4-69仲違い
二学期、初日――――
私は昨日あった事がグルグルと頭の中を駆け巡っていて、朝から気分が最悪だった。
結局、吉田君からは一度も連絡がない。
あの後どうしたんだろうかと気になって仕方なくて、仕事終わりにでも病院へ行こうかと考えていた。
「沼田さん、久しぶり。」
「久しぶりーっ!!相変わらず陰気臭そうな顔してるなぁ~!!」
村井さんと失礼な発言をした野上君がやって来て、私は「久しぶり。」とだけ返した。
野上君はデリカシーってものが欠けてる気がする。
「今日からまたいつも通りの生活が始まると思うと、憂鬱になるよなぁ~。夏休み戻ってきてほしいよ。」
「そんなに夏休み楽しかったんだ?」
野上君がドカッと椅子に腰かけながら、天井を見上げた。
「当たり前じゃん!!海にも行ったし、花火大会も見に行ったし、とにかく夏の遊びという遊びはやりつくしたね!!」
学生以上に遊んでいるのではないだろうかと思って、私は渇いた笑いだけ返した。
すると野上君は私たちに興味が移ったのか顔を向けて尋ねてきた。
「二人は休みの間何してたわけ?ま、沼田さんは聞かなくても予想はつくけど。」
「何それ?」
野上君がヘラッと笑って意味深な顔をしたので、私は訊き返した。
「だってどうせ毎日竜聖とラブってたんだろ~?そういう惚気はいらないから。」
「ラブって…って…!私が竜聖しかいなかったみたいな言い方やめてよね!!実家に帰って、友達と会ったりしてきたんだから!!」
私が否定すると野上君は意外そうな顔をして、目を見開いた。
「へぇ…珍しいこともあるんだなぁ~。てっきり一日だって離れたくなくて帰ってないんだと思ってた。」
半分は当たっているようなものだったので私は口を閉じて、目線を逸らした。
離れたくなかったってのは事実だ。
「じゃあ、村井さんは?どこか遊び行ったりした?」
野上君は興味の対象を村井さんに移して、村井さんは野上君からサッと視線を逸らした。
そんな反応が照れからくるものだと分かるだけに、私は二人の恋愛を見守ることに徹する。
「特には…地元の友達と遊びに行ったぐらいだから…。」
「ふ~ん。友達って女の子?可愛い?」
「えっ…?そりゃ…女子高のときの友達だから女の子だけど…可愛いかって言われたら…可愛いかな?」
「マジ!?」
村井さんの返答に野上君が目を輝かせて立ち上がった。
私はその反応に驚いて、野上君を見上げた。
「村井さん!!今度合コンしようぜ!その子たち誘ってくれよ!」
「えっ!?」
村井さんが驚いていて、私も同じように驚いた。
「沼田さんだけリア充なんて腹立つだろ!?俺は夏に男友達とつるんでて悟ったんだ!今年こそ彼女を作る!!だから、女の子集めてくれよ!!頼む!!」
野上君は村井さんに向かって手を合わせて頭を下げていて、私は声を失った。
ちらっと村井さんを見て彼女の様子を窺う。
「分かった。一応、友達に声かけてみるよ。」
「わっ!やった!!ありがとーっ!!」
野上君は両手を上げて喜んでいたけど、村井さんは複雑そうな笑顔を浮かべていた。
私は村井さんの気持ちを知ってるだけに、村井さんの気持ちを考えてこっちが辛くなってきた。
私は立ち上がると村井さんの手をとって引っ張った。
村井さんは驚いて私を見つめたので、私は目で合図すると手を引っ張って職員室を飛び出した。
そして二人で以前と同じように中庭まで来ると、村井さんをベンチに座らせて声をかけた。
「村井さん。合コンなんていいの?」
