3-7 マヤ、決意する
都市は、依然として夜の帳に包まれている。夜天に広がる黒雲は、湿気を孕み、空を覆い尽くしていた。数多の星々や弦月が放つ輝光は、いつの間にか厚い黒雲に遮られてしまっている。地上には、闇が満ちていた。
立地的にデッドフロンティアに近いためか。あるいは目立った高層ビルの数が少ないせいか。都市東部の華やかな街並みと比較してみると、国立市に蔓延る空気には一抹の寂しさが匂っていた。駅周辺に軒を連ねているアンドロイド・パブや、歓楽街から放たれるネオン光も、どこか空回りしているように見える。
髪を撫でつけてくる秋風をうっとおしく感じながら、チャミアは国立駅の方角へ視線を向けていた。豹馬が飛び去った後で能力を解除した。彼女の周辺に骸骨達の姿は無かった。
しばらくの間、チャミアは闇の果てを透かし見る様に目を細めていた。突如として、団地の方角から凄まじい絶叫が響いた。まぎれもなく、それは豹馬の断末魔であった。殺戮遊戯の中でも、特に残虐非道な嗜好で知られるキリキックのことだ。さぞかし、凄惨なやり方で止めを刺したに違いない。情景を想像する。チャミアの口から、熱の籠った耽美な吐息が漏れた。決して逃れ得ぬ性質が、吐息に込められていた。
〈終わったようだな〉
通信型の機能片を介して、マヤの電子音声が脳裡に届いた。
〈みたいだね。流石はキリ兄。私と違って、能力の使い方が上手いよ〉
〈自分を貶めるのはよせ。お前も大した働きぶりだったじゃないか〉
共眼効果を使って、マヤは仲間たちの視界に映る映像を逐一把握していた。無論、チャミアの行動もだ。彼女の働きがいかに有用だったかを、彼は口酸っぱく説いた。
〈もっと自分に自信を持て。一人になっても生きていけるだけの力が、お前にはある。自分の力を信じろ〉
チャミアは長兄の優しさに感謝した。また一方では、別の事を思案していた。延々と広がる闇の彼方をじぃっと見つめる。まるで石像のようになってその場を動こうとしない。先ほどの豹馬の言葉が、脳裡に引っ掛かっていた。
〈マヤ兄ちゃん。正義って、なに?〉
それは余りに突拍子で脈絡のない、真意を測りかねる質問であった。マヤは返答に窮した。構わず、チャミアは電子の会話を続けた。
〈さっきの戦闘で香住豹馬に言われたの。悪党を殺して悦に入るなんて、正義を為しているつもりかって。ねぇ、正義って、何なの?〉
〈敵の戯言だ。真に受ける必要なんかない〉
ぴしゃりと言い留める。しかし続けて、
〈正義とは詰まるところ、善きことを為すという事だ〉
〈よきこと?〉
〈自分の為になること。それが善き事だ。自分の為になる事をやっていれば、他人がどう思おうとも、それは間違いなく正義だ。俺は、そう考えている〉
〈じゃあ、私たちの行為は正義なんだねっ!〉
〈待て待て、どうしてそういう結論になるんだ〉
〈だってそうでしょ? 私たちは、自分たちの為に仕事をしているんだから〉
声に弾みがある。得意げな笑顔を浮かべているのが、顔を見なくとも手にとるように分かった。マヤは暫しの間押し黙り、後に続けるべき言葉を考えていた。
他の兄妹と比べて精神年齢の低いチャミアの頭では、敬愛する兄の言葉の真意を汲み取ることは叶わなかった。彼女には分からないのだ。自分たちの人生は全て、他人から与えられたレールの上をなぞっているに過ぎないのだという事が。
人造生命体は、創造主に縛られる宿命を生まれながらに背負っている。宿命に縛られるがままの自分たちが起こす行動は、果たして本当に正義と断定出来るだろうか。真の意味で、『自分たちの為になる事』をしているのか。結局は、誰かの主義や思想の手足となって生きているだけだ。それは、本当の意味で生きているとは言えない筈だ。そう考えると、マヤの胸中を陰鬱な気配が走り去った。
〈俺たちのやっていることは、正義でもなんでもない〉
