番外編9 沼田家:沼田恭輔
紗英の兄、恭輔視点です。
俺の大切な可愛い妹、紗英。
紗英は中学のときから一人の奴をずっと想い続けてきて、何度も何度もそいつに泣かされてきた。
俺はその度にそいつに腹を立てて二度と紗英に近づけさせるか!!と思っていたのに…
今、実家で俺の両親と向かい合って、その嫌な奴が紗英との結婚の申し出を口にした。
「紗英さんと結婚したいと思っています。どうか、俺たちの結婚を許してはいただけないでしょうか?」
嫌な奴=吉田竜聖改め、桐谷竜聖は緊張した面持ちで両親に向かって頭を下げている。
紗英もその竜聖の横で「お願いします。」と頭を下げていて、両親は顔を見合わせて困っているようだった。
でも二人の雰囲気から結婚を許す方向の考えを決めているのが伝わってきたので、俺が真っ先に反対の意を唱えた。
「俺は認めないからな!!お前なんかに紗英はやらねぇっ!!」
「お、お兄ちゃんっ!」
俺が反対したことで、紗英がすぐ顔を上げて怒ったように声を上げた。
俺は紗英に嫌われようとも、ここですんなり納得なんかできるわけがなかった。
「お前、こいつとの結婚のこときっちり考えたのか!?今までどんだけこいつに泣かされてきたと思ってる!!お前が幸せになれないのが目に見えてて兄として許すわけにはいかねぇっ!!」
「そんなのっ、お兄ちゃんに私の幸せを勝手に決められたくない!!私は竜聖と一緒じゃなきゃ、一生幸せになんかなれないから!!」
「お前はこいつの記憶が戻って、昔みたいに付き合えてるから舞い上がってんな事思いこんじまってんだよ!!あと一年もしてみろ!ぜってー、こいつは他の女にうつつを抜かすに決まってる!」
「そっんなことないから!!竜聖だって記憶喪失になって辛い思いしても、でも私のこと好きでいてくれたんだから!!」
「それはただの結果論だろうが!!」
「結果論でも今が幸せならそれでいいでしょ!?」
「恭輔!!紗英!いい加減やめなさい!!」
俺と紗英が兄妹喧嘩を繰り広げていたところに、黙っていた親父が声を張り上げて、俺も紗英も口を噤んだ。
俺も紗英も昔から親父にだけは逆らえないからだ。
親父は俺たちが黙ったのを見てから大きくため息をついて、鋭い眼光で目の前の竜聖を射抜く。
竜聖は親父の眼光にビビったのか、更に表情を強張らせて背筋をピンとして固まってしまった。
見た感じ呼吸してないように見える…
「吉田…じゃないのか…。そうだな…。竜聖君は過去に色々あったと紗英や恭輔から話は聞いていたんだが…。どうも二人の話には色々食い違いがあってね…。二人それぞれの主観が入ってるからだと思うんだが…。その…君が事故にあってから後のことを教えてもらえるかな?」
親父は鋭い眼光の割には落ち着いた優しい口調で言って、竜聖は息を吹き返すように表情を緩めた。
「あ、はい。俺…事故にあったあとは、何も分からないまま病院で何週間も過ごしてたんです。父さんと離婚した母さんが会いに来てくれてたんですけど、母さんだって実感もなくて…。血が繋がってるはずなのに…他人みたいでした…。それは、あの桐谷の親父の人を見下したような態度も関係あったと思うんですけど…。」
竜聖は薄く笑みを浮かべながら笑い話のように明るく話していたが、親父や母さんの聞いてる顔は真剣だった。
「まぁ、俺には母さんしか身寄りがなかったんで、桐谷の家に身を寄せる事になって…。それで学校も東京の方に移ったんです。そのときに一度でいいからこっちに戻ってれば、俺の事情とか紗英や俺の友人たちに伝えることができたかもしれないんですけど…。桐谷の家って、忙しくて…俺は慣れるのに必死で、自分のいた場所に帰ろうなんて考えもなかったんです。」
俺はこいつの話を聞きながら、記憶がないってのはどういう気分なんだろうか…と想像していた。
知り合いだという奴の顔を見ても分からないんだよな。
それって…記憶のない身からすると、すごく気持ち悪いことなんじゃないだろうか…?
