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アナザポリス・オリジナル-怪力乱神幻瞑録-  作者: 浦切三語
第三幕 五千万の仮想世界と殺戮遊戯の宿命
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3-2 電脳女神はハートが弱い

 仮想の畦道を抜けて、仮想の砂利道を通る。緑に包まれた平原フィールドは閑散としていた。遠目に所々、丸太を組み合わせて造られた家屋型の量子構造物(フェノジェクト)が散見されるのみである。周辺に電脳ユーザーの影は全くない。乳牛を初めとした家畜類を飼育している牧草地帯は、既に遥か後方にある。


「どうやら、あそこらしいな」


 司狼が足を止めた。

 視線の先に人がいた。

 手持ち無沙汰にしているのがはっきりと確認出来た。


「変装を解くぞ」


「ウィルコ」


 二人は手早く軍用アプリを展開させて、変装を解除。仮想世界における肉体――情報体(アバター)変遷(ターン)を遂げる。二人の衣装は一瞬にして、呪工兵装突撃部隊(イシュヴァランケェ)の警邏正装服へと変化した。見れば、司狼と澪の襟元には階級を示す金バッジが装着されていた。村雨や七鞍のものとは、形状が違う。それは菱形ではなく、五芒星の意匠であった。バッジの数は、司狼の方が澪よりも三つ多かった。


「お、おおお~~~! よく来て下さいました! ささ、こちらです」


 目的の場所まで辿り着くと、先に声を掛けられた。『ファームベルト・オンライン』の開発元であるエイチクラフト社で、宣伝担当をしている男だった。男は林田と名乗った。眼鏡を掛けていて髪型は七三分け。やや前歯が出ている。腰が低く、いかにも古典的サラリーマンといった風体の男だった。


「これですよこれ! いやーひどいもんでしょう!? こんな事をする奴がいるなんて、信じられませんよ、全く!」


 促されるまま、司狼と澪は揃って目線を上へやった。太陽が照り付ける昼の仮想世界。深く広く澄み渡る青空。その雲ひとつ無い青空に、深くて巨大な亀裂が奔っていた。


 亀裂は、仮想世界の空を端から端まで広がっていた。終端部分は司狼と澪が立っている地面にまで届いていた。疑いの余地はなかった。錠前破壊(クラッキング)の痕跡――虫喰穴(ホール)と見て間違いなかった。


 黒々とした亀裂の奥に、眩い太陽光は届かない。ただ暗黒の世界が広がっていた。司狼はしゃがみ込んだ。足元へと届いている虫喰穴(ホール)の断面へ目を向けた。名刀の一閃を受けたが如く、断面は一切ささくれ立っていなかった。見事なまでに綺麗に断ち割られていた。ここまで上手くヌメロン・コードを破壊するとは、かなり手際の良い錠前破り(クラッカー)なのだろう。


 司狼はおもむろに右手を伸ばして、虫食穴(ホール)の断面部分へ軽く触れてみた。微かな痺れを指先に感じる。ローターのバイブレーションが間断無く続いているかのような、そんな痺れであった。


「発見されたのは、林田さん、貴方ですか?」


 亀裂の奥に広がる闇へ視線を向けたまま、司狼が尋ねる。


「いえいえ。弊社の技術者ですよ。今日は週に一回行われるアップデートの日でしてね」


「それは知ってますよ。私もこのゲームのユーザーですから」


「おお、なんとまぁ、そうでしたか。そうそう、それでプログラムを確認していたところ、幾つかのヌメロン・コードが破壊された痕跡を発見したそうで……いざ没入(ダイヴ)してみたら、この有様という訳です」


「亀裂を確認したのは、何時ごろですか?」


「えーっと……確か、三時間ほど前かと」


「三佐。お話の途中ですみませんが、虫喰穴(ホール)内部の解析が完了しました。今、データをそちらへ送信します」


 流石は澪だ。いつの間にか、もう仕事を一つ片付けたらしい。司狼の視界に、メール受信を知らせるアイコンが割り込んできた。「失礼」と林田に向かって軽く詫びを入れ、受信アイコンをタップする。メールに封入された、解析したてのファイルアイコンを再びタップ。即座に解凍。


「……随分とまぁ、凝った装飾だな、これは」


 解凍したファイルに視線を移して、司狼は呟いた。薄緑色の背景色ウィンドウに、コード群が羅列されている。見ると、惑星やデブリを思わせる量子構造物(フェノジェクト)の設計図と思しき画像が添付されていた。司狼は解析内容を読み進めた。虫喰穴(ホール)の中は、今流行の宇宙的内装が施された仮想空間(ヴァーチャル・スペース)へ繋がっているのが判明した。


