった。
『煩いなぁ』
アハルが、実に面倒くさそうに呟いた。
そう。炎后楼の、背後で。
『……ッ!』
何故――さっきまで目の前にいたのに、どうしてだ。
何時の間に背後を取られたというのだ。
予想外の出来事に言葉を失っていた時だ。炎后楼の全身に、クロガネの右腕から勢い良く発射されたワイヤーが幾重にも絡みついた、途端。
『……ぁ……ッ!』
不知火の全身に鋭い衝撃が走った。神経の隅々に細針を突き刺したかのような、耐え難い激痛。不知火は条件反射的に涙を浮かべて声にならない声を上げ、身体を激しく仰け反らせて痙攣させた。
『空間歪曲移動装置。さっきまで僕がいた空間を交換したんだ。それが、瞬間移動の種。そして今、君の体を縛っているのは電磁圧殺鞭。攻性防壁を無力化し、生身に電撃を叩きつける武器だ』
攻性防壁は、情報体を電子蜂等の『害ある物』から守る為の防護服としての機能を持つ。強力な致死性電子蜂をぶつけてこれを破壊する方法はいくらでもあるが、『無力化』なんて事が出来るのは、今のアハル・ダンヒルくらいのものだろう。
ヴェーダ・システムの恩恵を授かった今、アハルの演算能力はウィザード級を飛び越えて、その上のリッチ級をも越えようとしている。
不知火は極限の痛みに苛まれていても、それでも尚、抵抗を止めようとはしない。全身に絡みついたワイヤーを解こうと右手を伸ばそうとする。それに合わせて、彼女を包んでいる炎后楼の右腕も動きを見せる。
鞭の硬度を鑑みれば、不知火の抵抗など蟷螂の鎌に等しい。しかし、そのちっぽけな抵抗が、アハルのプライドに刺激を与えた。絶体絶命の状況に追いやられても諦めようとしない、実に諦めの悪い態度。アハルがこの世で、最も唾棄したくなる、感情の発露がそれである。
『ほんっとうに、分からず屋だねぇ。君も、君の上官も。潔さ、って言葉をお母さんの腹の中に忘れてきたのかい?』
苛立たしげに吐き捨てる。クロガネの電子眼が、ちらりと上空を確認。砂嵐の遥か上空で、滞空状態を維持したままの白羅漢が、狙撃銃を構えている姿が目に入った。
しかし砂嵐の影響で視界が悪いせいで、正確な目標をつけられないのだろう。白羅漢の指は狙撃銃のトリガーに掛かったままで、動きを見せない。
『攻めてこないのなら、とっておきの技を見せてあげるよ』
渾身の気合を込めて、左手に握った機銃戦斧を地面に振り落とす。戦斧の刃が暗黒に光ると同時、にわかに『世界』が変化を開始。
空間の隅から徐々に徐々に、景色が変容していく。仮想空間を構築していたピースの一片一片が、神がかり的速度で塗り替えられる。まるで、盤面に敷き詰められたオセロの石を、見えない手によって次々と裏返していくかのように。
そうして十秒と経たぬうちに、砂漠地帯はあっという間に姿を変えて、クロガネと炎后楼を飲み込んだ。昏く、奈落の様に深い、冷たき世界へと飲み込んだ。
『う、海だとッ!?』
上空で攻撃の機会を伺っていた白羅漢――司狼が、あまりの出来事に驚愕の声を上げる。
司狼の言葉通りだった。ついさっきまでこの仮想空間を支配していた砂漠は跡形もなくなった。
代わりに、白羅漢の目の前に広がったのは――水平線の彼方まで続く、見事なまでの大海であった。
太陽光を反射して輝く清らかな海面。
嗅覚センサで感じ取れるのは、紛れもない磯の香りだ。
どこからどう見ても本物そっくりの、まごう事なき海そのものが、司狼の目の前に広がっていた。高度な幻術の類ではない。これは仮想の世界で起こった、紛れもない『現実』の事象である。
『ヌメロン・コードに直接手を加えて、仮想空間そのものの風景を書き換えたのさ』
普通の事をやったまでだと、言外にそんな印象が込められている口ぶりだった。だが、異常であると言わざるを得ない。ヌメロン・コードの書き換え等という離れ業を平然とやってのけるアハルの力に、流石の司狼も閉口せざるを得なかった。
