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アナザポリス・オリジナル-怪力乱神幻瞑録-  作者: 浦切三語
第三幕 五千万の仮想世界と殺戮遊戯の宿命
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3-8 ホルモンが歌うまで~中央都の二人~

 焼肉をつつくなんて、何時以来の事だろうか。


 熱々に熱された網の上で小気味良い音を立てる肉の群れを眺めながら、山橋道元は記憶の片隅に追いやった、家族の肖像を思い出そうとした。


 確か最後に行ったのは、息子が七歳の時だったか? それとも十歳? 


 既に家族を失くして久しい山橋には、家族との触れ合いを思い出す事すら難しかった。そして、それはそんなに大した問題ではないと、今の彼は考えている。


「やっぱり、こういう脂っこい物は合わん歳かね?」


 山橋の対面。豪奢な椅子に座っている背広姿をした白髪の壮年男性が、恰幅の良い腹を揺らして笑っている。普段なら鋭い眼光を放っている筈の細い目は、この時ばかりは穏やで、そしてどこか、申し訳なさそうな雰囲気が漂っていた。


 日本国中央都の高級繁華街。その一角にある高級焼肉料理店の個室で、今、日本政治界きっての怪人二人が、サシで語らおうとしている。それが意味する所を知っているのは、この二人を除いて一人もいない。


「出来れば料亭が良かったんだが、このところは世間の風当たりが強いからねぇ。マスコミ連中に嗅ぎ突かれたら、面倒くさい事になる。今は我慢の時だよ、山橋君」


 その通りだと、山橋は内心で思った。今は大事な時期だ。自分にとっても、そして目の前に座っているこの男にとっても。


 余計な事をしでかして、己の思惑を表に露呈させるわけにはいかないのだ。故に、山橋に男の考えを否定するつもりは毛頭なかった。滅相もございませんと、軽く頭を下げる。


「陛下の選択に、一切のミスはございません。見た所、この部屋はVIPルーム。完全なプライベート空間を演出した個室の様ですし、話し声が外に漏れる心配もない御様子。ここなら、密談には最適かと存じます」


「君ねぇ」


 箸で肉をつつきながら、壮年の男は片眉を上げて釘を刺した。


「その『陛下』って呼び方、どうにか止めてくれないものかね? 本物の陛下に悪いじゃないか」


「いえ」


 山橋は目を瞑り、頭を振った。


「私が存じ上げている陛下は、秋島国防大臣、貴方様を置いて他におりませんよ。まさに貴方こそ、国防省の天皇陛下。誰にも文句は言わせません。この山橋道元が言わせません」


「おいおい、本当に止め給えよ」


 科白とは裏腹に、壮年の男性――秋島森重(あきしまもりしげ)国防大臣は、どこか嬉しそうに頬を緩めた。


「国防省の天皇なんて、まるでそのうち、私が贈収賄容疑で吊し上げられそうな感じじゃないか」


「随分昔の話を持ち出してきましたねぇ。確か、まだ国防省が防衛省と呼ばれていた頃の、当時の事務次官が起こした事件ですよね?」


「ああ。私も自分で口にして、懐かしさを禁じ得なかったよ。あの頃は平和だったな。あんな小さい事件が全国紙のトップを飾っていたんだから」


「今や、どのマスコミ連中も必ずと言っていいくらい、幻幽都市にまつわる噂話や出鱈目を書き続けていますからね。正直、しつこいくらいです」


「まぁ、彼らの気持ちも分からないでもない。それくらい衝撃的な事件だったからな。まさか日本がこんな事態に陥るなんて、当時は誰にも予想出来なかったのだから」


 そう口にしながら、秋島はテキパキと焼けた肉を皿へ移し、次々と口へ運んでいく。


 御年七十を超える齢ながら、この老政治家の食欲に衰えは無かった。いや、食欲だけではない。政局へ臨む気迫も智慧も、何もかもが『荒鷲の秋島』と呼ばれていた青年議員時代のままだ。その野望には、未だに底が見えない。


 力は気也。気は力也。

 気力を蓄えるには力を蓄えよ。

 力を蓄えるには飯を食らえ。


 今から二十年程前の昔に防衛大臣を務めていた秋島が、駆け出し議員だった頃の山橋によく言って聞かせた言葉を、この時、山橋はまざまざと思い出していた。


「時に陛下」


「うむ、何かね?」


 芝居がかった口調で、秋島が応える。網の上で踊るA5ランクの肉には目もくれず、山橋は膝の上に拳を置くと、ずいっと前のめりになって問い質した。


「先ほど、『そのうち贈収賄容疑で吊し上げられそうな感じ』だと仰っておりましたが、何か、身に覚えがあるのでしょうか?」


 試すようなその視線に、肉を掴もうとしていた秋島の箸が止まった。だが、それも一瞬の事だ。言外に含まれた言葉を読み取ると、秋島は肉を箸でしっかりと掴みながら、くしゃりと笑った。深い皺を顔面全体に刻ませて、山橋を軽く睨めつける。


