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アナザポリス・オリジナル-怪力乱神幻瞑録-  作者: 浦切三語
第五幕 ホワイトブラッド・セル・カンパニー
34/78

5-5 茜屋罪九郎と獅子原錠一

今日でストックが切れました。今後は五日に一回の投稿を目指して頑張ります!

「一体あれはどういう事だ!?」


 WBCカンパニーの研究室長室に錠一が駆け込んできたのは、二〇三六年の十二月半ばの夕刻の事だった。彼は息を切らしたまま、ノックもせずに部屋のドアを乱暴に開けるやいなや、人生で一番の怒号を撒き散らした。


「地下の研究施設を見たぞ! 一体あれは何だ!? ナチスの真似事なんぞしやがって! あんな人体実験をしているなんて、私は聞いちゃいないぞッ!」


 両手で室長の机を思いっきり叩く。彼は怒りの形相を崩さずに、一人の男へ非難の籠った目を向けた。


 怒りの矛先を向けられた当の本人は椅子に座ったままで、呑気に茶を啜っている。錠一の存在など、視界に収めていないかのように。


「なんとか言ったらどうなんだ! 茜屋!」


 その男――茜屋罪九郎は、同僚に糾弾されているにも関わらず、まるで怯えた様子もなければ噛み付く素振りさえ見せなかった。その、何を考えているのか分からない光彩サングラスで隠された双眸で、湯呑の中を覗き込み、


「おや、茶柱が立っとる。何かええ事でも起こるんかな」


「……ッ!」


 怒りが頂点へ達するのを抑えきれなかった。気付いた時には、錠一は左手を大きく振り払っていた。罪九郎の両手に握られていた湯呑茶碗が、フローリングの床に落ち、盛大な音を立てて割れた。


 肩で荒々しく息をついて、椅子に座る茜屋を見下ろし続ける錠一。契約を結んでから間もなく三年を迎えると言う今日この日に、彼は運悪く発見してしまったのだ。それまで、罪九郎の手によって秘匿され続けてきた秘匿情報。WBCカンパニーが取り組んでいる『本来の研究』を。その正体を、『運悪く』知ってしまった。


「もうここにはいられない! 契約は今日で打ち切りだ! 私は抜けさせてもらうからな!」


「今更そんな事が許されると思っとるんかぁ?」


 部屋を後にしようとした錠一を、罪九郎がおもむろに呼び止めた。割れた湯呑を拾う事も無く、彼は机の上で両手を組んだ。囁くような、それでいて宥めるような口調で警告を口にした。


「まぁまぁまぁまぁ……そうムキになる事もないやろ? 見てしまったもんは仕方が無いとして、や。契約が切れるまで、あと十日あるんやぞ。それまでは、ワシらの研究に付き合ってもらわなアカン。契約不履行なんて、いい年した大人がする事やないで?」


「契約は関係ない! これは道義に関する問題だ! 貴様、超高再生(リニア・リジェネ)の研究とか何とかぬかしておいて、本当は全く別の事を研究しているんじゃないのかッ!?」


 錠一は振り返り様に相手を睨みつけようとした。だが、出来なかった。罪九郎が、愉悦の笑みを浮かべ続けていたからだ。


 何がおかしい。そう口にしたい所だが、叶わない。声を押し殺して口角を上げ、わざとらしい笑顔を浮かべ続ける罪九郎。目の前で魔王の如く君臨する天才科学者を前にして、錠一は例え難い不快感と恐怖を抱いた。


「随分な事を言ってくれるのぉ。ワシが嘘を突く筈がないやろが。WBCカンパニーでは、全社力を挙げて超高再生(リニア・リジェネ)の実現化に向けて取り組んどる。これが完成さえすれば、人工血液以上の大成果なんや」


