番外編10 初恋:宇佐美麻里
紗英、竜聖の同級生である宇佐美麻里視点です。
先週末、竜聖が桐谷家へ結婚の挨拶に来たと鴫原づてに耳にした。
私は沼田さんを故意的ではないにしろ階段から突き落としてしまった日から、なんとなく二人に会い辛くて会わないようにしていたので、この朗報に気持ちが救われるようだった。
たくさん二人の邪魔をしてしまった分、二人には誰よりも幸せになって欲しい。
昔だったらこんな事、本心では言えなかっただろうけど、今は竜聖への気持ちも吹っ切れていて心も穏やかだ。
本当に心の底から二人の幸せを願える。
これは長い間、竜聖のストーカーをしてきた私にしたら、すごく大きな変化だと思う。
幸せそうな二人の話を聞いて、こんな朗らかな気持ちになるなんて自分でもすごく意外なのに、誰がこんな自分を想像できただろう?
人間、何がきっかけでどうなるかなんて分からないなぁ…
私は持っていたファイルを握り直すと、桐谷家の玄関へ足を踏み入れた。
「おっせーよ!今、何時だと思ってんだ!?」
玄関に入るなり不機嫌そのものの怒声が飛んできて、私は声の主を冷めた目で見つめた。
「お前、今日は俺に同行するんだろ!?だったら時間通りに行動しろよ。それでも秘書か!?」
「……すみません。今日の会議の資料を確認していて遅くなりました。」
「だったら連絡の一本も入れろよ!?それぐらい常識だろ!?鴫原はなに教育してやがんだ。」
目の前で眼鏡を押し上げながら悪態をついているのは、竜聖の義弟の猛。
私は今日からこのムカつく猛付きの秘書になった。
譲太郎氏の命令で仕方なく!!
私は竜聖だったらどんなに良かっただろうか…と考えたけど、勘の良い猛に察知されると面倒なのでポーカーフェイスの下にその考えをしまい込んだ。
「申し訳ありません。今日から猛さん付きになるので、準備に念を入れ過ぎまして。」
「…ふーん。ま、俺のためだって言うならいいけど。」
こう言えば絶対機嫌を直すと思った。
私は愛情不足のまま育った猛の性格は把握していたので、扱いは簡単だった。
猛は立ち上がると「行くぞ。」と会社に行こうと玄関を出る。
そのとき背後でパタパタと音がして、猛の義母である玲子さんが顔を見せた。
「猛。今から出社するの?」
「母さん。うん、そうだけど。何か用ある?」
猛は玲子さんの姿を見るなり表情を和らげた。
猛は玲子さんの前でだけこの顔をする。
要は母大好き、マザコン野郎だからだ。
私はそんな姿を見てるのが耐えられないので、視線を逸らして素知らぬフリを決めこむ。
「用っていうか、できたら帰りに竜聖連れて帰ってきてくれないかしら?」
「兄貴を?別にいいけど…。何の用なわけ?」
私は猛が竜聖のことを『兄貴』と呼んでいるのを初めて聞いた。
どういう心境の変化だろう?
二人の間の空気が以前と変わりつつあるのはなんとなく感じていたけど、まさか兄貴と呼ぶほどまでとは思わなかった。
「竜聖に用があるというか、まぁそれもなんだけど。紗英さんに伝えて欲しいこともあって。」
「………。ふーん…。ま、いいけど。」
「よろしくね。猛。」
猛は沼田さんの名前を聞くなり表情を強張らせて、不自然に玲子さんに背を向けると「行ってくる。」と逃げるように玄関を出た。
私は急に態度が変わった事が不思議で猛の前に出ると、顔を覗き込んだ。
そして猛の顔を見て、私は驚きすぎて呆然と立ち尽くした。
「なんだよ?目の前で立ち止まんな。」
「え、あ、だって…。」
私は見たこともない頬を赤らめた猛の姿に、驚きを隠せずに指さす事しかできない。
すると猛が顔を手で隠しながら「くそっ。」と悪態をついて、私を避けて歩いていく。
ウソ…
なに今の顔…
私は人間らしい反応の猛に動揺しながらも、なんとか足を動かして車に乗る前に猛に追いついた。
そして猛を後部座席に乗せてから、私は助手席に座り運転手の山崎さんに出すようお願いした。
老齢の山崎さんの慣れた運転で滑るように車が発進しても、私は猛に対して動揺しまくっていた。
だから普段はしないような事を口に出してしまう。
「あの…猛…じゃなくて、えっと猛さん。竜聖…と沼田さんと何かあった?」
「……何かってなんだよ?」
「え、だって…その顔…。」
「うるさいな!!俺がどんな顔してようとお前に関係ないだろ!?」
