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アナザポリス・オリジナル-怪力乱神幻瞑録-  作者: 浦切三語
第五幕 ホワイトブラッド・セル・カンパニー
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5-6 二つ目の依頼

【自分を責めずにはいられなかったよ】


 仮想の風が、男の胸懐を貫くかのように、強く平原を吹き荒れた。錠一は、遠くに望む雄大な山々へ、虚無的な視線を運んだ。ここにきてからはずっと、自然が彼の話し相手だった。それは、人間の心理など取るに足らないとばかりに喋りかけてくる、無遠慮な友人だった。


【深淵を覗くとき、深淵もまた、こちらを覗いている……私は自らの好奇心に負けたんだ。自分から、茜屋の誘いに乗って、それであのザマだ】


「別に、あなたのせいでは……」


【いや、私のせいだよ】


 力強く、錠一は答えた。


【現に私の研究成果の殆どが、奴の野望に利用されていたんだ。もし、私が手を貸さなかったら、あの少年少女たちだって……あんな、おぞましい目に遭わされる事も、なかったのかもしれない】


 錠一の言っている事は結果論に過ぎない。誰が聞いたって、同じ考えに至るだろう。それでも、彼は己を責め続けた。肉体が滅びて魂の巡礼者になっても、彼は己を許せなかった。自身の行動を、悔やみ続けた。


 妻の命を助ける目的で幻幽都市へ向かった筈が、助けられなかったばかりか、本人が知らなかったとは言え、自らの研究が人体実験に利用されていたと知ったときの彼の心情と言ったら、如何程のものだったのだろう。


【すべてを知った私に残された道は、一つしかなかった】


 錠一の瞳の奥で、昏い炎が色めき立つ。それは、これまで再牙が目にしてきたどれとも異なった色をしていた。人間の裏側にある浅ましい残酷性を目にし、人間の矮小さと愚かさを痛感した者にしか辿り着けない、負の頂きであった。絶望の極致であった。


 その絶望の極致から、錠一は精一杯に力を振り絞り、矢を放ったのだ。

 人の皮を被った怪物の棲む魔城・WBCカンパニーへと。

 全てを奪った、打ち倒すべき敵へと。


【茜屋から事実を突きつけられた日の夜、私はWBCカンパニー内のデータを全て破壊する事を決意した。幸いな事に、薬品庫の場所は把握していたし、上手くやれると思った。まず地上施設に火を放ち、続いて、あの地下施設を破壊しようとした。だが、そこで奴の……茜屋が差し向けた部下に襲撃された。傷を負いながらも、私は何とかして地上に脱出し、事の全てを蒼天機関(ガルディアン)に話そうと思った。が、途中で奴らに追いつかれてね。後ろから銃弾を何発も浴びて、私の肉体は血を流し、死んだ】


 再牙は黙って頷いた。これでようやくはっきりした。WBCカンパニーを襲った火災事故は、事故ではなかった。己の背負った罪を償おうとする一人の人間が起こした反乱により、もたらされた『事件』だったのだ。


 錠一は一旦言葉を区切り、途方もないような表情を浮かべた。


【そうして気づいたら、何故かここにいたという訳さ。生前の未練がそうさせたのか分からないが、しかし確かに、私はこの場所に立っていた。それだけじゃない。この世界にただ『いる』だけではなく、私の意識そのものが何の仲介装置も無しに、仮想世界に直接干渉出来る仕組みになってしまっていたんだ】


「いわゆる、電子霊(ゴースト)ですか」


 正鵠を得た再牙の指摘を受けて、錠一は【それだ】と、再牙に向けて指を突き出した。


「君の言う通り、その電子霊(ゴースト)なる存在に、私は『成って』しまっていた。存在は生前に耳にはしていたんだ。この都市では稀に、人が死ぬと肉体から離れた魂が仮想世界へ迷い込み、魂に記録されている情報に則った姿に変貌する事象があると。まさか自分がそんな目に遭うとは思いもしなかったさ。それも、思念を飛ばしてコードを改竄できるなんていう、都合の良い力を持つようになるとはね……まぁ、効果範囲はたかが知れてるがな」