毅然とした力強い言葉で言うと、続けて、
〈だが、それは今だけの話だ。俺たちの正義はこれからだ。チャミア、近いうちに、俺たちは俺たちの為に正義を為さなければならなくなる〉
〈どういうこと?〉
〈つまり――――待て、通信が入った。ルビーからだ〉
ルビー――チャミアの姉、つまりは殺戮遊戯の中で長女にあたるパック・ルブタニアの愛称を口にすると、マヤはチャミアとの通信を一旦切った。
釈然としない顔で、チャミアは恨めしそうに夜天を睨みつけた。力こぶの様に盛り上がった黒い叢雲の到るところから、雷鳴が轟き出した。不安感を煽る天候だ。深夜から翌朝にかけての重金属酸性雨の降雨予想は二十パーセント程度であるとニュースでやっていたはずだが、この分だと近いうちに降り出すだろう。ヴェーダ・システムの力を以てしても、超常現象渦巻く幻幽都市の天候を全て正確に予測するのは、やはり限界があるのだろうか。
〈チャミア〉
脳裡にマヤの声が届いた。声に若干の震えがあった。嫌な予感を禁じえなかった。
〈どうしたの? マヤ兄、何かあったの?〉
〈直ぐにアジトへ戻るぞ〉
〈だから、どうしたの?〉
一拍ほどの間があってから、返事があった。
〈ルビーから……連絡があった。アナザが……〉
嗚咽交じりの声だった。
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殺戮遊戯の住居は地下にある。かつての奥多摩地域――現在のデッドフロンティア近郊に構えられた地下施設の一つが、彼らの寝床だ。地下施設には他に、訓練場や研究棟、備品倉庫なども併設されている。この巨大な施設は元々、死体安置所として利用されていたのだが、前の持ち主が亡くなった後、権利書もろとも茜屋が所属する『組織』が買い取り、改装したのである。
無機質な白い壁。その至る箇所に設置された、高輝度の青光灯に照らされ、マヤはコンクリート製の通路を足早に進んでいた。フードを脱いで露わになったその精悍な顔に、普段の冷静さは微塵も張り付いていなかった。乱れた桃色のウェーブかかった髪を整えもせず、憤怒と悲哀の色を瞳に滲ませながら、靴音を響かせて先を急ぐ。
彼の後ろに、キリキック、チャミア、スメルトの三名が続いた。悲嘆に暮れた様子のマヤとは打って変わり、三人の表情はいたって普通だった。七番目の兄弟であるアナザ・スカイフォールの死の知らせを受けても、困惑するどころか平然としている。同じ施設で造られ、同じ時を過ごしたにも関わらずである。
通路を左へ曲がると、七つの扉が見えてきた。殺戮遊戯のメンバー各々に割り当てられた個室である。その中で、一番左端にある部屋へマヤは真っすぐに向かった。ドアの電子ロックは、既に開錠されていた。
「アナザッ!」
ドアを蹴破る勢いで開ける。同時に、ありったけの声で愛する弟の名を叫んだ。返事はない。何処から迷い込んだのか、どこからか迷い込んだ小蠅が、マヤの頬を掠めた。後から続いた三人の兄妹のうち、スメルトががうっとおしそうに左手を振るった。小蝿は、刃物で切断されたかのように二つに割れて、死んだ。
アナザの部屋は死臭に満ちていた。
部屋の内装は、彼が電脳ユーザーである事を如実に物語っていた。実に分かりやすい構造をしていた。部屋の三分の一を占めているのは、超現実仮想空間への没入に必須となる操縦席。それがまず一番に、マヤの視界に跳び込んできた。
高鳴る鼓動を必死に抑えて、マヤは操縦席の正面へ回り込んだ。
「アナザ……」
無残にも変わり果てた愛弟の姿が、そこにあった。でっぷりとした体を枯れた茄子の様に萎れさせて、アナザは絶命していた。小さい両目が、白目を剥いていた。耳と口からは、水銀のような濁った粘い液体が垂れていた。人造生命体に特有の血。運命が固定化されていることの、象徴。
