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アナザポリス・オリジナル-怪力乱神幻瞑録-  作者: 浦切三語
第六幕 幻幽都市壊滅計画、始動
42/78

6-6 《飛燕斬》と《黄泉還りの左龍》

「都市西部の移動体通信基地局、依然として回復出来ませんッ!」


 年若い女性オペレーターのその悲痛な叫びは、オペレーションルームに響き渡る数多の怒号の内の一つとなって掻き消えた。パニックに陥っているのは、何も彼女だけではない。男も女も、この混乱の中では関係ない。


 皇居跡地に根を下ろす王皇ノ柱塔(ギガストス・バベル)。天を貫くかのように聳え立つその尖塔の地下一階――蒼天機関(ガルディアン)の統合司令本部は、収拾のつかぬ様相を呈していた。 


 ある者は、モニター越しに高分解能式インカムを通じて明瞭に情報を収集し、ある者は、走ってコケて抱えていた資料を床にばら撒いている。またある者は、マンマシンインターフェースに連結されているキーボードを圧倒的速度で叩き、何言かをブツブツと呟いていた。


 中規模程度の騒乱ならあっという間に片づけてしまうオペレーション・ルーム常勤機関員の彼らが、今宵は皆が、驚愕と恐れの色を顔面から滲ませている。


 騒乱の原因は、言わずもがな。突如として発生した次元の門を潜って都市部へなだれ込んできた、異形も異形の人型怪物――軍鬼兵(テスカトル)である。


 彼らの出現から一時間近く経ち、今は夜の八時過ぎ。冷気を孕んだ夜風が吹き荒れる中、軍鬼兵(テスカトル)の猛攻は衰える事なく、留まるところを知らず、その醜悪な爪牙を振るい、幻幽都市を混沌の底へ叩き落としていた。


「夜生副機関長! ご指示を!」


 壁に埋め込まれた幾つものモニター画面に注視し、必死の形相でマンマシンインタ―フェースを操作していた男性オペレーターが、耐えきれなくなったかのように背後を振り返り、すがるような声を上げた。


 オペレーションルームの中央付近。周囲よりも数段高く盛り上がった構造の『司令台』と呼ばれる箇所に、黒髪の長髪を後ろで一つに束ねた、痩身の女が緊張した面持ちで立っている。


 蒼天機関(ガルディアン)の特注警邏服に身を包んだその麗しき女性が、今はオペレーションルームの混乱を鎮圧する立場を預かっていた。


「各地区の住民の避難状況を報告」


 眉間に深い皺を寄せて絞る様に声を上げ、女が尋ねる内容と言えばそれだけだった。


 女――夜生真理緒(やぎゅう まりお)副機関長の苦渋に満ちた声に、さっきの男性オペレーターとは別の者が即座に応じた。マンマシンインターフェースを介して、モニターにサイクル・グラフが表示される。


「20:06現在を以て、幻幽都市全住民の地下シェルター避難率は七十二パーセント付近に到達しています。三十分前の状況と比較して、避難率は殆ど変化しておりません」


「《レギオン》集積データを解析。避難率九十パーセントを超えているのは、港区、練馬区、台東区、新宿区、目黒区、文京区、江東区、墨田区、北区、葛飾区の十区のみです。他の地区では、避難誘導が難航している模様」


 少なすぎる。


「……どうしてッ……こんな……ッ!」


 そう呟いた後に、夜生は己の言動を恥じた。司令台の手すりを両手で硬く握り込み、ぶんぶんと頭を振れば、その艶やかな黒髪の長髪が乱れて走る。


「(間抜けな事を言うな、このポンコツ女! 避難率が上がらない結果など、とうに聞かされていたでしょうがッ!)」


 己に喝を入れ、しかし夜生は認めたくなかった。頭では理解できても心理的な面では、今回の事案はどうにも納得しがたいところがあった。


 それは、つい一時間程前の出来事だった。

 突発的且つ同時多発的に発生した、次元の門の開闢。


 ランダムに発生した異相の穴が交通を阻んだせいで避難ルートが分断され、蒼天機関(ガルディアン)の各支部が抱えている地下シェルターへ避難したくとも出来ない人々がいる。それが、避難率の向上しない最たる要因であった。


