4-1 エリーチカの事情
「捜索屋?」
右隣を歩く疵面の男を目の端で捉えつつ、少女は聞き返した。
練馬区役所傍の商店街通りは旭光に照らされ、並んで歩く再牙と琴美の体を優しく照らし、足下に濃い影を投影している。昨晩から明朝にかけて降り注いだ重金属酸性雨で出来た水溜りを慎重に避ける琴美の服装は、この快晴日和に良く映えていた。
袖レースのついたロング丈Tシャツ。その上からライトブルーのテーラードジャケットを羽織る。下は淡いオレンジのロングスカート。ベルトからぶら下がるホルスターに収まった護身用の拳銃が、やけに際立って再牙の目に映った。肩からは、黒いショルダーバッグを提げている。
「捜索屋ってそれ、万事屋と何が違うんです?」
「全然違うよ。俺の仕事がオールマイティに何でもこなすなら、捜索屋の仕事は一点特化型だ。つまり読んで字のごとく、金を受け取る代わりに、人や物の捜索を生業とする者を指す。幸いな事に、この街には腕利きの捜索屋がいる。今日はそいつに会いに行く。奴の力を借りさえすれば、君の父親が亡くなるまでの間、この街でどんな暮らしをしていたのか、大凡だが見当がつくだろう」
琴美はなんと口にすべきか、大いに迷った。この男が昨晩伝えた依頼内容を忘れているとは思えない。だが、彼の口から出た台詞を字面通りに受け取ろうとすると、奇妙なことになるのもまた事実。
「亡くなった父の足跡を知るのに、人探し専門の人を使うんですか?」
尤もな疑問を口にした琴美に、再牙は当然といった風体で答えた。
「これから会いに行く捜索屋は特別でね。生きている人や物を探す以外に、『死んだ人間の居場所』も捜し出せる奴なんだ」
俄かには信じられない。琴美はまじまじと再牙の顔を見た。その新鮮な反応を見て、再牙は思わず失笑を洩らした。
「何言ってんだこいつ、って顔だな」
「そんな事思っていませんよ。ただ、何か信じられない話だなぁと……」
「その捜索屋の能力は『死んだ人間が、生前何処で何をしていたか。その足跡を詳細に追う事が出来る』って類の能力で、かなり希少な力だと聞いている。蒼天機関の奴らより、あいつの方が物探し・人探しに関しては上をいくんじゃないかな」
能力――その非現実離れした言葉に、琴美は鋭く反応した。幻幽都市の不気味さ、異様さを際立たせている要因の一つを、まさにそこに感じ取った。
「奴はジェネレーターだ」
事もなげに、再牙が口にした。
ジェネレーター。ガイドブックに同様の名称が記載されていたことを、琴美は思い出した。それは、人間でありながら自然世界の法則に干渉し、あるいは捻じ曲げ、超常的な能力を発揮する新人類。後発的に目覚める、都市が生んだ魔人であるとも書かれていた。
「ジェネレーター……凄いんですね。亡くなった人が生前にとった行動が、具体的に分かるだなんて」
「死亡時から一週間前までと、捜索期間が限定されちまうのが惜しい点だがな」
「それでも、その人の力をお借り出来さえすれば――」
「君の依頼は、直ぐに解決出来るだろうな」
力強く、再牙は頷いた。その頼もしさに、自然と琴美の足取りも軽くなる。
「(やっぱりチカチの言う通り、最初から奴に頼めば良かったかな……)」
嬉々とした様子で隣を歩く少女の横顔を見て、思う。エリーチカの提案を呑んでいれば、徒労に終わった三日間も有意義に過ごせたかもしれない。
『お仕事の邪魔は決していたしませんから、私も同行させて下さい! お願いします! 家で一人、お仕事の報告を待っているだけだなんて、我慢できません!』
ふと、今朝の記憶が甦る。エリーチカが生体メンテナンスの為にピュグマリオン・コーポレーション傘下の専門施設へ出掛けた後、遅れてドアを開けて外出しようとした矢先の事だった。唐突に玄関先に現れた琴美から、そんな無謀な頼みを懇願された。