怒りに駆られるまま目を血走らせ、唇を固く食いしばる。前歯が唇の肉を断ち、血が流れた。それでも、マヤは全身に湧き上がる力を緩める事はなかった。情動の突き動かすがままに、口を開いた。
「誰が殺した」
地獄の底から轟くかのような、たっぷりと恨みの籠った声。キリキック達は、思わず顔を強張らせて身震いした。長兄・マヤの心に渦巻く兄弟愛の凄まじさを眼前で見せつけられては、さしもの彼らも、うかつに声を出す事を憚られた。
「僕が戻った時には、既にそうなっていたんですよ、マヤ兄さん」
部屋の入り口に立つ金髪癖毛の少年が、この重々しい雰囲気の中で、平気な調子で言った。マヤが振り返る。少年の傍らには、妙齢の美女がいた。少年の名はアハル・ダンヒル。美女の名はパック・ルブタニア。どちらも殺戮遊戯のメンバーにして、アナザを厄介者扱いしていた急先鋒だ。
「アハル。ルビー」
喉の奥から唸るようにして、マヤは交互に視線をやった。
「アハル、お前の仕業か?」
自分の名を呼ばれたわけではないにも関わらず、その場にいるアハル以外の全員の背筋に、緊張が走った。疑われるのも無理はない。アナザと最も関係が悪かったのはアハルなのだ。これまでも数えきれないほどのいざこざを起こし、中には流血沙汰になった件もある。
そして、ルビーがマヤに話した内容によれば、遺体の第一発見者は他でもない、アハルだと言うではないか。理由なく仲間たちから除け者扱いされていたアナザを、唯一対等に扱っていたマヤの事だ。アハルの返答次第では、恐るべき制裁が待ち受けているやもしれぬ。
されども、アハルはうるさそうに眼を瞑り、
「マヤ兄さんともあろうお人が、人の話を聞いていなかったんですか? 僕がこの部屋のドアを開けた時には、既にアナザは死んでいたんです。嘘じゃないですよ。僕は昨晩ずっと部屋で電脳関連の本を読み漁っていて、アナザが何をしていたかなんて気が付かなかったんです」
「どうして、アナザの部屋に向かった」
「借りていた本を返そうと思って」
平然とうそぶく。借りたと本人は言っているが、アハルのことだ。どうせ何時ものよおうにアナザを痛めつけて、無理やり奪ったに決まっている。マヤは敢えてその辺りの事を追求せず、黙ってアハルの言い分に耳を澄ませた。
「読み終わったのが今から一時間ほど前でしてね。返そうと思って部屋をノックしようとしたら鍵がかかっていなかったことに気が付いたんです。それで扉を開けてみたら、このザマという訳ですよ。それで僕は大変に驚きまして、別室でくつろいでいたルビー姉さんを呼びつけて、事態の報告をマヤ兄にしてくれと、お願いしたんです」
「アハルの言葉に嘘はないわ」
それまで黙っていたルビーこと、パック・ルブタニアがルージュの引かれた唇を開いて言った。
「アナザの隣は私の部屋だってことは、マヤ兄さんも知っているでしょ? もしアハルがアナザに殺されたのだとしたら、争った際に物音が聞こえるはず。だけど、そんな音は何も聞こえなかった。大方、電脳世界で殺されたんじゃないかしら」
「馬鹿な、それこそ有り得ない。アナザはウィザード級の電脳ユーザーだぞ。そう安々と殺されるような男のはずがない」
「ウィザード級ねぇ。僕からしてみれば、奴はせいぜいギーク級と言ったところですがね」
アハルが失笑を浮かべる。その小馬鹿にした態度が、余計にマヤの胸中を搔き乱す。
「(ど、どうしよう……もし本当にアハル兄ちゃんがアナザを殺していないとして、それを証明する手立てがないままじゃ、このままじゃ、大変な事になる……ッ!)」
チャミアは戦々恐々とした面持ちで、両者のやり取りを見守っていた。
マヤは、身内に害が及ぶのを最も恐れ、最も忌み嫌っている。そういう性格の持ち主である。メンバーの誰かが深刻な状況に陥れば、その状況を作り出した奴を徹底的に追い込んで殺す。それが彼の流儀であった。