 人数も把握できた。

 空間内部に潜んでいるのは一人のみ。

 そいつこそが錠前破り(クラッカー)であるとみて、間違いなさそうだった。


「申し訳ございません。位置情報を高度に欺瞞しているようで、ここからでは敵の正確な位置までは掴めませんでした」


「敵の数が分かっただけでも御の字だ」


 解析内容から確認出来るブービートラップの数は三十七個。その殆どが、土星を模した巨大な量子構造物(フェノジェクト)の傍に設置されていた。ヌメロン・コードに改竄の痕跡が見られた。どうやら空間内部は、通常の仮想空間(ヴァーチャル・スペース)よりも一回り広く造られているようだった。


 どんな罠が待ち受けているか分からない。だが、望むところだ。


『改めて確認するぞ。索敵と空間座標の更新、および補正コードの入力はお前に任せる。敵の位置情報を掴み次第、全武装を投入してロックを破壊。突入したら、俺が目標を拘束する』


『ラジャー。トラップにはビットをぶつけます。それである程度、対処出来るかと』


『それで行こう。量子兵装状態へシフトするぞ』


『ウィルコ』


 司狼からの念話(プレイ)を切ると、澪は軽く目を閉じて軍用ツールを展開。彼女の情報体(アバター)が再び変遷(ターン)を始め、新たに別の衣装を身に纏う。


「お、お、おおっ! おっほっ!」


 近くで見ていた林田が目を丸くして、下卑た声を澪へ向けた。

 不知火澪の服装は、実に男の下心をそそるものだった。


 引き締まった白い大腿部の付け根が際どく演出された、ピンクカラーのサスペンダー付きホットパンツが、特に目を惹いた。色とりどりのピンバッジが付けられたハンチング帽を頭に被り、何ともいえず可愛らしい。赤いチェク柄が格子状に刻まれた白地のブラウスは、彼女の礼儀正しさを体現しているかの如く、首元までボタンが占められていた。ブラウスのサイズはグラマラスな体形とぴったり合致しており、括れた腰と張りのある大きな胸を最大限に強調している。表面が静電膜に覆われた白い手袋は、太陽光を浴びて眩しく輝いていた。


 澪の腰と両方の腕、それに右太股の計四箇所には、銀色に輝く帯広の軍用ベルトが巻かれていた。黄金色の連輪があしらわれたそのベルトには、倍速有線端子(ワイヤード・シューター)を始めとした、多種多品目に渡る軍用量子兵器一式が収められている。


 身長が百七十三センチにもなる澪本人のモデルじみた風貌には、一言で言い表せないものがあった。麗しくも何処か神秘的な雰囲気を漂わせる白髪のロングヘア。隅々まで手入れが行き届いている。剥き出しの腕とホットパンツから覗く張りのある太股は、雪を思わせるほどに白くて滑らかだった。


 フィンランド人のクォーターである為か、顔も微妙に日本人離れしている。その『微妙』さが良かった。適度に彫りの深い顔立ちが、逆に彼女の美しさと知性を引き立てていた。目元には若干の幼さを残しつつ、長い睫毛には気高さすら感じさせる。なるほど確かに、これに加えて情報戦技の腕も確かなら、人気が出ない方がおかしい。

 

 やや遅れて、司狼も量子兵装へ変遷(ターン)する。紅蓮の炎をイメージさせる赤い短髪に引き絞られた筋肉質な体躯。加えて端正な顔立ちをした彼は、迷彩柄の軍服を身につけた。ごくごく一般的な代物だ。


 不知火澪も真船司狼も、どちらも一見すれば防御面に不安の残る格好だと言わざるをえない。武装らしき武装もしていない。それでまったく問題はなかった。電脳兵士にとっての防御とは攻性防壁である。武器は量子削侵銃と高速演算を生かした破壊コードの打ち込みだ。全てが脳内における演算で賄われるから、身なりが軽装であることは寧ろ普通である。


 超現実仮想空間(ネオ・ヴァーチャルスペース)内において、電脳兵士の防御とはイコール、物理的防御面に長けた強化外骨格を纏う事ではないのだ。重要なのは攻性防壁を如何に素早く展開出来るか。そのスピードが肝心だった。コードの打ち込みと、改竄の肝となる演算処理能力の高さが全てだった。


