2-69父と紗英
お兄ちゃんを見送ったある雨の日――――
私は駅に降り立ったとき、吉田君のお父さんが雨空を見上げて立ち往生しているのを見つけてしまった。
大きなキャリーバッグを下げていて、困っているようだった。
傘を持っていないのかもしれない。
私はどうしようか…と少し迷ったけれど、家に来てくれた吉田君を思い出して勇気を出すことにした。
「こんにちは。」
「あ、あれ?君は―――。」
「沼田紗英です。先日はお家にお邪魔しました。」
「いえいえ。こちらこそ竜聖の奴が失礼なことを。」
吉田君のお父さんは私に向かって申し訳なさそうに頭を下げた。
私は慌てて首を横に振った。
「そんな!気にしないでください。それより、お困りですよね?
良ければお家までご一緒しますけど…いかがですか?」
「いいんですか?」
「はい!」
吉田君のお父さんは吉田君と同じクシャっとした笑顔になると「じゃあ、お言葉に甘えて…。」と私の差し出した傘に入って来た。
でも私の方が背が低いので傘が頭に当たりそうだ。
それを見たお父さんは私の手から傘を取ると「持ちますよ。」と言ってくれた。
何だかそんな仕草も吉田君に似てる気がして胸が不自然な音を立てる。
私は代わりにキャリーバックをお持ちすることにした。
そして私たちは雨の中を一つの傘で並んで歩き始めた。
歩きながら聞きたいことを口に出してみる。
「あの…吉田君…お家でどんな感じですか?」
以前のお父さんとの仲にある壁が気になっていた。
家族の問題なので私が口を出す事じゃないのだけれど、あれから何も聞かないし話にも上らなかったのでずっともやもやしていた。
お父さんは自嘲気味に笑うと言った。
「いや…あなたには仲の悪い所をお見せしてしまいましたね。
あれから竜聖とも話す機会がありましてね、今では色々相談してきますよ。」
「そうですか。」
仲直りできたんだ!と気持ちが明るくなった。
自然に口元が緩んでニコニコしながら前を向いた。
すると今度はお父さんから質問が飛んできた。
「もしかして…あなたと竜聖は付き合ってますか?」
私は驚いて心臓が飛び上がった。
お父さんの優しそうな瞳を見て、頬が紅潮してきた。
何度か口をパクパクさせてから、声を絞り出した。
「……はい。三か月ぐらい前から付き合ってます。」
「そうですか!やっぱりそうじゃないかと思ってたんですよ。」
「へ?」
私はお父さんの嬉しそうな横顔を見上げた。
お父さんは目を細めて笑っている。
「あいつ…全部態度に出る奴でね。年明けてからずっと浮かれていたんですよ。
きっとその頃でしょう?」
「……そ…そうです。」
そんなに態度に出る姿が想像できなかったが、お父さんが言うのだからそうなのだろう。
お父さんは何かを思い出したようで、寂しげな表情になった。
「情けない話…私は離婚していてね。竜聖が高校に上がってすぐの頃の事だったのだけれど…
私自身も妻に出ていかれてショックでね…昔以上に仕事に没頭して竜聖の事を気に掛ける余裕がなかったんだ。」
離婚の話は初めて聞いた。
以前お家に行ったときには留守なだけかと思っていた。
「だからあいつは高校に上がってから何というか…悪い事ばかりに手を染めてね…
いつも顔に傷を作って帰ってきていた。そのときはあいつと衝突ばかりしていて…あいつの気持ちに気づいてやることができなかった。」
夏に再会したときの吉田君を思い出した。
冷たい瞳…殴られている相手を見て平気な顔をしていた。
「でも秋頃だったかな…担任の先生から連絡があってね。真面目に授業に出ていると聞いた。
それをきっかけに竜聖をよく見るようになったんだ。そうしたら、以前と違って雰囲気が変わっていることに気づいた。そんな様子を見て…私の話を聞いてくれるんじゃないかと思ってね。」
秋と聞いて仲直りしたときのことを思い出した。
そういえばあの時吉田君は中学のときみたいに戻ってた。
何か関係があるのかな…と考えを巡らす。
「そうしたら、本当に話をしてくれた。進路の事…ちゃんと考えてるみたいでホッとしてね…。
あいつは大丈夫だって思ったんだ。きっと君のおかげもあるんだろう?」
話していたお父さんに急に訊かれて、咄嗟に言葉を返す。
「えっ!?私ですか!?関係ないと思いますよ!!」
吉田君のお父さんは私の反応が面白かったのか、吹き出すように笑った。
オーバーだったかなと反省して、恥ずかしくなる。
「いや…きっと竜聖を変えてくれたのは君のおかげだ。ありがとう。」
お礼を言われて私は恐縮してしまう。
「いえ…。」と答えて首をすくめた。
そうこうしている内に吉田君の家に着いた。
お父さんは私を見ると言った。
「良かったらお茶でも飲んでいってください。竜聖もすぐ帰って来ると思うので…。」
私は折角のお誘いなので断らずにお邪魔することにした。
お父さんは先に家に入ると、私にスリッパを出してくれた。
私はそれをお借りして中に入る。
以前も来たときも思ったけれど、家の中から吉田君の匂いがして落ち着く。
居間に案内されてテーブルにおずおずと腰かけた。
お父さんはポットにお湯を沸かしてお茶の準備をしているようだった。
待っている間に部屋の中を見回す。
テレビの前にゲームがあって気になったが我慢して他のものに目を移す。
男所帯だけあって雑誌や新聞が転がっていて、結構乱雑としている。
テレビの前の机に問題集や単語帳が重ねて置かれているのが目に留まる。
吉田君…勉強頑張ってるんだ…
以前大学に行くと言っていた姿を思い出した。
将来の道を決めて進む姿に私は焦った。
自分はなんとなく音楽が好きなだけでこの道にきて、将来どんな仕事に就きたいとか大学でどんな勉強をしたいとか何もない。
私は音楽を続けてもいいのだろうか…?