そしてそれは、害を為した張本人が身内であろうと関係なかった。彼の中で重要な位置を占めているのは、『誰が殺したか』ではなく『誰を殺したか』という点だった。殺した人間の属性は問わない。身内に危害を加える者は、例え『誰であろうと』許さない。
狭い室内に張り詰める緊張感。息をするのも躊躇われそうな静寂。異様な場の雰囲気にひるんだのか、チャミアは緊張の汗を掻いて、一歩下がった。キリキック、スメルト、ルビーの三人は、黙したまま、マヤとアハルの成り行きを静かに見守っている。
『なんや、全員揃っとるとは、珍しい事もあるもんやなぁ。まぁええわ。何度も説明する手間が省けて大助かりや』
静寂は、誰も予想しない形で打ち破られた。壁面スクリーンに突如として映し出された映像。画面の向こうで、白衣に身を包んだ銀縁眼鏡の男が、芝居じみた調子で嗤っていた。茜屋罪九郎である。
『おお、これはこれは……なんとしたことや』
アナザの亡骸に目をやって、罪九郎は大変に驚いた風体を見せた。
そのわざとらしい口ぶりに、マヤが素早く反応した。
「茜屋……貴様」
『どうしたんや? そんな怖い顔して睨み付けて』
「貴様か。貴様がアナザを殺したのか」
『…………』
「答えろッ! 返答次第では――」
言いかけた所で、マヤが突然片膝をついた。苦しそうに顔を歪め、胸の辺りを抑えている。
「マヤ兄ッ!」
心配した他の兄妹達が駆け寄る。マヤは呼吸もままならないのか、声にならない声を出し、額にじっとりと脂汗を浮かべるしかなかった。
『人造生命体の分際で、創造主に対してなんたる口の利き方や』
心底不快そうに片眉を上げる罪九郎の右手には、ボックス状の小型装置が握られていた。赤いボタンが設置された手の平サイズのそれは、人造生命体の体に埋め込まれた制御装置と連動している。
被造物の創造主への反乱を未然に防ぐための道具。罪九郎が独自の技術で作り出した、飼馬の手綱のようなもの。これがある限り、人造生命体は罪九郎へ逆らえない。どんなに理不尽な目に遭ったとしても、それは覆らない。
小型装置のボタンを押し続けたまま、罪九郎は眼鏡の奥に覗く瞳を細めて続けた。
『アナザはな、仕事でミスったんや。せやから死んだ。ただそれだけの事や』
「仕事……貴様が、アナザに仕事を……?」
『ヴェーダ・システムへのクラッキングをな』
その一言に反応したのは、アナザと同じウィザード級電脳ユーザーのアハルであった。それまで暢気そうにしていた表情を一瞬にして強張らせ、罪九郎が次に発する言葉に、じっと耳を傾ける。
『今日の昼前からずぅっと超現実仮想空間に潜っとったんや。物音が全くせえへんのは当然の事や。それにしても、全くアナザの奴め、せっかくワシが用意した特製の倍力有線端子を無駄遣いしおってからに。まぁ……なんとか目的の一部は果たしたようやから、御の字なんやけどな』
「何故だ……」
マヤが呻くようにして言った。
「何故……そんな危険な仕事をアナザに任せた。ヴェーダ・システムの堅牢さを考えれば、あいつが死ぬのは……茜屋、お前にも見えていただろうに」
マヤの後ろで、アハルが黙って頷いた。ウィザード級電脳ユーザーだからこそ、アハルには分かるのだ。アナザが課せられた仕事の重大性と危険性が。
一度下手を打ては、必ず死が待っている。一度きりの僅かなミスが、自身の寿命を縮める事になる。ヴェーダ・システムへの錠前破壊とは、そういう事だ。それは、当然の事ながら罪九郎も理解している。それなのに何故、茜屋はよりにもよってアナザに任せたのか。自分の力では、力不足だとでもいうのか。アハルの心に、昏い炎が俄に燃え上がった。
『全ては、今後の計画のためや』
マヤの責めるような視線を受けても、罪九郎は微塵も心を揺るがせなかった。彼はゆっくりと、ボタンから手を放した。心臓にかかる鈍い痛みから解放されて、マヤが大きく息をついた。