村井さんは私の顔を見つめて目を見開いた後、俯いて膝の上で手を握りしめた。
私はその姿を見て隣に腰を下ろすと、体を彼女に向けた。
「嫌なら、断っても良かったのに。」
「…だって…頼まれるなんて初めてだったし…、喜んでくれるなら…その方がいいと思って…。」
私は野上君の事こんなに想って、自分の気持ちを押し殺している村井さんを放っておけなかった。
「合コンOKしちゃったのは、もう仕方ないけど…好きなら、自分の気持ちを通さなきゃダメだよ?遠慮してたら、誰かにとられちゃうから…そんなのイヤでしょ?」
村井さんは強く拳を握りしめると、俯いたままで口を開いた。
「イヤだよ…。でも…私には沼田さんみたいに想いを伝える勇気が出ない。」
「村井さん…」
村井さんは顔を上げると、すくっと立ち上がって私を見下ろした。
表情は少し辛そうに歪んでいたけど、口角は少し上がっていた。
「ごめんね。気を遣わせちゃって…。私、自分の事は自分で何とかするから。」
村井さんはそう言い残すと、早足で職員室に足を向けて歩いていってしまった。
私はその背を見つめて役に立てなかったことに大きくため息をついた。
***
それから始業式が終わり、今日は授業もなかったので終わり次第、私は足を病院に向けていた。
やっぱり直接吉田君のお母さんに聞くのが早いよね。
私は昨日感じた違和感を聞こうと、勇気を出して病院の入り口をくぐった。
そして昨日行った病室へとまっすぐに進む。
その間も胸がドキドキと鳴り響いていて、私は緊張で喉が渇いてきた。
お見舞いにと持ってきたケーキの箱の取っ手を握りしめる。
昨日のように拒絶の目で見られたらどうしよう…。
私は不安で気持ち悪くなってきていたが、病室の前で呼吸を整えると扉をノックした。
中から「はい。どうぞ。」と聞こえてきて、私は「失礼します。」と声をかけてから扉を開けた。
中には吉田君のお母さんが本を手に起き上がっていた。
昨日より顔色も良さそうに見えてホッとしたと同時に、お母さんから鋭い目が向けられた。
私は後ろ手に扉を閉めると、蛇に睨まれたカエルのようにその場に立ち尽くした。
「あなただったの…。何のご用でしょうか?」
私は一度生唾を飲み込むと、お見舞いを差し出そうとベッドへと歩み寄った。
「少し…お話がしたくて…。これ、お見舞いです。」
私はケーキの箱を差し出したが、受け取ってもらえそうもなかったのでベッドに設置されている机の上に置いた。
「話って何かしら?昨日したことだったら謝りませんからね。」
真っ向から敵意むき出しのお母さんとちゃんと話ができるか分からないけど、私は言いたい事だけでも言わなければと思って口を開いた。
「そのことは…もういいんです。私が聞きたかったのは…、私と竜聖の事をどう思ってるのかって事なんです。」
「どう思ってるか…?そんなの決まってるじゃない。あなただけは認めないわ。」
答えは予想していたけど、こうもハッキリ言われると胸に突き刺さった。
私は心を強く持つと、お母さんをまっすぐに見つめた。
「それは…どうしてですか?私だけは認めないって…どういう事ですか?」
「そのままよ。あなたと一緒にいる竜聖はイヤなのよ。あの子の一番は私。あの子が一番だと思うあなたなんか認められない、それだけよ。」
母親のものとは思えない言葉に私は言葉を失った。
要は…吉田君の一番が私に奪われているから、認めないってこと…?
一番じゃなくなれば認めてくれるという事なのだろうか?