 再牙はハッとした。ここに辿り着くまで、自分が目にしたもの。それらに思考が及び、不意に周囲を見渡した。


 視界の先に広がる青々と茂る平原。そこいらに点在する、ビルを模した量子構造体(フェノジェクト)。最初は何の変哲もない、ただの量子構造体(フェノジェクト)かと思った。だが、錠一の言葉を受けた今、再牙には全く別のモノに見えた。


「違う、あれは……」


 電子倉庫(アーカイバ)だ。再牙は驚きと共に振り返り、錠一の瞳を見つめた。錠一は、ただ黙って頷いた。彼には、再牙の言いたい事が手に取るように分かっていた。


【この仮想空間(ヴァーチャル・スペース)は元々、WBCカンパニーの企業情報が詰め込まれている場所だったんだよ。今は翳りすら無いがね】


「貴方が……一人で、この空間に存在していた全ての情報を改竄したと?」


【情報だけじゃない。空間そのものも書き換えたよ。ヌメロン・コードを直接書き換えてね。偽想領域(ダミー・スケール)とは違う、『全く新しい空間』をここに創り、そうして奴らの鼻を開かしてやったのさ】


 再牙はもう一度、視線を周囲へ向けた。散らばる電子倉庫(アーカイバ)の残骸が、やけに頼りなく見える。


【元々は、港湾都市を模した空間だったんだ】


 だが、錠一の言葉からは想像もできないほど、湾口都市としての面影は全くない。海の代わりに広がっているのは陸である。丘の上を舞うのはウミネコではなく、遠く山から吹き降りる清涼な風だ。


【私は、自身に授けられた力を行使した。余す所なく。これで奴らの都市破壊計画を潰せた。そう思ったんだ。その時は】


「お、おい。あ、いや、えっと……ちょっと待ってください」


 慌てた様子で再牙が尋ねる。


「あ、貴方のその言い方……なんか引っかかる。まるで、『まだ戦いは終わっていないんだぞ』とでも言いたげなような……」


【ああ。そうだ。そうだとも。君の言う通り、まだ終わっちゃいない……あのWBCカンパニー爆破事件を経てもなお、茜屋と彼の所属する『組織』は屍者のように蘇り、虎視眈々と計画を実行せんとしているんだ。仮想世界は情報の海だからね、そんなことまで手に取る様に把握出来てしまう。だが、しかし――】


 錠一は、口惜しそうに下唇を噛んだ。両の拳を、爪が食い込む勢いで握り締めた。爪の間から血が滲む。その程度の痛みでは、彼の心は紛れなかった。自分の愚かさを自分で罰しているように、再牙には思えた。


【そこまで……そこまで知っていながら、私には打つ手が無かった……ッ! 私の力が及ぶのは、五千万余りある仮想空間のうちの、たったこのッ! そう、たったこれだけの区画だけなのだからッ!】


 両手を広げ、錠一は訴えた。それはまるで、掴めないという事実を知りつつも、それでも月へ手を伸ばそうとする人間の可笑しさと哀しみが同居しているような、そんな虚しさが滲み出ていた。


【だから――――】


 言いかけた所で、錠一は言葉を区切った。


 何故か空へ視線を向けて、一言呟く。


 瞳に、悲哀、憤怒、覚悟……それら様々な感情を浮かばせて。


【……ついに、来たか】


 何が、と再牙が問うよりも先に、


「――!?」


 二人の足元を振動音が駆け巡った。巨大地震にも似た揺れだ。草場が騒めき、廃ビルが振動に耐えられず崩れていく。立っていられるのも危うい程の、強大な地響きが、仮想空間(ヴァーチャル・スペース)を浸食する。


「な、なんだっ!?」


 ふと上空を見上げた再牙の瞳に、それは映った。晴れ晴れとした、雲一つない仮想の晴天。そのあちらこちらに刻まれる黒い亀裂。ジグソーパズルのピースのように、破片がパラパラと崩れ落ちてくる。晴天に黒く穿たれた虫食穴(ホール)。その中から、顔を覗かせる何者かの姿。