 量子兵装状態へ移行した司狼は、その場で軽くジャンプした。足元の具合を確かめる。手首や両肩を押さえたり揉んだりするなどして、服に肌を馴染ませる。


 後ろを振り返る。

 鼻の下をこれでもかと伸ばしたマヌケ面の林田が突っ立っていた。


「林田さん」


「え? あ、は、はい。これは失礼しました。えーと、何でございましょう?」


「我々は、これから虫喰穴(ホール)の向こう側に行ってきますが、我々が帰ってくるまでここで待っていて頂けませんか?」


「え、ええ。それは構いませんが……」


「お願いしますね。何、心配いりません。ものの三十分で帰ってきますよ」


 司狼は自信ありげに胸を叩いてアピールすると、隣に立つ澪へ向き直り、念話(プレイ)を飛ばす。


『準備はいいか?』


『何時でもいけます』


『よし、蝋燭の火を灯しにいくぞ』


『ウィルコ』


 澪の白髪が、風を孕んだ様にふわりとなびく。

 彼女を中心にして、いくつもの半透明ウィンドウが連続的に多重展開されていく。


 既に、仮想世界を舞台とした情報戦は始まっている。凄まじいスピードでウィンドウ上に羅列されていく防壁コード群へ目を通して、澪は、脳内コマンドを駆使して演算処理を実行した。編み出した攻性コードを、防壁コードへ打ち込んで塗り替えていく。


 相反する意味と意義を宿した数理言語の叡智。幾千幾万ものコードの嵐が、ぶつかり合って収束と発散を繰り返した。巻き起こる量子の火花。夕陽色の閃光が、ウィンドウを激烈に照らし散らし始める。


虫喰穴(ホール)の拡張破壊まで、残り十秒です!』


『そのまま維持しろ』


 念話(プレイ)を飛ばしつつ、司狼は腰のホルスターから大型拳銃を引き抜いた。フレームの端には、未来的デザインが施されていた。それでいてどこか禍々しく、無骨な重量感を思わせた。拳銃には、おかしなことに引金が無かった。それは現実世界のハンドガンと比較してみても、銃口が縦に細長かった。実に異様な造りであった。


『残り五秒……四……三……二……一……』


 ゼロ、とカウントしたところで、司狼の握る量子削侵銃が青白い火を噴いた。

 引金を引かずとも、頭の中で『撃て』と単純に念じるだけで良かった。

 たったそれだけの事で、愛銃は簡単に言う事を聞いてくれる。


 銃口から発射された量子の銃弾が、亀裂の向こう側に吸い込まれるように消えていく。暗闇の向こう側で轟音が鳴り響いた。眩い閃光と共に、虫喰穴(ホール)が大きく崩れた。強制介入出来るチャンスは、今この時しかない。


『飛び込むぞ!』


『ウィルコ!』


 二人の電脳兵士は、戦場へと舞い降りる。





△▼△▼△▼△▼





 裂帛の気合と共に、虫喰穴(ホール)の向こう側にある仮想空間(ヴァーチャル・スペース)へ、司狼と澪は飛び込んだ。周囲の異様な風景を目にして、彼らは思わず圧倒されてしまった。虫喰穴(ピット)の向こう側は、『ファームベルト・オンライン』の牧草地帯とは全く雰囲気が異なっていた。宇宙的内装が施された異空間だった。リアル感は申し分無い。気を抜くと、ここが仮想の世界である事を忘れてしまいそうになる。


「ピットを出せ。取りあえずは、四十ケイスといったところか」


「ウィルコ」


 澪が軍用ベルトに差した数種のカプセルに手を伸ばす。試験管のようにも見えるそのカプセルだった。中に無数の量子菌(ピット)が蓄えられていた。キャップを抜き取り、中身を空間へ散布する。


 量子菌(ピット)は通常時、蛍光色の液状物質として存在している。しかし、澪がトラップの座標データを入力してやると、それらは幾兆もの攻性プログラムを備えた細菌へ分裂。澪から見て、左三十度の方向にある(トラップ)へ向かい、一斉に広がっていった。まるで夕暮れ時、木立と言う木立から、無数のカラスが羽ばたいて飛んでいくかのように。


 ふと、澪は視線の先へ目を凝らした。渦巻く紅炎と磁力線ループを吹き散らして、薄闇を照らしつける極大の太陽が彼方に見える。内部が常にマグマじみて輝いていた。どうやら、核融合反応もキチンとシュミレートしているようだった。


 広々とした空間を漂う大小幾つものデブリの硬質感。ダイナミックな無数の惑星群が放つ、眩いばかりの星夜光。見るからに冷たそうな灰褐色の水星。煌々とした黄金色に輝く金星。一つ一つが精巧にプログラムされたデータの塊。どれもこれもが只の量子構造物(フェノジェクト)に過ぎない。それなのに、ある種の神々しさを喚起させられるのは、何故だろう。


 宇宙的内装とは裏腹に、仮想空間(ヴァーチャル・スペース)内には重力が存在していた。どうやら、空気密度と気圧の調整までは行っていないらしい。問題なく呼吸も出来る。とは言え、そこには確かに、ヌメロン・コードが結ぶヴィジョンとは思えぬ程の、リアリティが存在していた。


