6-1 アンドロイドの運命
時は、少しばかり遡る。
再牙が危険区域・WBCカンパニーを訪れようと立川市へ向かっていた頃、残された琴美とエリーチカは電車を乗り継ぎ、千代田区を訪れていた。
目的地は再牙とエリーチカ行きつけの射撃訓練場である。とはいっても、今回演習を行うのはエリーチカではない。琴美の方だ。再牙が獅子原錠一の足取りに関する証拠品を集めてくるまでの時間潰し、というよりは、琴美に拳銃の扱いに慣れてもらう事の意味合いの方が大きかった。
千代田区南部に広がる住宅街は静まり返っている。空模様は刻々と変化し、今は燃え上がる夕焼け色に包まれている。
街一帯が郷愁を誘う風景に満ち溢れていた。人通りはまばらで、街自体が深い眠りについているかのようだった。歩道沿いに等間隔に植木されたイチョウ並木がつける黄色葉の、なんと鮮やかな事だろうか。
夕焼けを背にして歩くエリーチカと琴美の足元には、濃い影が刻まれている。片方の影が軽やかに動くのに対し、もう片方は実に鈍重な様子であった。
「どうかされましたか?」
エリーチカは歩速を緩め、隣を俯き加減で歩く琴美に声をかけた。普段は両肩から伸びている二対の『腕』も、今は肩の辺りに収納している。そのせいで、今のエリーチカの外見は少し変わった服装をした美少女といった風にしか見えない。
しかしながらその声は、こんな鮮やかな風景の下であっても依然として冷たく、表情は鉄仮面の如く無表情に終始していた。姿形が人間でも、エリーチカの言動からは旧式のアンドロイド感が滲み出ている。
「あ、ごめんなさい。何でもないんです。心配しないで」
ハッとして顔を上げ、琴美は努めて明るい表情を浮かべた。どこかぎこちない笑顔だ。エリーチカはしばらく、琴美の瞳の奥を覗き込むように凝視していたが、やがて、
「もしかして、私がいない間に、うちの再牙が何か失礼な事でもしてしまいましたか?」
「へ?」
言ってることの意味が直ぐに飲み込めず、琴美がぽかんと口を開ける。
「先ほどからずっと、何か思いつめた表情をしていましたから。もしかしたら、と思いまして」
「え、あ、いや……」
「申し訳ございません」
エリーチカは琴美へ向き直り、深々とお辞儀をした。金色のショートボブにカットされた毛髪が、夕焼けの光を反射して、眩しかった。
エリーチカは顔を上げると、その何を考えているのか分からない紺碧色の瞳に琴美の姿を捉えて、長ったらしく謝罪の弁を述べた。
「先に謝っておきます。再牙が貴方様へ無礼を働いたということは、それは、同居人且つ兄弟子である私の責任でもあります。もし、彼の発言で何か不快に思った所がございましたら、どうかこの場は、私の顔に免じて許していただけませんでしょうか」
とても、機械仕掛けの人形とは思えぬほどに流暢にしゃべるものだから、琴美は何と返事をしてよいものか迷った。しかしそれ以前に琴美は、エリーチカが重大な勘違いをしていることに気がついた、
琴美は何も、再牙に危険区域への動向を断られたから機嫌を損ねている訳ではなかった。ましてや、己がひた隠しにしていた父への感情を炙り出されたことに、腹を立てている訳でもない。
琴美は、向き合おうとしているだけだ。再牙の言葉で改めて自覚した『父への複雑な想い』に真正面から対峙しようと、一人戦っているだけなのだ。
琴美自身、薄々感づいていたのかもしれない。再牙の言う通りであると。即ち、父がこの街で為そうとしていた事を明らかにしても、己の心に『嘘』を突き続けている限り、この、心の奥底でくすぶり続ける『黒い感情』を解消する手だにはならないのだという事を。
だから、琴美はエリーチカの勘違いを解こうと、必死になって首をぶんぶんと横に振った。
「か、勘違いしていますよ、エリーチカさん! 私、火門さんに何かひどい事されて、落ち込んでいた訳じゃないですから!」
「でも、落ち込んでいる事に変わりはない訳ですね?」
「そ、それは……」
