4-80掴みかかる
安藤…いや今は服部か…から紗英が竜聖と別れたと聞いて驚いた。
以前はあんなに仲が良くて…このままの勢いで結婚までいくと思ってた。
だって竜聖はどう見たって紗英にベタ惚れで、紗英がいなきゃ生きていけないって顔をしていたから…
だから竜聖から別れを切り出したなんて、信じられない。
俺は距離をおいてると聞いたときから、少し嫌な予感はしていた。
でも別れるなんて夢にも思っていなかった。
あいつの頭の中が理解できなくて、俺は考えても結論は出そうになかった。
俺たちは竜聖の実家の最寄り駅まで来ると、店長さんに言われたようにタクシーに乗り込んで住所を告げた。
タクシーの運転手さんは「桐谷さんのお宅ですね。」と言って、よく知っているようだった。
そして発進したタクシーの中から外を眺めて、高級住宅街だけあって大きな建物が多いなと思った。
どの家も何坪あるんだろうかという家ばかりだ。
外観も洋風から和風まで様々で、見ているだけで楽しめる。
そしてものの5分程でタクシーは日本邸宅の前に止まった。
「ここですよ。」
運転手さんに告げられて、俺たちは料金を払ってタクシーから降りた。
表札には桐谷と書かれていて、確かに桐谷の家だと示していた。
「行くか。」
竜也が家の大きさに緊張しているのか、ふっと息を吐き出して足を進めた。
安藤も鞄の紐を握りしめて顔を強張らせている。
そんな二人を見て俺まで緊張してきた。
そして竜也がインターホンを押そうと手を伸ばしたとき、門の向こうに見える、庭をこえた先にある家の扉が開いた。
俺たちはそこから出てきたスーツ姿の二人組を見て息をのんだ。
一人は竜聖で、もう一人はできるキャリアウーマン風の女性。
その姿を見るなり、竜也が勝手に門を開けて中に入っていってしまった。
安藤も当然という顔で続いて、俺は慌てて二人を追いかける。
「竜聖!!」
竜也が竜聖に向かって声をかけると、竜聖は目を見開いて玄関先で固まった。
横の女性も驚いているようで、一歩後ずさった。
竜也は竜聖の前で立ち止まると、怒りのまま口を開いた。
「お前、沼田さんと別れたって本当なのか!?」
竜也の問いに竜聖は罰が悪そうに顔を歪めて目線を逸らした。
それがYESだと分かって、竜也は更に苛立ったのか声を荒げた。
「お前っ!!何で宇佐美と一緒にいる!!説明しろ!!」
竜也が竜聖の横の女性を指さして言った。
そこで俺にもこの女性がさっき話に上がっていた宇佐美さんだと分かった。
竜聖は竜也の言葉の意味が分からなかったのか、顔をしかめて竜也を見つめた。
「何でって…お前こそ何で宇佐美を知ってるんだよ…?」
「何寝惚けた事言ってんだ!!高校のときの同級生だろうが!!お前は覚えてないかもしれねぇけどな、こいつは昔っからお前のストーカーだよ!!」
竜也の言葉に竜聖は驚いて、宇佐美さんに目を向けている。
彼女は嘘がバレた子供のように視線を下げて、顔を背けている。
「っつーか!!もう、宇佐美のことはどうでもいい!!何で別れなんか切り出した!!もう沼田さんの事は好きじゃなくなったのかよ!?」
「そんなわけねぇっ!!」
竜也の言葉を遮るように、竜聖が声を上げた。
竜聖は泣きそうに顔をしかめると、拳を握りしめて言った。
「紗英の事は今でも…これからもきっと…ずっと好きだ…。でも、俺は紗英を幸せにできねぇ…。いつも無理させるし…我慢させる…。そんな紗英…俺は見ていたくねぇっ!!」
「――っ!!それはお前のエゴだろうがよ!!彼女の気持ちはどうなんだよ!?沼田さんは、ずっと何年もお前だけを見てきたんだ!!その時間を…っ幸せにできねぇからって理由で見ないふりすんじゃねぇよ!!」
「うるっせぇな!!紗英がずっと俺だけなんてちげーだろ!?紗英だって、幸せにしてくれる男が横に現れたら、俺なんか必要なくなるんだよ!!無理ばっかりさせる俺より、幸せにしてくれる奴の方がいいに決まってる!!」