ごくりと、緊張した面持ちで息を呑む。
耳に届くのは、さざ波と、遥か上空を飛んでいるウミネコの鳴き声。
『どうだい、これで分かっただろう? 今やこの領域において、僕は神にも等しい力を得たんだよ。只の人間が、神に勝てる訳ないだろうが』
哄笑を浮かべるアハル。今の彼に、脅威になるべき障害は存在しない。電磁圧殺鞭で炎后楼を捉えたままの状態で、クロガネの巨体が、浮力に逆らうようにゆっくりと沈んでいく。
『狙ってみろ《人喰い電狼》。その距離で、僕を撃ち抜いてごらんよ。まぁ、無理だろうけどね。部下一人助け出す事の出来ない、腑抜け面の似合う君の事だ。生まれたての赤ん坊が如く、指を咥えて眺めているがいいよ』
挑発するかのような物言いだった。司狼は、悔しげに唇を噛み締める事しかできない。
『三尉、応答しろッ! 三尉ッ!』
何度も念話で呼びかけるが、しかし反応が返ってこない。電磁圧殺鞭がもたらした余りの痛みに、気が昏倒してしまったのか。
『さぁ、詰みの時間だ。大切な部下が破壊されるところを、じっくりと鑑賞するがいいさ』
言うや否や、クロガネは炎后楼を電磁圧殺鞭に絡ませたまま、ハンマー投げの要領で身体の軸を中心に置き、盛大に回転を始めた。急激な力に引っ張られ、がくんと、炎后楼に激しい衝撃がかかる。
炎后楼の総重量はクロガネを下回っているとはいえ、それでもかなりの重量であることに違いは無い。しかし、クロガネは機体強度を上昇させることで、カウボーイがロープを振り回すように、いともたやすく右腕を振り回し続ける。その人工的且つ暴力的な円運動の影響を受けて海流が乱れ、渦潮が発生。
電磁圧殺鞭の効果はまだ続いている。ワイヤーを奔る高電圧が、炎后楼と不知火の体を、ズタボロに切り刻んでいく。気が触れたかのようにのたうち回る炎后楼の情けない姿は、まさしく、今の不知火の精神状態そのものだった。
『これでぇ、貴様の人としての生涯は終わりだッ!』
十分に回転加速をつけた所で、ぷつりと、クロガネの右腕から電磁圧殺鞭が切り離された。水の抵抗など関係ないとばかりに、炎后楼が圧倒的速度で水底へと落下。その紅蓮に光るボディが、見る見るうちに、闇の底へと引き摺り込まれていく。
『三尉ッ!』
叫び、白羅漢が引き金を引く。空衝狙撃のスキル発動。銃口から驟雨の如く熱線の雨が放たれるも、水面に着弾した途端に激烈さを喪失。弱々しい光の線となって、反射迎撃に跳ね変えされてしまう。
アハルが、心の底から馬鹿にした声を出す。
『気が狂ったか馬鹿めがッ! にいる相手に向かって熱線撃ったって、意味がねーんだよぉッ!』
口元を歪めるアハル。これまでの意地の悪い口調とは異なり、明らかな罵倒の科白だ。完全に舐め切っている態度だ。
彼がそうなるのも当然であろう。水中に向けて熱線を放った場合、当然、威力は半減されてしまう。この場合、装備を実弾系に換装するのが定石の筈。
だが、司狼は狙撃を止めない。ブースター出力を一定に保ち、空中で安定姿勢を維持。何事かをボソボソと呟きながら、しつこいぐらいに空衝狙撃による熱線を見舞わせ続けた。
一見して、合理的とは無縁の彼方にいるかのような連射であった。弱った魚群のように迫る熱線の数々を、アハルは躱そうともしない。展開された防壁が熱線の八割程を散らし、残りの二割はてんで的外れな方向へ直進し、海深くへと吸収されるかのように沈んでいった。
戦況は最悪だった。何より、相手が厄介極まりない。一千以上のルートブロックを掌握した、ウィザード級の錠前破り。正面からぶつかり合って勝てる確率など、幾許も無いだろう。