何と言葉を続けようか、琴美はしどろもどろになってしまう。その様子を見て、エリーチカはこれ以上の詮索を止めた。代わりに、またしても「すみません」と口にする。
「依頼人の心に、危うく土足で踏み込もうとしてしまいました。アンドロイドの身分で出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ございません」
「別に、謝らなくてもいいのに……」
やけに自虐的な言い方に引っ掛かりを覚えつつも、琴美はそれ以上、言葉を紡げなかった。二人は、どちから言うまでも無く、自然な成り行きで再び歩を進める。
射撃訓練場は、最寄駅から歩いて大凡三十分程先の地点にある。時刻は既に四時半を回っていた。到着には、まだ時間がかかる。
「このままだと、目的地にたどり着く前に陽が落ちてしまいかねませんね」
雲の切れ間から顔を覗かせる茜色の太陽へ冷ややかな視線を向けて、エリーチカがぽつりと呟いた。自然と、琴美は申し訳ない気持ちになって、
「なんだか、すみません。私の為に……」
「いいのです。再牙の命令ですからね。弟弟子の頼みを聞くのも、兄弟子の仕事ですから」
「……あの、歩きながらでいいんですけど、聞いても良いですか?」
「なんでしょうか」
「さっきから、兄弟子だとか弟弟子だとか仰ってますけれど、その、お二人はどういう――」
「関係なのか、という事ですね?」
「あ、は、はい」
「解りました。お答えしましょう」
琴美の言葉を引き継ぐ形で、エリーチカはやや歩くスピードを緩めて琴美の隣に並ぶと、静かに語り出した。
「そもそも、再牙が営んでいる万屋『火炎ぐるま』は、元々は、とある一人の女性が立ち上げたものだったんです」
女性、というワードを耳にして、琴美の脳裏に浮かんだのは、『カエルの食事処』でジーンと再牙の語り合いの中心にいた、火門涼子なる女性の存在であった。
かくして、琴美の勘は的中する。
「その女性の名は、火門涼子。新宿で活動していた頃に『伝説の万屋』として市井の人々から尊敬され、犯罪者達からも蒼天機関からも、目の仇にされていたお方です。私は、彼女のパートナーとして、共に戦い、共に励まし合い、共に依頼を遂行してきました。私は彼女を『先生』と呼び、涼子先生は私の事を『一番弟子兼相棒』と呼んでいました」
「ああ、なるほど。その後に火門さんがお二人の所にやってきて、だからあの人は、エリーチカさんの弟弟子だという事なんですね?」
「その通りです。因みに、再牙が『火炎ぐるま』の二代目を継いだのが、今から五年ほど前の事でした。あの頃は、右も左も分からない小童だったのに、今では大分しっかりして……それでも、私に言われせれば、まだまだ半人前なのですが」
琴美は思わず失笑を漏らした。エリーチカの口調が、出来の悪い息子を可愛がる母親のそれのように感じられたからだ。
「手厳しいんですね」
「涼子先生と比べると、まだまだです。仕事も遅いし手際も悪い。でも、良くやっていると思います」
「へぇ……でも、なんだか意外です。エリーチカさんが万屋家業としていて活動していた時期があったなんて……」
「昔の話ですよ。今は再牙のサポートに回るような形で、第一線からは遠のいてしまいましたしね。五年程前までは、現役バリバリだったのですが。今は、再牙とまともに組手をしたら、あっさり組み伏されてしまいますでしょうし」
エリーチカは、どこか遠い目をして口にした。
「出会ったばかりの頃は、本当にどうしようもない弟弟子でしたけど、良くここまで成長したと思います」
どこからともなく吹き下りてきた秋風が、二人の髪を強く撫でつけた。厚手のコートを羽織っていても思わず肩を窄めてしまいそうになるほどの、乾ききった風。
そんな中にあって、琴美はじっと、エリーチカの横顔を眺めていた。旧式アンドロイドであるがゆえに、彼女の表情に色は無い。
