4-72吐き出す
俺は竜聖に腹が立って仕方なくて、ムカムカしながら沼田さんの家へと向かっていた。
あいつは沼田さんが無理をしていることを何も知らない。
知らずに無意識に彼女を傷つけている。
それが許せなくて、思わず殴ってしまった。
高校のときとは違って大人なんだから、すぐカッとなって殴るクセを直さなきゃならないなと思う反面、殴ったことで少しスカッとしている自分がいた。
そして俺は沼田さんの家の前に来ると、衝動的に来てしまったものの、どうしようかと思って立ち止まった。
竜聖と会った事を伝える?
いやそんな事をしたら余計傷つけそうだ。
俺は悩んで、道の真ん中で頭を掻きむしった。
すると、背後から背をポンと叩かれて振り返ると、いつ追いついてきたのか翔平が笑って立っていた。
「紗英のとこに行くんだろ?早く行こうぜ?」
翔平はさっきの事を何とも思ってないのか、いつも通りで拍子抜けした。
「おい…竜聖はどうしたんだよ?」
俺は飛び出してきたのもあって、あの後の事が気になっていた。
「うん?普通に説教して出てきただけだけど?ま、あとどうするかはあいつ次第だろ。」
翔平はさらっと言ってマンションへと向かっていく。
俺はその背を追いかけて、翔平ぐらいあっけからんと前向きに考えられたらなと羨ましくなった。
そして翔平と二人並んで沼田さんの部屋のインターホンを鳴らすと、返事が聞こえていつも通りの明るい彼女が顔を見せた。
「あれ?二人ともどうしたの?珍しいね。」
「や、ちょっと気になってさ。」
翔平が笑って誤魔化すと沼田さんは「変なの。」と笑いながら中へと促してくれた。
俺と翔平は靴を脱いでリビングへと入ると、沼田さんが「適当に座ってて」と言うので、テーブルの周りに腰を落ち着けた。
そして翔平と二人でどう切り出すかコソッと相談した。
「どうやって沼田さんの本心を聞き出すんだよ?」
「え?本心聞きにここに来たのか?」
「は?そうに決まってるだろ?また溜め込んで一人で泣かれるより、ずっとマシだろが。」
「あ、そりゃそうか。でも強がりだから、中々本心は見せねぇんじゃねぇかなぁ…?」
「だよなぁ…。」
俺も翔平も今までの沼田さんの強情っぷりを知ってるだけに頭を悩ませた。
本人は心配させたくないから言わないでいるのだろうが、その方が余計に心配するという事をそろそろ分かって欲しいものだ。
「もうすぐ10月なのに暑いよね。」
沼田さんが冷たいジュースを差し出してくれて、お礼を言ってとりあえず飲む。
飲んでいる間もどうしようかと考えを巡らす。
「なぁ、紗英。今日休みなのに、竜聖とデートしてねぇんだな?」
翔平がさりげなさを装って尋ねて、俺は心の中でさすが!と翔平を褒めた。
沼田さんは竜聖の名前が出ただけで、少し不機嫌そうな顔をするとムスッとしたまま言った。
「忙しいんじゃないかな。最近会ってないし。」
「え…?会ってないって、何でだよ?」
翔平が初めて聞いたというように尋ね返して、俺はこいつの演技に任せる事にした。
俺には到底真似できない。
「……竜聖のお母さんが入院したりとか…あと、お家の事とかで忙しくなるからって…連絡はとらないことにしたの。」
「ふ~ん…紗英はそれでいいの?」
翔平が上手く沼田さんの本心へと切り込んで、俺はテーブルに身を乗り出して彼女の返答を待った。
「いいも何も、そうしたいって言ったのは私だから。」
は!?
俺はそれは初耳だっただけに驚いた。
でも翔平は知っていたのか、少し顔を歪めると優しく言った。
「何でそうしようって言ったんだよ?」
沼田さんはちらっと翔平を見ると、膝を両手で抱え込んで目線を下げた。
「……お母さんの事を大事にしてる竜聖を見てたくなくて…。何だか…恋人みたいに仲が良いから…。」
「恋人ぉ!?」
予想外の答えに翔平が吹きだすように笑い出した。
「あはははっ!!それはないだろ!!いくら母親が大事だからって恋人って…っ!笑えるっ!!」
「嘘じゃないんだから!!竜聖のお母さんだって竜聖にしがみついて、私を睨んでて…竜聖は桐谷の家にいるのが幸せだって…継ぐのが一番いいって…言ったんだから。」
沼田さんは言われたときの事を思い出したのか、泣きそうに顔を歪めた。
それを見た翔平はさすがに笑うのをやめて、詳しく訊こうと口を開いた。
「紗英…いったい竜聖のお母さんと何があったんだよ?」
翔平が優しく問いかけたのを見て、沼田さんの目から涙が零れ落ちた。
それを見て、俺は余程溜め込んでいたことが伝わってきた。
「竜聖は…自分が一番だって…母親である玲子さんが一番じゃないと…彼女なんて認めないって…。」
沼田さんは泣いているせいか支離滅裂で、よく分からなかった。
竜聖のお母さんの名前が玲子さんなのか?
