番外編8 桐谷家:桐谷猛
竜聖の弟、猛視点です。
今、俺の目の前に、ムカつく程整った顔立ちをした兄貴とその婚約者だという大人しそうな女性が正座している。
そして俺の横には親父と母さんが並んで二人を見据えている。
二人の雰囲気は正反対で、親父はこれでもかと兄貴を睨みつけているし、母さんは寂しそうにしながらも笑顔を浮かべている。
俺は面倒くせぇな…と思いながら、緊張した面持ちの兄貴をじっと見つめた。
「そういうわけで…、今日は結婚の承諾をもらいたくて来たんだ。」
「ダメだ。」
親父は兄貴が言い終わるなり、食い気味に反対した。
兄貴は一瞬面くらったようだったけど、すぐに言い返す。
「なんでだよ!!」
「なんでもクソもない。お前みたいな腑抜けに家庭なんぞ築けるはずがない。ましてやそこの彼女はお前のことを更に使えなくする張本人だ。桐谷の家の面子のためにも、上手くいくはずない結婚なんぞ認められるか。」
「上手くいくはずないなんて親父に決められるいわれはねぇよ!!」
「私の目は確かだ。お前に彼女との結婚は無理だ。諦めろ。」
兄貴は親父に一刀両断されて、何とか歯向かおうと目を吊り上げている。
その横で婚約者の女性…確か沼田紗英さん…が口を引き結んで小さくなるのが見える。
彼女の困ったような表情から、きっと自分のせいだと思っているんだろうな…と察しが付く。
「諦められるか!!バカじゃねぇの!?結婚に上手くいくとか、いかないとか…お互い一緒にいたいって思ってる以外に必要なもんはねぇよ!!俺は紗英と結婚したい!!だから結婚する!!それで、それを認めてくれればいいんだよ!!」
「私は桐谷を背負ってる人間だ。一緒にいたいという理由だけで、お前らを簡単に認めるわけにはいかない。上手くいかず、最悪離婚となったら体裁が良くないしな。」
「んなもんするわけねぇだろ!?縁起でもねぇ!する前に離婚とか言うんじゃねぇよ!!」
「私が桐谷を背負う人間だから言っているんだ。お前たちは若い。そう焦って結婚する必要はないだろう?何年も一緒にいれば、見えてくるものもあるだろうし、冷静にもなれる。」
親父の言うことも一理あるな。
俺はまだ付き合いだして一年も経っていないことを知っていただけに、兄貴がこうも早く結婚を言い出した理由が不思議だった。
鴫原から高校のときも付き合っていたらしいというのは聞いたが、お互い大人になってから再会したわけだし慎重になればいいものを…
俺は言い返せなくて悔しいのか、拳を握りしめて親父を睨む兄貴を見ながら、ため息をついた。
すると、今まで黙っていた沼田さんが口を開いた。
「あ、あの。失礼ですが…桐谷さんはお義母様と出会われて、どれぐらいで結婚されたんですか?」
この質問には親父は言えない事でもあるのか、沼田さんを見つめてギュッと口を引き結んだ。
その反応を見ていた兄貴の表情が変わり、母さんが横から口を出した。
「私たちは出会って3か月ぐらいだったかしら…。ねぇ?」
母さんがそのときを思い出しているのか、少女のように笑って親父を見つめた。
親父は大げさに咳払いすると、「うむぅ…。」と変な返事をして堅物の表情を歪めた。
兄貴はこれをチャンスとばかりに親父を睨んで噛みついた。
「人の事言えねーじゃん!!自分は三か月で結婚とかしてるのに、俺はダメとか差別だろ!!」
「わ、私はお前とは違う!!歳だって重ねていたし、猛もいた。母親が必要だったというのもある。」
「でも、好きだったから結婚申し込んだんだろ!?同じじゃねぇかよ!!」
これには親父が顔をしかめて黙ってしまった。
表情には出ないが内心焦っているのが伝わってくる。
でも、さすがに親父は兄貴には言い負けたりしないようで、ゴホンと咳払いすると眉間に皺を寄せた。
「お前は若くて、周りも見えていない!!そんな人間に彼女を幸せにできるとは思えん!!もう少しマシな人間になってから出直して来い!!」
「親父だって変わらねぇだろ!?」
「社会人一年目のひよっこに何を言われても屁でもないわ!!大体、お前向こうの両親には挨拶に行ったのか!?ちゃんと許可をもらってから、こっちに来たんだろうな!?」
ここで兄貴が顔を強張らせた。
どうやら彼女の両親にはまだ挨拶に行っていないらしい。
親父もそれが分かったのか、ダンッと足音を立てて立ち上がると、兄貴を見下ろした。