 超現実的風景に、澪は圧倒されつつあった。そんな彼女に構わず、司狼は軍用アプリを展開した。アイコンをタップして、二人乗り用の量子戦闘機――Aハルコネンを現出させる。光輝く粒子に包まれて二人の前に現れたそれは、流線型の両翼が銀の煌めきを帯びていた。動物に例えるならば、ハヤブサを思わせるフォルムをしていた。


 颯爽と飛び乗って、エンジンを掛けて、自動操縦モードへ切り替える。仮想の宇宙空間を高速で飛行開始。前の座席には司狼が、後部座席には澪が座った。


 高速で飛行を続けるAハルコネン。澪は己の周囲に半透明ウィンドウを多重展開させ、立ち上がった。危なげな所作に見えるが、これが彼女のやり方だった。身体バランスを上手く保ちつつも司狼の方を振り返る。凛々しい声色で、彼女は念話(プレイ)を飛ばした。


『三佐。これより索敵を開始します。周囲の警戒をお願いしますね』


『ウィルコ』


 短い返答だった。


 司狼はAハルコネンの全武装を予備起動状態へシフト。自身は量子削侵銃を両手で構え、周囲に注意を向ける。後部座席では既に、澪が索敵を開始していた。多重展開したウィンドウは全部で三種類。それぞれが色味の具合で区別されていた。即ち、赤透明(レッド)黄透明(イエロウ)翡透明(グリン)である。


 敵が位置欺瞞を施している場合、まずは索敵専用のウィンドウ――赤透明(レッド)にコードを打ち込むことから始まる。考えられるだけの欺瞞強制解除プログラムを組み込ませた索敵コードを高速入力しながら、澪は黄透明(イエロウ)翡透明(グリン)への配慮も怠らない。黄透明(イエロウ)には、空間座標の更新と修正コードを。翡透明(グリン)には、こちらの位置を欺瞞するための妨害(ジャミング)コードを、高速入力。


 だが、流石は相手もウィザード級と言うべきだろうか。一秒間に脳内コマンドで二百コードを生成可能な澪の高速演算処理をものともせず、敵は果敢に攻め込んできた。


 澪が翡透明(グリン)に打ち込んだ白文字のコードが、端からじわりじわりと滲むようにして黒色へ反転した。翡翠色の半透明ウィンドウに、歪なノイズが刻み込まれた。逆探知されていることの証拠だ。


 やられた、と思うよりも先に、澪は視線を黄透明(イエロウ)へ移して状況を確認する。素早く追加コードを打ち込んで、空間座標を展開。赤く不気味に光る点が、半径五十キロ以内に幾つも点滅していた。敵の攻撃を示すサインだ。


『右六十度から電子蜂(ウイルス)接近中! 数、およそ二十! 致死性電子蜂(ブラックウィルス)、更に三十! どちらも時速六十キロのスピードで接近してきます!』


『もう突き止められただと? 座標のジャミングはどうした?』


『すみません。先にアンチコードを打たれました』


『そうか。ま、気落ちする必要もないだろう。引き続き、索敵と空間状況の把握に努めろ』


『ラジャー。電子蜂(ウイルス)の位置情報を転送します』


 司狼は、澪から送られてきた座標データに目を通し、不敵に笑った。

 怯む様子は何処にもない。

 落ち着いて座標データをAハルコネンへ転送。

 直ぐに迎撃体制に入る。


「おいでなすったな」


 仮想空間(ヴァーチャル・スペース)を切り裂いて、暗殺集団は飛来してきた。

 集団は、仮想世界において、最もありふれた量子的フォルムをしていた。

 スズメバチを模した、機械的な殺人蜂だ。

 全身はメタリック・コートに覆われていた。

 背中から生やした四枚の羽を忙しなく羽ばたかせている。

 獰悪にして虚無的な双眸に、電子の光を泳がせていた。

 高速で接近してくるそれは、電子蜂(ウイルス)の群体であった。

 全長は、凡そ一メートル。


『これより迎撃する。三尉、俺の援護などするなよ。俺に構わず、索敵を続けるんだ!』


 気合の込められた合図と共にAハルコネンの排熱口が火を吹いた。

 凄まじき加速を見せる。

 複雑な螺旋軌道を描いて、電子蜂(ウイルス)の集団に特攻する。


 その間、澪は渦巻く様になびく白髪を気にも留めず、平然とした様子で電算処理を続けていた。両足をやや内股気味にし、ラバーに包まれた指先で機体を掴んで、踵と脹脛と腰の三点に力を込めて体勢を安定させる。彼女にしてみれば、実に容易い行動。体に馴染ませた身体操作だった。


