2-4 心霊工学士(ネクロマンサー)の申し子
「本当は、私に彼女を充てがえて、あわよくば私の『友人』に仕立て上げようと、企てていたんじゃないですか?」
「あ、いや、えっと……」
本音を突かれて、再牙が焦った様に口ごもる。エリーチカの射抜くような視線から避けるが如く、思わずその場から立ち上がると、明後日の方向を向いて部屋の中を適当くにうろつき始めた。こうなってしまっては、図星ですと自己主張しているようなものである。
「こちらに視線を向けない所を見るに、当たりのようですね。それが彼女を連れて来た理由ですか」
「あ、あのなぁ、チカチ。確かにお前の言う通りだけど、言い方ってもんがあるだろ。充てがえるとか、仕立て上げるとか、企てるとか、まるで俺を悪知恵の働く悪党みたいに言いやがってさぁ」
「私にとっては、ある意味、罪人です」
「あんまりな言い方は止せ。大体、彼女を介抱したおかげで、こうして仕事にありつけたんだ。棚から牡丹餅って奴だよ。それに、そういう『約束』だろう?」
「それは、そうですが……」
約束――それを口にしたとたん、舌鋒鋭かったエリーチカが押し黙った。ここぞとばかりに、再牙が畳みかける。若干の前傾姿勢をとると、真剣な口調で諭し始めた。
「涼子先生との約束、忘れたわけじゃないだろ?俺はもう人殺しをしない。お前は人間の友達を作る。そういう約束だったじゃねぇか。お前、先生との約束を反故にする気なのか?」
「反故にするなんて、そんな訳無いに決まっているじゃないですか。ただ――」
続ける筈の言葉を一端押しとどめると、エリーチカは、壁に画鋲で固定された写真をみやった。映っているのは三人。左端に再牙。右端にエリーチカ。真ん中には、嘗てこの部屋にいた、美しき一人の女性。
写真の中の再牙は今よりずっと目つきが悪かった。撮影される事に不満でも感じているのか、口を曲げて斜め向こうを睨みつけている。正面を向くエリーチカは髪型が今と違ってポニーテールになっているだけで、服装その他諸々は今と大して変っていない。
そしてもう一人。両者の間に陣取るは、オレンジ色のコートを着た年若い女性である。歳の頃は二十四、五といったところか。流れる様な黒い長髪と、口元のふすべが魅力的なその女性は、口元を綻ばせて幸せそうに笑っていた。右腕を再牙の肩に廻し、右手でエリーチカの頭を撫でて。
その写真は、再牙とエリーチカの二人にとって、何物にも代え難い宝物であった。もし何らかの不運にあって身を切り売りしなければならない苦境に立たされたとしても、この写真だけは、決して手放さないと、残された二人は決めていた。それ程の想いが詰まった一品なのだ。
写真の女性に視線を向けたまま、エリーチカが口を開いた。
「私は、アンドロイドなのですよ。人工の霊魂が搭載され、姿形が人と似通っているとは言っても、本質的には全く異なります。肉体を構成している物質だけでなく、価値観も文化も大きく異なる。そんな私に、人間の友人など、いても邪魔なだけです。先生も、全く以て、無理難題な宿題を残したものです」
「お前がそうやって自分から距離を置く性格にプログラミングされちまっているから、先生は心配して、せめて一人くらいは人間の友達をつくれって言ったんだよ。俺以外の友達をな」
「先生の意図を汲む事くらい、私には造作もありません。ですが、それとこれとは話が別です。人間と違って、私はこの身が朽ち果てるまで一生この性格なんです。あなた方人間と、一緒にしないでください」
声質は極めて平坦で、鉄のような冷たさを伴っていた。相変わらず、感情を読み取る事は出来ない。だがエリーチカの反論は、再牙の目に、どこか投げやりにも映った。
彼女は、既に友達作りを諦めているのか。いや、エリーチカは――旧式アンドロイドの思考は極めて合理的だ。物事を判断する際に、一切の情緒介入をシャットアウトする仕様に構築されている。
エリーチカは、人間とアンドロイドという非対称的な事物に、明確な境界線を引いている。自分が親しくする人間は、再牙だけで十分と考えているのだろう。
だから、人間の友達は作れない。いや、作ろうとしない。自ら進んで人間社会から身を引いている。社会奉仕に勤しむアンドロイドとして、己の信じる道を歩くその姿は気高くも見える。だがその一方で、一抹の哀愁が漂っているようにも見えた。
人間と一定の距離を置こうとするエリーチカの態度は、旧式アンドロイドとしてはごく普通の事だ。人工魂魄には、何の異常も見られない。プログラム通りの反応と言っても良い。
それにより果たして、彼女自身が真に幸福な生活を送れているかどうかは、はなはだ疑問ではあったが。
お前、今のままで本当に良いのか?