「(次元の門が同時多発的にこれだけ開くなんて、今までなかったのに……この前の《異界戦争》の時だって、開いた門はたったの三ヶ所だけだったのよ? それが、それが……)」


 それがどうしたことか。今回はその数十倍、五十ヶ所以上の地点で、次元の門の開闢が観測されている。加えて、次元の門が開く際に生じる『彩炎』という名の白炎により、焼け崩れた家屋は数知れず。


 おまけに《異界戦争》時に侵略してきた怪物達よろしく、次元の門を潜って、獄卒を思わせる容姿の怪物の軍勢が、数千体近く都市全域に雪崩れ込んできている。未曽有の大危機と呼ぶに相応しい事態に、ことは進んでしまっているのだ。


 夜生は俯き加減になり、奥歯を強く噛み締めた。無意識のうちに、左腰に提げた日本刀の鞘を左手で握り締める。


 心に怒りが滾り、破壊衝動が沸々と湧いてくるのを止められなかった。緋色に揺らめく彼女の双眸は今、赤々しく熱を帯びていた。


「(大嶽さんがここにいれば、一刻も早く前線に出て、あの化け物共を抹殺してやるって言うのに……ッ!)」


 連絡の取れない機関長・大嶽の名を心中で零すも、それで事態が変わる訳ではない。夜生は、自身の感情を律するのもままならなくなりつつあった。


 それにはきっと、生来持って生まれた、彼女の性格が絡んでいるに違いなかった。


 夜生真理緒(やぎゅう まりお)。齢二十五にして蒼天機関(ガルディアン)の最高意思決定機関・三闘会の一角と、機関長の右腕たる副機関長の座に就く彼女は、その麗しさと細身には似つかわしくない巨乳もさることながら、男顔負けの『豪傑』として知られている。


《飛燕斬》の夜生――そう聞いて真っ向から対峙してくる悪党共の数など、たかが知れていた。刀を握らせれば、その強さは幻幽都市の五本指に入るとさえ噂される程の武人だ。 


 しかし一方では、『武』に心血を注ぎ過ぎた反動からなのだろうか。多くの部下を預かる立場ながら、彼女は『智』の面では劣っていた。司令官としての才には、恵まれていなかった。今は肝心の機関長が席を外している為、臨時で司令役に就いているだけに過ぎない。


 夜生の本領は前線にある――

 自他共に、そういう評判だった。


 事実、彼女は上職者という立場でありながら、中々に治安の回復が見込めぬ都市の暗黒街へ夜な夜な一人で赴き、最上大業物の日本刀を振るい、悪人を蹴散らしている。半ば辻斬りのような行為であるが、超法規的立場にいる彼女には、それが許されていた。


 ましてや、今回の相手は得体の知れぬ化け物である。いくら切り刻んで臓物をブチまけさせても、罪に問われる事はない。


 報告によると、敵は驚異的な再生能力を宿していると聞いている。しかし、自分の剣術を以てすればどうということはない。夜生は、己の力を信じ切っていた。


「(いや……只の化け物とは……やっぱり違うわよね……)」


 顔を上げて、眼前のモニターを睨みつける。軍鬼兵(テスカトル)の軍勢が、都市中に散らばっている複眼式無翼回転飛翔情報収集機の最新モデル《レギオン》に搭載されている監視カメラ越しに、はっきりと映し出されていた。


 画面の向こうで、怪物達は蒼天機関(ガルディアン)の各支部に属している機関員並びに、本部から派遣された大隊の精鋭達と、いつ終わるとも知れぬ戦いを繰り広げていた。


 爪と牙を赤々とした血で滴り濡らす怪物達の出で立ちは、『異形』と呼ぶにはしかし、どこか人間に近い匂いを漂わせていた。


 煌々と光る両眼。枯れ木の様な、それでいて人の肉を素手で引き千切るだけの力を備えた両腕。鋭く伸びた犬歯。短足な両足。でっぷりと膨らんだ下腹。赤褐色の汚らしい肌。そして、獰猛に且つ貪欲に人々を襲う彼らの額で輝くのは、紅く輝く宝玉の塊。


 紅い宝玉。

 それを意識すればするほど、夜生の心の炉に、怒りの薪がくべられていく。


「(駄目だ。冷静にならなければ……冷静に、落ち着いて指示を出さなければ。大嶽さんがどこへ行ったか分からない今、みんなを引っ張っていくのは、私だけなんだからッ!)」