「…………その結果があれだというのかッ!? 子供たちの腹を切り裂き、脳みそをいじくり回しておいてなお、そんな戯言を抜かすのか貴様はッ!」


 内蔵をくり抜かれた遺体。目玉を八等分にされた遺体。肋骨を生きたまま抜き出し、硫酸に浸された遺体……思い出すだけで、吐き気が込み上げてきそうだった。


「研究には犠牲がつきものや。ドイツの医学が発達したのだって、ナチス時代の人体実験が布石になっとるくらいやし。世界は綺麗事だけで成り立っとるんとちゃうねんで。これは、しょうがないことなんや。」


「しょうがなくなんてない! 少なくとも、私は貴様のやり方に納得できない! いや、納得の余地なんか、鼻から持ち合わせていないッ!」


「可笑しな事を……言うもんやないで、錠一くん」


 罪九郎は、そこで初めて声を出して嗤った。


「あんさん、まるで他人事のようにワシを非難しとるけど、あんさんも、あの研究に深―く関わっとるんやで?」


「……は?」


 錠一の間抜けな反応を見て、罪九朗がケラケラと声を漏らす。壊れかけのおもちゃをいたぶって愉しんでいる残酷な少年じみていた。純粋な悪意の塊が、彼の声色から垣間見えた。


「君、知らんかったんか。まぁそうやな。言ってなかったし、知らんくてもしょうがないな」


「……何を、言っているんだ……?」


 眼前に、鋭利なナイフの切っ先を突きつけられている。そう錯覚してしまうくらい、言葉に出来ぬ恐ろしさがあった。凍てつくような寒気を体の芯に感じた。錠一は、思わず後ずさった。


 罪九郎は、うろたえる錠一を光彩サングラスの奥で軽く睨みつけた。そうして、手品の種明かしをするように、事の真相をゆっくりとした調子で告げた。


「あんさんがこれまで確立させてきた、次世代ナノテクノロジーの基礎理論。あれ、全部あの地下室で行われとる実験に応用させてもらっとるんやで?」


 瞬間、何を言われたのか理解出来なかった。しかしながらその痛烈な一言は、数刻の時が経つにつれ――恐らくは五秒もかからぬうちに――じわじわと、錠一の全身を犯し始めた。つま先から、急速に体温が奪われていくかの様な、そんな感覚だった。


「なん……だと……?」


 やっとの思いで言葉を吐き出すも、声に力が入っていなかった。


「おかげさんで研究の捗る事捗る事。いやぁ、ホンマに助かるで。あんさんの協力が無かったら、この短期間でこれだけの成果を得ることは出来なかったわ。もうあと少しで完成するんや」


「ま、まて……ちょっと、待ってくれ……」


 目の前の空間がひどく歪むような錯覚を覚え、思わずその場に膝をつく。先ほどまで茜屋に向けていた憎悪と怒りは霧散し、代わりに虚無が、錠一の胸中に渦巻いていた。


 私の確立した理論。

 ナノテクノロジーの理論。

 再生治療に貢献する為に、徹夜で考え出した基礎理論の数々。


 それが、あの凄惨な人体実験に応用されている、だと?


 それでは、まるで――


「私が……あの子たちを……殺しているような……ものじゃない……か」


 錠一の瞳から、あっという間に光が喪われた。身体の至る所が千切れ飛ぶような、激しい動悸が起こるのを、まるで他人事のように感じていた。


「あーあー、すまんな、君に黙っていて。でも、安心してええんやで?」


 おどけた様子の罪九郎が椅子から腰を上げた。わざと慌てた振りをして、打ちひしがれている同僚の肩に、実に優しく手を乗せた。


「君が責任を感じることはない。なにせ、あの実験に使っとる人間は全て、戸籍謄本の無いガキ共ばかりやからな。ストリート・チルドレンっちゅう奴や」


「ストリート…………チルドレン?」


「犯罪の片棒を担ぐクソガキどもや。あいつらにお灸を据えてやるには丁度ええやろ? それに、ああいう輩が消えた所で、蒼天機関(ガルディアン)はろくに調査もせんしな。むしろ、治安の回復に一役買っとるぐらいや。すごいやろぉ? 新技術の開発に併せて、都市の清浄化にも貢献しとる。うちの会社はホワイト企業なんや」


