4-59幸せでいいのか?
俺はホテルでチェックアウトを済ますと駅に向かって猛ダッシュしていた。
なぜなら紗英とあの男が一緒だというのが分かったからだ。
何で紗英に最初に電話をもらったときに目を覚まさなかったんだ!!
昨夜は色んな事が頭の中を巡って、中々寝付けなかった。
きっとそのせいで目が覚めなかったんだろうが、こんな気持ちになるなら意地でも起きれば良かったと後悔した。
あいつはハッキリと場所を言わなかったが、話していたときの周囲のザワつき具合と薄く聞こえた発車ベルの音で新幹線の発着駅だというのは分かっていた。
幸いその傍のホテルに泊まっていたので、ものの15分ほどで駅へと到着した。
俺は駅構内を走りながら、紗英の姿を探した。
人が多くてどこにいるのか分からない。
俺は改札をくぐることはないと思って、辺りに目を走らせると、ふと喫茶店の前のテーブルに紗英が座っているのを発見した。
良かった…いた…。
俺は額に浮かぶ汗を拭って駆け寄ろうとすると、紗英の向かいにあいつが座っているのが見えて、頭に血が上った。
俺の中から独占欲が顔を出して、欲望のままに紗英を後ろから抱きしめた。
「っへ!?あれ!?りゅ、竜聖っ!?」
紗英は突然俺が現れて驚いたのか、声を裏返しながら俺の名前を呼んだ。
俺の目はまっすぐニヤけた顔をしているあいつに向いていて、その顔にイラついた俺は思わず告げた。
「紗英は俺のだ!!」
俺の腕の中で紗英が息を大きく吸い込んで固まるのが伝わってきた。
目の前のあいつはというと、飽きれた様に笑った後、席を立った。
「マジで挑発にのってくるなんてな。見た目と違ってちっせー奴。」
「何だと!?」
上から目線で吐き捨てた奴にカチンときて声を荒げた。
あいつは荷物を背負うと横目で俺を見て言った。
「ふん。精々仲良くな。」
バカにされたように言ったあいつに奥歯を噛んで耐えていると、あいつは紗英をちらっと見て笑った。
「沼田さん、また話聞いてくれよな。」
話!?そんなもんねぇよ!!
俺は紗英の代わりに言い返そうかと思ったが、紗英は俺の反応とは正反対で「あ、うん。」なんて言ってる始末だ。
一体俺がいなかった間に二人の間に何があったのかと疑いたくなる。
あいつはそれだけ言い残すと、横で流れを見守っていた友人たちと連れ立って改札へと去って行った。
俺はその後ろ姿をじっと睨んで、二度と来るな!と心の中で悪態をついた。
「……えーと…竜聖。そろそろ離してくれないかな…?」
紗英が遠慮がちに声をかけてきて、俺は自分のしている状況に気づいてすばやく紗英を離した。
「わ…悪い。こんな人目のあるとこで…。」
「あ、うん。それはいいんだけど…。その…嬉しかったし…。」
紗英が照れながら言った姿を見て、俺は心臓がドクンと大きく跳ねた。
また抱きしめたくなって、俺は紗英から目を逸らすことで何とか堪えた。
すると紗英は俺の方へ体を向けると、ちらと俺を見上げた。
「じゃ…あ、私たちも東京に帰ろっか。」
「え…あ、うん。」
紗英はふっと微笑むとキャリーケースを手に持って立ち上がった。
俺は本当に早めに帰ってもいいのかと思ったけど、紗英は俺の隣で嬉しそうに笑っていたので、尋ねるのはやめにした。
それから俺たちは東京行きの新幹線に乗り込むと、二人並んで座った。
紗英は窓から外を見て、少し寂しそうな顔をしていて、やっぱりもう少しいたかったんじゃないだろうかと思った。
紗英はそんな俺の視線に気づいたのか、俺に振り返ると微笑んだ。
「なんかこうして並んで新幹線乗ってると、旅行行ったみたいだね。」
「…そうかな?」
「そうだよ!いつか二人で旅行行きたいね。」
紗英がさらっと未来の話をしていて、俺は顔が緩んだ。
二人で旅行か…最高だな…
俺は旅行風景を想像して、いらぬ考えまで浮かんできて頭を振った。
俺、最近こんなんばっかだぞ!自制しろ!!