その必死な雰囲気に当初はいくらか困惑したものの、素直に要求を呑むわけにはいかなかった。都市の事情を熟知していない全くの素人を連れていくことに、強い抵抗感を覚えるのは誰だって同じだ。それに、同行させた挙句にもしもの事態が彼女に降りかかったりでもしたら、それこそ万事屋の看板を畳む羽目になるかもしれない。
『君って案外、女の子の押しに弱いよね』
どこからか先代の愛着ある嫌味が聞こえてきそうで、思わず再牙は苦笑を漏らした。彼女の指摘は的外れではなかったらしい。現に、琴美の圧力に押し切られて、結局は一日だけという期限付きで同行することになったのだから。
思うところある再牙とは反対に、琴美の好奇心に光る目は商店街の至る所に向けられていた。
通りに沿う形で並ぶ店の数々。簡易アパートや雑居ビルもある。特殊化学成分を含んだ除草剤にを浴びせられて、成長を強制停止させたれた妖触樹の歪な蔦が、ビルの煤けた壁を這うようにして絡みついている。
店と店の隙間に伸びる、辛気臭い路地裏に目を向ける。尾が九つに分かれた銀色の猫数匹が寄り集まって、残飯狙いのためだろうか、小型のゴミ収集用ドローンを襲っていた。
太陽が高度を上げていくのに比例するかのように、商店街の通りに、あっという間に人の群れが形成された。商品ディスプレイの前に立ち、売り言葉に買い言葉を早口で捲し立てていく店主達。甘い花粉の香りに誘われたミツバチのように、いくつかの店の前では行列が出来上がり始めている。
すれ違う人の中には、色々な趣向を凝らした人がいた。奇抜な服装をした者。露出した肩や頬に電子タトゥーを彫った者。本物の腕や足そっくりのフォルムをした、機械製義肢を装着している者。彼らが浮かべる表情は千差万別であるが、快晴の下、朗らかな様子で朝からの買い物を楽しむ客が殆どであった。
琴美の目に映る全てが、新鮮で奇妙で刺激的だった。住む人、建物、店という店、風景という風景、どれもが未経験。《外界》に居た頃に周囲から聞いていた根も葉もない噂話とは違い、琴美の目に映る街は、活気に溢れていた。
二十年前、都市の希望や夢は、降り注ぐ瓦礫と怨嗟の声に押しつぶされてしまった。だがここには、その痛みを乗り越えて、毎日を生きる人の姿がある。ここまで立ち直るのに、一体どれだけ多くの血と涙と汗が流れたのだろうか。よそ者の琴美には想像もつかなかった。
街のあちこちに忙しなく視線を映していた時だ。前から歩いてくる、派手な化粧と服を身に纏う二人組の女性。その内の一人と、琴美の左肩が軽くぶつかった。琴美の目は練馬区の街並みに奪われていた為に、女性の存在に気が付くのが遅れた。避けるのが間に合わなかった。
「あ、すみません」
反射的に頭を軽く垂れ、謝罪の意を示す。女性は軽く頬笑み、「気にしないで」と目だけで訴えると、さっさと先を急いだ。
その刹那である。琴美は、自分でも意識しないうちに不可視の糸で全身を絡み取られたかの如く、その場から動けなくなってしまった。心臓の鼓動が早まり、のぼせ上ったかのように頬が淡く上気している。
熱い吐息が漏れる。とろけた瞳で、何かに導かれるかのように、覚束ない足取りで女性の後を追うかのように一歩を踏み出そうとした。
「おいこら」
ポカンと、脳天に軽い衝撃。軽い痛みを感じつつ振り返る。困り顔の再牙がいた。
「ふらふらしていたら危ないじゃないか」
幼児を諭すかのような口ぶり。しかし琴美の混濁しかけた意識を正気に戻すには、それで十分だった。依然として意識が軽く朦朧している琴美に、再牙は心配そうな眼差しを向けた。