私は猛に怒鳴られながらも気になって、部下と上司の隔たりを忘れため口になってしまう。
「だ、だって、そんな珍しい顔してたら、いくら私だって平静じゃいられないんだけど。ねぇ、山崎さんもそう思いますよね!?」
「あはは。確かに、猛坊ちゃんがそんな顔してるのは見たことありませんねぇ~。」
「~~~っ!!くそっ!!俺だって、なんでこんなになるのか自分でもよく分かんねぇよ!!」
猛はさっきよりも顔を赤らめて、言葉の通り自分でも感情の整理ができていないようだった。
その姿はさながら初恋でもした子供のようで、私はさっきの反応から推理したことを口にした。
「猛。もしかして、沼田さんのこと好きになった…とか、ない?」
「は!?!?」
「沼田さんといいますと、確か竜聖坊ちゃんの婚約者様ですか?」
山崎さんも興味があるのか運転席からバックミラー越しにニコニコと話に参加してくる。
猛は図星だったのか真っ赤な顔を手で隠しながら「ちげーよっ!!」と抑えきれない感情を顕わにしている。
私はその姿が新鮮で笑ってしまいそうになったが、なるべく冷静に返した。
「猛。沼田さんは竜聖のものなんだよ?なんで、またそんな厄介なことになるの…。」
「違うって言ってんだろ!?勝手に好きとか解釈すんな!!」
「坊ちゃん。隠さなくても分かりますよ。女性を好きになるのは悪い事じゃありません。ただ、竜聖坊ちゃんの婚約者様というのが不運といいますか――――」
「分かってるっつーの!!だから、好きになるなんてあり得ねーから!!」
猛は大きくため息をつくと「女子とあまり接したことねーから勘違いしただけだ。」とムスッとした顔でぼやく。
私はまるで小学生のようだな…と猛の姿を見て思ったけど、それは口に出さずに憐みの目を向けた。
きっと沼田さんが初恋なんだろうなぁ…
恋した瞬間から報われないなんて…まるで私と一緒…
私は猛と自分の姿がかぶって見えて、過去を思い返した。
私の初恋は中学二年のとき、教室でたくさんの友達に囲まれている人気者の竜聖に恋をした。
私は昔からすごく地味で誰からも注目されない空気のような存在だった。
竜聖はそんな私に気づいてクラスメイトと同じように話してくれた。
数学教師に頼まれて皆のノートを運んでいたときに手伝ってくれたこと…
今でもハッキリと覚えてる。
『いつも真面目だよな~!!』
竜聖はなんの気なしに言った言葉だろうけど、私にとったら真面目で良かったと思える程嬉しい言葉だった。
でも、教室に戻ったあと、竜聖は廊下を歩いてた沼田さんを見つけてすっ飛んで行った。
私や他のクラスメイトには見せない嬉しそうな顔で話す竜聖。
『紗英』と名前で呼ばれている沼田さんがどれだけ羨ましかったか…
きっと彼女には分からないだろう…
私の恋はしてしまった瞬間から結末が決まっていたんだ。
私はまだ気持ちの行き場の整理のついてない猛を見つめて、つい最近前に進むことができた身の上として話をした。
「猛。その気持ちは時間が解決してくれるよ。二人は結婚するわけだし、直にそれを見たら楽になるはず。だから、今は気にせず乱れとこう!」
「はぁ~??お前、絶対面白がってるだろ!?マジで性格悪いな!」
「うるさい。これが私なりの励ましよ。ね、山崎さん!!」
「はい。坊ちゃん。今は苦しくとも、時間と、後は新しい出会いがあれば自ずと解決いたしますよ。」
「時間って…。はぁ…。もう、それでいいよ。」
猛は色々と吹っ切れたのかため息を吐くと、もう赤い顔を隠すのはやめたようで手を下げて窓の外に目を向けている。
私は自分で言った言葉に少し胸を痛めながらもまっすぐ前に目を向けた。
二人は結婚するんだ。
もう自分の初恋とはさよならしなくちゃ…
私はずっと大事にしてきた気持ちなだけに、諦めることなんてできるのか分からなかった。
でも横から山崎さんが何か察しているのか「大丈夫ですよ。」と優しい笑顔で言ってきて、私は気持ちが少し持ち上がった。
私は大丈夫
この気持ちは大事に思い出の箱にしまうことができる
今もふと目を閉じるとすぐ思い出せる中学生の竜聖の笑顔。
あの時間だけは沼田さんも知らない、私と竜聖の時間。
私はいつか二人と心の底から笑顔で話せるように、自分の気持ちにそっと蓋を閉めた。
話の流れ上、悪役になってしまいましたが、宇佐美もただ竜聖のことが好きだっただけなんです。
一途過ぎた初恋でした。