俺が一人で悶々としていると、紗英が隣で大きく欠伸して目を擦り始めた。
「ねぇ、ちょっと寝ててもいい?昨日、あんまり寝てなくて。」
「え?寝てないって何で?」
俺も寝不足で寝坊したので、もしかしたら紗英も俺と同じように昨日の事を考えて眠れなかったのだろうかと期待してしまった。
紗英は窓の方へコテンと頭を寄せると、目を閉じて呟いた。
「…急に帰ることにしたから…準備してて…それで…寝るのが遅くなっちゃって…・・・。」
最後の方は消え入るように呟いた後、紗英は寝息を立て始めてしまった。
俺のために帰る決断をしてくれた事が俺は嬉しくて、紗英の寝顔を見つめたまま顔がニヤけた。
やっべ…すげー嬉しい…
俺は紗英が愛おしくて、寝てる紗英に顔を寄せて頬にキスしようとしたが、横で咳ばらいが聞こえて振り返った。
そこには「乗車券を拝見します。」と車掌さんが手を差し出していて、俺は恥ずかしさで顔に熱が集まった。
それから切符を取り出すのに時間がかかったのは、俺の動揺っぷりで分かるだろう…。
***
新幹線の中で醜態をさらしてしまった俺は、結局眠り続ける紗英に何もできずに、自分の考えなしな行動をひたすら後悔し続けた。
そうこうしている内に新幹線はあっという間に東京駅に到着し、俺は紗英を起こして紗英の荷物を持って新幹線から降りた。
紗英はまだ頭がはっきりしないのか、ぼーっとした顔で俺の後ろをついてくる。
「紗英。とりあえず家に送るよ。荷物あるし、タクシーで帰ろう。」
俺がそう言うと、紗英は寝惚け眼を見開いて、慌てて首を振った。
「待って!私、まだ家には帰らないから!」
「え…?」
紗英は意を決したように俺に詰め寄ってきた。
俺はこんな真剣な紗英の顔を久しぶりに見たので、じっと紗英を見つめた。
「せっかく早めに帰ってきたのに…。もう離れるとかイヤだ…。」
紗英は少し潤んだ瞳で俯いて、俺はそんな紗英に胸の奥がギュンと苦しくなった。
え…離れたくないとか…これ…ゲームのボーナスステージみたいなんだけど!
なにこれ…連れて帰ってもいいのか!?いいんだよな!?
俺は自分の中で自問自答を繰り返してから、勇気を出して訊いてみた。
「…じゃ…あさ、俺ん家…来る?」
紗英は顔を上げて俺を見つめた後、少し頬を染めながら頷いた。
「…行く。」
俺は恥じらっている紗英を見て、心臓が爆発するかと思った。
何だこれ!!何なんだ!!
今までにない反応に、俺は体が緊張してきた。
昼間っからこんな状態ってダメだろ!!
俺は手に汗を握ってきて、やらしい考えを吹き飛ばそうと紗英から目を背けて歩き始めた。
「じゃ、一緒に帰ろ。」
俺の精一杯の言葉が出た。
でも紗英はその言葉が嬉しかったのか、俺の隣に駆け寄ってくるといつもと同じ笑顔を向けた。
そんな紗英がまっすぐ見れなくて、俺は胸の中で高まっていく期待を抑え込むのにいっぱいいっぱいだった。
***
俺は家に帰る道中も心臓がずっと高鳴っていて、自分はここで死ぬんじゃないだろうかと思った。
それぐらい息も苦しいし、紗英ばかり見る自分は異常だった。
紗英はというと何も考えてないのか、それとも俺と同じ期待を背負ってるのか分からない笑顔のままだった。
そして俺のマンションに着いた俺たちは、タクシーを降りると荷物を下ろしてから、エレベーターに乗って俺の部屋へ向かった。
その間も俺は本当にいいのかどうかだけをずっと悶々と考え続けていた。
もう一回拒絶されたら、今度は立ち直れない気がする。
俺はこの状況に浮かれずに冷静になろうと自分を戒めた。
紗英も同じ気持ちなら何かサインが出るはずだ。
俺は紗英を観察することを心に決めて、部屋の扉を開けた。
紗英は荷物を持って中に入ると、嬉しそうに俺に振り返った。
「ここに来るの二回目!相変わらず綺麗にしてるよね。」
「あ、あぁ。うん。なるべく元の場所に物は戻すようにしてるから…。」
「へぇ…えらいね~…。」
紗英は部屋を見回しながら歩き回っている。
俺は玄関の棚に鍵を置くと、靴を脱いで中に入った。
俺の部屋で紗英と二人っきりというのは初めての事で、変に緊張する。
俺は平常心を心掛けて台所に行くと、まず自分がお茶をがぶ飲みした。
色々考え過ぎて喉が渇いていたからだ。
それから紗英にもお茶を持っていった。
すると紗英が部屋の散策をやめて、俺に振り返った。
「ねぇ、私、しばらくここにいてもいい?」
紗英の言葉に俺は持っていたお茶を落としそうになった。
焦ってテーブルにお茶を置くと、目を見開いて紗英を見つめた。
紗英は何食わぬ顔で微笑んでいる。
「へ!?しばらくって…いつまで?」
俺は信じられなくて、収まっていたはずの心臓がドクドクと早鐘を打ち始める。
紗英は顔をしかめて考えたあと、俺に近付いてきて言った。
「早く帰ってきちゃったから…今日合わせて三日、何も予定がないんだよね。だから、その間だけ。ダメかな?」
三日も紗英と暮らす…?