そんな中にあっても、司狼は諦めなかった。敗北する未来に囚われて戦場に立つ兵士など、兵士ではない。あらゆる手を尽くして敵を排除する。ただ、それだけに徹する。
今、司狼の精神状態を断崖ギリギリの所で支えているのは、彼自身の名誉と誇りと、これまでの経験で培ってきた戦いの作法だけであった。
『いい加減にしなよ』
節操のない狙撃の連続に、アハルが激した。
『悪あがきにもほどがある。大体、何だい。さっきからまるで、見当違いの方向に撃ってるじゃないか』
『いや、これでいい』
『あ?』
『これで、いい』
司狼の声には、余裕があった。
『狙いは始めから、貴様じゃないのさ』
そうして、唱える。
『オーダー・情源修復』
司狼が呟いたそのスキルは、これまでアハルが一度も耳にした事の無い名称のスキルだった。
気配がする。嫌な気配が。足元に広がる昏き水底から、得体の知れぬ物が急接近してくる予感が。
何事だろうかと下を見やった次の瞬間――
『ひっ……ッ!』
ひどく熱く、それでいて鋭利な何かが水中を駆け抜ける。透明な水の中で輝かしく燃え続ける、炎の刃だった。
炎の刃は反射迎撃による防護壁を一瞬で破壊し、そのまま流れる様に、防護壁に包まれていたクロガネの右肘から下を一刀両断せしめた。斬り飛ばれた右腕は、光の粒となって呆気なく四散した。
肘の部分から露出する、ズタズタに寸断されたコード類。アハルは脊髄反射的に、右肩を庇う様にして、その身を小さく縮こまらせた。あまりの痛みに、苦悶の表情を浮かべるしか出来ない。
量子機動戦闘体は、特撮ものに出てくるようなロボットとは少々趣が異なる。それは例えるならば、量子情報を組み合わせて出来た、物理的な殻。情報体の全身を包み込むように形成された、鋼の肉体であると言えよう。
そして量子機動戦闘体は、情報体の動作を戦闘体自身にフィードバックさせるために、精神レベルでの接続を余儀なくされる。
つまり、量子機動戦闘体へ与える損傷は、そっくりそのまま、情報体自身にはっきりとした『痛み』となって返ってくる。現実世界に置き去りにしてきたアハルの右腕も、今頃は目も当てられない惨状となっている事だろう。
しかし、忘れてはならない。この男は今、仮想世界の根源。その一部と繋がっているという事実を。
額に脂汗を浮かべ、アハルは全身に万力を込めた。痛覚センサの感度レベルを最低に設定し、再構築する。間を置かずして、失われた筈の右肘から鋼鉄の肉が蠢き出し、骨と肉と神経を再生。
だがその直後、またもや一閃が彼の身に襲い掛かる。咄嗟に反応しようと体を動かしたクロガネだったが、間に合わない。されるがまま、今度は機銃戦斧を握っていた左腕を、炎の刃に切り落とされた。
『増長が、裏目に出ましたね』
凛とした、鈴の音が響き渡る。思わず、声のした方を振り仰ぐ。
アハルの目の色が、変わった。
『で、《電子の女神》ッ!』
光り輝く水面を頭上に置いて燃え滾るは、先ほど始末した筈の炎后楼。その両手には、命を吹き返したとでも主張するかのように、二対の大剣が炎の渦を纏っている。水中にいながらも、変わらない明るさを灯すその炎は、正しく反撃の意。
『ば、馬鹿な……』
『何が、馬鹿なのかしら?』
『しらばっくれるなッ! どういうことだッ! あれほどの電撃を浴びて、どうしてそんなに動けて――』
そこで、アハルはようやく重大な事に気が付いた。忌々しげに、今度は水面の彼方で滞空している白羅漢へと視線を向ける。憎悪の感情を剥き出しにして。
『貴様か……《人喰い電狼》ッ! さっきの情源修復 (アクティブ)とかいう、得体の知れないスキルのせいだなッ!?』
白羅漢は、真船司狼は答えない。ただじっと、メイサー型狙撃銃の銃口を黒い騎士へと向けている。