吉田君を見ていると少し迷いが生まれてくる。
考え込んでいる私の前に紅茶のカップが差し出された。
「どうぞ。」
「あ、ありがとうございます。」
私はお父さんにお礼を言うと、カップに口をつけた。
いい香りの紅茶だった。
お父さんは私の前に座ると、同じように紅茶を飲んだ。
そして私を見て口を開いた。
「失礼な質問なんだが…君はどうして竜聖が良かったんだい?
親の私がいうのもあれなんだが、あいつは決して真面目じゃないし素行も良くなったとはいえ普通の高校生とは違う。君のように良い学校に行っているお嬢さんが何であいつなのかと思ってね。」
私はお父さんの吉田君に対する見解に首を傾げた。
親っていうのはこうも自分の子を卑下して見るのだろうか?
私は吉田君のお父さんに吉田君の良い所を教えてあげたかった。
「私は吉田君が真面目じゃないなんて思いません。吉田君は真面目でまっすぐで正直な人で…隣にいると気持ちが前向きになって明るくなれるんです。私…結構落ち込みやすいんで、その度に背中押されています。だから私には吉田君しかいないんです。」
お父さんは真剣に私の話に耳を傾けてくれていた。
私は過去のことを思い出すと話す決心をした。
「それに…先に好きなったのは私ですから。中学の時、一度振られてるんで片思い歴だけは長いんです。」
「へぇ…あいつがねぇ…。そんな風に思ってもらえて嬉しいよ。
でも、あいつも君にベタ惚れみたいだし、片思い歴とか気にする事ないと思うよ。」
優しい目で微笑むお父さんを見て嬉しくなった。
このお父さんだから吉田君がまっすぐで正直なんだなぁと感じることができた。
心が温かくなってホッとする空気に私はいつの間にか緊張をしていなかった。
すると玄関の開く音がして「ただいまー」と吉田君の声が聞こえた。
私は反射で入り口に目を向けた。
「あ、帰って来たね。」
お父さんは席を立つとカップを下げて台所に向かっていった。
入り口に吉田君が姿を見せる。
「なぁ、誰か来てんの――――って紗英!?」
吉田君は慌てて私に駆け寄ってきた。
私は苦笑いを浮かべて言った。
「あはは…ちょっとお父さんとお話を…。」
「え!?話って何?ちょっ――!!父さん!話って何!?」
吉田君はパニックになっているようで、私を見たりお父さんを見たりオロオロしていた。
お父さんは私たちを見ると冷静に答えた。
「お前、俺に彼女と付き合ってること言わなかったな?」
「へっ!?」
お父さんの言葉に驚いた吉田君は私を見て目で訴えている。
あ…これ言わない方が良かったのかな…?
少し不安が胸を過る。
「何で言わなかった?何か理由でもあるのか?」
お父さんはこっちに近寄って来ながら、吉田君を追及している。
吉田君はみるみる顔を赤くして観念したように言った。
「そっ…そんな恥ずかしい事言えるわけねぇだろうが!!」
「恥ずかしい?何かやましい事でもあるのか?」
「ねっ!?ねぇよ!!」
「じゃあ、言ってくれたっていいだろう?」
「言えるか!!親に見せびらかしてるみたいで恥ずかしいだろ!?」
「見せびらかせばいいじゃないか。知っていたら彼女にもっと色々聞けたよ。」
「色々!?色々って何なんだよ!!」
私は二人の押し問答を見ているしかなかった。
似た者親子っていうのか…でも吉田君の方が分が悪いように感じる。
その後も続く仲の良い親子喧嘩を聞きながら、私はおかしくて笑ってしまった。
珍しい組み合わせをお届けしました。
次から三年生になります。