「君も、なかなか言うようになったじゃないか」


 実に嬉しそうな響きが、声色に含まれている。


「初入閣したての頃は、右も左も分からなかった小僧が、よくここまで胆力を鍛え上げたものだ。嘗ての上司として、鼻が高いよ」


「お褒め頂きまして、有難うございます」


「だが、案ずる必要はないぞ、山橋君」


 口に含んだ特上カルビ五枚をウイスキーで流し込むと、秋島は背広のポケットに手を伸ばした。それを見た山橋が、腰を浮かし、すぐさま隠し持っていたジッポに火を点けて、秋島が取り出した葉巻の先端に近づけた。


「記者クラブの連中は、既に押さえつけてある。山吹色の菓子を目の前にした奴らの意地汚い顔相を、君にも見せてあげたいくらいだ」


 葉巻を吸い、紫煙をくゆらせる秋島。皮脂でテカったその大きな顔には、自信が漲っている。


「太洋建設から貰っている金の処理についても問題ない。万事、滞り無く進んでいる」


「何から何まで、有難うございます」


 またもや、山橋は頭を下げようとする。が、秋島がそれを片手で制した。


「止したまえよ。私だって、君と志を同じにしたから、こうして協力してあげているんだ。幻幽都市の存在は、私も前々から疎ましく思っていたからねぇ」


 その時、この店に来て初めて、秋島は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。幻幽都市。その名を口にすることすら、本当は嫌だったのかもしれない。


「ゴキブリは早いうちに処理しておかねばならん。それより、今危惧すべきなのは、アメリカやヨーロッパの連中だ。知っているかね? 連中は過去に何度か、幻幽都市に諜報員を送り込んだ事があるらしい」


「ええ。私も既に、その情報は掴んでいます。目的はやはり――」


「軍事技術の奪取、だろうな」


 秋島は、深いため息を吐いた。呼気に混じって、煙が広がる。


「全く。スパイ防止法を早く通さないから、こんな事になるんだ。総理の慎重ぶりにも困ったものだよ」


「元々、幻幽都市の存在を黙認していた政府にも問題はあるかと。あ、もちろん、陛下の事を仰っている訳ではありませんよ?」


「分かっている。まぁ、面倒くさい事案を先へ先へ送ってしまうのは、政治家の悪い癖でもあるからな。だが、いつまでも重い腰のままではいられない。諜報員の件では、それがモロにマイナス面として働いてしまった。何度も同じ轍を踏むわけにはいかん。もし今回の『計画』が上手くいったとしても、どさくさに紛れて奴らに宝の山を横取りされたら、たまったものではない」


「ご心配は痛く同感。しかしながら、それほど気に掛ける必要もないかと」


「ん? どういうことかね?」


 意外そうな表情で、秋島が山橋を見る。山橋は静かに口を開き、事の次第を告げた。


「茜屋の話では、もう数年前から、そういった気配は全く無くなったそうです。世界は甘く見ていたのでしょう。幻幽都市の恐ろしさを。あの都市は軍事科学技術を扱っている重要機密施設の周囲に、何重ものトラップを敷いていると聞きます。それも、敢えて人為的に造り出したトラップではなく、大禍災(デザストル)が原因で変性した土地そのものを利用したトラップなんだとか。そんじょそこらの諜報員では、決して太刀打ちできません。それが例え、M16やモサド、CIAであったとしてもです」


「ほほう。例えば、どんなトラップがあるのかね?」


 秋島が、子供のように瞳を光らせて尋ねる。思わず、山橋は笑いそうになった。幻幽都市の話題になると必ず行われるやり取りだ。もう、何十回と話した内容を、今日もまた話さなければならない。だが、山橋はそれを面倒くさい作業だとは思わない。


 普段はその毅然とした態度と容赦ない指示を飛ばす事から『荒鷲の秋島』と恐れられるこの男が、幻幽都市で起こる超常現象の話になると、中身を聞きたそうな顔をする。それが、山橋にしてみれば可笑しくて仕方がないのだ。


