6-5 秘密結社・ダルヴァザ
秘密結社・ダルヴァザ。
デッドフロンティア近郊の地下に根城を構える闇の組織は、大小合わせて五十近い研究室を抱えていた。その全てが御台所と茜屋罪九郎の管理下に置かれ、人造生命体の製造や、軍鬼兵の大量生産の研究が日々行われていた。
だが、今日でそれもお終いだ。格納庫に収められていた軍鬼兵は、今やその全てが地上へ解き放たれている。
その数、およそ七千体。
実に七千体の恐るべき悪鬼達が、次元の門を渡って同時多発的に都市のあちこちへ出現し、人々を、街を貪り喰らい始めている。
「飼い犬に手を噛まれるっちゅうのは、中々に腹立だしいもんやな。全く、一体誰が育ててやったと思っとるんや。ジェネレーター能力の移植にだって、相当な金がかかったんやぞ」
統合制御室。地下施設の中でも、金と労力を一番つぎ込んで造られた研究室。その部屋の中心に設置されたメカニカル・チェアに腰掛けたまま、罪九郎は愚痴を零した。
「まぁ、どうでもええか」
視線を上方へ泳がせる。七つの巨大な壁面スクリーンの一つに監視カメラを通じて映し出されていたのは、床にへたり込み、白目を剥いて痙攣を続けるマヤ・ツォルキンの痛々しい姿だった。ピンクの長髪も、堀の深い顔も、吐瀉物に塗れて見るに堪えない。おまけに、口からは白い泡を噴き出している始末。
今、マヤの精神は首の皮一枚でやっと繋がっている状態だった。あと僅かでも特殊音響の出力を強めれば、完全に精神が崩壊するだろう。
普段の凛々しい姿から遠くかけ離れたその哀れな姿を目の当たりにして、罪九郎は電子眼鏡の淵を押し上げ、狂笑を浮かべた。
「無様やなぁ。実に無様や」
心の底から自然と吐き出された科白であった。人造生命体として第二の人生を歩もうと、あまつさえ創造主である罪九郎に対して刃を振り下ろしたマヤ。しかしながら、やはり運命には逆らえないのか。怒りと覚悟の籠った刃は罪九郎の喉元に達するどころか、掠りさえもしなかった。
彼らの人生は、全てこの男――茜屋罪九郎の手に握られている。それは未来永劫に変わらない事実。固定化された宿命である。
「殺すの?」
物騒な、それでいて艶のある声がした。茜屋は気怠そうに背後を振り返った。何時の間にか、秘密結社・ダルヴァザの総帥にして最強の戦士――御台所と呼ばれる妖艶な女性が、そこにいた。
「殺すぅ? よせやよせや。こいつをこの場で殺してしもうたら、切り札が召喚できへんやろうが」
「知ってるわよ。冗談で言っただけ」
御台所は笑みの一つも浮かべる事なく、どこか緊張した面持ちで応えた。壁面スクリーンに映る変わり果てたマヤに敢えて目を向けず、部屋の到るところに敷き詰められている精密機器へ視線を移した。
ここにある機材の全ては、茜屋が調達したものだ。闇市場に陳列される機会すら滅多にない、レア物の中のレア物ばかり。足がつくことを恐れての選定だった。昔とは違い、今は蒼天機関による闇市場の規制が強まっている。下手を打つ訳にはいかなかった。
機材調達は、決死の作業であった。闇市場に出回らないこれらの違法機材を一手に管理している場所は、悪意と欲望渦巻く幻幽都市でも、一か所しか存在しない。
蒼天機関すら迂闊に手出しできない、都市で最も悪意の色が濃いとされる場所。《害悪卵巣》と呼ばれる地下の暗黒街。そこへ出入りを繰り返し、多少の仕事をこなし、誠意を見せ、信頼を勝ち取らなければ、今回の計画は机上の空論で終わっていたに違いない。
仕入れ業者に頭を下げ続ける日々。プライドの高い罪九郎にしてみれば、屈辱の毎日であったに違いない。
慣れないおべっかを口にし、決して下手に出過ぎない程度に自身を貶め、機嫌を伺う。心にもない感謝の言葉を並べて、精神をすり減らす。自分を偽り続けた過去の数年間も、しかし今となっては懐かしい思い出だ。
あの時の苦労があって、今がある。そう、罪九郎は考えている。軍鬼兵の開発が成功したのは、これだけの高性能な機材を一式取り揃えることが出来たからだ。
そして今、七千体にも及ぶ彼らは、茜屋が下した指令通りに人々を虐殺し、街を火の海に包んでいる。罪九郎の昏い心は、冷たい充足感に満たされていた。
「親に歯向かう息子には、しっかりと教育してやらんとなぁ」