 電子蜂(ウイルス)の羽音が、一層けたたましくなる。本能的に不快感を与える雑音だ。さっさと処理せねばなるまい。


 壮絶な悪意を込めて、電子蜂(ウイルス)の集団が接近してくる。

 司狼はじっと敵を見据えた。

 やがて、制空圏に標的を捉えた。

 刹那、脳内でAハルコネンにコマンドを下す。


『攻性量子ミサイル、全弾発射!』


 戦闘機の後方部に積まれたミサイルパックが、轟と火を噴いた。

 九発の攻性量子ミサイルが、勢いよく射出された。

 自動追尾システムに従って電子蜂(ウイルス)を破壊せんと襲いかかる。


 これを迎え撃つ、暗殺蜂の一団。腹部を湾曲させて、先端から鋭く覗く毒針を一斉に発射。量子的破壊プログラムが組み込まれたそれは、まともに喰らえば甚大なダメージを被るは明白である。それが二十二発、ほぼ同時に司狼達へ向けて放たれた。これを打ち落とさんとする攻性量子ミサイルは、合計九発。どう考えても、全弾を叩き落とすは不可能に思える。


 だが忘れるなかれ。

 ここは仮想の世界。

 現実世界の常識が通用しない世界だ。


 爆煙を噴き出し、空間を切り裂いて高速飛行を続ける攻性量子ミサイル。

 その姿が『ブレ』て分裂した。

 量子的揺らぎの特性を得た量子兵器は、幾何級数的にその数を増やしていく。

 一発だったはずのミサイルが二発に。

 その他のミサイルも分裂し、合計で十八発生成。

 更に分裂、三十六発。

 更に分裂、七十二発!


 電子蜂(ウイルス)達に表情はない。だが、もし彼らに『感情』と呼ばれる概念が宿っていたとしたら、己が置かれた今の状況にさぞかし恐怖したことだろう。


 二十二発の量子攻性ミサイルは毒針を一つ残らず迎撃し、爆発炎上せしめた。

 残り五十発のミサイルは、白い噴煙を綿糸のように絡ませながら飛行。

 並列、直列と、互い互いにポジショニングを最適化しつつ、速度を増す。


 電子蜂(ウイルス)の群れに、為す術はなかった。

 自動追尾システムを搭載した量子攻性ミサイルに一切の慈悲は無い。

 仮想空間の大気を衝き裂き、旋回を繰り返した果てに、毒針を爆砕した。


 極大の黒煙に混じって宇宙空間に、量子の破片が散らばる。

 司狼は目を向けない。

 すぐ傍まで、敵が来ているのを察知したからだ。

 具体的には視界の左端と上空から。

 別の暗殺集団が猛スピードで襲来せんとしていた。


 全身が闇黒色の機械蜂。

 電子蜂(ウイルス)の中でも最も凶悪な、致死性電子蜂(ブラックウイルス)である。

 先程の奴らと同様、ごくありふれた量子的フォルムをしていた。

 蜂の姿を象ったタイプの致死性電子蜂(ブラックウイルス)だ。

 その数は、全部で三十匹。


『第二射、生成――』


 脳内でコマンドを入力。

 Aハルコネンの後部推進機関部から、恐竜の唸り声にも似た電子音が鳴り響いた。

 ミサイルポッドに攻性量子ミサイルが再装填される。

 間を置かずして射出。

 量子的揺らぎの効果の下に、量子ミサイルが分裂を開始した。


「なんとまぁ……」


 司狼は苦い顔を浮かべざるを得なかった。

 敵も全く同じ戦略をとってきたのだ。


 致死性電子蜂(ブラックウイルス)が放射した毒針が、超高速で分裂を開始した。この形状のウイルスには、量子的ゆらぎの特性といった、特殊迎撃機能が標準搭載されてはいない。それは誰よりも、戦場を渡り歩いてきた司狼が知っていた。恐らくは、錠前破り(クラッカー)が独自に編み出し、電子蜂(ウイルス)をカスタマイズしたのだろう。そうとしか、考えられなかった。


 奇怪な羽音を立てて眼前に迫り来る邪悪な黒き暗殺蜂の群れが毒針を精密放射。

 攻性量子ミサイルの数々が、あっけなく撃ち落とされていく。


 司狼は舌打ちした。奴さんも中々に手錬だ。致死性電子蜂(ブラックウイルス)は、確かにシュレディンガー的フェノメノンを発生させている。勘違いではなかった。事実を受け入れざるを得なかった。


 黒い蜂の群れは、総勢で百二十匹になったところで増殖を終えた。そして、爆煙を突き破って集団で高速飛来。勝ち誇るように口腔部から凶悪極まる鋭い牙を覗かせては、休む間もなく、毒針の嵐を司狼達へ向けて乱射した。