「そうですねぇ……」


 山橋はわざとらしく明後日の方に視線を向けて考え、幻幽都市の中でも比較的メジャーな超常現象の数々について語った。


「一番多いのは、湖に森、沼や植物でしょうか。例えば、とある機密施設なんかは、青白く光る湖に浮かぶ小島に建設されているのですが、これが只の湖ではないのです。足のつま先をほんの僅かでも湖面につけただけで、一分と経たず全身が石化してしまう。故に、ついた名が魔石ノ湖(アシッドランド)。湖水の成分が、計測不能な程の超高濃度アルカリ性を示す為に起こる現象なんだそうです」


「ふむぅ。実に興味深い」


 毎度お馴染みの科白を吐く秋島。表情はにこやかだが、それは山橋の話を楽しんでいるからというよりも、彼が口にする超常現象の突拍子の無さに、呆れを通り越して笑っているというな印象だった。


「他には、人妖深森林(ヒューマ・フォレスト)と称される巨大迷宮じみた森が、日の出町方面にあると聞きます。森を形成している大樹の一本一本が、人間の足そっくりの形をしていて、奇怪である事この上ないと」


「日の出町か。私の実家があったところだな」


「その森林も漏れなく、重要機密施設を保護するように深々と存在しているのですが、事情を知らぬ者が、一度でも足を踏み入れたが最後。正しいルートを通らなければ、異次元空間と直結した森に飲み込まれてしまいます。そして、正しいルートを知っているのは蒼天機関(ガルディアン)の中でもごく一部の機関員のみで、外部の人間が入ると、九十九パーセントの確率で命を落とすと聞きました」


「なるほど。他には?」


「羽村市にある狂宴花園(ラフレシア)と名付けられた、大人の背丈程もある巨大な植物は、施設へ近づく人間を無差別に襲い、跡形も無く喰らい尽くすと聞いています。一度その沼に触れてしまうと全ての記憶を失い、代わりに自分そっくりの泥人形を創り出す、思考哲学沼(スワンプ・レイク)と呼ばれる場所も存在するとか。蒼天機関(ガルディアン)の連中は、都市の機密事項が外部に漏れる事を極端に嫌う為に、こうした超常現象に守られた土地に、敢えて重要な施設を建設しているのです」


 その後も、山橋は身振り手振りを交えて、まるで神話の物語を紡ぐ吟遊詩人が如く、御伽噺に近い幻幽都市の様相を喋り続けた。秋島は葉巻をふかし、時折思い出したように肉を焼きながら、黙って彼の言葉に耳を傾けていた。


 そうして、山橋が一通り喋り終えた頃、ようやく秋島は口を開いた。


「全く、何時聞いても恐ろしいな、君の話は」


 そう口にする秋島の目は、笑ってはいなかった。何時の間にか、さっきまで浮かべていた穏やかな光は瞳から消え、今は冷たい色が宿っている。


 何か、機嫌を損ねる事を口にでもしてしまったのだろうか。山橋は己の言質に間違いが無かったかどうかを瞬時に脳内で確認しつつ、口を開いた。


「私の話が、ではなく、幻幽都市が恐ろしいのですよ」


「私は正直、オカルトの類だと思っておるよ。あの都市の存在も、君から幾度と無く聞いた幻幽都市の内情も。日本国民(われわれ)からしてみれば、あれは都市伝説の領域を出ない」


「こういう系統のお話は、いくらか苦手でしたでしょうか?」


「うむ……」


 網の上に置かれた肉を箸で掴みながら、秋島が生返事を返した。眉間に皺が寄っている。


「なんというか……興味がない」


 秋島の意外な答えに、山橋は思わず破顔した。


「ここにきて、そんな事を仰るとは意外です。そもそもですよ? 以前に、幻幽都市の話をしてくれと仰って来たのは、他でもない。陛下御自身ではございませんか。私はてっきり、陛下がこういったオカルト話に興味がおありかと思っていましたが」


「……いいかい、山橋君」


 肉を咀嚼しながら、秋島は厳しい表情を湛えて言った。


「人の好奇心というのは不思議なもので、興味心を抱いて調べた事でも、それが自分の想像力の範疇を遥かに超えていると、途端に好奇心を失くしていくものなのだよ。そして、抱いた無関心はやがて、恐怖へと変わる。ある日、私はふと考えてしまうのだ。もし、我々の想像を超えた技術や力を宿したあの街の人々が、この国に牙を剥いたら……そう考えれば、今回の『作戦』はごく自然な時の流れ、日本人の心の移ろいの中で生まれたとも言える。大禍災(デザストル)があって直ぐの後に、防衛専守の法案が纏り、防衛省が国防省へ生まれ変わったのも、そういう心理的作用が働いた結果であると、私は睨んでいる」