 夜生は焦る心を無理やり宥めさせると、凛、とした声を出した。


「敵の――未確認生命体についての情報を、随時怠らない様にして下さい」


 その叱咤に反応するかのように、一人の女性オペレーターが、興奮気味に声を上げた。


全工学開発局(サルヴァニア)第一分検室より入電。ヴェーダ・システム祭礼階層(ヤジュル)による生体分析が完了した模様です。未確認生命体の体組織情報の血液成分に、異常が観測されたとのことです」


「情報開示を許可します」


「ウィルコ」


 指令を下してから数秒後、モニターに新たな画面が表示された。《レギオン》から送信されてきた映像資料を元手に作成された、軍鬼兵(テスカトル)の3Dデジタルモデル・キャプチャーである。


「採取した血液成分を解析した結果、未確認生命体の活動中における血中酸素濃度が平均五十二パーセントと極端に低い事が判明。血液からは更に、有機リン酸化合物、デルボイム酸、オルゴニチウムが、主成分として検出されています」


「オルゴニチウムって……それは」


「はい。ベヒイモスの体内に多く見られる、猛毒の重金属類です」


「ということは、やはり――」


「敵は、未確認生命体は、ベヒイモスの可能性である事が非常に高いというのが、ヴェーダ・システムの下した結論です……」


 オペレーターは声を震わせ、衝撃的な事実を言い切った。


「何てこと……」


 愕然として声を漏らし、夜生はモニターに視線を送った。地獄の淵から這いずり出てきた亡者の群れが、飽くることなく路地という路地、施設という施設の中を跳梁跋扈している。


 音声を切っている為、軍鬼兵(テスカトル)の爪牙の餌食になっていく人々がモニターに映っても、叫び声は一切届かない。それで良い。《レギオン》の録音機能を有効にしていたら、きっと自分はこの場に立っていられないだろう。


 そのような事を考えつつも、しかし夜生の表情は厳しくなる一方だ。こめかみを流れ落ちる冷や汗もそのままに、夜生は、食い入る様にして軍鬼兵(テスカトル)の額を見つめ続けた。


 ヴェーダ・システムによる解析結果が明らかになるまで、夜生は、あれらの怪物をベヒイモスの『亜種』と踏んでいた。未だかつて、ベヒイモスが次元の門を潜って都市部に出現することなど無かったからだ。


 過去に得たベヒイモスの行動様式に関する知見から、夜生は次のような推察をしていた。もしかしたらあの怪物達は、こことは違う別次元の世界に棲息する『ベヒイモスに似た』生命体なのではないかと。


 有り得ない話ではない。数年前にヴェーダ・システムの全階層を駆使して一ヶ月以上にも渡るシュミレーションを実行した結果、この宇宙には、自分たちが暮らしている『現実世界』以外に、実に三千を超える『別世界』が存在しているという事実を掴んだからだ。


 算出された結果に則るなら、夜生の考えは自明の理である。推察に基づいて考察するなら、奴らが次元の門を通じて幻幽都市に現れたのにも、十分な説明がついた。


 それになにより、彼らの行動には、これまで人里へ降りてきたベヒイモス達とは決定的に違う箇所が散見されている。


 ベヒイモスの存在が公式に初めて観測されて二十年近く経過するが、彼らは毎年、一月一日の元旦にしか人里へ下りてこない。その理由は未だに判然としないが、それがベヒイモスの習性なのだという考えが、都民の無意識下に刷り込まれていた。


 その常識が今、根底から覆されている。


 次元の門を通じて出現し、元日前に都市部を急襲するベヒイモス。これまで体験してきたどの行動パターンにも引っ掛からないとは、どういうことなのか。


 どれもこれもが、夜生の想像のはるか上を行っていた。


全工学開発局(サルヴァニア)第二分検室より入電。先の報告にありました未確認生命体の体組織成分解析の追記事項です」


 唐突に、別の男性オペレーターが口にした。


「成分解析表によりますと、未確認生命体の血中鉄分の含有量が、過去に我々が戦ってきたどのベヒイモスよりも十パーセント程多いとのことです」


「鉄分? ちょっと待ちなさい。ベヒイモスの血中に含まれている鉄分量なんて、たかが知れてるはずよ?」 


「ええ。ですからこれから詳細な解析を――」


 続けて言おうとしたところで、全モニター画面に激しいノイズが刻まれた。直後、オペレーションルームに『緊急速報』を知らせるサイレンが鳴り響く。それは、ヴェーダ・システムの中枢機構に、不法な電子介入が、詰まるところ、錠前破り(クラッキング)が為されたことを意味していた。