鼻歌を歌いながら、眼前に設置されている巨大な制御装置に手を付ける。色とりどりなパネルの中の一つを、人差し指の腹で軽くなぞった。
それは、特殊音響の制御を司るパネルだった。マヤを閉じ込めた部屋に流れている特殊音響の波長を、変えようというのだ。
思考攪拌の効果にプラスされる形で、新たな信号が――マヤの人格を『矯正』する為の信号が、部屋に流れ込み始めた。
「そんなことよりも、地上の様子はどうなってるのかしら。早く映しなさいよ」
「ん? うむ……」
冷淡な、有無を言わせぬ迫力があった。罪九郎としては、マヤがもがき苦しむ様を眺め続けていたいというのが本音だったが、しぶしぶと、言われた通りに手元のパネルを操作した。
即座に画面が切り替わる。御台所の能力を使って都市中に散布させた羽虫型マイクロマシンが搭載する高解像度カメラを通じて、七つの壁面スクリーンそれぞれに都市の様相が映し出された。
「流石は蒼天機関や。先手を打ったのはこっちやっちゅうに、早速住民の避難と、軍鬼兵への迎撃に乗り出しとるようやな」
スクリーンの一つ一つをつぶさに眺めて、茜屋が神妙な面持ちで語る。
「せやけども……」
一転して期待を向ける眼差しとなり、罪九郎は巨大な壁面スクリーンのうちの一つに目を向けた。
画面の向こう側に映る、炭と骸に満ち始めた市街地の一画では、激しい戦闘が行われていた。
戦闘移動用の可変式行動制御型二輪バイクを展開させて造り出した強化外装骨格を身に纏って戦うは、武骨な兵士の集団――呪工兵装突撃部隊の精鋭達だ。
彼らは超硬性セラミック・ブレードを振るい、迫りくる軍鬼兵の群れを薙ぎ払っていく。刃を振るいて赤い円弧を描くものの、機関員達の浮かべる顔といったら、驚き以外の何物でもなかった。
何故なら、つい今しがた殺したはずの軍鬼兵が、急速に失われた四肢を再生し出したからだ。骨と筋肉と組織を形成し、細胞間の修復を秒コンマ単位で完了させ、闘争は鎮まるどころか益々激しさを燃え上がらせていく。
画面を注視していた罪九郎が、勝ち誇った様に凄絶な笑みを零した。
「無駄や。いくら切り刻んでも軍鬼兵は死なん。ワシが精魂込めて実装した超高再生の恐ろしさ、とくと味わうがええわ」
単純な腕力比較なら、軍鬼兵は呪工兵装突撃部隊の機関員に大きく溝を開けられてしまう。
だが、それはあくまでも一対一の、しかも軍鬼兵に特殊能力が宿っていない場合の話だ。
実情は、大きく異なる。戦場とした幻幽都市二十三区のうち、実に半数近くの土地で、軍鬼兵の軍勢が呪工兵装突撃部隊の反撃を防ぎ切っているのが、その証拠だ。
一対一なら簡単にやられてしまう筈の軍鬼兵が、どうしてここまでの働きを見せているのか。その要因には、大きく分けて二つある。
一つは、集合知による知性の獲得だ。
人工菌の群体で且つ五節の指令しか受け取れないのが、本来の軍鬼兵のスペックだ。だがどうしたことか。スクリーンに映っている軍鬼兵は、罪九郎が指令の上書きをしていないにも関わらず、仲間とコミュニケーションを交わしている。
それだけではない。軍鬼兵は出来得る限りは十体前後の集団で行動し、呪工兵装突撃部隊の機関員を取り囲み、これを縊り殺している。その動きには、自分たちの戦闘が常に有利な方向へ働くように注意している気配があった。
彼らの体組織を構成しているのは、NEM菌と呼ばれる新種の『菌』。つまりはアメーバのようなもの。一つ一つでは意識どころか精神すら持たぬ存在であるのに、一定数の塊として場に現れると、集合知を獲得する。
やがては、それが知性を宿す。
本来なら人間にしか宿る事のない知性が今、この時ばかりは人間の専売特許ではなくなっていた。
軍鬼兵は集合知を進化させて知性を宿し、それが結果的に、戦術を駆使するという、有り得ない結果となってしまっているのだ。
そして、要因の二つ目に挙げられるのが、罪九郎が苦心の末に開発した体組織修復技術・超高再生にある。
これにより、どれだけ傷をつけられても、四肢が切断されても、圧倒的スピードで組織を再生・再活性化させることが出来る。
それは、不死身の領域に片足を突っ込んだ技術。未だに全工学開発局の科学者たちですら開発出来ていない禁忌の御業。
超高再生を宿した怪物相手に、機関員達は有効な手立てを打つことが出来ず、徐々に押され出しているのが現状だ。