まんまと作戦に引っ掛かってくれて助かった。司狼は、内心安堵していた。それもこれも、アハルが傲慢な態度を取り続けてくれたお蔭だ。神に等しい力を手に入れた等という大層な自惚れがあったからこそ、さっき水中に向けて発射した熱線の『正体』に、気取られずに済んだのだろう。
白羅漢には、他の阿羅漢型には見られない、オリジナルの能力が備わっている。
《オーダー・スキル》と呼ばれるのが、それである。一度発動したスキルに対して新たに音声入力を実行することで、スキルの性質を変化させる。それが、オーダー・スキルの要諦だ。
白羅漢にインストールされている技のひとつである空衝狙撃は、このオーダー・スキルに対応している。これが、彼が空衝狙撃の連続使用に固執した理由の一つ。
今回、司狼が空衝狙撃に使用したオーダー・スキルは、情源修復と呼ばれるものだ。
その効果は、対象となる量子機動戦闘体に命中すると、戦闘体及び戦闘体を身に纏った情報体の構造を、『十五分前にまで遡って修復する』という代物。言わば、一種の回復能力に近い。
つまり今の炎后楼は、今回の戦闘を開始した直後の状態にまで構造を回復させている、ということになる。
司狼は何も自暴自棄になって、水中にいるクロガネに空衝狙撃を見舞った訳ではない。アハルに気づかれないように、小声でオーダー・スキル実行に必要な予備コマンドを音声入力し、それを、純粋に攻撃だけを目的に発射した熱線の中に紛れ込ませたのである。
勿論、白羅漢が有する実弾系狙撃スキルにも、情源修復のオーダー・スキルを上乗せ可能なものはある。しかし司狼は、敢えてそれを選択しなかった。実弾系を使っては、復活した炎后楼による一撃を、相手に防がれてしまう可能性があると予想したからだ。
それが、空衝狙撃の連続使用に固執した理由の二つ目だ。ワザと熱線を浴びせ続ける事で、反射迎撃 を展開させ続け、大防御を選択するという方向へ、意識を向けさせない様に仕向けた。
大防御は、超現実仮想空間ネオ・ヴァーチャルスペース)では、ごくごくありふれた基本的なスキルである。汎用性は高い。何せ、物理攻撃と熱線、どちらにも有効な防御手段だからだ。
しかしながら、同じ防護壁を張るタイプのスキルでも、反射迎撃は熱線にのみ対して有効な防衛手段。物理攻撃には、殆ど耐性がない。だから、あれほどあっさり突破されてしまったのだ。
アハル・ダンヒル。彼は強い。司狼は、そう認めざるを得なかった。正面からがっつりやり合うのは、かなりの危険を伴うであろうことも、容易に想像出来た。
だからこその、不意打ちなのだ。逆に言えば、不意打ちを決める事が出来れば、例えヴェーダ・システムの演算能力を駆使しているとしても、勝つ可能性はグンと上がる。
強大な力を獲得したアハルは、その驕りと慢心から見抜けなかった。策士・真船司狼の戦略を。どうして水中にいる自分に熱線を撃ってくるのか。どうして、ワザと外したような攻撃を混ぜてきたのか。
驕り故に疑念を持たず。
すべては、アハル自身の傲慢さが招いた結果と、言わざるを得ないだろう。
『ば、馬鹿にするなよッ! 大防御ッ!』
歯ぎしり交じりの音声入力。球形に防御陣を発生させると、アハルは再び全身に力を込める。切断された左腕を復元しようというのだ。
だがそれよりも僅かに早く、白羅漢が動いた。
『神速突破』
先ほどの情源修復に引き続き、追加のオーダー・スキル上乗せを実行する。炎后楼の真紅のボディが、益々以て煌々とした輝きを放つ。
『なっ……ッッ! そんなッ! 重ね掛けなんてズルイだろッ!』
子供じみたアハルの言い訳。
当然、二人の電脳兵士は聞く耳を持たない。
文字通り目にも止まらぬ早業で、炎后楼が逆手に大剣を持ち替えて、加速。世界の全てを置き去りにしていくかのような激烈な速度で、すれ違いざまにクロガネの右脚部を切断。