それでも琴美は一瞬、ほんの一瞬だけ、エリーチカが実に寂しそうな笑顔を浮かべたような、そんな錯覚を覚えた。
『誰にだって、秘密がある』
琴美の脳裏に浮かび上がるのは、いつぞやの再牙の言葉だった。
「その……」
言いかけた所で、琴美は口を閉じた。『それ』を聞いてしまうことに、どこか憚られる思いがあったからだ。だが、そんな琴美の思いを見透かしたかのように、エリーチカが口を開く。
「仰りたいことがあるのでしたら、言ってください」
「え……」
「涼子先生も言っていました。時と場をわきまえてさえいれば、聞きたい事はどんどん聞き出すべきだと」
そう口にするエリーチカの横顔は、いつもと変わらず無表情を保っている。琴美はエリーチカから視線を逸らし、少しばかり逡巡してから、
「……その火門涼子さんという方は、今はどこで何を?」
「五年前に亡くなりました。交通事故で」
やっぱり、そうなんだ。
再牙がジーンと話していた時に浮かべていた、あの思いつめたような表情と、今のエリーチカの姿が、琴美には二重に重なって見えた。
「ごめんなさい……」
「どうして、謝るのですか?」
「いや、その……余りにも無遠慮過ぎたかなと思って。悲しい思い出を呼び起こしちゃって、ごめんなさい」
「ああ、それでしたら、気になさらないでください」
エリーチカは何でもなさそうにそう言った。科白に感情は込められておらず、実にあっけらかんとした口ぶりだったのが、琴美の心に引っかかる。
「どういうことですか?」
エリーチカの反応を不審がり、思わず目を細める琴美。そんな彼女に対し、エリーチカは、淡々と答えた。
「涼子先生が亡くなったという事実は記憶していますが、その当時の状況や、私自身が受けた感情を記憶していないので……思い出す方が無理な話です」
「そ、それって……」
空恐ろしい思いになり、琴美は息を呑んだ。
「それって、涼子先生が亡くなった事を覚えていないのと、どう違うんですか?」
「全然、全く違いますよ。つまり感情だけが欠落していて、事実だけが私の頭の中……人工魂魄に蓄積されているのです」
「人工魂魄?」
聞きなれない単語に、琴美は首を傾げた。
「アンドロイドなら誰しも必ず宿している、人間の脳に当たる最重要器官です。私たちアンドロイドは、自身が獲得した知識や情報を全て人工魂魄の中に蓄積し、精査し、自身のバージョンアップに繋げているのです。ただ――」
「ただ?」
「人工魂魄には、精神や魂、自我といった、非計算領域としての側面もあります。外部から有害な情報をうっかり取り込んでしまった場合、人工魂魄の機能に異常が生じ、深刻な精神汚染に見舞われる可能性があります」
「精神汚染……」
「人間で言うところの、統合失調症だとか錯乱症とかに例えられる、アンドロイドが罹る『病気』の事です。そして、そういった有害な情報を取り込む危険が迫った場合、人工魂魄は自己防衛機能を働かせて、強制的に情報をシャットアウトしてしまうのです。正確には、情報を取得することで発生するであろう『感情』や『想い』といった情緒的概念を取り払い、事実だけを蓄積するのです。私のような旧式のアンドロイドは勿論、新型のアンドロイドにも、そのような処置が施されています。私たちアンドロイドが、『負の感情』に囚われないようにするために」
アンドロイドの体に隠された秘密の一端を知り、琴美は、ただ黙る事しかできなかった。負の感情に支配されることで、困るのはアンドロイドではなく、むしろ人間の方なのだろう。ふと、そんな事を思う。
もしも、彼女らが人間と同じように。哀しみや憎しみを知る様になったとしたら――どんなことが起こるか、技術者たちの間でも想像がつかないのだろう。
万が一にでも、人工魂魄に『負の感情』が植え付けられてしまったら。それが何らかの、具体的には人間への反抗心に繋がりでもしたら。言うまでも無く、大変なことになる。だから、そういった仕組みを作り上げたのではないか。