「だから!!何でお前がそれを決めるんだよ!!沼田さんは―――」
まだ二人の言い争いが続きそうになったとき、安藤が竜也の肩を押しのけて竜聖の目の前に立った。
二人は安藤を見て言い争いを中断して、様子を窺った。
すると安藤が顔を上げた瞬間、竜聖の頬に平手打ちが飛んだ。
パンッと耳につく音が響いて、俺は目を剥いて固まった。
竜聖も何が起こったのか分からないようで、顔を横に向けた状態で放心している。
「……あんたは…いっつも…いっつも…!!」
安藤が肩を震わせて低い声で言った。
俺たちは安藤が今までにないほど怒ってる事が伝わってきて、黙って様子をみた。
すると安藤が竜聖を睨むとスーツのシャツを掴んで持ち上げた。
「中学のときもそう!!いっつも一方的なのよ!!相手の気持ちなんて聞かなきゃ分かんないでしょ!?それをどうして自分の中で思いこんで、それを相手に押し付けるのよ!!紗英はね、相手の気持ちを汲む優しい子だって知ってるでしょ!?あんたから別れを切り出されたら、いいよって頷くしかできないのよ!!分かる!?」
竜聖は安藤の迫力に押されているのか、口を半開きにして目をパチクリさせている。
きっと竜聖は安藤が誰かも分からないだろうに…
俺は安藤に任せることにして、二人を見守る。
「心の中で別れたくないとか、一緒にいたいとか思ってても、それを外に出さないの!!相手がそう望んでるなら、我慢しようってそういう子なんだよ!?あんた、紗英がずっとあんただけじゃないって言ったわよね!?じゃあ、あんたはどうなのよ!そこの宇佐美さんだったり、お母さんだったり、フラフラしてたのはそっちでしょ!?」
安藤は言葉と腕に力が入って、前に進み出た。
竜聖は自然と一歩下がって、背中が壁に当たった。
「紗英があんたの事情何も知らなかったとでも思ってんの!?宇佐美さんの事もお母さんとの事も全部知ってて、あんたに黙ってたんでしょ!?何で紗英がそうしたか分かってる!?あんたの事が好きだからでしょ!?何でその気持ちを分からないのよ!!」
安藤は肩で息を吐きながら言い切ると、竜聖から手を離して俺たちに振り返った。
その安藤の形相に俺たちは息をのんだ。
安藤は竜也に目を向けると、竜聖を指さして言った。
「山本君!あいつ殴って!!」
「へっ!?」
急に殴れと言われた竜也は体をビクッと揺らして、安藤を凝視した。
竜也は安藤の気迫に押されて、怒りが吹っ飛んでいるようだった。
「ボクシングやってるんでしょ!?あいつ、もう一回記憶失くすぐらい、ボコボコにしちゃって!!」
一番ひでぇ…
俺は犯罪の匂いの感じる安藤の発言に、顔がひきつった。
竜也もさすがに躊躇って安藤と竜聖を交互に見て、汗をかいている。
「早く!!」
安藤は怒り心頭してるのか動かない竜也の背を押し始めた。
すると竜聖が乱れた服を直して、口を開いた。
「…いいよ。気の済むまで殴れ。」
竜聖の言葉に安藤が竜也を押すのをやめて、竜聖を見つめた。
竜聖はまっすぐ安藤を見て顔を歪めていた。
「……もう何されたって構わねぇよ…。俺はそれだけの事をしたし、紗英がいなくなった今…生きてても仕方ねぇしな…。」
「なっ…!?竜聖っ!?」
竜聖の言葉に宇佐美さんが驚いて目を見開いている。
安藤は竜聖の言葉を聞いて、ますます目を吊り上げると竜也をまた押しのけて竜聖に近寄った。
そして今度は竜聖を蹴り倒すと竜聖の上に馬乗りになって、腕を振りかぶるのが見えて俺は二人に向かって走った。
何とか止めようと手を出したが、間に合わずに安藤は今度は竜聖を殴った。
俺はその後で、安藤を後ろから腕を掴んで止める。
「こんの、アホ!!何も分かってないじゃん!!勝手に死ねばいいよ!!」
「安藤!!やり過ぎだから!!」
俺の腕の中で暴れる安藤をなんとか竜聖から引き離すと、俺はとりあえず帰る事にした。