「なっ……!?」


 ソレを見た途端、再牙も錠一も、一瞬声を失った。仮想空間(ヴァーチャル・スペース)へ強制介入してきたソレは、紛れもない怪物であった。怪物は、巨大な頭部を滑らせ、仮想の大地に足をつけた。地震の如き大地の揺れ。上空から現れた事もあってか、スケール感が把握しにくい。見当をつけるに、全長は十メートルほどだろうか。


 見れば見る程、怪物は戦慄が奔る姿をしていた。四つの巨脚で馬鹿でかい図体を支えた、肉食動物をそのまま巨大化させたかのような怪物。頭部からは七本の角が歪に立ち上がり、その全身は暗青色の鱗に覆われていた。


 背中には無数の棘が生えた頑丈そうな甲羅を背負っている。煌めく金色の縦髪を押しのけるかように、赤胴色の触手が、巨獣の首回りから無数に生え茂っている。なんと薄気味悪い光景だろう。


 巨獣は周囲を一瞥し、電子に煌めく両眼で再牙と錠一の姿を捉えると、己が突き破った天空へ向かい、けたたましい咆哮を上げた。


 逃げろ――生存本能が、再牙の肩を叩いた。


【錠一さん! 乗って下さい!】


 再牙は錠一の腕を掴むと、むりやり電子単車を駐車させた場所まで引っ張ってくると、後部座席に乗せた。自身は素早く電子単車の認証画面に手を翳し、エンジンを起動。座席に跨りつつ、アクセルを名一杯踏んだ。


 ヴン、と、マフラーから炸裂する蒸気。時速百キロへ、五秒とかからず到達。「しっかり捕まってッ!」と、後ろに跨った錠一に注意を向けつつも、再牙はハンドルを握り締め、電子単車を鬼神の如きスピードで駆け出した。


【この電子単車、確か《VNFスコルピオ》だろう? こんなにスピードを出して、エンジンは焼き切れないのかね?】


 錠一が、再牙の背中越しに語る。


「フレームもエンジン出力も、積載量いっぱいまでアップデートしてありますからご心配なく。てか、あの化け物よりそっちの方が気になるって、どんだけ図太い神経してるんですか」


【怯えろ、というのが無理な話だ】


「え?」


【……あの電子蜂(ウイルス)には、見覚えがあるからな。対処法も知っている。私が怯えるわけにはいかないんだ】


「は、はい?」


 我ながら間抜けな声だと思いつつも、しかし再牙は問い質さずにはいられなかった。


「それ、どういうことですかッ!? というか、あれって電子蜂(ウイルス)なんですか?」


【君、知らないのかい? 電子蜂(ウイルス)には様々な種類があるって事を】


「流石に知ってますよ。でも、あんなにでかいスケールの電子蜂(ウイルス)は見たことが無い。少なくとも、闇市場に流通しているプログラムじゃない筈だ」


【当然だ。あれは、アハルのオリジナルだからな】


「アハル……って、誰ですか?」


【私が殺された後、茜屋が造り出した人造生命体(ホムンクルス)のうちの一人だ】


「殺された後って……ああ、そうか」


 再牙は錠一の言葉を思い出し、一人納得した。恐らく錠一は、電子霊(ゴースト)として『魂が変性』した後、ずっと観察していたのだろう。仮想世界から現実世界を。茜屋罪九郎、並びに『組織』とやらの動向を。


 そこで、何が行われていたのか。全てとはいかなくとも、大部分を錠一は把握している。それなのに、彼はこの空間に縛られて、現実世界に手が出せなかった。その苦しみたるや、創造に難くない。


「でも、なんでこのタイミングで、しかもこんな所に……」


【偶然だろう。奴らは私が電子霊(ゴースト)になっているのを知らない筈だ。私を殺しに来たのではない】


「じゃあ……」


「茜屋の『作戦』の一部に、超現実仮想空間(ネオ・ヴァーチャルスペース)の占拠も含まれていたからな。あの怪物は恐らく、たった一体でここいらの仮想空間(ヴァーチャル・スペース)を破壊するつもりなんだろう。ここへやってきたのは、やはり偶然に過ぎないと見るのが適当か】