「マヤ兄、大丈夫?」
チャミアが駆け寄る。片膝をついたままの愛しい兄の体を労り、背中を優しく摩り出す。兄妹の睦まじい絆を視界に収めたまま、罪九郎は普段以上に真剣な表情を覗かせて、本題を口にした。
『自分らが何の為に今まで訓練を積んできたか、何の為に実戦を積んできたか、その成果がようやく報われるんや。いわば、これは卒業試験や』
「卒業試験……だと?」
『せや。失敗したら死が待ち受けている卒業試験。アナザは可哀そうな事に、その卒業試験に失敗した。せやから死んだ』
「もし合格したら、どうなるのよ」
それまで大人しく話を聞いていたルビーが、横やりを入れる。アナザとは終始一度も口を聞いた事の無い彼女だったが、それでも、アナザが巻き込まれた『卒業試験』なるものの内容は気になったようだ。
『あほか。読んで字の如くや。卒業に決まっとるやろが』
「だから、何からの卒業よ」
『無論、ワシからの卒業や。こ~の支配からのッ! 卒業~ってな感じやな』
室内が静寂に包まれた。六人全員、困惑の色を浮かべるしかなかった。読めなかったのだ。飼い主たる茜屋罪九郎の意図が。一体、何を考えての発言なのか。各々に顔を見合わせて戸惑う中、一番に反応したのは、やはりこの男――マヤ・ツォルキンであった。
「つまり卒業試験というのは、さっき貴様が口にしていた『今後の計画』に関わる内容で、俺たちがその計画でちゃんとした働きを見せれば、晴れて自由の身になれるという訳か」
『流石は殺戮遊戯の長兄。察しがええわ。ワシが一番丹精込めて造っただけの事はあるようやな』
満足そうに、罪九郎は何度も首を縦に振った。
「それデ、茜屋さんヨ、勿体ぶらずに教えてくれヨ。その卒業試験とやらの詳細をよォ。どうせアンタの事ダ。何時にも増しテ、結構過激な内容なんだロ?」
『嬉しそうやな、キリキック』
「たりめぇだよォ。あんたの持ち込んでくる実戦は刺激的で退屈しねぇものが多いからなァ」
待ちきれないとばかりに言葉を急かすキリキック。その表情には、末弟を失った悲しみなど、微塵も感じられなかった。アナザの事を生理的に嫌っていた彼にしてみれば、今の状況は大分居心地が良いと感じているに違いない。
波長が合う、とでもいえばいいのだろうか。マヤやチャミアが罪九郎に対して負の感情を抱いている一方で、キリキックは違った。キリキックの残虐性や殺人嗜好は、罪九郎の趣味嗜好と相通ずるものがあった。現に今、彼は瞳を爛々と輝かせ、創造主が次に口にする言葉を、今か今かと待ち望んでいるではないか。
忠犬に我慢を覚えさせる飼い主の如く、罪九郎はキリキックの問いに直ぐには答えない。たっぷりと時間を取った後、今後の計画――つまり、卒業試験の内容について、話した。
内容を理解した途端、殺戮遊戯の面々に戦慄が奔った。
アナザの死を悼んでいたマヤも。
普段から粗暴であれほど自信に満ち溢れたキリキックも。
自虐的なチャミアまでも――一言も言葉を発せないでいた。
アハルとルビーは罪九郎の真意を探ろうとしつつ、しかしその顔には驚愕の色が張り付いている。
スメルトも、両腕に散らばる瞳を大きく瞬かせていた。
全員が、壁面スクリーンに映る罪九郎へ視線をやった。
一体、何を考えているのだ――そう問い詰めるかの如く。
罪九郎は、ただただ狡猾な笑みを浮かべるばかり。
『素敵な卒業試験やろ? 君らがもし、この卒業試験に合格出来たら、晴れて自由の身や。ワシも姿を晦ます。君らも、好きに生きるがよろし。胸に埋め込んだ制御装置も、全て無力化させてやってもええで。悪くない話やと思わんか?』
どのみち、貴様らに選択の余地はないのだ。瞳の奥でそう言っているのが分かる。長い沈黙が満ちる。破ったのは、キリキックだった。
「そ、そりゃあ良い話だとは思うゼ? 思うけどヨ、あんたのやり方じゃ、多分、その計画は失敗すると思ウ」