こんな夢みたいな話、断るわけがなかった。
俺は全力で頷くと顔がニヤけそうになるのを堪えて言った。
「いい!!いいよ!!何日でも泊ってくれよ!」
「良かった。じゃあ、三日間だけ。お世話になります。」
紗英は嬉しそうにペコリと頭を下げて、俺は「こちらこそ!」と声のトーンを上げて答えた。
それから紗英が晩御飯を作りたいと言うので、一緒に近くのスーパーへ買い出しに行くことになった。
一緒に家を出て、買い物に行くなんて新婚みたいで、俺は家を出てからずっと顔が緩みっぱなしだった。
俺…こんな幸せでいいんだろうか?
後で反動がきたりしないよな?
俺は幸せ慣れをしてないだけに、色々と後ろ向きな事を考えそうになったが、こんな事を考えると今の幸せまでなくなりそうだったので、考えるのをやめることにした。
「ねぇ、何作ろっか?」
紗英がスーパーで野菜を見ながら尋ねてきた。
俺は今の状況が夢のようでふわふわしていたので、少し反応が遅れた。
「あー…。うん。俺は何でも食べるけど。」
「う~ん。そういうのが一番困るんだけどなぁ…。ま、いっか。じゃ定番でカレーにしよう。」
紗英は安売りしていたじゃがいもをカゴに入れると、ニンジンと玉ねぎも順にカゴへ放り込んだ。
それを見てカゴが重そうな事に気づいて、カゴを紗英から奪うように持った。
すると紗英が「ありがとう」と言って笑った。
俺は何気なくスーパーのお客さんに目を向けて、紗英の後ろをついて行くとある主婦の井戸端会議が耳に入ってきた。
「素敵な新婚さんねぇ~。」
「本当、私にもあんなときがあったわ~。今じゃ全然だけど!」
「分かる!!あーいうのは若い間だけよねぇ。」
俺はその話が気になって声のした方を向くと、4、50代の主婦の方々がこっちを見ていて思わず目を逸らした。
新婚さんって…俺らのことか…?
周りからはそう見えると分かって、俺は顔に熱が集まっていった。
やっべ…自分で思うのと違って、他人に言われると照れる。
俺は熱の引かない顔を隠そうと下を向いたとき、前から声がかかった。
「わ!顔真っ赤だけど。風邪?大丈夫?」
紗英が俺の顔を覗き込んできて、さらに熱が上がる。
俺は紗英の肩を掴んで、前に向き直すと背中を押して言った。
「大丈夫、大丈夫!ただ暑いだけだからさ!アイス買って帰ろう!!」
「え~本当に?体調悪いなら言ってね?カレーじゃなくて違うもの作るから。」
「分かった。本当、大丈夫だから行こ!!」
俺が急いでその場から立ち去ろうとするときに、また主婦の方々の声が聞こえてきた。
「いいわね~!幸せいっぱいって感じ!」
「肩掴んじゃって、女の子が羨ましいわぁ~。」
「うちの息子もいつかああなるのかしらねぇ~。」
注目の的になっていることに耐えられずに、俺はさらに身を縮めて赤くなった。
気疲れのする買い物から帰って来た俺は、食材を台所に置くと、リビングのソファに倒れ込んだ。
スーパーはダメだ…人目があり過ぎる…
俺はさっきの主婦の方々の言葉を思い出しては顔の熱が引かなかった。
紗英は気づいてないのか、平然とした顔で台所に向かっていて、俺は寝転んだままその姿を見つめる。
そうか…結婚したら…こんな毎日になるんだよなぁ…
俺は食材を出しながら、料理に取り組む紗英の背を見つめてそう思った。
今まで口では結婚したいとか言い続けていたが、本格的に想像したことなんかなかった。
それだけにこの日の体験はすごく貴重で、これからの事を考えるにはもってこいのきっかけだった。
新婚っぽい二人でした。
次は少し色っぽい展開になります。
苦手な方はご注意ください。