反転し、再度斬撃。今度は、右わき腹に深刻なダメージ。再度反転。三度の斬撃。次は、左脚部が吹き飛んだ。
『ひぃ、ひっ、ひぃぃぃいいぃぃぃぃっひっひっひっッつっううううううっっ!』
痛覚センサを最低レベルまで引き下げている為、アハルの肉体に直接的な痛みは無い。それでも、自分の体の機能が一つずつ確実に削がれていく感覚は、例えようの無い恐怖心を植え付けるのに十分過ぎた。
『貴方、言いましたよね。自分は神にも等しい力を手に入れたって』
荒れ狂う海流。神速の如き勢いで斬撃を見舞い続ける炎后楼から、涼やかな、しかし毅然とした調子の声が響く。
『はっきり言いますが、貴方はヴェーダ・システムの力を、完全に制御出来ていません』
『う、嘘だッ! そんな訳あるかッ! 出鱈目を言うんじゃないッ!』
『いいえ、本当の事です』
黒い装甲へめためたに傷をつけながら、不知火は続ける。
『ヴェーダ・システムに関わり深い私たちには分かるんです。知性を宿した疑似生命演算機械の凄さと、その神秘性が。ですが、ヴェーダ・システムの一部簒奪を為したという今の貴方からは、そういった気配が一切感じられません。所詮、どこまで行っても薄汚い、野良犬の小悪党なんですよ、貴方は』
大剣を振り上げ、思い切りクロガネの胸部へと突き立てる。鋼の装甲も、こうなってしまっては無残極まる。握っている柄の位置からして、剣の切っ先はアハルの情報体を完璧に貫いていることだろう。
勝負あったか。しかし炎后楼は剣を突き立てたまま、動かない。じっと、何かに祈りを捧げているかのように、微動だにしないではないか。
明確な異変を感じ取り、思わず司狼が海面へと急接近する。嫌な予感がした。ここに来て、胸に奇妙な突っかかりを覚え、思わず、声を大にして問いかけようとする。
『お、おいッ! 不知火、お前まさか――』
『三佐……すみません』
紅蓮の殻の向こう側で、電子の女神は少し、申し訳なさそうに笑った。
『私、やらせて頂きます』
口にした途端、目も眩むばかりの眩い閃光が、炎后楼を中心に莫大な奔流となって拡散した。踊り狂う銀光の渦が、瞬く間に炎后楼とクロガネを、辺りの景色までも飲み込んで行く。
電脳世界における、禁断の情報戦技。超現実仮想空間を構築するヌメロン・コードの世界へ潜行し、異常を正し、本来あるべき姿へと修正を加える決死の技術。
人ならざる領域。深淵の向こう側へ一歩、足を踏み入れる御業が、いま確かに実行された。
△▼△▼△▼
それは、一瞬の出来事だったか。
それとも、いつ終わるとも知れぬ、果て無き永遠の彼方であったのか。
禁断の情報戦技を繰り出した本人ですら、曖昧としている。
唯一確かなのは目覚めた時、この『世界』で彼女にとって一番大切な人の双眸が、まず真っ先に視界に飛び込んできたという事だ。
既に、量子機動戦闘体の装備は外したのだろう。不知火の綺麗な瞳の中で、赤い髪が風に吹かれ、僅かに揺れ動いている。
「不知火、大丈夫か?」
覗き込むようにして、心の底から心労わりの声を漏らす司狼。普段の彼からは想像もつかない表情を目の当たりにし、不知火は思わず、うっすらと開いた瞳をぱちくりさせた。
彼女はそこでようやく、自分が敬愛する上官の膝元に寝かされている事に気が付いた。
「ご心配をおかけして、申し訳ございません……私の方は、無事、全て終わりました」
「ああ、どうやらそうみたいだな。見ろ、この風景を。いつも通りの、仮想空間だ」
その科白に表われているように、世界から異変は消え去っていた。大海の代わりに砂の世界が広がり、熱風が立つ。今、司狼と不知火の二人は、広大な砂漠地帯のど真ん中にいる。
潜深術による精神的負荷を引き摺っているのだろう。不知火の薄い唇から漏れる吐息は、若干荒かった。それでも彼女は懸命に口を動かす。か細い声が、司狼の鼓膜を撫でた。