『ほう?』
「だってそうだロ? 俺たちは全員のチームワークを生かして、初めて本領を発揮するんダ。そういう風に俺たちをデザインしたのハ、他でもねェ、あんたじゃねぇカ。あんたの作戦に則ったやり方だト、それが出来なイ。これはなんというか……かなりまずいんじゃないかと思うんだガ……」
『キリキック、お前さんの気持ちはようわかる。せやけどな、こっちかって、その辺りの事は抜かりなくやっとる。まず、これを見てくれや』
壁面スクリーンに映し出された画面が変化した。罪九郎が左下のワイプに収まり、代わりに画面の大部分を、怪物の全身像が支配した。獄に棲まう餓鬼に似た怪物の外観と、怪物の生体情報に関する詳細なデータ群が、瞬時にスクリーンに映し出された。怪物の相貌と爪牙からは、画面越しでもはっきりとわかるほどの邪悪さが溢れ出ている。恐る恐る、チャミアが問う。
「これ……なんですか?」
『亜生物工学の粋を凝らして開発した兵隊や。名前は軍鬼兵。どうや、中々のもんやろ。このフォルム。このスペック。並みの猛者じゃ太刀打ちでけへん代物やで』
「貴方が開発した……という事は、その醜い怪物も、僕たちと同じ人造生命体という事ですか」
と、興味深そうな態度を示したのはアハルである。
『せや。けど、軍鬼兵はお前さん達とは違うて、集合知で動く生物なんや』
「集合知? そうなるとあれですか、こいつらの体を構成しているのは蟻のような微小単位の生命体で、それらが無数に寄り集まって怪物の形状を取り、知性を獲得している……そういうことですよね」
「その通りや。軍鬼兵を形作っとる微小単位は、NEM菌っちゅう新種の菌でな、このワシが開発したもんや。この菌は空想の産物とされとったEM菌を更に改良した奴でな。光合成でエネルギーを貯蔵し、生命活動に必須とされる独自の酵素を生み出すだけやなく、傷ついたDNAを自動修復する事も出来る。つまりは、半永久的な不老不死を可能としとるんや。それらが集合して知性のネットワークを構築し、戦いの中で自己進化を遂げていく。なぁ、どうや? 我ながら凄いやろ? 卒業試験には、うってつけの助っ人やろうが。たとえお前さん方がバラバラで戦うハメになっても、こいつらを上手く使えば、無事に計画を――お前さん方にとっての卒業試験を無事にクリア出来るはずや。どや? やるよな? 卒業試験、受けなきゃダメやで」
死臭の満ちる室内に罪九郎の得意げな調子が木霊する。皆、口に出すべき言葉と取るべき行動を選択しあぐねていた。このまま茜屋に同調すればよいのか。それとも、死を覚悟して反逆すべきなのか。誰もまだ、答えを出せずにいた。
△▼△▼△▼△▼
自室の簡易ベッドに潜り込んだマヤは、眠れぬ夜を過ごしていた。打ちっぱなしの冷たいコンクリートの壁をじっと見つめる。脳裡に浮かぶのは、憎むべき茜屋罪九郎の言葉だった。
『アナザは可哀そうな事に卒業試験に失敗した。せやから死んだ』
羽毛布団の裾を握る手に、意識せずして力が籠る。台詞を思い出すたびに、虫唾が奔る。罪九郎の言い方が気に食わなかった。まるで、アナザの死はあらかじめ決定づけられていた『運命』とでも言いたげな気配があった。
何が運命だ。
アナザが死んだのは、お前のせいじゃないか、罪九郎。
お前が、卒業試験などというくだらないものを押し付けたせいで……アナザは……
考えれば考える程、マヤの茜屋に対する憎悪は、滞る事なく増幅していく一方だった。
だが、そこまでだった。茜屋に対する殺意はあるが、明確な行動へ移せるだけの度胸がなかった。奴はジェネレーターであり、サイボーグ。そして、キリキックやスメルト、アハルといった一癖も二癖もある兵を纏め上げているのだ。