「相手の両親に挨拶にもいけない腑抜けに用はない!!」
親父が鼻息荒く部屋を飛び出していって、兄貴が「待てよ!!」と言って後を追いかけていった。
取り残された彼女は俺と母さんを見て、少し気まずい笑顔を浮かべてから頭を下げた。
母さんはそんな彼女を見て柔らかい口調で言った。
「あなたには本当に迷惑をかけてるわね…。こんな厄介な家でごめんなさいね。」
「え、いえ!!とんでもない!!そんなこと思ってません!竜聖…君がお義母さんの事も…お家の事も大事にしてるのは、よく分かってますから…。迷惑とか思ってません…。」
肩を小さくしながら言う彼女を見て、母さんは優しく微笑むとスッと立ち上がった。
「あの様子じゃ、しばらくかかると思うわ。頃合いを見計らって私が宥めてくるから、それまでここでゆっくりしててちょうだい。」
「え、あ、の…はい。」
彼女は何か考えていたようだったけど、母さんの顔を見ると何かに納得したようだった。
母さんはそれを確認してから、今度は俺に目を向けた。
「せっかくだから話相手になってあげなさい。猛も竜聖をよく知る良い機会よ。」
「え。俺は別に…。」
「いいから。それじゃ、ごゆっくりね。」
母さんは有無を言わせぬ眼力で俺をねじ伏せると、開いていた襖を閉めていってしまった。
俺は初対面の彼女と二人っきりにさせられてしまい、気まずさから目を逸らす。
これじゃ兄貴の婚約者と俺が見合いしてるみたいなんだけど。
俺はどんな話をすればいいのか分からずに、自然と外に目を向ける。
すると、彼女が遠慮がちに尋ねてきた。
「た、猛君は…竜聖とどんな話したりする?」
俺が彼女に目を戻すと、緊張した面持ちの彼女が俺を見て少し微笑んだ。
こうして彼女をよく見ると、彼女の周りの空気が違って見えた。
なんていうか…穏やかで優しい空気が流れてる。
そんな感じがした。
この家ではあまり味わったことのない空気だ。
「別に…仕事の話ぐらいだよ。あいつ、この家が嫌いみたいだし、そんなに話もしない。」
俺が彼女の纏う空気に戸惑って答えると、沼田さんは優しく微笑んで言った。
「猛君は竜聖が話をしてくれなくて寂しかった?」
「は…?」
俺は思ってもいないことを言われて面食らった。
寂しかっただなんて、思った事もない。
ましてやあいつと話したいとも思った事ないんだ。
彼女は俺のどこをどう見てそう思ったんだ?
「ごめん。違ったみたいだね。言い方が私に似てたからそうかなって思っちゃった。」
「…似てるっていうのは…どういう意味?」
「私、竜聖にかまってもらえなくて寂しかったりすると、友達にそういう言い方をよくするから。似てるなって思って…ごめんなさい。勘違いだったね。」
彼女ははにかむように笑うと、小首を傾げていて、俺はその姿がなんとなく直視できなくて少し視線を落とす。
「でもね、竜聖はよく猛君の話をするんだよ?」
「え…?」
俺は彼女の口から飛び出した言葉に驚いて顔を上げた。
「東大に行けるぐらい頭が良くて、親父の会社を継ぐのにふさわしいのは猛君だって、私と再会した時から言ってた。それもすごく羨ましそうに。竜聖が誰かをあんな風に言うのって珍しいんだよ?」
彼女はそのときの事を思い出しているのか、クスクスと笑いだす。
俺はそれが信じられなくて、あいつがそう言ってる所を想像して、変に身震いがした。
あいつが俺を褒めるとか…気持ち悪…
彼女は他にも俺に対する話があるのか「後はね~…」と言い出して、俺はそれを遮るように話を変えた。
「あなたはなんであいつと結婚しようと思ったんですか?」
俺は別に聞きたいわけでもないのに、そんな問いが口から飛び出して、自分で自分に驚いた。
彼女は俺が尋ねてきた事が嬉しいのか、少し表情を明るくさせると見るからにウキウキし出す。
そんな分かりやすい素直さに、俺は今まで関わったことのないタイプだと確信した。
「えっとね、やっぱり一番は好き…だからだよ。そうじゃなきゃ結婚なんて考えないよね?私は片思い歴だけは長いから、今が一番幸せなんだ。」
「片思いって…?」
俺はあいつの方が彼女に入れ込んでいる気がしていたので、この答えが意外で尋ね返す。
「私、中学一年のときに竜聖のこと好きになったの。だからそれを換算すると10年ぐらい好きってことになるかな?あははっ!数えてみたら長いね!」
10年!?