全ては、罪九郎の予定通りに進んでいる。
彼にしてみれば、余りにも出来過ぎた現実だった。
「奴らは今、必死になっとるはずや。一体この騒乱を呼び起こしているのは誰なのか、血眼になって探しとるやろな」
「心配ないわ」
罪九郎の背後で、御台所が口を開いた。
「万が一の事態になったら、貴方が雇った技術者も含め、私の能力で全員脱出させてあげるから」
「頼むで大将」
そう言いながら、背後を振り返った時だ。普段あれだけ饒舌なはずの罪九郎が、思わず絶句する。御台所の笑顔を目にしたからだ。
それは笑顔というには余りにも禍々しく、余りにも狂喜じみた笑みであった。普段は周囲にそっけない態度を取り続けている筈の彼女が、この時ばかりは、まるで別人と化したかのように瞳をギラつかせ、荒い息を吐いている。
御台所の昏い炎に満ち満ちた瞳は、罪九郎を捉えていない。この部屋に来た当初からずっと、彼女の双眸は壁面スクリーンに映し出された都市の姿に釘付けになっていた。醜悪な軍鬼兵が人々を襲い、血肉を貪り、建物という建物を破壊し、機関員との抗争を続けている。
幻幽都市は混乱の最中にあった。そして混乱が増せば増すほど、御台所の吐く息には艶やかが増し、小麦色の肌が薄紅色に上気していく。身に纏っている衣装の際どさもあって、なんとも煽情的な雰囲気を醸し出していた。
「たまらないわね」
獲物を前にした肉食獣のように舌なめずりをし、興奮気味に捲し立てる。
「いい気味だわ。実に、いい気味よ。私をあんな目にした罰よ。罪には罰を以て贖わなければならない。心が躍るようだわ。最高の殺戮具合ね」
「……」
憎悪と快楽でいびつに歪んだ御台所の唇から目を逸らすと、罪九郎はスクリーンに向かい考えた。御台所の素性についてだ。
そもそも、最初にこの計画を立案してきたのは御台所だ。罪九郎は、それに乗っかる形で協力をしているに過ぎない。
その時は、それで良いと思った。プライベートな事情に干渉し、下手に機嫌を損なうのは嫌だったし、彼女の素性を知らないことが、計画の支障に繋がる訳でもなかったから。
だが、やはり気になってしまう。
秘密結社ダルヴァザに籍を置く者達は、全員が何かしらの恨みを幻幽都市に抱いている。その恨みの度合いは様々だが、特に組織の長である御台所の恨みには、凄まじい物があった。寝ても覚めても幻幽都市を滅ぼす事を考えているような、そんな女だ。
『これはあくまでも噂ですが、御台所は昔、《髑髏十字》に所属していた事があるらしいですよ』
二年ほど前、罪九郎は部下からそんな話を聞いた事がある。その時は『下手な嘘をつくもんやない』と笑い飛ばした。
しかし、その噂が本当だとしたら……
嘗て、幻幽都市の大幅な治安向上に一役買った、蒼天機関が保有する特殊部隊・《髑髏十字》。またの名を、天柩の戦士。
彼女がそのメンバーの一人だとしたら、あの常識外れなジェネレーター能力を宿しているのも頷ける。
だが、この仮説が正しいとしたら、どうしても解せない事がある。彼女が何故、これほどまでに激しい憎悪を幻幽都市に抱いているのか、説明がつかない。
「(確か天柩の戦士は、当時の蒼天機関機関長の暗殺計画を企てた罪で指名手配いされた挙句、全員捕まって処刑されたっちゅう話やったな。どう考えても、非は天柩の戦士側にあると見て当然のはずや)」
単なる逆恨みで、今回の事態を引き起こしたとでもいうのだろうか。
「(いや、もしかすると……事実は違うのかもしれへん)」
「茜屋」
唐突に名前を呼ばれて、思わず肩をびくつかせる。まるで、『お前の考えなど全てお見通し』だとでも告げるような、冷徹な響きが彼女の声色には含まれていた。
「な、なんや」
「軍鬼兵の善戦っぷりは分かったけど、人造生命体の活躍っぷりはどうなってるのかしら」
「あ、ああ。今状況を映すさかい。ちぃと待てや」
言うと、罪九郎は手元のパネルを操作した。七つのスクリーンのうち、四つのスクリーンが、人造生命体の戦闘を中継する。
「見ての通りや。キリキックのヤツは、軍鬼兵の事なんか無視して、好き勝手に暴れとる。巻き添えで殺された奴らも、何人かいるようやな」
「彼らしい粗暴な戦いね」