尋常ではなかった。まともな人間じゃなかった。マヤでも敵わないと意識してしまうほど、茜屋罪九郎は強大な存在だった。その頭脳、その戦闘力。どれをとっても、マヤより一枚も二枚も上を行っている。それは、マヤ自身が痛いほど分かっていた。心の底では認めたくはなかったが、しかし事実だ。
「(やはり、ここは大人しく従っていた方が無難だろうか……)」
思案を巡らせる。不意にマヤは、視界の端で光の線が差し込んでいるのに気が付いた。ベッドから起きて振り向く。通路に降り注ぐ青光灯の青白い光を背にして、誰かが立っていた。
「チャミアか。どうしたんだ、こんな時間に」
花柄パジャマ姿の、愛らしい妹。彼女はその小さな胸元で、抱え込むようにして枕を抱いていた。瞳が微かに潤んでいる。今すぐ保護してあげたくなるような、心細い表情を浮かべていた。
「マヤ兄ちゃん、一緒に寝てくれる?」
遠慮がちな言い方に、マヤは苦笑した。
「しょうがないなぁ。いいよ」
「やった」
薄茶色のネコミミをピンと立たせ、チャミアはパッと笑顔を咲かせた。そそくさとベッドの中に潜り込めば、ベッドが軋みを上げた。チャミアはマヤに向かい合うと、もぞもぞと体を動かして足を絡ませて甘え始めた。『くすぐったいよ』と抵抗するマヤだが、当然、その表情に嫌がる様子は全くない。
なんと微笑ましく、そして仲睦まじい兄妹の戯れであろうか。事情を知らぬ者が見れば、彼らが人造生命体であると看過することは不可能であろう。
「マヤ兄ちゃん」
「なんだ?」
「マヤ兄ちゃんは、卒業試験どうするの? あの人――茜屋の言う通り、やっぱりやるの?」
チャミアは不安げに瞳を潤ませて、思いを吐露した。
「私、怖いよ」
「チャミア……」
「怖くて怖くて、たまらないんだよ。あの人の言う卒業試験って、要するにこの街を破壊するって事でしょう? その計画にあたしたちも狩り出されて……それで無事に終ったらいいけど、でも、もしも」
もしも、失敗したら――
「私、そう考えると、居てもたってもいられなくなって……もし計画が失敗したら、私たち、離れ離れになる。離れ離れになって、機関の追求を受ける事になるんだよね? そしたら、もうマヤ兄ちゃんとも会えなくなる――ううん、いや、違う」
チャミアは激しく首を横に振った。
「違う。そうじゃないの。一番怖いのは……みんなが死んじゃう事。機関に捕まるくらいなら、まだマシだよ。マヤ兄も、他のみんなも殺されたら、私、私は……」
喋れば喋るほど、チャミアの心を恐怖が支配していく。死が、直ぐそこまで迫ってきている。
マヤは、胸の奥を針で突き刺されたかのような、侘しい痛みを感じた。己の腕の中で震える愛しい妹を、力強く抱きしめる。
「大丈夫だ」
手入れの行き届いた鮮やかな翡翠色の髪を優しく撫でつけ、マヤは囁き続ける。守るべき存在が抱いてしまった恐怖心を、全て払いのける為に。
「大丈夫だ。安心しろ。俺が、何とかする」
「マヤ兄……本当に?」
「ああ」
「本当に、本当?」
「本当に、本当だ。絶対にお前を……いや、他の兄妹達だって、絶対に死なせるもんか。俺が、必ず守ってやる」
穏やかな笑みを浮かべる。チャミアは安心したのか、暫くすると静かに寝息を立てて、マヤの腕の中で眠りについた。
愛しい妹の息遣いを感じながら、ふと、マヤは天井を見上げた。控えめな発光を明滅しながら、深海生物たちが優雅に踊っている。先日、三歳の誕生日を迎えたマヤにチャミアが贈った、ホログラム・ポスターである。
『いつか、本物のお魚さんを見てみたいなぁ。勿論、マヤ兄たちと一緒にね』
脳裏に浮かぶのは、チャミアのとびっきりの笑顔。
マヤは、決意した。
「(茜屋罪九郎……俺たちは、いつまでもお前のおもちゃじゃない。俺たちは俺たち自身の力で、為すべき事を為して見せる。俺の正義を、貴様に見舞ってやる)」
覚悟していろ――
兄が必死の想いで呟いた台詞を、しかし、チャミアの耳には届かなかった。