 屈託のない笑みだった。この男には、善悪の概念が完全に抜け落ちている。そう確信せずにはいられなかった。


 研究さえできれば、それでいいのか。善人だろうと悪人だろうと、命の尊厳を悪戯に弄んで良い筈が無い。しかしながら、そんな事を考えた所で、事実が裏返る事は無い。


 私も同じだ。この男と。違う所を上げるとするなら、人体実験の存在を知っていたか知らないか。ただそれだの事。


 根っこの部分は同じだ。知らなかったとはいえ、自分の編み出した理論が、人を絶望のどん底へ突き落としている。私に……この男を責める権利なんてない。


 目尻に熱いものが込み上げてくるのを感じた時、錠一は、死んだような声で尋ねていた。それは思考から出た言葉ではなく、彼の深層意識から飛び出た問いだった。


「妻は……人工血液の件……は?」


 冷たい床の感触を足に感じつつ、錠一は悪魔じみた科学者の顔を見上げて、訊いた。錠一が抱える不安と恐れは、もう臨界点を突破しかけている。


「ん? 何を今更。もう四年前に言うたやないか。ちゃんと奥さんの細胞を元に、人工血液造って、特配業者使って届けさせたってな」


 白々しく、罪九郎が告げる。それが、錠一の心に決定的な一打を与えた。胸の奥に穿たれた穴から、止めどなく溢れ出る。恐怖、後悔、慟哭。負の感情の、なにもかもが。


「……嘘だ」


 我慢ならなかった。この期に及んでもしらを切り続ける罪九郎に対してもそうだが、何より、今まで何も知らずに呑気に騙され続けていた自分へ猛烈な嫌悪感と怒りを覚えずにはいられなかった。


 錠一は勢いよく立ち上がって振り返ると、勢いそのままに罪九郎の胸倉をつかみ、ありったけの絶叫を放った。双眸に、憎悪の炎を灯らせて。ありったけの怒りを込めて。


「嘘をつくなッ! 妻の下に人工血液を届けた等と、嘘をつくなッ! 貴様、貴様という奴はッ……!」


「嘘やないで。ホンマやって」


 嘲笑うかのような笑み。錠一はもう限界だった。心が人質に取られたような気分だった。声が詰まる。しかしそれでも、この怒りは到底収まらない。


「貴様……! 貴様は、どうして……! どうして……ッ!」


 胸中で黒く燃え滾る憤慨の炎。言いたいことは山ほどあるが、何から口にして良いか分からない。錠一は恨みを込めた眼差しで罪九郎を睨みつけ、怨嗟の念を吐き出し続けた。それは言葉になっておらず、獣の呻き声に近かった。


「貴様……! 貴様は……ッ!」


 胸倉を掴んでいる手が小刻みに震える。罪九郎は錠一が向けてくる怒りにさして興味もないのか、彼の手をすっぱりと払いのけた。


「しつこいやっちゃな。もう終わったことや。どうでもええやろ」


「う、うううう……ッ!」


「恨み言ならまた日を改めてゆっくり聞くさかい。今日はもうしまいや。夜も遅いし、あんさんも早う寝た方がええ……あ、そうそう」


 そこでまた、罪九郎は口角を上げ、底意地の悪そうな表情を浮かべた。


「論文を雑誌に投稿する時には、特別にあんさんの名前も載せておくわ。どや、誇りに思わんか? この茜屋罪九郎の隣に、自分の名前が載るんや。光栄に思えよ」


 本気とも冗談とも取れる科白を残して、罪九郎は部屋を去った。後に残されたのは、生気を失った男……ただ、それだけだった。


 重い。気分も、何もかも。全身に鉛が溶け込んでしまったかの様だ。


 目の前に広がっていた希望に満ちた未来は無残にも潰えた。


 ただ、乾き切った絶望だけが、確実に錠一の足元を浸食し始めていた。

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