そのお母さんが一番じゃないと認めないってどういうことだ?
翔平も同じように理解できなかったのか沼田さんの肩に手を添えると落ち着けるように言った。
「竜聖のお母さんが一番じゃないと紗英の事認めないって言ったのか?」
沼田さんは小刻みに頷くと涙を拭いながら詳しく話してくれた。
「自分が竜聖の一番だって…その一番を奪う私は認めないって…。竜聖は桐谷の家のものだから、一緒にいられなくなるって…。私…間違ってると思って言い返したんだけど…聞いてもらえなくて…っ。」
沼田さんの言い分はもっともだと思った。
竜聖が桐谷の家のもの?
竜聖は家に縛り付けられてるって言いたいのか…?
俺は竜聖の知らない事を沼田さんが知っているようで、耳を傾けた。
「竜聖のお父さんからも…っ…気持ちの整理をつけろって言われてっ…。それもできないって言ったら、竜聖を説得するって……。竜聖は説得されても継がないって思ってたのに…簡単にその道を考え始めちゃって…っ…。」
彼女の中に溜まってる不安が溢れだしていて、俺は泣きじゃくる沼田さんを見つめる事しかできなかった。
沼田さんは竜聖の両親から拒絶されたって事だよな…
だから信じられるのは竜聖しかいなかったはず…
でも竜聖も継ぐ道を選び始めて、沼田さんの中にある自信が崩れた。
俺は彼女の苦痛が胸に刺さって痛くなった。
「私っ…桐谷のお家に閉じ込められてる竜聖を助けたくてっ…お母さんに訴えたんだけど…っ…。本当の竜聖の姿を伝えたらっ…殴られて…。」
殴られた!?
俺は驚いて沼田さんの顔を観察した。
いつの事かは分からないが、その傷は治っているようで顔は綺麗なものだった。
沼田さんがそんな肉弾戦のような戦いをしていたなんて信じられない。
「私も…やり返そうとしたら…竜聖に止められて…その後で怒られて…。竜聖はお母さんの事ばっかり心配するから…っ…もう私のことなんか…一番じゃなくなったんだって思ったら…っ…。」
沼田さんが言葉を切って膝を抱え込んで俯いてしまって、嗚咽だけが聞こえ始めた。
俺はまた竜聖に対して苛立ちが募って、今すぐにでももう一発殴りに行きたくなった。
沼田さんは竜聖のために動いていた。
それこそ殴られようとも引かなかったんだ。
それなのに、あいつは母親優先で彼女の想いを踏み躙った。
許せるわけがねぇ…
俺は拳を固く握りしめると、歯を食いしばった。
「……紗英…。すげぇな…。」
翔平が目を潤ませながら沼田さんを見つめていて、俺は少し苛立ちが落ち着いた。
沼田さんはビクッと肩を揺らしてから顔を上げると、目の前の翔平を見た。
「好きなやつのために…そこまで動けるなんて…俺、尊敬するよ。」
翔平は笑みを浮かべていて、本気で言ってるのが伝わってきた。
「大丈夫だよ。きっと紗英の想い…ちゃんと竜聖に届く日がくるよ。だから、そんなに泣かなくてもいいって!」
翔平の励ましに沼田さんは泣かないように口をまっすぐに引き結んだけど、目からは涙が溢れてたまらず翔平に抱き付いた。
翔平はそれを抱き留めながら沼田さんを落ち着けようと、背をポンポンと叩きながら目の端を滲ませていた。
俺はそれを眺めながら、ひとまず沼田さんが溜め込んでいたものを出せた事にホッとした。
そして竜聖に対しての怒りは収まらずに、胸に熱いものを滾らせることになったのだった。
いつの間にか冷静担当が翔平に切り替わっていて、私自身驚きです。
キャラクターって生きてくるものなんだと思いました。