「一体どうした?」
「あ、ああ……すいません。さっきぶつかった女の人が随分と綺麗だったんで、ついうっかり……」
「女?」
「あの人です」
琴美の指差した先を見る。女は、連れと思しきもう一人の女と談笑しながら歩いていた。女の瞳から、鈍い独特の光が漏れている。再牙は納得がいったように、一人頷いた。
「なるほど、魅了の魔眼で見つめられたわけか。そりゃ仕方ないな」
「なんですか、それ」
「見つめた人間を、無条件で自分に惚れさせる能力だ」
「ほ、惚れさせるって……なんか、恥ずかしいです」
「性別は関係ないから、気にするな」
「もしかして、あの方もジェネレーターなんですか?」
「ちょっと違う。魔眼保持者はジェネレーターの亜種だよ。それに、恐らくあの女の魔眼は天然物じゃない。人工魔眼だろうな。名前の通り、人工的に造り出した紛い物の魔眼さ」
幻幽都市が誇る最先端の科学技術は、日進月歩で成長を続けている。それは今やオカルトの領域にまで侵入し、超自然的現象の一部再現を可能としていた。その事実を裏付ける第一例こそが、瞳を媒介して、対象者に様々な効力をもたらす魔眼の、人工的製造手法であった。
種類の豊富さと効果の絶大さに加え、発動の簡便性を売りとする魔眼だが、市井の人々から特に評判だったのが、対象者の精神を文字通り縛り上げる精神操作系統の魔眼だ。人間のエゴイズムをそのまま具現化したかのような能力。魅了も、その系統に連なる力だった。
「あの服装、水商売のそれだったな。やっぱり、ああいう層にウケるんだな」
雑踏に消えていった女の服装を指して、再牙は独り言のように口にした。
「向こうに悪気はなかった筈だ。本人も意図しないまま、偶然にも発動させちまったってところか」
「ほへぇ」
「人工魔眼は天然の魔眼と比較して、威力は数千分の一に抑えてある。そこまで手加減してやっても、通常の義手や義足と違って、移植してからも暫くは馴染まない。装着者の意思とは関係なしに、思いもよらないタイミングで発動して、君みたいな目に合う人間も少なくないんだ」
「そうなんですか……でも、それにしてもさっきの女の人、綺麗でしたね。大げさかもしれませんが、まるでルネサンス時代の職人が手掛けた彫刻のような印象を受けました」
「へぇ。一見しただけでそこに気づくとは、中々いい目を持っているんだな。それとも、知っていたのか? 水商売用に開発されたアンドロイドの設計図に、黄金比の概念が組み込まれているのを」
「アンドロイド?」
「なんだ、知ってて口にしたんじゃないのか」
「私、なんとなくの印象で言っただけですよ。と、というか、ちょっと待ってください。あの人がアンドロイドって……どこからどう見ても、人間じゃないですか?」
琴美の記憶にあるアンドロイドのイメージは、あくまで人間を模した姿をしたロボットである。だがあの女性は、形を模したどころか、表情も何気ない仕草も、人間そのものではなかったか。
あれがアンドロイド……全身を精密機械部品で固めたロボットだとでもいうのか。琴美は驚愕し、心のどこかで再牙の言葉を冗談の類であると捉えつつも、最終的には困惑を露わにした。
「外見はな。でも中身はまるで違う。君、あの女とぶつかった時、何か違和感を覚えなかったか?」
そういえばと、琴美は思い出した。ぶつかった時に衣服越しに感じた女の肌。あの感触は人間にしてはやけに硬く、幾分か冷たかったのを覚えている。
「例えるなら、服を着た金属製のマネキンにぶつかった様な。そんな感覚でした」
「なかなか的確な例えだ。ちょっと見ただけじゃはっきりしないが、あの女は見かけの十倍は体重がある。外見は普通の人間だが、その中身は人間とはまるで別物の、正真正銘のアンドロイドだ」