そういう考え方が社会的に有用である事を頭の中では理解出来ても、琴美は納得できなかった。心がついていけなかった。
「アンドロイドは、人間にとって、都合の良い存在でなければならないのです」
その一言が、琴美の全身を硬直させた。怒り、哀れみ――複雑な感情が、洪水のように頭の中に流れ込んできて、はたと、足を止める。
「あなたは……」
「どうかされましたか?」
琴美が足を止めた事を不思議がり、前を歩いていたエリーチカが仏頂面で振り返った。その、美しくもどこか冷ややかな印象を与える紺碧色の双眸を見つめて、琴美は絞り出すような声を上げた。
「あなたは、それでいいんですか?」
「……」
エリーチカは、答えない。
構わない。琴美は語る事を止めなかった。
「私……上手く言えないんですけど、それってきっと、大事な部分だと思うんです。その……自分にとって、大切な人が亡くなったりするのは、それは、とても悲しくて辛いことだし、出来れば起こって欲しくない……でも、大切な人の死に直面して心に沸いた感情に折り合いをつけて、しっかり前を見て乗り越えていかなきゃ……乗り越えなきゃ、いけないんじゃないかなって……あ、あれ、私、何を言ってるんだろ……」
柄にもない説教じみた事を口走ったことに、頬を赤く染め、照れ隠しで髪の毛を弄る琴美。そんな小さな依頼人をしばらく眺めた後、エリーチカは感情の籠らない声で、
「再牙と、同じことを仰るんですね」
静かに、そう言った。
「火門さんも……」
彼なら言いかねないなと、琴美は思った。
「でも、ご心配なく。私は私、人間は人間ですから。アンドロイドにはアンドロイドの生き方があります。涼子先生と過ごした想い出が消えた訳でもありませんし、私は至って普通です。それに」
エリーチカは一旦言葉を区切った。無感情な瞳が、暗く窪んだ。
「私個人がどうこうしたところで、私は私自身を変えられません」
それよりもと、エリーチカは琴美から視線を外すと、空へ視線を向けた。秋空の空模様は変化が早い。気が付いた時には、すでに日はとっぷりと暮れている。
「このあたりの夜は危険ですから、さっさと行きましょう。近道がありますから、ご案内しますよ」
それだけ言い残して、エリーチカはさっさと前を歩いていく。慌てて、琴美も後を追った。
「(至って普通……か)」
エリーチカの白い背中を見つめ、複雑な心持でいた。負の感情の一切をシャットアウトし、人間にとって都合のよい存在でならなくてはならない。それがアンドロイドの宿命なのだとしたら――彼女たちの『人生』は、人間の為の人生なのだろうか。
「でも」
ふと、エリーチカが足を止めた。
「……あなたの仰っている事も、少し、分かるような気がします……」
しかしその呟きは、突如冷たく吹き付けてきた秋風に流され、ついぞ琴美の耳に届くことは無かった。
△▼△▼△▼△▼
まるで猫みたいだ。
エリーチカの後ろをついて歩きながら、琴美はそんな事を思った。街に住んでいる野良猫よりも、エリーチカは千代田区の地理に詳しかった。
「現役時代の頃は、よく足しげく射撃訓練場に通っていましたから、自然と覚えてしまったのです」
エリーチカの言葉によれば、近道を使えば十分少々で訓練場へ行くことが出来るという。その為には、大禍災の影響で地面があちこち隆起してできた、迷路のように入り組んだ急坂を歩いていかなくてはならない。
幻幽都市に慣れ切っていない琴美からしてみれば、こっちの近道の方が時間がかかりそうに見えた。だが、エリーチカに言わせるとそうでもないらしい。
傾斜四十度近い坂道の上に並び立つ幾つもの住宅を見ていると、こんな険しい土地にも人は住めるものなのかと、琴美は少々の驚きと感動を覚えた。主だった坂を登り切り、再び平坦な道へと戻った頃には、時刻は午後五時を過ぎていた。
「この道をあと三分ほど歩けば、射撃訓練場が見えてきますよ」