俺は急に自分の前に自分の事を良く知る人物が現れる想像をして、身震いがした。
これは思ってたより、きついことなんだろうな…
俺は過去のこいつは相当苦労したんだろうということだけは理解してやることにした。
「それから新しい高校では無難に過ごして…。大学受験のこともあったので、二学期から必死で勉強して、なんとか大学には入ったんです。それから桐谷の親父の命令で、海外に留学して…。日本に戻ってきて大学も卒業して…独り立ちしたくて、働き始めるのと同時に家を出ました。俺…そこまでの4年は今を思うと…ホント…バカみたいな生活してて…。恭輔さんが怒るのもその4年があるからだって、自分でも分かってるんです。」
俺は急に竜聖が俺を持ち上げてきて、面食らった。
竜聖は俺をちらっと見てから親父に目を戻す。
「俺、高校のときに紗英と一生一緒にいたいって…偉そうなこと口にしたんですけど…。記憶をなくして、紗英と再会するまで…、男として情けない話…女遊びみたいなことしてた時期があって…。あ、言い訳させてもらうと、記憶を失くした喪失感を埋めようとしてたってのもあるんですけど…。でも、紗英と再会してからは…記憶を失くしてからの4年とは全然違う充実感があって…。」
竜聖はそのときの事を思い返しているのか、もう緊張した顔ではなくてどこか嬉しそうに頬を少し赤らめ始める。
「こんな事言って信じてもらえるか分からないんですけど…、記憶はなくても紗英は特別だって、俺の心が反応したんです。」
この言葉に紗英が赤面するのが見えて、俺はふと目の前の二人が大人じゃなくて高校生の二人に見えて目を擦った。
二人とも頬を赤く染めてお互いを想い合ってる姿が、何年も前のカフェで話をした二人に見える。
「紗英と会えただけで、死んでた時間に光が射すみたいでした。それまで誰の事も必要ないって思ってたのに、紗英を失うのがすごく怖くなったんです。紗英がいれば自分には何もいらないって思いました。それぐらい、俺にとったら紗英は必要なんです。」
竜聖はここで大きく息を吸いこむと、ソファから腰を下ろして床に正座した。
「お願いします。どうか紗英を俺にください。紗英は俺の生きがいなんです。紗英がいないと、俺は生きていけません。過去に紗英をたくさん悲しませて苦しませてしまったこと、償っていきたいんです。どうか、お願いします。」
竜聖はそこまで言いきると床に頭がつく勢いで土下座した。
それを見ていた紗英が同じように土下座して「お願い、お父さん!!」と必死に懇願してくる。
俺はそこまでする二人に口を挟めなくて、親父の出す答えを待った。
親父はしばらく腕を組んで考え込んでいたけど、細く息を吐き出すと「頭を上げなさい。」と短く言った。
これに竜聖がおそるおそる顔を上げる。
親父は固い表情のまま口を開いた。
「正直な話をすると…。君に紗英を託しても大丈夫なのかという不安はある。」
親父の言葉を聞いて、竜聖が顔を一瞬引きつらせるのが見えた。
紗英は今にも泣きそうに眉間に力を入れていて、ギュッと口を引き結んでいる。
親父はまたふうと息を吐くと続けた。
「紗英から君とまた付き合ってると聞いたとき、私も妻も複雑な気分だった。紗英がいなくなった君を想って泣いているのを知っていたからね。」
これには紗英は驚いたのか目を丸くさせて親父と母さんを交互に見つめている。
母さんは紗英に目配せするとにっこりとほほ笑みかけて、紗英は視線を逸らして俯いてしまった。
「私は何度、紗英に君を待つのをやめろと言おうと思ったか分からない。それぐらい、私は苦しむ紗英を見ているのが辛かった。」
親父の言葉に俺だって同じだと思った。
竜聖は親父の言葉を真正面に受け止めたのか顔をしかめて「はい。」と小さな声で応えた。
「でも、これは親の勝手な思いだからね。口に出すことはなかったけれど…。今日、君に会って、言わなくて良かったと少し安心している。」
え…??
俺はさっきまでとは違う親父の言葉に驚いて、じっと親父を見つめた。
竜聖も驚いているのか目を何度も瞬かせている。
「紗英が苦しんでいたのは、それだけ君のことが好きだったからだ。何度も泣いていたのは、君にずっと想いを寄せていたからだ。そんなに好きになれる相手とこうして奇跡のように再会して…、君が高校生のあのときのように、こうして私たちの前に来てくれたこと…。複雑だが…、一人の親として、すごく嬉しい。」
親父は優しく微笑んでいて、紗英が瞳にいっぱい涙を溜めて「お父さん…。」と呟いて口を両手で押さえた。
竜聖も感激してるのか少し瞳が潤んでいるのが見える。
「紗英を君に託せるのか、今までの君を知らないだけに不安だが…。ずっと君を想い続けた紗英の気持ちと、今の…私たちに打ち明けてくれた君の気持ちを信じてみようと思う。もう、紗英を泣かす事はないと誓ってくれるか?」
「はい!!この俺の命にかけて、誓います!!」
親父の問いかけに竜聖は拳を作ると自分の胸をドンと叩いて即答した。
それを見た親父は念を押すように「信じるからね。」と笑った。
紗英がそこで我慢できなくなったのか「お父さん、ありがとう~…。」と言って泣き出す。
母さんは少し涙ぐんで「紗英、泣かないの。」と紗英に箱ティッシュを渡しながら自分も目元を拭いている。
竜聖は「ありがとうございます。」と掠れた声でいって、泣くのを堪えているようで握りしめた拳と肩が小刻みに震えていた。
俺はそんな幸せ家族絵図を見て、反対を口にできる雰囲気じゃないな…と悔しかったが、認めるしかなくなってしまった。
くそ…
まぁ、紗英がこいつと再会して付き合い始めてから、いつかこうなるとは思ってたんだ。
本気で反対して結婚を止めさせられると思ってたわけじゃない。
紗英を傍で見てきた家族だから分かる。
紗英は竜聖と一緒にいるときが一番生き生きしていて、輝いている事。
こいつとじゃなきゃ幸せにはなれないだろうって事。
こいつのことばかり想い続けてきた紗英を知ってるから、嫌だとは思っていても親父も強く反対できないんだ。
俺だって一緒だ。
死ぬほど嫌で、ものすごーく悔しいけど紗英には竜聖しかいない。
何度泣かされようとも想い続けるのを止めなかった。
竜聖のことでどんどん強くなっていった紗英。
これからは泣くこともなく、笑顔の絶えない毎日を送って欲しい。
俺は嬉し泣きをしている紗英を見て、心から願った。
そして、顔をしかめて泣くのを堪えてる竜聖を見て、お前だから託すんだからな!!と目で訴えた。
初めてこいつと会ったあの日から、俺はどこかでこいつの事を認めていて、新しく家族になろうとしているのが少し嬉しかったりする…。
まぁ、絶対言ってやったりはしないけどな!!
俺は自分の複雑な気持ちに、ふんっと鼻息を吹いてそっぽを向いたのだった。
結婚へ少しずつ前進です。
番外編もあと少しで終わります。