たった一見しただけで、そこまで見抜いてしまう再牙の鋭い観察眼に驚くと共に、先程の女性の姿を想像して、琴美は頭を振った。未だに信じられないという風な仕草だ。
「でも、ちょっと信じられないですよ。さっきの方がアンドロイドなんて……もっとこう、ロボットじみたものを想像してました」
「そんなに驚く事か? 君、既にあの女性とは別に、アンドロイドに会っているんだぞ」
「え?」
「思い出してくれよ。俺の同居人が誰なのかを」
「……もしかして、エリーチカさんですか?」
再牙は何も言わず、黙って首を縦に振り、肯定した。
驚きと納得。異なる感情が琴美の中で舞い上がる。初対面時に、あの金髪碧眼の美少女から人形じみた雰囲気を感じた理由が氷解していくとともに、今度は別の疑念が顔を覗かせてきた。
しかし、直ぐには口にしなかった。エリーチカ本人に対しても、そして同居人である再牙に対しても、その疑問を投げかける事が、無礼に値するのではないかと危惧したからだ。
だが、口に出さずとも顔には出ていたようだ。「どうした?」と、再牙が少女の顔を横から覗きこむ。
「何か、聞きたそうな顔してるな」
「ああ、えっと、その」
「言いたい事があるなら、言ってくれて構わないぞ。そっちの方がすっきりする」
視線をあちこちにやり、暫く迷った後、琴美は恐る恐るといった具合に口を開いた。
「あのう、さっきの女の人とエリーチカさん。同じアンドロイドでも、雰囲気が全然違いますよね」
「というと?」
「何と言うか、その、さっきの女性と違って、エリーチカさんは、なんていうか、こう、感情が余り顔に出ないというか、乏しいと言うか――――あ、す、すみません! 失礼な事言ってしまって!」
隣を歩きながら、すみませんと繰り返す少女。だが、再牙は不快感を表に出さない。そういった事は、これまで腐るほど言われてきたから、すっかり慣れてしまっているのだ。
「謝らんでいいさ」
静かな口調だった。声の調子からは、どのような感情でその台詞を口にしたのか分からない。
賑わう雑踏の中、並んで歩く青年と少女。両者を取り囲む小さな空間だけが、暫しの沈黙に包まれた。
「感情表現が乏しいのは、何も彼女が欠陥品だからじゃない」
沈黙を破るように呟いたのは、再牙の方からだった。
「あの女が新型のアンドロイドで、チカチ……エリーチカは旧型のアンドロイド。二人の違いは、ただそれだけだ」
「製造された年代が違うから、性能もそれぞれ異なるということですか」
「そうだ。少し、この街におけるアンドロイドの起源について、話しておく必要があるな」
幻幽都市において、アンドロイドと密接な関係にある巨大複合産業と言えば、唯一にして最大手メーカーであるピュグマリオン・コーポレーションを置いて他に無い。
件の企業が幻幽都市創設時期に合わせて、最初期に製造販売を開始したのが、世に名高いガラテイア・シリーズと呼ばれる一連のアンドロイド群であった。エリーチカは、その初期生産ロットで製造された古株のアンドロイドである。
稼働年数は今年で十五年。つまりエリーチカの年齢は、人間で換算するところの十五歳である。それだけの年月が経過しているにも関わらず、彼女は深刻な故障やトラブルも無く、未だに現役で稼働を続けている。ピュグマリオン・コーポレーションが多数抱える心霊工学士が、如何に腕の立つ技術者であるかを雄弁に語っている。
「一般的に、女型のアンドロイドはガイノイドと言われたりもするんだが、まぁ、それはあまり重要じゃない。大切なのは、何故に彼女らのような存在が生まれたのかと言う事だ」
再牙は、静かに語り始めた。