何度も言いかけたその言葉を、この時も、再牙は口にする事ができなかった。我に立ち返り、ふと考えてしまったからだ。自分も結構、傲慢な性格をしているのだなと。
その人が考える幸福の定義を、他人の価値観で塗り替える。それは、ともすれば侮辱に等しい行為だった。エリーチカにはエリーチカが掴み取るべき幸せがある。それを獲得する道筋は、誰の手によるものでもない、彼女自身の手で掘り進めて行かなくてはならない。それは重々承知している。しかしそれでも、口を出さずにはいられなかった。
人間の友人を得る事で、エリーチカの内面世界は拡張を迎え、人工魂魄に新たな価値観が内在化される。それが結果として、彼女の人生観に強いプラスの影響を与えるのではないだろうか。
涼子先生は、そのように考察していたのだろう。だから再牙以外に人間の友達を作って欲しいと、彼女に言い残したのだ。
再牙は急に、搾め木で胸を押し潰される様な感覚を覚えた。彼がエリーチカを思いやる気持ちには、並々ならぬものがあった。
彼女の幸福を、彼は他の誰よりも強く願っていた。だからこそ、涼子先生の意思を継ぎ、彼女に友人を作らせようとしているのだが……それはもしかしたら、独りよがりな事だったのかもしれない。
エリーチカと再牙は、もうかれこれ十年来の付き合いになる。これまで数え切れぬほどの辛酸を舐め、ささやかな喜びを共有してきた。だが彼は未だに、彼女の心の内を、完璧に把握するには至っていなかった。
彼女が幸福と定義している『何か』は、一体どのような概念と世界観を孕んでいるものなのか。いやそもそも、旧式アンドロイドにそのような、つまりは幸福の享受を以って、自己の内面世界が拡張を果たすようなプログラムが組まれているのだろうか。考えても分からなかった。
エリーチカの瞳を覗きこむ。宝石の様に綺麗で美しい。しかし影を孕んでいる。無数の影を。彼女を開発した科学者達の利己的価値観が、瞳の中に影として映っているように見えた。何とも言えぬ気分が渦巻いて、再牙はエリーチカから顔を背けた。
神は自身に姿を似せて人を創った。そして幻幽都市の科学者はナノマシンを元手に、人に似せた完全自立駆動型の半有機半無機製ロボット――アンドロイドを造った。
『創る』と『造る』。発音は同じだが、意味は全く異なっている。有機無機問わず、部品を組み合わせて出来るのは只の物質であり、そこに魂が存在する余地は、幾許も残されていない。それが今までの、社会における常識だった。
だが、それは大きな勘違いだった。事実、アンドロイドの核は、人工的に造られた脳にして意識。人工魂魄と呼ばれる奇跡の代物なのだ。
総重量二十一グラムきっかりのそれは、ニューラル・ネットワークと近似チューリング・マシンという、脳のモデル化に必須とされる二つのアプローチから誕生した。
人工魂魄に備えられているのは、体系化された知能と、経験を積む事で自発的に学ぶ学習アルゴリズムだけではない。認識パターンと常識判断能力、更には感覚質まで獲得できるよう調整されている。
計算領域と非計算領域の融合体である人工魂魄のおかげで、アンドロイドは人間と等しく、知性を獲得出来るに至ったのだ。
それを可能とする技術を有しているのは、世界中どこを探しても、このオカルトサイエンスの都市だけである。魂や精神、知性といった非物質的存在を、工学的手法により物質化させる心霊工学は、世の常識を限界突破した革命的技術理論であった。
心霊工学を修める者は、あらゆる工学分野における深い知識と技術の習得は勿論、正しい倫理観を身に付けるよう強く求められた。その上で、最高枢密院が定める超難関試験に合格しなければ、心霊工学の専門家・心霊工学士を名乗る事は許されなかった。
何とか努力して学士を得ようと志す若者の数は、年々増加傾向にある。しかし狭き門ゆえに、資格を得られる者は数える程しかいなかった。苦難の道の末、資格を勝ち取った者の殆どが、ピュグマリオン・コーポレーションに特別待遇で雇われた。
優秀な技術者の獲得は、メーカーを急速に成長させた。ピュグマリオン・コーポレーションと言えばアンドロイド。アンドロイドと言えば、ピュグマリオン・コーポレーション。評判が上がるにつれて需要も高まり、新しいタイプのアンドロイドが次々にロールアウトされていった。
アンドロイドが瓦礫の撤去や土地再開発の推進計画に携わる、無駄口を叩かない機械人形としての時代は終わった。今では人工魂魄にも更なる手が加えられ、アンドロイドが活躍する場は広がりを見せる一方だった。