「敵は、どうなりましたか?」
「安心しろ。お前が潜深術を解いたタイミングを見計らって、俺がトドメを刺してやったさ」
「そうですか……」
戦闘が終わった事に安堵し、うっすらと、不知火は笑みを零した。
深術の実行に伴う情報体にかかる精神的負荷には、計り知れないものがある。常人なら、十秒と持たず精神が崩壊してしまうほどの死地へ向かい、それでもなお、不知火は気を張り、平気な態度を見せ続ける。
「これで、仮想世界の平和は守られましたね」
「一応は、な」
「良かった……これもそれも、全て三佐のお蔭です」
「何? 俺の?」
「はい。三佐の読みが的中したから、勝機が生まれたんです。奇襲を仕掛けるタイミングは、あそこしか無かったですし。流石は電脳部隊のエースコマンダー。惚れ惚れしてしまいます」
悪戯がちに笑みを浮かべ、不知火がぎこちないウインクを飛ばした。
司狼は図らずとも、胸の内に抑えていた感情が溢れそうになった。
「すまない」
絞り上げるような声で、頭を下げる。どうしてそんな科白を口にするのか。謝罪の意図が掴めず、不知火が不思議そうな物を見るような目線を送った。
「三佐?」
「結局、最後はお前に無茶をさせる結果になっちまった……そうさせる気は全然無かったのに、すまねぇ……本当に」
それは謝罪というよりも、どちらかというと、呻きに似ていた。機関から予め当てがわれた立ち位置通りの戦いだったとは言え、部下を危険な目に遭わせてしまった事への負い目が、司狼の胸を痛いほど貫いていた。
「三佐……」
言外に含まれる思いを汲み取った不知火が、『それは違います』とばかりに首を静かに横に振った。
「謝らないでください、三佐。寧ろ、謝罪を述べるのは私の方です。独断専行で突っ走ってしまって……でもその甲斐あって、良い物が手に入りましたよ」
「良い物?」
「ええ」
瞳で笑いかけ、不知火は軍用ツールを開いた。メールツールを使い、何かのデータファイルを司狼へと送る。
中身を開いて一通り確認し、司狼は息を呑んだ。真剣な表情で、膝の上で横になっている不知火へ、視線を向ける。
不知火も、真剣な目つきで頷き返す。
『ヤツの……アハル・ダンヒルの個人情報。並びに、彼が所属していると思われる組織の本拠地、その見取り図です。恐らく、現実世界をも巻き込んでいる今回の騒動の黒幕が、そこにいるかと』
『お前、まさかこれを手に入れるために、潜深術を?』
『ただ倒しただけでは、本質に近づけませんからね。ヌメロン・コードの異常を修復するついでに、コードから溢れていた演算能力の残渣を足掛かりにして、アハルの深層意識から情報を掻っ攫ってきたんです』
アハルは、ヌメロン・コードの一部掌握に成功した結果、あれだけの力を得るに至った。それはつまり、ヌメロン・コードとアハル・ダンヒル自身が、特殊な回路で繋がっている事を意味している。
だから、不知火はヌメロン・コードの修復作業を行うついでに、コードから溢れる演算能力の残渣の行方を追いかけ、結果として、アハルの深層意識へ辿り着くことが出来たのだ。
理に適っている。適っているがしかし、それとこれとは別の話だ。寧ろ、不知火の狙いは最初からそっちで、コードの修復はあくまでおまけのようなものではなかったのではないだろうか。
『少々危なかったですけど、何とか手に入れる事が出来て、良かった……』
深く溜息をついて、不知火は暫しの間、後頭部にじんわりと伝わる司狼の温もりに甘える事にした。
『……金脈を掘り当てたな』
司狼は、不知火の手を固く握り込んだ。
不知火も、優しく握り返す。
仮想世界における騒乱は、一先ずの決着を見た。
だが、全てはまだ、始まったばかり。