「大禍災の爪痕がまだ色濃く残っていた当時、蒼天機関が抱えていた悩みの種の一つが、瓦礫の撤去作業だった。いくら人員を投入しても、犯罪者の暴動や強盗、果てはベヒイモスの来襲といった事態が重なって、撤去作業は中々進まなかった。このままじゃ、都市の復興計画は何時まで経っても進まない。そこで持ち上がった話というのが、アンドロイドの実用化だった」
「え? いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ」
「何か、気になることでも?」
「あの、今の時代になっても、外の世界ではアンドロイドの実用化なんて、まだまだ先の話なんですよ? いや、アンドロイドだけじゃありません。VRMMOだって、ナノマシンにしたって、どれもこれもが御伽噺扱いされているのに、なんでそんなに早く、しかも災害直後のこの街で、実用化が可能になったんですか?」
「そこにもやっぱり、ジェネレーターが絡んでいる。正確には、彼らの亜種だ。魔眼保持者とは異なる、もうひとつのな」
何から順序立てて話していくべきか、再牙は思案し、頭の中で理想的な会話の流れを構築する。中学を出たばかりの少女にもわかりやすく説明するには、まず、どのカードを切っていけば良いのか、慎重に考える。
「能力の発現要因は諸説あるが、定説となっているのは、自意識の発露だ。言い換えれば、内面世界の具現化だな。社会的善悪を問わず、その人が欲しいと願う地位や名誉や人徳、こうありたいとする姿や社会における立ち位置、あらゆる願望そのものが形となったもの。あるいは、その願望を叶えるために必要とされる手段が、具体的な形となったもの。ジェネレーターの宿す能力の源流にはそれがある。同じようなタイプの能力が多いのはそのためだ。人の望みというのは、単純化すれば皆似通っているからな。そして、ジェネレーターの中でも、今俺が口にした定説に分かりやすい形で乗っかっているのが、覚醒者と呼ばれる能力者集団だった」
「集団ってことは、何か一つの目的のために集まった方々ってことですか?」
「その通りだ。奴らの目的というのは、この街の科学技術の革命的な発展を促すことだった。つまり、超人的な頭脳を宿した科学技術者集団。それが覚醒者だ……俺は、彼らの生態を良く知っている」
その時だけ、再牙の瞳の中に、怯えとも憎悪ともつかぬ感情の灯が揺らめいたのを、琴美は見逃さなかった。生態、という生々しい表現を敢えて使った点からしても、再牙が複雑な想いを彼らに抱いているのは確かなようだ。
「あれは、人間じゃない。神がかかり的頭脳なんていう言葉では片付けられない。悪魔的理論を平然と思いつき、それを十分に実現化させるだけの技術を構築してしまう。聞いたところによると、奴らの脳神経回路は常人の数倍もの数を有し、右脳と左脳を繋ぐ脳幹と呼ばれる部位も、五倍近く太いんだそうだ。だから、脳のアナログ化とデジタル化の相互作用が極めて高く、複数の出来事を多体問題として扱うことが出来た。あらゆる複雑系力学の諸問題を瞬時に解決し、それらの単純な解を導き出すこともな。数学的原理を超えてやがるんだ」
「……」
「でも、それだけじゃ説明できない『何か』が、彼らにはあった。それを容易くやってのけてしまうだけの、説明不可能な力が。だから、ナノマシンやアンドロイド、仮想世界におけるネットワーク技術、人工魔眼。あらゆる技術の開発と実現に漕ぎ着けることができた。必要とされる素材も奴らが作った。資金は、都市が捻出した。だからアンドロイドが作られたと、そういう……」
隣を振り返って、一瞬固まる。琴美が、凄く眠たそうな目でこちらを見ていた。
話を本筋に戻そうと、軽く咳払いをして仕切り直す。