「作戦って、なんですか一体」


 問いに答える前に、錠一が叫んだ。


【来るぞッ! 】


  電子単車のバックミラーに映り込んだモノ。それは、巨獣の影であった。つい今の今まで、五百メートルも離れた所にいたはずの巨獣が、五十メートルと離れていない所へ、一瞬で姿を現していた(・・・・・・・・・)のだ。


 人間、本当に衝撃を受けた時には、声が出ないものである。再牙は身をもって実感した。咄嗟にギアをトップへ入れようとハンドルを操作する。だがそれより早く、巨獣が動いた。


 咆哮と共に、右の巨腕が動く。メタリックに輝く五本の爪が、電子単車を叩き潰さんと襲い掛かる。必死の一撃を辛くも防いだのは、意外な事に――


「破ッ!」


 電子霊(ゴースト)の獅子原錠一であった。彼は右手を巨獣へ向かって翳し、気合を込める。不可視の攻性防壁が彼と、再牙と電子単車とを包み込んだ。防壁は、巨獣の爪を弾き返した。周囲に奔る、衝撃の残渣。大気を震わせる、轟音。


 弾かれた衝撃を殺せずに、もんどりうって仰け反る巨獣だったが、恐るべきはその運動神経か。二本の後ろ脚でたたらを踏んで姿勢を整え、次の攻撃へ移ろうとする。体長十メートル以上という巨大さを持て余す様子は、全くない。


「(プログラム組んだ奴、そうとうセンスが良いんだろうな。筋量操作値と重量バランス値を上手い具合に設定してやがる)」


【大丈夫かい?】


 錠一は背後の巨獣へ視線を向けたまま、再牙を気遣った。


「なんとか。しかし、今のは……あれだけの距離を一瞬で詰めてくるなんて……」


【瞬間移動だ。移動先と現在地との空間を入れ替えた。あの巨獣型ウイルスにしか成し得ない能力だよ】


「なんですかそのチートは」


 電子単車は走り続ける。巨獣は四肢を震わせ、大地を蹴り続ける。追走を止める気配はなさそうだ。


【一応言っておくが、脱出(ログアウト)は出来ない仕様になっているから、気を付けたまえよ】


「う、嘘ぉ!?」


 再牙は驚き、慌ててリンクツールを開いた。確かに錠一の言う通り、脱出(ログアウト)のアイコンが消失してしまっている。


【恐らくは、さっきの咆哮のせいだ。あの咆哮によって発生した衝撃波が、情報体(アバター)を構成する電子プログラムにエラーを生じさせている。攻性防壁にも、不具合が生じている筈だ】


 背筋に寒気を覚えた。つまり、今の再牙の力では、あの巨獣の攻撃を凌ぐことが出来ないという事だ。攻性防壁のエラーを突いた攻撃を、無効化できる訳がない。


【安心したまえ。私の力を使って、君を脱出(ログアウト)させる】


 錠一の、力強い言葉。視線は尚も、巨獣の一挙手一投足へ注がれている。


【私は電子霊(ゴースト)であり、この空間内を構成するヌメロン・コードに干渉出来る力がある。だから、君の情報体(アバター)の異常を治す事だって可能だ】


 だったら早くそうしてくれ。言いかけて、再牙は黙った。ミラー越しに映る錠一の背中を見ている内に、口に出すのを憚れたように感じたからだ。


【……私は、ここに来てからずっと、考えていたんだ。自分の運命について。自分を取り巻く因果について、ずっと考えていたんだ】


 轟音を鳴らして接近してくる巨獣型ウイルスは、ついにその視界の中に逃走する二人を収めた。電子の光に揺れ動く、その邪悪極まりし双眼が、チカリ、と赤く光る。


【あの時、私が妻が病に罹った事実を素直に受け入れていたら。あの時、茜屋と契約を結ばなかったら。幻幽都市を訪れていなかったら……選択肢は無限にあった。全て、私の意志で選んできた。だがその結果がこれだ。妻は助からず、私も殺されて幽霊となり、こんな窮屈な世界を彷徨うしかなかった】