 ならばこちらも――いや。


『避けるぞ! 三尉、踏ん張れ! 攻性防壁を展開させろ!』


『ウィルコ!』


 あらん限りの気合が籠っていた。

 澪が動いた。

 天文学的数字の索敵コードを打ち込んで、半透明橙色の膜を流れるように展開。

 十二枚の量子層(レイヤー)が、ポップな衣装に包まれた彼女の肢体を包み込む。


 澪が攻性防壁を多層展開し終えたのを確認すると、司狼は脳内コマンドで生成した回避ルートをAハルコネンへ転送した。どういうルートを選択すればこちらの被害を最小限に抑えられるかを最速で解析。そして実行。直後、Aハルコネンが動力を全開。流線型の両翼が、仮想空間の空気を捉える。アクロバット飛行じみた旋回行動へ移行。立体的機動力を十二分に発揮し、後方から縦横無尽に襲いかかる毒針の群れを巧みに凌ぐ。


 飛来してきた毒針の幾つかが、軌道を変えて正面へ回り込んだ。

 司狼の眼前へ迫る。

 慌てる必要はない。

 攻性防壁は、既に多層展開済みだ。


 毒針の群れは、司狼の眼前すれすれで角度を強制的に変更された。

 毒針が、明後日の方向に飛んで行った。

 量子的ジャミングで、毒針の行動制御コードに異常が発生したのだ。

 司狼の纏う攻性防壁の妨害偏向波(ノンタイル)を、まともに喰らったのだ。

 余波を受けた群れの何匹かが、宙空で爆発四散した。


 オレンジ色の半透明膜をした攻性防壁に包まれて、司狼は胸中に溜息を落とした。

安堵からくる溜息だった。間一髪である。あと少しAハルコネンにコマンドを転送するのが遅かったら、雨あられの如く降り注ぐ毒針をその身に受けていたであろう。


 悪魔じみた速度で宇宙的内装に満ちた空間を駆けるAハルコネン。

 其れに乗って仮想の世界を駆ける二人のウィザード。

 緻密な推進制御力と児自動方向修正機能でデブリを躱す。

 惑星群の隙間をすり抜ける。

 致死性電子蜂(ブラックウイルス)の集団が後を追跡してくる。

 不気味な羽音と共に、黒い悪魔の蜂の群れは速度を上げた。


 状況は、電脳兵士側にとって不利。しかしながら、逃走に終始するつもりは無かった。司狼にも、そして澪にも、全くその気はなかった。逃げる『だけ』というのは性に合わない。やられっぱなしでは癪に障る。反撃のチャンスは、自ら生み出さねばならない。


 紙一重の所で毒針の連射攻撃を避けつつ、Aハルコネンは大きく右方向へ旋回。

 元来たルートを超高速で逆飛行する。

 攻性量子ミサイルを乱発。

 致死性電子蜂(ブラックウイルス)の集団目掛けて特攻にかかる。

 虎穴に入らんば虎児を得ずだ。


 一瞬、致死性電子蜂(ブラックウイルス)の動きが鈍る。

 反転して突っ込んでくるとは思わなかったのだろう。

 司狼の狙い通り、敵の判断に遅れが生じた。

 それが、命取りであった。


 すれ違い様に、司狼は量子削侵銃をホルスターから引き抜いた。

 銃口を黒い暗殺者達の群体へ向けた。

 素早く『撃て』と念じる。

 立て続けに銃口から発射される、青白い閃光の数々。

 ロックオンされた致死性電子蜂(ブラックウイルス)が、瞬く間に砕け散っていく。


 時間にして、僅か三秒だった。

 その三秒で、司狼は三十二匹の敵を撃ち落とした。

 鬼気迫る、華麗な射撃術だった。

 ウィザード級電脳兵士の中で、司狼ほど量子削浸銃の扱いに長けた者もいない。


 統率を乱されて混乱する致死性電子蜂(ブラックウイルス)の群れから脱出するAハルコネン。先程の攻撃で全体の四分の一近くを撃ち落としたとは言え、劣勢である事に変わりない。Aハルコネンは軍用アプリの一つである。仮想の産物ではあるだが、戦闘機としての基本的概念を逸脱する事は許されなかった。内燃機関という通常の戦闘機には搭載されていない推進機構が備わっているが、燃料で動く事に変わりはない。つまり、燃料切れを起こした時点で司狼達の負けなのだ。


 一方の致死性電子蜂(ブラックウイルス)は、製作者が造り出した破壊プログラムが具象化したもの。一匹一匹に何らかの意思が宿っているような行動をとっているが、それらは全て、錠前破り(クラッカー)がリアルタイムに打ち込んでいる行動制御コードに従っているだけに過ぎない。所詮は操り人形だ。致死性電子蜂(ブラックウイルス)を完全に沈黙させるには、コードを送り込んでいる当の本人を直接無力化させるしかない。