「コールッ! 異常警報第一種発令ッ!」


 夜生の透き通るような大声がオペレーション・ルーム内に響き渡った、その瞬間である。


 モニター前に待機している数十人のオペレーター達が、機敏な動きを発揮した。全員が状況把握を最優先事項に置き、表情一つすら変えずに即座にマンマシンインターフェースを操作。今、自分が何をするべきなのかを、各々が意識しているが故に可能な、極めて事務的な連携だった。


「状況を報告せよッ!」


 手すりを掴んで前に乗り出し、夜生が叫んだ。一人のオペレーターがキーボードを打鍵し続けながら、インカム越しに応える。


「電脳部隊第四中隊より入電。ヴェーダ・システム普遍階層(リグ)のルートブロック023から1980にかけて、致死性電子蜂(ブラックウイルス)による破壊攻撃、並びに『深度5』クラスの汚染を確認。都市東部全域に、インフラ・エラーが発生している模様です。 《レギオン》の転送速度に甚大な遅延が発生。システムの自己修復プログラム機能、走査確認できませんッ!」


「なッ……!」


 夜生は青ざめた。足元が抜けるような感覚に見舞われた。ヴェーダ・システムの汚染など、通常なら決して有り得ない話だ。しかも、自己修復機能も働いていないときた。そうなれば、選択肢は限られている。専門外の夜生にも、次に己がどういう指示を出せば良いかぐらいのことは、分かっていた。


「直ちに、電脳部隊を急行させなさい」


「既に動かしているぞ。夜生副機関長」


 背後から、大岩が転がるような、低く重厚な声がした。

 はっとして振り返る。


「き、機関長!」


 声の主を視界に収めた途端、夜生は目を真ん丸くさせて大声を上げた。


 機関長、と呼ばれたその男は、戦う為に生まれてきたような、精悍過ぎる面構えをしていた。背中に身の丈以上の巨大な斬獣刀を背負っている為か、やたらとデカく見える。


 事実、男の身長は百九十センチ以上もあった。体重も百キロを超えているが、只の肥満(デブ)ではない。


 太い首。武骨な腕。盛り上がった肩と胸。丸太のような両足。オーダーメイドの紅い警邏服の上からでもはっきりと分かる。四肢の隅々まで鍛え上げられた体躯が纏っているのは、筋肉の鎧だ。尋常ならざる訓練と実戦の賜物であることは、言うまでもない。


 白髪交じりの短髪は針山のように鋭く立ち、老いというものを感じさせない。やや細めの瞳には、見る者の心臓を凍らせるかのような迫力があった。


《黄泉還りの左龍》、《最終奥義伝承者(ラストナンバー)》、《天双滅》、《アンデット・ドラコーン》……数々の異名を持つ蒼天機関(ガルディアン)の首魁。『機関長』という大役を五年に渡って務めている大嶽左龍(おおたけ さりゅう)は、口元にほんの少しだけ笑みを浮かべて夜生に近づき、その細い肩に手を置いて囁く。


「臨時の司令代行、御苦労だった。済まないな。少々遅れた」


「少々どころの話ではありませんッ! 電話にも出ないし、一体どこで何をしていらしたんですかッ!」


 並々ならぬ強者のオーラを纏う上官を相手にしながらも、夜生は感情を抑えられなかった。さっきまでずっと、喉元に見えないナイフを突きつけられているような状況だったのだ。遠慮の無い彼女の口調は、緊張感がほんの少し和らいだことの証明である。


 部下に怒声を浴びせられても、流石は蒼天機関(ガルディアン)の長と言うべきか。大嶽は、己より一回りも離れた夜生の怒りを適度に受け流しつつ、口を開いた。


「さっきまで超現実仮想空間(ネオ・ヴァーチャルスペース)没入(ダイヴ)していたんだ。そうキンキン怒鳴られては耳元に響く。こっちの事情というのも、多少は考慮してもらいたいところだな」