一人身の老人や、共働きの為に子供をお留守にしがちな夫婦には、特に珍重された。時に伴侶に先立たれた老男や老女の話し相手になり、時に子供の遊び相手になってやる。それが、よくあるアンドロイドの使い道だ。
ニッチな市場で言えば、三十、四十を過ぎてもなお、独身のままでいる中高年をターゲットに、性的遊戯を目的にしたアンドロイドも造られている。セクサロイドとして知られているのがそれだ。彼らを夫や妻に迎える風習も、ここ最近では珍しくも何ともない。
現在の幻幽都市ではこうした、対人コミュケーション・スキルに秀でた人工魂魄を宿す、新型アンドロイドが主流となっている。
エリーチカは、時代の流れに取り残された。
彼女のような旧式アンドロイドに積まれている人工魂魄は、新型のそれよりも一世代前の代物だった。感情の入力を受け付けても、それに対する反応を出力するのに、大きな制限が掛けられている。
旧式アンドロイドの出荷台数は、年々減少傾向にある。中には、社会から『役立たず』の烙印を押され、生産中止に追いやられた機種もある。時代の流れは、誰にも変えられない。今の都民が求めているのは、感情の起伏に乏しい無愛想な人形ではなかった。
「悪かったよ」
視線は合わせず、両手を膝の前で組み、再牙は謝罪の言葉を呟いた。
「良かれと思ってやったんだが、どうにも、俺の我儘が過ぎたようだ。忘れてくれ」
「……いえ、こちらこそ。すみません」
エリーチカがソファーに座ったまま、頭を垂れる。
「あなたの気持は分かっているつもりです。勿論、涼子先生が何を思って、私に人間の友達を作れと言い残したのか、その理由についても。でも、どうにも分かりません。友達というのは、『友達を作るぞ』と肩に力を入れて出来るものなのでしょうか」
「そういうものじゃないだろうな」
「そうですよね。分かっているんですよ、人工魂魄では。でも、いつも力んでしまって、上手くいかない」
再牙がエリーチカに友達を作らせようと、女性の、それも思春期真っ盛りの十代の女の子ばかり紹介してきたのは、これが初めてではない。少なくとも、今まで二十回くらいは引き合わせてきた。それは時に依頼人であったり、時に行きがかりで助けた子だったりと、色々だった。
この子と友達になろう。友達にならなければ。涼子先生と再牙の為にも、友達をつくらなければ。そう考えて喋ると、エリーチカは何時も硬苦しさと居心地の悪さを覚えた。
他人を相手に紡いだ言葉の糸は、二、三言交しただけで解れた。沈黙が自動生成される間隔は、少しずつ短くなっていった。そして、沈黙そのものの時間も長くなっていた。一緒にいると、息苦しくて仕方が無かった。
それは、向こうも同じだったのだろう。エリーチカをアンドロイドとしては見るが、それ以上の存在として認める事はなかった。結果、エリーチカに同姓の友達が出来る事はなかった。
趣向を変えて、同世代の男子を何人か引き合わせた事があった。しかし、こちらは随分とタチが悪かった。年頃の男子達は、エリーチカが旧式アンドロイドである事を知ると、揃って小馬鹿にする態度を見せた。
中には、無理やり性行為にもっていこうと、エリーチカに乱暴を働く者もいた。無論そういった輩は、再牙の手でお仕置きを受けるハメになった。
「友達の作り方が、良く分かっていないのでしょう。その必要性についても、深く理解出来ていないのかもしれません」
「浅く広くとは言わんさ。狭く深く、友達は持った方がいい。悩みを打ち明けたり、助けてくれるのは友達だけだ……って、涼子先生は言っていた」
「何かあったら、貴方に相談するから問題ないです」
「俺以外にもつくれと言っているんだ。考えても見ろ。もし、俺が――」
後に続く言葉を言いかけて、再牙の動きが止まった。まるで、ネジを巻き忘れたからくり人形の様に。不審に思ったエリーチカはソファーに座ったままの姿勢で、、再牙の疵面を下から覗きこむような体勢を取る。
「もし、なんです?」
「……いや、やめとくわ」
「気になります。続けてください」
「もういいって。何でも無いから。それよりチカチ、そろそろ『時間』だぞ。眠らないとマズい」
壁に掛けてあるアナログ時計。間もなく午後十時を刻もうとしていた。就寝には少し早い気もするが、エリーチカにはそうしなければならない理由がある。
「もうそんな時間でしたか。では、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。また明日な」
彼女の体内から蝉の羽音に似た電子音が微かに鳴った。直後に、瞳からハイライトが消失。力無く壁に背を預け、フローリングの床に尻餅をつく。それっきり、微動だにしなくなった。活動源たる人工魂魄が、一時的な休眠状態へ移行したのだ。