 だが、それはあくまで一般論としての話である。ウィザード級電脳兵士の場合なら話は違ってくる。彼らの逸脱した情報戦技を以てすれば、錠前破り(クラッカー)を捕える事無く、電子蜂(ウイルス)を根絶やしにする事など、容易い。


 代表的な方法の一つに、『バースト』というのがある。端的に言えば、高次元における多量コードの同時改竄だ。各個体へ送られている行動制御コードの全てを可視化し、高速演算処理を駆使して、コードの骨子を同時集中改竄する。結果、プログラムを機能不全へ陥らせる事が出来る。『通常の』電子蜂(ウイルス)相手なら、効果は抜群の情報戦技だ。


 しかしながら、司狼はバーストを試みない。この状況を前にしては、その選択は決定打にはならないと判断したからだ。


通常なら備わっていない筈の量子的ゆらぎの特性を致死性電子蜂(ブラックウイルス)が宿しているという点が、その判断を後押ししていた。いくら同時集中改竄と言っても、司狼の許容領域(メモリ)で対応出来ないレベルまで、幾何級数的に分裂と増殖を繰り返されたら、流石に対処が間に合わない。そうなれば、不利になるのはこちら側。トンズラされるのがオチだ。ここはやはり、錠前破り(クラッカー)の居所を割り出し、直接ぶん殴って暴走を止めてやるしかない。


「三尉! まだ敵の位置は掴めないのか!」


 量子削侵銃のゴツい銃把を右手で硬く握り締め、司狼は振り返り際にそう叫んだ。澪は相変わらずウィンドウを多重展開したままで、背中を上官へ向けている。返事はない。


 司狼は不意に、胸騒ぎを覚えた。位置欺瞞をした錠前崩し(クラッカー)を相手にするのは、何もこれが初めてではない。広大な仮想空間(ヴァーチャル・スペース)とは言え、澪の実力なら既に仕事を終えている筈だ。なのに、未だに開錠へ至らないとはどういうことなのか。


『おい、三尉! どうなんだ!』


『……三佐、申し訳ございません。トラップにやられました』


『トラップ? それなら、さっきピットを放っただろうが』


『そうじゃないんです』


 声が震えている。ウィザード級電脳兵士ともあろう澪の声がである。


『最初の構造解析の時点で気付くべきだった……ここは、仮想空間(ヴァーチャル・スペース)じゃありません! ヌメロン・コードの存在そのものに欺瞞効果が付与(エンチャント)されているんです! 偽想領域(ダミー・スケール)なんですよ! 三佐!』


 顔面蒼白で、彼女は振り返った。眉根が下がり、唇が小刻みに震えている。そこには、電潜戦士(サイコドライヴァー)の名を纏って戦場を駆ける、麗しき女戦士としての姿は無かった。


 偽想領域(ダミー・スケール)。それを耳にした途端、司狼は澪ほどの動揺を露わにすることはなかったが、まんまと相手の術中に嵌ってしまったことに小さな苛立ちを覚えた。が、直ぐに窮地を脱するための策を練り始めるあたり、さすがは電脳部隊期待の若手といったところか。


「悔やんでもしょうがない。ヌメロン・コードが欺瞞されているとはいっても、それは絶対じゃない。欺瞞は所詮、人の手で開発されたコードが見せるまやかしだ。破れないなんていう保障はどこにもない。澪、どうだ。お前の経験と勘で判断して良い。偽想領域(ダミー・スケール)のアクセス権は奪えそうか? 奪えそうだとして、どれくらいかかる?」


 体勢を整えてこちらを見据える暗黒色の蜂達へ視線を向けつつ、司狼は部下へ声をかけた。返事は、直ぐに返ってはこなかった。まずい兆候である。襲いくる致死性電子蜂(ブラックウイルス)をどうこうするよりも先に、澪の精神状態を立ち直らせる必要があった。それには慰めの言葉よりも、簡潔で、それでいて力のこもった叱咤が必要だった。


「三尉! 状況を正確に捉えよ!」


 びくりと、澪の肩が震える。放心しかけていた心が、無理矢理に引き戻される。我に返った澪は、慌てて多重展開させているウィンドウを高速更新させて答えた。


「出来る……かもしれません。でも……仮に出来たとしても、時間が掛ります」


 それはか細く、普段の彼女からは想像もつかぬほどに弱々しい返答だった。司狼はAハルコネンの推進出力を脳内コマンドを使って向上させつつ、首だけを澪の方へ向けて様子を伺った。