超現実仮想空間(ネオ・ヴァーチャルスペース)……そ、そうです機関長ッ! ヴェーダ・システムに『深度5』クラスの感染が――自己修復機能も不全状態に陥っています」


「だから、電脳部隊の連中は既に動かしてあると言っただろう。心配はない。ここから先は私に任せておけ」


「……承知いたしました」


「よろしい」


 大嶽は夜生と変わる様にして司令台の上に立ち、声を張り上げた。


「オペレーション・ルーム全機関員に通達ッ! 現在時刻を以て、本事案、並びにそれに準じる種々の超法規的戦闘活動の総司令権は、夜生真理緒副機関長から、私、大嶽左龍機関長へ譲渡されたッ! 現時点を以て、貴君らは私の指揮下に入るッ! 承知せよッ!」


 雄々しい宣言に続ける形で、大嶽は指令を下す。


「尚、ヴェーダ・システムの致死性電子蜂(ブラックウイルス)感染による異常発生に伴い、予備回線を急遽準備した。《レギオン》のIPも、既にそちらへ切り替え済だ。メインサーバーの再起動後、引き続き、情報収集と事態解決へ向けて、解析に尽力せよ」


 言い放った直後、全モニター画面に連結されたサーバーがシャットダウンし、十秒とかからずに再起動を実行。画面に再び、幻幽都市各地区の映像が《レギオン》を通じて送られてくる。


「画面再起動を確認しました。しかし、インフラ・エラーが止められませんッ! 各地で、電子機器系統設備に甚大なる影響が出ている模様」


「インフラ・エラーの支障が最も多いのはどの区だ?」


「直ぐに調べます」


 直ちにオペレーターの両指がキーボードを叩き出す。司令台の直ぐ前に設置されている、巨大な立体映像投射器(ホログラフィッカー)に、幻幽都市の鮮明な立体図が、回転しつつ表示された。


「情報の入力を開始します」


 オペレーターがキーボードを操作する音に合わせるかのように、幻幽都市二十三区の各地域が赤く変色していく。最も色濃く変化したのが、板橋区、江戸川区、品川区、豊島区の四つの区域であった。


「この四つか」


「はい。追加報告しますと、四区共に未だに避難率が五十パーセントに達していません。現地の支部から、応援要請が多数来ております」


「人型二輪駆動機を、あるだけ出撃させろ。無論、格納庫(バックパック)が標準装備されている奴だ。取り残された住民を回収次第、速やかに支部へ帰投するように伝えろ」


「ですが、あれは無人用です。別回線を用意したとはいえ、万が一にでも電子系統に異常が発生した場合は……」


 オペーレーターの切迫した意見を受けてなお、大嶽機関長は冷静に応えた。


「キミ、確か半年前に入局したばかりの新人だったな? 今後の為に教えておこう。第七車両倉庫には、疑似核融合式燃料電池で動く有人仕様の機体が二百台近く置かれている。それを使え。一世代前の物だがメンテナンスはしてあると、全工学開発局(サルヴァニア)から確認をとっている。動作と機能性に問題は無いはずだ。現時点で本部に待機している大隊は?」


「えっと……阿難陀隊の第二、第三、第四、第五中隊、それに、目連隊の第一から第六中隊も待機中です」


「結構。待機中の全機関員に連絡を回せ。機関長権限により、大隊長への連絡省略を許可する」


「承知しました」


 すると今度は、大嶽の立ち位置から左前の方で、声が上がる。


「世田谷区で局所的な次元崩壊波を確認。また次元の門が出現したものと思われます。これで合計で五十八ヶ所……数が多すぎますッ!」


「次から次へとまぁ、奴さんも飽きないものだな……」


「世田谷支部から応援要請が届いていますが、いかがいたしましょうか?」


「羅睺羅隊を動かそう。隠岐津大隊長はどこにいる?」


「現在、第一から第八中隊を連れて、立川市へ出撃しています。なお、先ほどから都市西部には深刻な電波障害が発生しており、《レギオン》からの映像も、依然として乱れている模様です」