「頼むでホンマ……で、ルビーとスメルトは軍鬼兵を上手い事使うとるようやな。ほんでチャミアは……まぁ、上々といったところか」
「アハルはどんな具合かしら」
「奴なら既に動き出しとる。ついさっき指令を出したばかりや」
「頼むわよ。ヴェーダ・システムに深刻な打撃を与えれば、都市のインフラ設備、その全てが停止する。《切り札》を発動させる前に、なんとしても成功してほしいものだわ」
「そう焦らんでもええ。封印の解除には、まだまだ沢山の血が必要や。アハルにはゆっくりじっくり、仮想世界をぶっ壊すように言ってある……そうや、まだ『アイツ』の封印を解くには、贄となる血の量がまだまだ足らひん。ここは一発、再教育したてのマヤ君に出撃してもらわんとな」
「言う事、ちゃんと聞いてくれるかしら」
「思考攪拌で矯正したし、今度は大丈夫や」
「思考攪拌ね……」
「どないした?」
「あれ、私嫌いなのよ」
地面に唾を吐くかのような態度で、御台所は呟いた。
「頭の中を虫が這いずり回っているような感覚よ。モゾモゾガサガサグチャグチャ。そんな不快な音がずーっと耳の奥で鳴り続けて、三十分に一回は吐いていたわ……あの頃は、本当に悔しくて悔しくてどうしようもなかったけど、こうして報われたんだもの。いい経験になったわ」
まるで体験話の如く思考攪拌の恐ろしさを語る御台所に対して、罪九郎はなんと返事をして良いか迷った挙句、話を変える事にした。
「ところで大将。あんさん、この戦いが終わったら何したいんや?」
「え?」
「え? じゃないがな。まさかこの街と心中するわけじゃないんやろ?」
「当たり前じゃない」
「じゃあ、何をやりたいんや?」
メカニカル・チェアに座ったまま、背もたれに右肘を乗せて、じぃっと御台所の瞳を見つめて、罪九郎は言った。
「ちなみに、ワシはもう決まっとる」
「何?」
御台所の問いかけに、ふふん、と自慢げに鼻を鳴らしてから、彼は勢いよく答えた。
「ステーキを喰うッ!」
「しょうもないわね」
反射的な突っ込みだった。途端に罪九郎の機嫌が悪くなる。
「ええやないか別に! ワシが何を食おうがワシの勝手や! この街に来てからずーっと、『ちゃんとした牛肉』にありつけておらへんのやぞ! 久々に喰いたいと思うのは、《外界》に住んどった人間の性やろうが!」
目を細めて遠くを眺める罪九郎。彼の頭の中で踊るステーキの狂乱。過ぎた妄想に涎を垂らして、彼は語るのを止めない。
「あのジュワッ!とした肉汁。口の中に溢れる甘い脂。一噛みすれば、まるで世界を支配したかのような気分になれる、極上の霜降り牛。焼き過ぎは禁物や、せやからミディアム・レアが一番いいんや……神の肉やでホンマになぁ……肉、肉、牛、肉、牛、松坂牛、近江牛、神戸牛、山形牛、村上牛、米沢牛、とちぎ牛……なんとしてでも、日本全国の牛を食ってやるで!」
「私は、ベヒイモスの加工肉で十分美味しいと思うけど」
これといった感情も含まずに御台所が口を開く。
「まぁ、そんな程度のやりたいことだったら、私にもあるけどね」
「お、聞かせてくれや」
「私の、私のやりたいことは――」
御台所は、はっきりと口にする。未だ誰にも喋ったことのない、自分が本当にやりたいこと。将来、必ずやりたいこと。この戦いが終わってからのやりたいこと……
御台所の口にした『やりたいこと』を耳にして、罪九郎は何とも言えない表情を浮かべた。
それは、笑い飛ばしたら本気で殺されるからやめておこうという遠慮から来る感情と、どうしてそんな普通の事を『夢』として挙げるのかが分からないという感情を抱いたからだ。
だが、確実に言える事がある。
御台所の口にした『やりたいこと』は、とてもじゃないが、幻幽都市をこれから滅ぼそうとする組織の長が口にする内容ではなかった。『壮大さ』からは遠くかけ離れている。
「鳩が豆鉄砲を食らったような顔してるけど、なにか?」
反応が気に食わなかったのだろう。御台所は、明らかにそれと分かる態度で罪九郎を睥睨している。
「い、いや、全然」
下手な事を言う訳にはいかないと思い、罪九郎は御台所から視線を外し、スクリーンへと再び目線を移動させた。
だが、映像の情報が頭に入ってこない。彼の頭の中では未だに、御台所が口にした『やりたいこと』が、延々と繰り返し回っていた。