「と、とにかく。奴らの智慧があったおかげで、アンドロイドの製造と運用計画は実行に移されたってわけ。当初はブルドーザーを始めとした重機で作業に当たっていたんだが、どうしても足場が不安定だったり、狭かったりする所では、既存の機械も役には立たない。だから科学者達は、バランスと平衡感覚を制御しやすい二足歩行のロボットを造ろうと考えた。それがアンドロイドのはしりだ」
「……あのう」
「なんだ?」
「もしかして、エリーチカさんの肩から生えているあの『腕』って、瓦礫の撤去作業をする為の物だったりするんですか?」
「そうだ。あの腕がまた便利なものでさ。当時は色々と役に立ったって、本人から聞いているよ」
「へぇ」
「とにもかくにも、自給発電機能を備えた彼女らは、食事を摂る必要もないし疲れ知らず。おまけに人間を上回る馬力を発揮するときたから、まぁ作業は順調に進んだ訳だ」
つまり、アンドロイドは従来の重機に代わって新たに開発された、人型の重機という事か。琴美は一人納得する。
「彼女らに与えられた仕事は、あくまで瓦礫撤去をはじめとする、土地の再開発推進に関わる土木事業だった。どれも、チームワークを必要とする作業だ。その為に、万が一にでも、アンドロイド達の間に不和が起こり、仕事に支障を来してはならない。現場を指揮する人間に反抗でもしたら、それこそ大問題に繋がる。そう考えたピュグマリオン・コーポレーションの科学者達は、『あえて』アンドロイド達の感情表現を徹底的に排除した。彼らが望んだのは、感情の発露がない、疲れ知らずの、力持ちの人間という訳だ。仕事に必要な最低限のコミュニケーションが取れれば、それで十分だった」
「それはつまり、エリーチカさんには人の感情が理解出来ないという事ですか?」
「いや」
頭を振ってから、答える。
「そうじゃないんだ。初期に開発された――旧型のアンドロイドは、人間の喜怒哀楽といった感情は十分に理解出来る試用に造られている。問題は、感情のアウトプットにある。チカチ……エリーチカは、感情を出力出来ない設計にされているんだ。人間だったら、楽しければ声を上げて笑うし。悲しかったら涙を流すだろ?」
「ええ」
「エリーチカを始めとした旧型には、そういった処理が出来ない。恐らくは、大脳皮質と扁桃核の役割を担う人工魂魄の回路に、何らかの細工がされているんだろう。人形が感情を表に出す事を好まない連中が、その時は多かったのさ。でも時が経つに連れて、アンドロイドの存在意義も変化していった。瓦礫撤去も土地開発もあらかた済んだ今となっては、あいつみたいな感情表現に乏しい旧型は――世間からしてみれば、用済みって訳だ。今は出力にも入力にも全く何の異常も無い、感情豊かな新型アンドロイドが主流なのさ」
「用済みだなんて、そんなのあんまりじゃないですか! プログラムの改編とかで、何とか解消出来ないんですか?」
「無理だよ。アンドロイドの核……俺達人間で言う所の『脳』や『魂』に匹敵する人工魂魄は、完全なブラックボックスだ。詳細な構造まで把握しているのは、ピュグマリオンの心霊工学士だけだ。そしてあいにくと、彼らには旧型アンドロイドの性能をアップグレードする気が無い」
エリーチカの置かれた現状について話せば話すほど、再牙の表情は、上空に広がる青空とは対照的に、どんどん曇っていく。彼女に対し、行き場のない哀れみを抱いているからではない。エリーチカの背後に潜む何か。都市を支えている根源が、彼女をそうさせてしまったのだと思う。
止め処なく溢れかえる人類の好奇心。それを糧に歪な成長を続ける、異質な文明への憤り。灼熱が如く滾り、衰えを知らず発展し続ける科学へ、誰もが礼賛に満ちた向ける。それは人間の常である。