「……」


【悔しかったさ……自分の人生が、思い通りにならない事に。自分に出来る最大限の努力をしたつもりが、全て裏目に出てしまった。頑張っても頑張っても、自分の力で運命を切り開けなかった。それが……堪らなく、悔しかった……一体、自分はどこで何を間違えたのか、考えても分からなかった。運命や世界について深く考える程、私の心は虚無へ囚われた。虚無はやがて、怒りになった。『組織』への怒りと己への怒り。それだけを糧にして、私はこの空間で生きてきた】


 語りに、熱が入り始めた。再牙はただ黙って前を見、錠一の言葉を聞いた。彼自身の、心の底からの声を。それが、今の再牙に出来る、最良の選択だった。


【妻を死なせ、娘を天涯孤独の身にした、この愚かな自分が為すべき贖罪は、ただ一つ。『組織』の企みを潰えさせる。それだけだった。だがそれも、悠久の時の中に消えかけようとしていた。ただ、奴らの企みを黙って見ているしかない自分に苛立ち、猛烈に苦しんだ。そのうち、あれだけ固く誓った決心は揺らぎ、何もかも、諦めようとしていたんだ……さっきまではな。それが、君に出会って変わった。運命が、少しだけ道を開けてくれたんだ】


「……」


【娘がこの街に来て、君と出会い、そして君はこの仮想空間(ヴァーチャル・スペース)へ辿り着いた。そうして、私と出会った。この出会いもまた、私の人生に仕組まれた運命の歯車なのだとしたら……もう一度、もう一度だけ、立ち上がろう。私は――歯車を壊さなくてはならない。私は、私は――】


 巨獣型ウイルスは速度を緩めず、その巨大な口を開けた。鋭い歯が上下に並び、喉奥は暗黒の如く暗い。最大の攻撃を与えようとしている。電子単車との距離、およそ百三十メートル。


【己の運命に、決着をつけなくてはならない】


 再牙のリンク・ツールに、一つのファイルが送られてきた。送り主は、言うまでも無く錠一だ。


【そのファイルは、私がこれまで収集してきた『組織』の活動状況を記録化したものだ。奴らがこの街で何を為そうとしているのか。その内容の殆どが書かれている】


「錠一さん、あんた――」


 バックミラー越しに何かを言いかけた所で、再牙は息を呑んだ。巨獣型ウイルスが大口を開け、攻撃を発射しようとする様子が目に入ったからだ。


 巨獣の口。巨大な口腔部の中心に、漆黒色のエネルギーの塊が発生している。破壊プログラムの塊だ。それを高密度に圧縮し、威力を高めている。


 ノーマルな蜂型ウイルスが放つ毒針状の破壊プログラムとは、比べものにならないほどの威力。喰らえばひとたまりもないのは、日の目を見るより明らかだ。


【心配するな】


 再牙の不安を払拭するかのように、錠一が力強く応える。


【巨獣型ウイルスへの対処法は熟知している。だが、その為には私の存在情報を全て使わなければならない。だがそれをしてしまうと、私の魂は完全に消滅する。間違いなく。だから、その前に聞いてほしい。私の願いを。万屋の君にしか頼めない事なんだ】


 錠一が胸の前で両手の平を構える。再び、不可視の攻性防壁が二人を取り囲み、巨獣の一撃に備える。


【頼む……!】

 

 心の底からの、絞った声。


【茜屋を……『組織』の野望を止めてくれ……ッ!】


 顔は見えない。バックミラー越しに映るのは、錠一の背中だけ。肩が僅かに震えている。どんな表情をしているのか。わざわざ確認しなくとも、容易に想像がつく。


「分かった」


 ハンドルをきつく握りしめ、アクセルを益々踏み込ませて、再牙は力強く応えた。


「その依頼、やり遂げよう」


 巨獣が吠えた。ついに溜めに溜めた破壊プログラムの、その禍々しき黒き波動が、錠一と再牙に襲い掛かった。


 両者の距離、およそ百メートル。その百メートルを、凄まじいスピードで駆け抜ける、破壊プログラムの塊。


 それでも、錠一は冷静さを崩さない。


【電子単車を止めてくれ】


「え? で、でも」


【早く、止めるんだッ!】


 言われるがまま、再牙はブレーキをかけた。ゆっくりと、電子単車が減速する。ややあって、巨獣の口から発射されたエネルギー光弾が、錠一の展開した攻性防壁に激突した。電子の矛と電子の盾。その接触面で激しく飛び散る仮想の青い火花。