街灯が、アスファルトの道路を仄かに照らす。時折強く吹き付けてくる冷たい秋風に、琴美は身を縮こまらせた。ここへ来る前に一旦アパートへ戻り、コートを羽織ってきたはいいものの、やはり寒さには堪える様だ。一方のエリーチカは、どうってこともなさそうに、ずんずん先へ進んでいく。
「エリーチカさん、寒くないんですか?」
「ええ、全く。体温センサが内臓されていますからね。外気温に合わせて熱感度を調節すれば、熱帯地方だろうと北極だろうと、どこでも運用可能です」
「変温動物みたいですね」
「再牙もそう言ってました。トカゲみたいだなって。全く、失礼な弟弟子です。『私がトカゲなら、あなたはヤモリですね』って言い返したら、複雑な表情を浮かべて――」
そこで、エリーチカが足を止めた。ついでに黙りこくる。
「どうしたんですか?」
不審に思った琴美が声をかけても、エリーチカに反応は無い。彼女は、歩道の脇へ視線をじっと向けたままでいる。
琴美がエリーチカの肩越しに立って視線を合わせると、そこには、街灯に照らされた薄汚れたゴミ捨て場があった。
「何か……あるんですか?」
「……」
エリーチカは依然として閉口したまま、ゆっくりとした足取りで、そのゴミ捨て場に向かって歩き出した。エリーチカが突如見せた奇行に、漠然と嫌な気配を感じ取りつつも、琴美も後へ続く。
そして――
「あ……」
ゴミ捨て場に捨ててある物を確認した途端、琴美はあまりの凄惨な光景に、一歩二歩と後ずさってしまった。その隣で、エリーチカは物言わず、ゴミ捨て場に乱暴に投げ捨てられた死体を凝視していた。
その死体は全裸で朽ち果て、しかも人間のものではなかった。姿形は人の姿ではあるが、剥き出しの鋼材や電子機器の類は、どうみても人間のそれではない。
「これって、サイボーグ……」
「いえ、違います」
琴美の呟きを、エリーチカがはっきりとした口調で否定した。
「これは、アンドロイドです」
確かに良く見てみると、ボロボロに剥がれた体色の塗装や、抜け落ちた人工炭素の毛髪はサイボーグらしくない。眼球の一部は欠け、腹部には大きな穴がぽっかりと開いている。体の線の細さから言って、女性――ガイノイドと呼ばれるタイプのものである事が伺える。
「私を始めとしたガラテイア・シリーズのアンドロイドよりも、一世代前に造られた初期のアンドロイドですね」
淡々と告げるエリーチカ。しかし琴美の心中は穏やかではない。反射的に声を張り上げる。
「そ、そんな呑気にしている場合じゃないですよ! 早く警察……じゃなかった、蒼天機関の人達に通報しなきゃ……!」
琴美は、こんな状況を前にしても全く動じないエリーチカの態度に若干の怒りを覚えた。琴美はバッグの中身を漁り、必死になってスマートフォンを探し始めた。
「……もしかして、蒼天機関に連絡をするおつもりですか?」
「そうだよ! というか、なんでそんなに冷静なの!?」
「なんで、と仰られても……私からしてみれば、失礼かもしれませんが、貴方様の行動の方が理解できません」
愕然として、思わず琴美は声を上げて反論する。
「ど、どうして!? だって、このアンドロイドさん、どう見ても誰かに殺されたとしか……」
「殺された、のではありません。いらなくなったから、処分されたのでしょう」
エリーチカは、打ち捨てられた同胞へ視線をやり、
「幻幽都市では、アンドロイドに人権はありません。アンドロイドの運用管理に関する法律は都市新法に事細かく記されていますが、決して『人』としては扱われないのです」
「そんな……じゃあ、家電製品を捨てるような、そんな感じなの!?」
「仰る通り。アンドロイドは、人間に似せた機械人形です。所詮、人形なんですよ。だから、捨てようが破壊しようが、決して『殺人事件』としては、認められないのです」
「……」
「さっきも言いましたが、アンドロイドは人間にとって、都合の良い存在でなければいけないのです。都市新法にもそのように定義されています。人間にとっては、何も問題ないことなんです。ただ、こうした風潮に真っ向から反論して、デモ活動をしている方々もいらっしゃいます。ですが恐らく、現状は変わらないでしょう。何故なら――」