 澪は下唇を噛み締めていた。なぜ虫喰穴(ホール)の解析時に、仮想領域(ダミー・スケール)の存在を掴めなかったのだ。自分を責めるが、状況はそんなことでは変わらない。白髪の麗しき電脳女兵士は、自身の周囲に多重展開させたウィンドウに刻まれたコード群に、黙って視線を投げかけていた。先ほどまで神速の如くコードの打ち込みを続けていた両手の動きは、格段に遅くなっている。


 ギーク級やプリースト級ならまだしも、ウィザード級の輩が仕掛ける偽想領域(ダミー・スケール)を解除するのは、同じウィザード級の力を以てしても至難の業である。しかしそれは、集団ではなく個人戦に限って言える話だ。ここで司狼の情報戦技の力を借りれば、破るのは可能であろう。


 だが、それはこの状況を前にして、口に出すことすら憚れる考えだった。致死性電子蜂(ブラックウイルス)の追撃は止むところを知らない。ミサイルや量子削浸銃を駆使して大量に迫り来る奴らの駆除もやりつつ、偽想領域(ダミー・スケール)のアクセス権奪取に力を入れるには、司狼の許容領域(メモリ)は不足していた。無理にでもそんなことをやってしまっては、脳死してしまう。


「でも、どうしてこんな……仮想空間(ヴァーチャル・スペース)を偽装するだけならまだしも、それと並行してこれだけの数の電子蜂(ウイルス)にコードを送り続けるなんて……とんでもない離れ業です。もしかして、相手はウィザード級を凌ぐ、リッチ級の錠前破り(クラッカー)だとでもいうの……!?」


「ウチらの隊長と同格だと? ほほう、なるほど。ということは、奴さんの技にはカラクリがあるって訳だな。上等だ。面白い」


「面白がっている場合じゃありません! 偽想領域(ダミー・スケール)に囚われたってことは、脱出(ログアウト)も出来なくなったってことなんですよ!」


「言われなくても――」


 話しながら、意識を迫りくる脅威へ向ける。澪に背を向けて量子削浸銃(デリーター)のトリガーを引き絞り、同時に量子攻性ミサイルも起動させる司狼。敵の攻撃は依然として衰えを見せない。澪と話している間に、また量子的ゆらぎによって分裂したのだろう。先ほどより、五十体ばかり数が増えている。


「――わかってるよそんなことは。日の目を見るより明らかだ。俺たちが今まさに、万事休すって状態にある事ぐらいはさ。このまま何も手を打たずにいたら、偽想領域(ダミー・スケール)の領域圧縮に巻き込まれて、確実に脳死だ。困ったものだ。そんな事にでもなったら、もう牛さん達の面倒を見てやれなくなるっていうのに」


「……それにしては、随分と落ち着いてますね?」


「そりゃあ、お前、部下の前でみっともなくアタフタする姿なんか見せられるわけないだろうが。それに何より、俺は信じてるからな。部下であるお前の腕を」


 司狼は、空の右手を軽く振った。

 量子の光が収束する。

 もう一丁の量子削浸銃が、彼の右手に出現した。

 司狼は、二丁拳銃の構えをとった。それは、徹底抗戦の意思表示だった。

 銃口が青白い光を放射した。

 何匹かの致死性電子蜂(ブラックウイルス)が、粉微塵に吹き飛んだ。


『もう一度言うぞ、澪。俺は、お前を信じている。大丈夫だ。お前なら、きっとやれるさ』


 澪の脳内に、上官の自信に満ちた声が響く。それは暖かく、冷え切った彼女の心に力を与えるのに十分だった。そこらへんの本屋にある自己啓発書に書かれた幾千、幾万の御題目よりも、ずっとずっと、価値のある言葉に聞こえた。


『三佐――貴方はいつもそうです』


 致死性電子蜂(ブラックウイルス)を果敢に駆逐せんとする司狼の大きな背中に暖かい眼差しを向けて、澪は、何故かこの危機的状況を前にして、笑みを零していた。


『いつもそうやって、何の根拠もないのに、私の力を信じてくれる』


『――負担か?』


『いえ』


 澪は頭を振った。


『むしろ、勇気が湧いてきます。貴方と一緒なら……どんな壁が目の前に立ち塞がろうと、乗り越えていける……そう思います』


『そうか、なら――答えは一つだ』


『ええ』


 澪の双眸に、力が取り戻された。

 負けられないという意思が、そこにはあった。


 澪は、腰に巻いたベルトに手を回した。

 倍速有線端子(ワイヤード・シューター)を二本引っ張りだす。

 両手首にある接続口へ、それぞれの端子を繋げた。

 有線が、玉虫色の光を清流じみた流線状に煌めいた。


 澪の瞳が、神々しさを思わせる金色へと輝き出す。

 覚醒の時だ。

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