「西方か……いや、いい。立川に留まる様に連絡しろ。別回線へ切り替えたから、それで繋がるはずだ。出るまで続けろ。第四から第六中隊のみを切り離し、世田谷へ向かわせるんだ。あぁ、あと……おい、そこのお前、全工学開発局(サルヴァニア)の白神開発局長に連絡を入れろ。ヴェーダ・システムの件だ。手動でメインルートを《幹》から切断後、外部コード入力で汚染拡大に対処しつつ、ルートブロック023から0785をサブルートへ切り替えるようにと伝えてくれ」


「承知しました」


「それと、切断が完了したら私に直接連絡を入れるようにも伝えておくように。連絡が取れ次第、電脳部隊に致死性電子蜂(ブラックウイルス)除染作戦を発令する」


「機関長ッ! 港区の富楼那隊より通信。敵軍の一部を撤退させることに成功した模様です」


「そのまま前線を維持しつつ、負傷者の手当と、住民の避難に最優先で取り組むように通達しろ」


 まさに、疾風迅雷の指示であった。大嶽機関長は汗一つ掻くことも無く、次々と的確な指令をオペレーターへ伝達していく。


 そうして、受け取った指令をオペレーターが現場へ通達し、《レギオン》から随時送られてくる戦況を基に、迎撃作戦を即座に立案しては決行に移す。大規模戦場におけるルーチンワークが、既に構築されつつあった。


 常に相手の裏を掻き、出来るだけ後手に回らぬように努める大嶽の横顔を見て、夜生は改めて思った。


「(やっぱり、この人は凄い……若い頃にデッドフロンティアに単身で乗り込んで、五体満足で生還しただけの事はあるわ)」


 だが、感心してばかりもいられない。「機関長」と、小声で大嶽に囁く。


「電脳部隊の方は、既に準備が整っておいでで?」


「ああ。叢蛾(むらが)大隊長を筆頭に、真船司狼第三中隊長、不知火澪第三中隊長補佐も出撃する」


「《人喰い電狼(ギュスターヴ)》と《電脳潜戦士(サイコドライヴァー)》の二人が、ですか」


「そうだ。彼らなら、この窮地をなんとかしてくれる筈だ。だが……」


 大嶽は深刻そうに息を吐きながら、警邏服のポケットから四つ折りにされたA3サイズの記録用紙を取り出した。


「問題は、別の所にある」


 開いて中身を確認する。薄い記録用紙に引かれた罫線と交わる様にして、青と緑のインク書きで波長形がジグザグに記録されている。


 広げられた紙を手にして、大嶽は声を顰めて口にした。


全工学開発局(サルヴァニア)の装置が記録した、次元の門が発生する際に生じる、空間の歪み具合を数値化した記録表だ」


「それは知っていますけど、これが何か?」


「よく見ろ」


 そう言って、大嶽は波長形の一部を指さした。


「次元の門が発生する際には、通常、発生前後にノイズが混じるのが確認されている。初期空間振動というものだ。だが、今回観測された波長形には、それがない」


 確かに大嶽の言う通りた。波長形はある一か所を境にして、唐突に最大値を振り切る鋭利なピーク形を示していた。


「つまり……次元の門が何の予兆も見せずに『唐突に』出現したという事だ。こんな事は、今までに一度も無かった。幻幽都市の建都以来、初めて観測されたケースだ」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」


 大嶽が言わんとしている事を理解した途端、夜生は目を大きく見開いて言った。


「ということは……自然発生ではなく、何者かが『意図的に』次元の門を開いたと、そう仰るのですか……?」


「少なくとも、全工学開発局(サルヴァニア)の機関員の多くはそう考えている。私もそう思う。今回の事案は、裏で何者かが糸を引いている可能性が高い」


 まるで、悪い夢でも見ているかのようだ。夜生は頭を振った。


「それって言うのはつまり、次元そのものを操作するジェネレーターがいるって事じゃないですか。お言葉ですが、機関のデータバンクに、そのような特級クラスの使い手は記録されておりません」


「機関のデータバンクは完全ではない。我々が単に、そういった存在を見逃しているだけなのかもしれない」


「何か、心当たりがおありなのですか?」


 大嶽は目を細め、昔を思い出すかのように顎に手をやった。その様子を、夜生は黙って見つめ続けている。


「……まいったな」


 本当に困ったように、呟く。


「私の予想が正しければ、このままでは幻幽都市は滅びるぞ」


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