「人権を認めると、アンドロイドが人間にとって都合の悪い存在になる……」
琴美の呟きに、エリーチカは黙って頷いた。
「これが、アンドロイドの辿る運命なんです。動かなくなったらゴミとして処理されて、お墓も立ててもらえません。アンドロイドとして生まれた以上、こうなる運命を変える事は出来ないのです…………でも」
エリーチカは、そこで僅かに言葉を途切れさせた。いや、正確には歯切れが悪くなったというべきか。言いたいことをもどかしげにしているようにも見える。
瞬きをする回数が増え、それにつれて声が静かに震え出した。
「我慢が……ならなくなる時があります……」
「エリーチカさん……」
心配そうに顔を向ける琴美を、エリーチカは片手を上げて制した。
「申し訳ございません。大丈夫、大丈夫です。私は正常です。人工魂魄が、全て解決してくれます。今、この場で見た事も、ただ『ゴミがゴミ捨て場に捨ててあった』という事実に、処理してくれますから。余分な異常感情は、全てシャットアウトしてくれますから」
「エリーチカさん……」
エリーチカの呼吸が少し荒くなっている。表情も先ほどまでの鉄仮面ではなく、やや悲痛そうに眉間に皺を寄せていた。
琴美は、泣きたい気分で一杯だった。
エリーチカには感情がある。ただ、それを上手く出力できないだけなのだ。再牙はそう言っていた。加えて、哀しみや怒りといった負の感情を抱かぬように、人工魂魄が全てを調整してくれる。
しかしながら、それはあくまで機能の話だ。エリーチカの『本心』はどうなのだろうか。
琴美は、直ぐにその問いに対する答えを導き出す事が出来た。きっとエリーチカだって、人間と同じように、泣いたり怒ったり、笑ったりしたいはずに違いない。
それなのに、感情を封印されて……こうして、理不尽な現場を見ても、涙を流す事さえ許されない。
「……」
感情の規制と必死に向かい合うエリーチカの傍で、琴美は何を思ったか、おもむろにコートを脱ぎ捨てた。
「何を……しているんですか?」
今度は、琴美が黙る番だった。エリーチカの言葉に耳を貸さず、そっと、脱ぎ去ったコートをアンドロイドの残骸に被らせる。夜、気持ちよさそうにベッドで寝ている子供に、母親が乱れた布団を掛け直させてやるように。そっと、静かに優しく。
「やめて下さい。そんなことをしたら、貴方、風邪を引いて――」
「昔ね」
静かな、それでいて強い口調だった。エリーチカが初めて見る、琴美の真剣な姿だった。
「昔、私が小学生だった頃、お父さんと映画を見に行ったことがあるの」
「お父さん……獅子原錠一氏とですか?」
「そう。お父さんが家を出る、一年くらい前の事だったかな。リバイバル上映されていた映画でね。西部劇……マカロニ・ウエスタンっていうジャンルの映画で、私も、お父さんも、その映画が大好きだったの」
「……はい」
「その映画の中で、主人公が戦争で負傷して動けない兵士さんに、煙草を吸わせてあげて、毛布を掛けてあげるシーンがあって……結局、その兵士さんは亡くなっちゃうんだけど、私、そのシーンが凄く想い出に残ってるんだ」
琴美は、苦笑いを浮かべて続けた。
「私、まだ十五歳だから煙草なんか買えないし、暖かい毛布もないけど、でも、せめてこれくらいは、してもいいよね。ううん、違う。しなきゃ、ダメだよ。この街に来て、まだ一週間も経ってない私が言うのも、おかしな話なのかもしれないけど、アンドロイドは、人間として扱わなきゃ、ダメな気がする」
琴美は言い終えるとしゃがみ込み、静かに両手を合わせて黙祷を捧げた。
秋風が吹く。冷たい秋風が。しかし、琴美が肩を震わせることはなかった。
「琴美……さん」
エリーチカは呆然として、ただ、琴美が祈りを捧げている姿を、見続けるしかなかった。