しかし、生み出してしまった科学の脅威に、自ら進んで責任を負うものが、果たしてどれだけいるというのか。肥大する科学技術。それにより生み出された者達へ与えられる社会的意義も、時と共に忘れ去られていく。後には、何も残らない。
「立派なもんだよ、幻幽都市の科学力は。アンドロイドを造り出しただけでなく、今では人間と問題無くコミュニケーション出来るレヴェルまで進化している。でも、その科学の力に頼るのは、ここだろうと《外界》だろうと、人間なんだ。世間は皆、流行に乗っかって新しい製品や新しい技術に目映りする。それを悪い事だとは思わない。寧ろ、人間社会が辿る必然的な理なんだろう」
だけれども。彼は続ける。
「だからといって、自分達の都合で造った過去の遺産を、用済みだと切り捨てるのは人間の傲慢だ。世間が何と言おうと、あいつは俺にとって大事なパートナーなんだよ」
まるで、自分に強く言い聞かせているかのような語りだった。琴美は、かける言葉が見つからなかった。
再牙とエリーチカ。二人が今日までいかなる日々を共に過ごしてきたのか。それを推し量る術を、部外者である琴美は持ち合わせていない。しかし、再牙の真剣な目付きからして、きっと数え切れない程の苦楽を共有してきたに違いない事は容易に想像がつく。
両者を繋ぐ情愛は、友人とも、恋人とも、親子のそれとも違っていた。もっと特殊且つ複雑で、それでいて決して途切れる事の無い鋼の絆。大げさな言い方をすれば、運命共同体とでも言えば良いのだろうか。とにもかくにも今のところは、エリーチカの存在を正しく理解出来ているのは、再牙のみに限られていた。
エリーチカの身に施された封印。即ち、感情出力の纂奪。人間の気持ちを『理解』しているにも関わらず、それを表情や動作で表現する事が出来ない。
それは一体、どんな感覚なのだろうか。十分に他者の感情を理解出来て、それに対してどういう反応を返せば良いのか。頭では分かっているのに、応じる事はままならないだなんて。その結果として、事情を知らぬ相手にあらぬ誤解を与えてしまった事もあっただろう。
とても恐ろしく、哀しい事ではないか。まるで心の拷問だ。自分がそんな身に置かれたら、到底耐えられない。琴美は、思わず自分の事のように身震いした。
彼女は当初、鉄仮面のように表情の乏しいエリーチカを見て、『風変わりな人間』という印象を抱いた。濡れた服を交換して貰った恩義はあるが、出来るだけ関わりあいには成りたくないと思ったのも認める。
いや――着飾った言葉は止めよう。
気味が悪いと、そう思った。
そして、そんな風に思った自分を、今は心から羞じている。事情を知らなかったとは言え、なんと残酷な感情を彼女に抱いてしまったのだと強く後悔した。
だからこそ思う。彼女の事を、エリーチカの事をもっと知りたい。アンドロイドでも、人間に似せて造られたなら、その趣味嗜好も幾分か人間と似通っている筈だ。
好きな音楽のジャンルは何だろう? 自分は洋楽が好きだから、もしオススメの邦楽があったら教えて欲しい。好きな景色は? 絵画に興味はあるのだろうか? プラモデルは? 手前味噌だがプラモデル制作には自信がある。今度、一緒に作れたらどんなに楽しい事だろうか。好きなテレビ番組は何なのだろう。どれか一つでも、趣味が合うといいな。
そこまで考えた時、琴美はふと思い出した。介抱された日にエリーチカが真剣に見ていた、十五分間の動物番組の事を。
「今日のニャンコ……か」
その呟きは雑踏の喧騒に紛れ、再牙の耳には届かなかった。
だが琴美の心には、確かにその番組名が、しっかりと刻まれていたのである。