安藤がいたんじゃまともに話もできない。
「竜聖!!また、来る!それまで、紗英の事よっく考えてろ!!」
俺は何度も暴れる安藤に殴られそうになりながらも、何とかそう告げた。
竜聖は殴られた頬を押さえて起き上がると、生気のない瞳で俺を見上げた。
その姿が再会したときの竜聖のようで、俺は胸が痛んだ。
竜也も同じだったのか、竜聖を見つめて息をのみこんで固まっている。
俺はそんな竜也に「行くぞ。」と声をかけると、安藤を引きずりながら門へと足を向けた。
そして何とか桐谷の家から出て、駅に向かってしばらく歩いたところで安藤を離した。
安藤は離すとすぐに俺に噛みついてきた。
「何で邪魔したの!?」
俺は睨んでくる安藤を見てため息をつくと、手を腰に当てて安藤を見下ろした。
「あれ以上やったら、警察に通報されてもおかしくなかったぞ?お前、自分を見失ってたし。」
「だって!!あいつなんにも分かってないじゃん!!何で想い合ってるのに別れなきゃいけないのよ!!」
安藤は怒りを収める気はないのか、竜聖の家の方向を指さして歯を食いしばっている。
俺は安藤の言う事も一理あるなと思ったが、それをどう竜聖に分かるように伝えるかが見つからない。
今日、あれだけ言っても竜聖の態度は変わらなかった。
あいつは今何を思っているのかが分からなければ、解決しようがない。
「……少し、時間が必要なのかもしれねぇよ。」
今まで黙っていた竜也がボソッと言った。
安藤は少し怒りの矛先を収めると、竜也に目を向けた。
「もしかしたらあいつは沼田さん以外の事でも頭がパンパンなのかもしれねぇ。何でも真面目に考える奴だからさ…。だから、整理する時間がいるのかもしれないんじゃねぇかって…さっきの竜聖を見て思ったんだけど…。安藤はそれじゃダメなのか?」
安藤は竜也の言葉に少し考え込むと、俺に振り返った。
「本郷君はどう思う?」
「へっ…俺?…俺は…。」
俺は急に振られてさっき感じたことを伝えることにした。
「なんか…竜聖自身も傷ついて…苦しんでるみたいに見えたから…。怒ったりとか、こっちの感情をぶつけるやり方じゃなくて…。もっとあいつの視点にも立って話を聞くべきじゃないかと思う…かな。あいつ隠し事が多いから、あいつの視点に立つってのは難しいんだけどさ。」
俺はあいつが抱え込んでいる事を全部知ってるわけじゃないので、できない方法かもしれないけど冷静に話を聞くことはできると思った。
紗英の側にばかりつくと、どうしてもあいつの考えている事を見落としがちになる。
だからまっすぐにあいつの考えてる事を見極めなければと思った。
「……そう…だよね…。私、紗英の悲しんでる姿…久しぶりに見て、気が動転してたのかも…。殴ることはなかったかな…。」
安藤はやっと落ち着いたのか、後頭部に手をやって笑った。
俺は安藤の気持ちも分かるだけに、やったことを責めるつもりはなかった。
「私、今日向こうに帰るんだ…。だから、気が焦ってて…紗英のために何とかしたかった。でも、時間が必要なら、私はもうあいつに何も言えない…。悔しいけど…、本郷君と山本君に紗英の事、任せてもいい?紗英…強がりだから…、支えてあげてほしい。」
安藤の頼みに俺は当然だと思って頷いた。
「任せてくれていいよ。今までもそうしてきたんだ。竜聖のことは俺たちで何とかする。」
「沼田さんの事も大丈夫だよ。帰りにでも様子見に行くから。」
俺たちの言葉に安心したのか、安藤はふっと微笑んだ。
「お願い。私の大事な親友だから。」
安藤の紗英を想う気持ちに俺たちも賛同した。
「俺たちにとっても大事な友達だよ。」
「おう。」
あの二人をなんとかする。
俺は良い方法なんて浮かばなかったけど、あの日紗英に言った言葉に嘘はなかった。
竜聖に伝わる日はくる。
俺はそれを信じて、心を強く保った。
残り五話です。
竜聖が動くのか見守ってやってください。