 山橋は、ただ黙る事しかできなかった。日本の軍事力を一手に預かる秋島の言葉に、とてつもない重みを感じたからだ。杞憂であると笑い飛ばす事は、言語道断であると感じた。


 幻幽都市に住む人々の多くは、恨みを抱いている事だろう。日本という国へ、日本という国に住む人々へ。


 当然と言えば当然の事かもしれない。


 大禍災(デザストル)の発生後直後に、時の暫定政府は臨時国会を開き、自衛隊を動かし、東京に取り残された都民の救助作戦に打って出た。嘗てこの島国を何度も襲った大地震と、同レベルの災害であると高を括った。


 それが間違いだった。廃墟と化した東京に乗り込んだ自衛隊は、都合二ヶ月余りの間、何の成果も得られなかった。救助作戦は失敗に終わった。


 何故か? 答えは実に簡単だ。


 自衛隊が乗り込んできた時点で幻幽都市が既に、その片鱗を見せ始めていたからだ。東京都のあちこちでは、有害獣(ダスタニア)やベヒイモスが急速に誕生し、理解不能な超常現象が多発する『魔境』と化してしまっていた。


 未知の脅威を前にした自衛隊は、何の役にも立たなかった。人的被害を禄に抑えられなかった。


 拡大していく被害を放置して撤退を決めた彼らの後姿を、幻幽都市の人々はどのような思いで見つめていたのだろう。


 幻幽都市の住人ではない山橋にも秋島にも、災害の爪痕深い都市に残された人々の気持ちが、痛いほど理解出来た。


「だが、理解は出来ても同情はならぬ」


 肉を焼く手を止めて、秋島は毅然と断じた。


「あの街は、日本の癌だ。あれが存在する限り、日本の完全なる復興はままならない。だからこそ、滅ぼさねばならぬ。こちらに牙を向ける前にな」


「但し、軍事技術は別、でしたよね?」


「うむ。その通り」


 口角を上げて、ニヤリと笑みを浮かべる秋島。


「軍事技術だけではない。情報工学、生命工学、医療再生技術……幻幽都市の存在は忌々しいが、あの街で生み出された技術は別だ。あれをモノにすることが出来れば、この中央都は、いや日本は、再び世界一の国に上り詰める事が出来る」


 利用できるものは、どんなものでも利用してやろうという腹でいるのだ。秋島の貪欲な姿勢を見て、思わず山橋は背筋を正した。やはり、この人には敵わないという思いが、一層強まる。


「ところで、例の『組織』についてだが、最終的に人員はどの程度集まったのかね?」


「報告によると、百十七人との事です。無論、全員が技術職や研究職に就いていた者達で、その技量については、茜屋曰く折り紙付きだと」


「上出来だ。それだけの優秀な技術者を集めるとは、やはり罪九郎君には何らかのカリスマ性があるな」


「それで、作戦終了後の彼らの扱いについてですが、いかがいたしましょう?」


「それなんだが、近々に内閣改造が発表される手筈になっている。それが済むまでは一時、彼らの身元は私が預かろう。内閣改造が完了次第、科学技術省へ配属させる。沢村大臣には既に話しを通してあるから、心配するな」


「軍事関係の研究に勤めていた技術者も、同様の配属になるのでしょうか?」


「いや、そういった経歴を持つ者は別だ。新設したての特事研へ配属させる。早川事務次官には、その方向で人事を調整するように言ってある」


「大丈夫でしょうか? あの傲岸不遜な沢村大臣が人事に横槍を入れてくるなんてことは……」


「念のために、手は打ってあるさ」


 秋島はそう言うと、含みを持たせた笑みを浮かべ、ウイスキーの入った杯を傾ける。カランコロンと、小気味よく音を立てる氷を見つめながら、昔を懐かしむようにして言った。


「あいつには若手議員時代、貸しを作ってある。それも、女絡みの貸しをな。それを返してもらうだけの話だ」


「なるほど。流石です。既にそこまで調整済みとは、恐れ入りました」


「カードの切り方は、政局を渡り歩くのに重要だからな。まぁ、切るまでもないかもしれんが。あいつも、他所の省庁の人事に口を出してくる程、粗野な男ではあるまいて。それはそうと……」