息子の一番でいたいと思う母親心は分からないが、私はそんな理由で引くわけにはいかなかった。
「自分が竜聖の一番でいたいからって…私と竜聖の事を認めないっていうのは間違ってると思います。」
私はお母さんの目が見れなくて、少し俯くとギュッと手を握りしめた。
「私にも母がいますが、私のすることは何でも応援してくれてます。それこそ竜聖を紹介したときは自分の事のように喜んでくれました。母親ってそういうものじゃないんでしょうか?」
私は高校のときに家族に紹介したときの事を思い出して、胸が熱くなっていった。
お父さんもお母さんも嬉しそうに笑ってくれた。
だから私も嬉しくなったし、二人の娘で良かったと思った。
吉田君にもこの気持ちを知ってほしかった。
「竜聖のお母さんなら、竜聖の喜ぶ選択をしてあげてほしいです。彼を追い詰めるように私はダメだとか言わないでほしいです。お願いします。」
私は分かってほしい一心で頭を下げた。
すると私の顔に細い手が伸びてきて、私の顔を掴むとグイッとベッドに引き寄せられた。
突然のことにたたらを踏みながらベッドに足を向けた。
「さぞ立派なご両親に育てられてきたんでしょうね?あなたの中の母親の理想像を押し付けないでちょうだい。」
目の前に険しく歪んだお母さんの顔があって、私は息を飲み込んだ。
頬に爪が立てられて、私は痛みに顔をしかめた。
「竜聖は私の望み通りあろうとしてくれる良い息子よ。今日もお父さんの会社を見学に行っているわ。あの子は桐谷の人間であなたのものじゃない。だから、あなたがどう思ってようと一緒にはいられないわ。」
お母さんの言葉に吉田君が桐谷の家がイヤだと言った事が分かった。
吉田君は竜聖という一人の人としてじゃなくて、桐谷の人間、跡取り息子、そういうレッテルを貼られて生きてきたんだ。
すべての道はお母さんやお父さんである桐谷さんに決められていた。
だから、逃げるように一人暮らしを始めたんだ。
少しでもその道から逃れたくて…
出会った頃の暗く澱んだ瞳の理由が分かって、私は胸が苦しくなった。
「それが竜聖の幸せでしょうか?」
私は泣きたくなるのを堪えて口に出した。
目の前のお母さんの目が一瞬揺らぐのが見えた。
「お母さんの言う通りにしようとする竜聖は立派だと思います。でも、それが本当に竜聖の幸せでしょうか?れ…玲子さんは竜聖が友達と笑いあったり、じゃれ合ったりするのを見たことがありますか?」
私は翔君や山本君と中学の頃のように笑い合う吉田君を思い返して告げた。
出会った時からは想像もできなかった満面の笑顔。
これが吉田君の本当の姿だと私は信じていた。
「竜聖のその姿を見たことがないからって何も変わらないわ!桐谷の家で私やお父さんの言う通りにしているのがあの子の幸せよ。」
「そんなの違うっ!!」
私は深く爪が頬に刺さっているのも気にしないで声を荒げた。
「何で分からないんですか!?竜聖を桐谷の家に閉じ込めているのは玲子さんですよ!?竜聖はお母さんの事を本当に大事に思っています。それなのに、その気持ちを利用して、したい事もさせてあげないなんて…親として間違ってる!!」
吐き捨てるように言い切ったとき、私の頬から手が離れて振りかぶるのが目に入った。
そのあと左の頬にパンッという音と共に衝撃が走った。
頬を叩かれた事が分かって、私はお母さんに目を戻すとカッとなって手を振り上げた。
そして振り下ろそうとしたところで、その手を誰かに掴まれた。
「紗英!!何やってる!!」
声から吉田君だと分かって、私はびっくりして振り返った。
吉田君は私とお母さんを交互に見たあとに私の手を引っ張って、病室を出て行こうと足を進めた。
私はまだお母さんに言い足りなくて、後ろを振り返ってお母さんを見ながら病室を後にした。
吉田君はロビーまで私を引っ張ってくると立ち止まって、私を見た。
その顔が険しく歪んでいて、私はすっと目を逸らした。
「紗英、母さんは病人なの分かってるよな?」
「…分かってる。」
私は吉田君が怒ってるのが分かって、ふてくされた。
吉田君はそんな私を見てため息をつくと、飽きれた様に言った。