俺はその年数にビックリして口をぽかんと開けて固まった。
彼女は楽しそうに笑ってお腹を抱えている。
マジで…?
「え?…それ…中学からって…、あいつはあなたのこと…?」
「あははっ!中学の時は本当に私の一方的な片思い。二年のときに間接的にとはいえ、フラれてるから。」
「は!?」
俺はあのベタ惚れなあいつがフッたなんて信じられなくて頬が引きつる。
彼女は笑いを収めると、少し悲しそうに目を細めて言った。
「本当はフラれた時点で諦めようと思ったんだよ?でも、高校で再会して…また好きになっちゃって…。でも、今度は奇跡が起きたんだよね!」
彼女はここで目をキラキラと輝かせ始める。
俺はその表情にドキッとしてしまって、口を噤んで彼女から目が逸らせない。
「竜聖も私が好きだったって言ってくれて…、すごく幸せな半年を一緒に過ごして…。それで…。」
そこで彼女はまた表情を曇らせてしまったけど、無理やり笑顔を作って俺を見つめてきた。
「色々あったんだけど、今は一緒にいられて本当に嬉しいんだ。猛君はそう思える人いる?」
「え…。」
俺は急に質問されて顔が強張った。
そんな奴、今まで出会った事もなければ、そんな経験したこともない。
「俺にそんな奴いるわけないですよ。」
「え~?猛君、すごく真面目で優しそうなのにもったいないね。」
「基本ひねくれてるんで。というか女子に興味もないですから。」
俺はいつも思ってることを返して、ふんっと鼻で笑ってそっぽを向いた。
するとしばらくの沈黙の後、彼女が俺に近寄ってきて、両手で俺の顔をグイッと掴んだ。
そのまま顔を正面に向けさせられて、俺は目の前の彼女の顔を見て大きく目を見開いた。
「女子に興味がないわけじゃなくて、見ようとしてこなかったんじゃない?」
「は?」
彼女がじっと真剣な目で俺を見つめて言って、俺は顔をしかめた。
「ね、私も女子の一人だからさ。ちょっと自分と違うって所、見てみて?そこから興味出てくるかもしれないし。」
彼女がふっと微笑んでいて、俺は言われたままに彼女をじっと見つめてみた。
俺と違うところって…
どう見ても男と女なんだから体型が違うだろ。
つーか、変なとこ見たらあいつに殺されそうだな…
俺は首から下は見ないようにして、観察を続けるとふとある事に気づいた。
あれ…そういえば、今俺の顔掴んでる手…
思ってたより小さいな…
指が細いし、俺のより柔らかい…
そこまで考えて、俺は少し胸がトクンと動いた気がして彼女から目が離せなくなった。
この人…睫毛長いな…
まん丸で純粋そうな瞳してるし、頬も唇も柔らかそうで…
俺は今まで感じたことのない言葉にできない気持ちが胸いっぱいになっていて、気が付いたら俺は彼女の頬に手を触れていた。
「え…、猛君?」
彼女の困惑した声が聞こえたけど、俺は頭がボーっとしていて体がいうことをきかない。
彼女の頬は思ってたようにすごく柔らかくて、触り心地が良かった。
もっと触りたいな…なんて思った瞬間、俺は身を乗りだして彼女に顔を近づけた。
「ちょっ…!?えっ!?」
ここでさすがに彼女は俺から手を放すと、俺を押し返そうと両手で俺の肩を押した。
でも俺は心臓が今まで感じたことのないぐらい高鳴っていて、それがどこか心地よくて思いっきり彼女を押し倒した。
ヤバい…
この人の焦ってる顔、すげーいい…
俺は自分の中にこんな自分がいたのかと思うほど、いつもの理性的な自分ではなくなっていた。
この人の挑発にのせられたのかもしれないけど、見てこなかった自分をこの人にこじ開けられた。
「りゅっ、竜聖っ!!!」
彼女はひきつけを起こすような悲鳴を上げて、俺が今にも彼女に触れようかという瞬間、襖がスパンッと開け放たれた。
俺がその音に顔を上げると、兄貴が襖を開け放った状態で俺たちを見下ろしていて、兄貴の表情を見た瞬間、俺は理性を取り戻した。
あ、ヤバい
そう感じた瞬間、家中に兄貴の怒声が鳴り響いた。
「猛!!!てめぇっ、何やってんだーーーーーーっ!!!!!」
猛の恋の芽生えでした(笑)