 秋島はここにきて、なお一層真剣な表情を浮かべた。


「君から渡された、罪九郎君の作戦プランについてなんだがね」


「何か、内容に不備でも?」


 内心の焦りを隠す事無く、山橋は前かがみになり、早口で聞いた。だが、秋島の口から飛び出てきたのは、作戦内容についてではなく、寧ろ、その後処理についてだった。


「いや、特に不備はない。だが、肝心の技術者や罪九郎君自身は、どうやって脱出するのかが明記されていなかったじゃないか。まさかここに来て、あんな街と心中する訳じゃないんだろう?」


「勿論ですよ。あの男はあの男で、既に作戦終了後の脱出方法を確立させています。方法は私も聞いておりますが……」


 そこで、山橋は言葉を飲み込んだ。


「今話すのは、止めておきましょう」


「何故だ?」


「脱出方法を話したら、陛下の機嫌を損ねるやもしれませんから」


「成程な。それだけ、私の想像力を超えた、オカルトチックな方法という訳か」


「はい」


 山橋は含み笑いを浮かべた。


 しかしながらである。脱出の要となるのは茜屋ではい。組織を束ねる御台所と呼ばれる女が宿す能力に、要としての価値がある。


 その女の存在も、当然山橋は知っていた。今回の作戦では、彼女が重要な役割を担っている。しかし、具体的な内容について説明したところで秋島が理解出来るわけがないと思い、口を閉ざした。


 いや、秋島だけではない。十人に話を聞かせて、そのうち一人でも本当に理解できる人間がいるのだろうか。


 次元操作能力を宿した御台所の話を《外界》で暮らす旧人類に話したところで、一体、何人が本当の話と信じるだろうか。


 あらゆる場所へ瞬時に出現し、どんな物体をも瞬時に四次元空間へ吸収する能力を宿した女の話など、この国では、それこそ御伽噺や都市伝説の域を出ないのだ。


「何はともあれ、あと三日後だな」


「ええ、三日後でございます」


 山橋はオウム返しで応えると、鰐革の腕時計が示す時刻を確認した。針は、夜の九時を回っている。


「三日後の今頃には、幻幽都市は崩壊への道を辿っている……待ちきれないな」


 秋島は、皿の上に盛られた最後の特上ロースを網の上に置いて、それを暫しの間、じっと眺めた。強火で炙られていくにつれて、薄ピンク色の肉の表面に、ぶつぶつと透明な肉汁が溢れ出してくる。


 秋島は得意げな表情を浮かべると、じゅうじゅうと音と煙を立てる肉片へ、箸の先端部を向けて、高らかに宣言するかのように言った。


「奴らはまさに、この肉と同じよ。自分たちが熱い網の上に置かれているのにも気づくことなく、こうして我々に焼かれるのを待つだけしか出来ない。まな板の上の鯉も同然よ」


「仰る通りです」


「見ておれよ。じっくり丹念に調理し、そうして最後には――」


 いとも容易く箸で摘まむと口の中へ放り込み、咀嚼。ごくん、と喉を鳴らして、秋島はしてやったりな笑みを浮かべた。


「我々が、喰らう」


 丁度その時、小綺麗な身なりのウェイターが、VIPルームのドアを静かに開けて残りのコースメニューを運んできた。中央都でも中々市場へ出回らない、特上のホルモンだ。


「お、きたな」


 それまでの傑物然とした雰囲気が鳴りを潜め、途端に秋島の頬が緩む。


「これこれ、これを待っていたんだ。山橋君、この店は赤身も美味いが、何よりホルモンが絶品なんだ」


「ホルモンが美味い、ですか。珍しいですね」


「ああ。店と仕入れ業者が良い関係を築いている証拠だな。ささ、食べよう食べよう」


「それでは、お言葉に甘えて」


 山橋と秋島は幻幽都市の処理に関する密談を暫し止め、高級焼肉店のホルモンに舌鼓を打つ事にした。


 綺麗な乳白色をしたホルモンを箸で掴み、思い思いに網の上に並べていくと、カルビやロースを焼いていた時は比較にならない程に、轟々と火が暴れ始めた。煙も尋常な量ではない。


「油の質が良いからね。ホルモンが歌い切るまで、火が暴れ続けるのさ」


 秋島の言う通り、網の上から滴る油を受けた火が、活気を取り戻したように赤々と燃えている。


「うっかり手を火傷しないように、気を付けなくてはなりませんね」


 肉の焼ける音をじっと聞きながら、山橋は真摯な表情を浮かべて呟いた。


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