「昨日のこと腹が立ってるのは分かるよ。俺も母さんがあんな事するなんて思わなくて、驚いたから。それは悪かったと思ってる。でも、あれには理由があったみたいだから、手を上げる事はなかったと思うんだけど――」
「そのことで手を出したわけじゃない。」
私はお母さんの味方についている吉田君に腹が立ってきて、不機嫌なまま言い返した。
「じゃあ、いったい何であんな事しようとしたんだよ?」
「……言いたくない。」
私は自分の口からあんなにひどく自分勝手な事を言いたくなかった。
竜聖が桐谷の家のものだと言われることが腹が立って仕方がない。
「……まあ、何もなかったわけだしいいよ。ただ、紗英はもうここに来ないでくれよ。」
「え…?」
私は来るなと言われて耳を疑った。
吉田君は険しい顔のまま言った。
「母さん、紗英の事…よく思ってないみたいだから、紗英が来ると体に障ると思うんだ。俺もとりあえず母さんが元気になるまでは言う通りにしようと思って、今日から実家にも顔を出すようにしてて…。」
「……継ぐっていうのを本気で考えるってこと…?」
「…そうなるかな。とりあえず、今まで向き合ってこなかったから、これをきっかけに考えようと思ってさ。」
私はさっき聞かされたお母さんの言葉通りになりそうで怖くなった。
実家に関わるという事は、吉田君と一緒にいることができなるという事だ。
昨日の桐谷さんの言葉まで一緒に蘇ってくる。
「ダメだよ!!竜聖は自分のやりたいことをやればいいんだよ!!」
私は吉田君のシャツを掴むと訴えた。
吉田君はそんな私を見下ろしてふっと微笑むと、掴んでいる手に触れてきた。
「これが俺のやりたいことだからいいんだって。ただ、紗英とはなかなか会えなくなるかもしれなくて…いや、なるべく連絡はするけど!そこだけはごめんな?」
ご機嫌を取るように笑いかけてくる吉田君にイラッとして私は手を離した。
「なんでお母さんのためにそこまでできるの!?私には分からない!!」
私は何でもお母さんの言う通りにしてきた吉田君だから、いつかお母さんの言う通りに私からも離れていきそうで胸が痛かった。
「紗英、俺のたった一人の血の繋がった家族なんだ。母さんの力になりたっていうのはそんなにおかしい事か?」
家族という言葉に私はさっきのお母さんと結びつかなかった。
お母さんはお母さんかもしれない。
でも、本当の家族じゃない。
私にはそう見えて、思わず言ってはいけない事を口走りそうになった。
家族だったら首をしめたりしない
あのお母さんからそういうことをされたという記憶が吉田君にはない。
私は顔を掴まれたときに確信した。
このお母さんだから首を絞めたんだと。
今も痛む頬を押さえて、私はお母さん優先の吉田君に苛立ちが募った。
「じゃあ、お母さんだけ大事にしてればいい。」
「え…?」
私は心にもないことを口に出した。
「お母さんが元気になるまで、竜聖には会わない。連絡もしない。」
「な…何言って!!」
私はもうお母さんの話ばかりする吉田君を見ていたくなかった。
私を一番に考えてくれていた吉田君はどこかへ行ってしまった。
そう感じて、胸が痛くて苦しかった。
「会いに来るなって言ったのは竜聖だよ!?なら、私もそうするだけ!勝手にお母さんと家族ごっこでもやってればいいよ。」
「家族ごっこ?いくら紗英だからって、母さんの事そんな風に言うのは我慢できねぇよ。」
吉田君は冷たい目で私を睨んでいて、私は睨み返すと告げた。
「我慢なんかしなくてもいいよ。謝らないから。」
吉田君は私の引かない態度に顔をしかめて歯を食いしばると、私に背を向けた。
「分かった。少し、距離をおこう。……母さんが退院したら連絡する。」
それだけ言い残すと吉田君は病室へと向かって歩いていってしまった。
私はそれを見送ってから涙が零れてきて止まらなかった。
吉田君の態度は一方的で、私の話になんか耳を傾けてくれなかった。
そのことが辛くて胸がひどく傷む。
「…一番だって…言ってたのに…っ。……うそつきっ…。」
私はその場にしゃがみ込むと顔を隠して嗚咽を漏らした。
不穏な空気が流れ始めました。
終わりに向けての大きな山場を迎えていきます。