【……有難う】


 錠一が独り言を漏らすかのように、呟く。それは、再牙へ向けられたものだった。眼前で繰り広げられている力強いプログラム同士の衝突とは対照的に、彼の呟きは、どこか穏やかだった。


【悔いは、ない】


 錠一を中心に、キュイン、と鳴る電子音。ギラつきの強い七色の波動が彼を中心に、まるで波紋のように広がった。


 途端、巨獣の放ったエネルギー光弾が変質した。錠一が展開していた攻性防壁と接触していた部分から、どんどん硬質化していったのだ。


 不定形のはずであるエネルギー光弾が、あっという間に紫色をした結晶体となり、茨の姿を象った。先端が鋭く尖った、紫色の茨の槍だ。


 巨獣型ウイルスの挙動に、戸惑いが生じた。攻撃を弾くでもなく、叩き伏せることもなく、攻撃そのもの、つまりは、光弾を構成する破壊プログラムを上書きしたという事実を、呑み込めていないようだった。


 巨獣は、電子に煌めく両眼に数理行列(マトリックス)を浮かび上がらせて、錠一の行った情報戦技の解析を開始。


 それが悪手だという事に気が付かなかったのが、敗因だった。


 茨の結晶体は『破壊プログラムの残渣』を求めて、瞬く間に巨獣目掛けて幾重にも伸び、奔り、成長し、囲み、伸び、奔り、成長し、囲み、巨獣の硬質な皮膚を砕き、穿いた。


 予想もしない攻撃方法に、絶叫を上げる巨獣。されども、茨の槍は攻撃をやめない。皮膚という皮膚を突き破り、内臓を掻きまわし、撃ち、また内部で成長。最期の力を振り絞って逃れようとする巨獣だったが、直ぐに、その動きも鈍くなる。


 巨獣の息が絶えたのと、巨大な茨の園が巨獣を取り巻くように形成されたのは、ほぼ同じであった。


 一部始終をバックミラー越しに見ていた再牙が、思わず息を呑む。敵の破壊プログラムに上書きし、自身の攻撃手段へ転用する。こんな芸当、ウィザード級でも不可能だ。リッチ級並みの技術が無ければ出来ないだろう。


 ウイルスの駆除に成功した錠一は一息をつく間もなく、校性防壁の展開を終了させると、右手の平を再牙への背中へ向けた。今度は、淡く輝く七色のリングが、再牙の全身を囲み、粒子状に弾けた。


【君の情報体(アバター)を修復した。これで、脱出(ログアウト)が可能に――】


 言いかけた所で、錠一が、声にならない声を漏らした。異変に気付いた再牙が背後を振り返る。錠一の全身が霞んでいくのが目に入った。蒸発しているようにも見えた。電子霊(ゴースト)の体を構成する電子が、黄金の粒子となって飛散しているのだ。


【これが、奴を倒す代償さ。電子霊(ゴースト)としての存在。その存在という概念を数理的エネルギーへ変換し、破壊プログラムに上書きを加える。この空間を書き換えたのも、この技術を応用したものだ】


 再牙は錠一を見た。


 錠一もまた、再牙を見た。


 どちらも、瞳に覚悟を決めた色があった。


【君に、全てを託す】


 肉体が崩壊してゆく中、錠一は固い覚悟で、最期の言葉を伝えた。


【現実世界に戻ったら、ファイルの中身を確認してくれ。そして、蒼天機関(ガルディアン)に真実を伝えてほしい。『組織』は既に動き始めてしまっている。時間が無い。頼む。この街を救って欲しい】


「……分かりました」


【それと……琴美に、あの子に伝えてくれ】


 錠一の首から下は、既に粒子へと還っている。彼の命は、もはや風前の灯。


 死が、すぐそこまで迫っている。それなのに、錠一は笑みを浮かべている。


 それは紛れもなく、彼の、錠一という男の一生を如実に表現していた。


【ごめんよ。ずっと、愛している】


 光が、四散した。

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