アンドロイドの稼働には、人間の生態アルゴリズムを一部応用している。だから、朝になれば起きるし、夜になれば眠りに落ちる。しかし今回、エリーチカが休眠状態に入ったのは、別の理由に寄る所が大きかった。
何時の間にか、壁面スクリーンの電源ランプが消えているばかりか、部屋にある全ての家電製品が稼働を止めていた。完全な暗闇に包まれたアパートの一室。再牙は外の空気を部屋に取り込む為、窓を開けた。冷え切った秋の夜風が、彼の醜い疵を嬲りつける。
「早くウチのアパートの壁にも、シリコンを入れて欲しいよなぁ……」
口をついて出たその愚痴は、再牙だけでなく、この街に住む一般都民の誰しもが思っているに違いなかった。
窓を開けてベランダに出た再牙は、ふと、上空を見上げた。薄墨色に広がる空の彼方のあちこちから、地上に向かってゆっくりと、さながら氷柱のように生える黄金色に輝く、雲の柱が目についた。雲柱の中枢部には翡翠色の一本筋が刻まれていた。まるで呼吸でもするかの如く、一定の間隔で明滅を繰り返し続ける。
金色に光り輝く雲の氷柱群。天空から地上に向けて降下を続けるそれは、徐々に速度を緩めていく。そうして、先端部が上空一千メートル付近に到達したところで、黄金雲の柱は、ピタリと動きを止めた。
奇怪な雲柱。ついた名が、電龍鉤爪。あるいは、電磁パルスの稲妻。巷では専ら、黄金氷柱と呼ばれている。それは、強力な電磁パルスを発生させる叢雲であった。
天空より降り注ぐ不可視の電磁波攻撃の前では、最先端の粋を凝らしたさしもの幻幽都市も、原始時代への逆行を余儀なくされてしまう。つい十年ほど前までは、それが常識とされていた。
今では、大分状況が異なっている。都市の土中に含まれる特殊なケイ素が、件の電磁パルスに対して強い耐性を有しているのが実証されたのだ。それは、都民が研究に研究を重ねて発見した、黄金氷柱への対抗武器であった。
都市のインフラ、安全管理、その他諸々の都市情報を集約している三元理論式非ノイマン型量子演算機構であるヴェーダ・システムを始めとして、大企業のオフィスサーバー類、化学工場やナノマシン製造工場の建材にはすべからく、幻幽都市産のケイ素から造られた、シリコン加工材が常用されていた。電脳化に必須とされるサーキット・チップも、同様である。
しかしながら、資源はいつの世も有限だ。シリコン加工材供給のプライオリティは、蒼天機関や巨大複合企業に加え、一部の富裕層が掌握していた。一般的な暮らしを送る大多数の都民の生活全てを賄えるまでには、至っていなかった。
再牙の住む安アパートを初めとして、中流・底辺階級のサラリーマン達の家々や、旧式のアンドロイドにも、シリコン加工材の十分な供給は為されていない。
未だ謎多き黄金氷柱だが、不幸中の幸いと言うべきか。発生する数時間前に、紅い稲妻が断続的に発生する事が分かっている。その気象情報を元に、ある程度は発生時間を予想することが可能となった。
その気象情報は蒼天機関を通じて、各家々にメルマガ配信されている。特殊警戒天気予報として都民に馴染まれているその配信を、エリーチカと再牙は何時間も前に受け取っていた。だからこうして、咄嗟の対応がとれた。
再牙はおもむろに、ズボンのポケットから灰煙草を取り出した。安物のジッポライターで火を付ける。黄金氷柱の妖光が照らす夜の練馬区に向かって、香ばしい煙を吐き出す。横殴りの秋風に煽られ、煙は左へと流れていった。
――もし俺が死んだら、お前、一体どうする気でいるんだ?
言いかけて呑みこんだ言葉を、不意に思い出していた。
デジャビュだ。前にも一度、あのような台詞を吐いた事があった。
しかしながら、
「あれ、誰に言った台詞だったっけかなぁ……」
思い出せない。口にした事は確かに覚えているのに、その相手が分からない。はてさて、一体誰に向かって言った言葉だったか。
深く考えようとして、やめた。思い出せないと言う事は、それ程大事な相手に向けて言った言葉ではないのだろう。己を納得させると、再牙は灰煙草の火を人差し指の腹で消し、暗がりの部屋へ戻ると窓を閉めた。
吸殻を屑籠へ放り投げると、クローゼットの奥から百キロのダンベルを取り出す。いつもならランニング・マシーンも用意する所だが、近頃は近隣住民の苦情がうるさい。仕方なしに、使用を諦める。
眠るにはまだ時間がある。あと三時間はトレーニングに努めよう。暗がりの中、静かに自己鍛錬に取り組む。ダンベル上げを都合八百回。その後、スクワットと腹筋を一千回ずつ。
それが、火門再牙の習慣だった。




