4-53宇佐美 麻里
宇佐美麻里視点です。
私は大量の書類の山を抱えて、桐谷譲太郎氏の部屋のドアをノックした。
すると鴫原さんが扉を開けて、私を中へ促してくれた。
「おお、麻里か。調べ物は順調か?」
譲太郎氏は団扇で自分を仰ぎながら、私に鋭い視線を向けた。
「はい。竜聖の交友関係に関しては、もうすべて調べ終わりました。」
「はっはっは。そうか。お前の竜聖に関しての情報収集能力は目を見張るものがあるな。それも幼少の頃からのクセか?」
「…御冗談を。あくまで私の知っていることに聴き込んだ情報をプラスしているだけですよ。」
「まぁ、それでもいい。話せ。」
私は上からの物言いの譲太郎氏を一瞥してから、ファイルを開いて調べたことを口にした。
「一番知りたがっておられました、沼田紗英さんの事ですが、彼女は竜聖とは深い繋がりがある女性です。」
「ほう?この一カ月付き合っていると聞いているが、もっと過去からということか?」
「はい。最初の出会いは中学の頃になります。その頃から二人は心の中で想いあっていました。これは私が近くで見ていたので間違いありません。そして一度はちょっとした行き違いで距離の空いたものの、高校のときには付き合うまでに関係を修復しています。」
私がずっと観察し続けてきた事を口にすると、譲太郎氏は鋭い目をさらに細めた。
その表情から良く思っていないのが見て取れた。
「……中学か…えらく昔だな。10年ぐらい前だろう?」
「はい。記憶のない竜聖が彼女に気を許したのは、そのときの深層心理が働いたからではないかと思います。」
私は沼田さんと竜聖の関係を口に出しながら、心の底では悔しさでどす黒いものが溢れかえっていた。
竜聖が記憶を失ったことで、やっと私にも運気が回ってきたと思ってこの五年努力してきたのに、彼女はあっという間にこの五年を飛び越えてきた。
竜聖を奪われた嫉妬でどうにかなりそうだ。
「麻里。お前もご立腹のようだな。余程沼田紗英という女が気に入らないと見える。」
譲太郎氏に見透かされて、私は焦って視線を逸らすと少し頭を下げた。
「…すみません。私情を挟みました。」
「いや、いい。お前の竜聖への執着心をかったのは私だ。あいつがその沼田紗英という女性に執心しているように、お前も長い間あいつだけだったのだろう。」
竜聖には一度も伝わったことのない気持ちを譲太郎氏は見透かして、あえてそれを利用してくる。
私はこんな男と関わるのは嫌だったが、竜聖と一緒になるためなら何を言われても耐えるつもりだった。
譲太郎氏は鴫原に飲み物を持ってこさせると、ふうと一息ついてから口を開いた。
「安心しろ。あいつに好き勝手させるのは今の内だけだ。いずれあいつにも分かるときがくる。ここしか帰る場所はないとな。そうなればイヤだとぬかしていても、跡継ぎになるのをあっちから頼んでくることだろう。」
譲太郎氏は竜聖のどこを見てそう確信しているのか分からなかったけれど、自信満々な出で立ちから何かを見抜いているように見えた。
私は持っていたファイルを閉じると、譲太郎氏の目の前に置いてから元の場所に戻った。
「詳しい事はここにすべて記入してあります。お暇なときにでもご覧ください。」
「おう。調べものご苦労だったな。」
譲太郎氏にしては珍しく労いの言葉が出て驚いた。
私はその言葉に軽く会釈すると、じっと譲太郎氏の様子を伺った。
すると鴫原が電話がかかってきたようで、一旦部屋を出ていってしまった。
それを横目で見ていると譲太郎氏がおもむろに口を開いた。
「麻里。お前は竜聖と一緒になりたいのか?」
譲太郎氏の言葉に私は驚いて表情に出そうだったが、何とか堪えるとまっすぐに譲太郎氏の目を見て答えた。
「…個人的な感情を言ってもいいのでしたら別ですが、秘書の身分でそこまでの事は期待しておりません。」
私は本心を隠して、譲太郎氏に受けの良い言い回しで答えた。
「はっはっはっ!お前は賢い女だな!竜聖と違って野心を持っているのに、それを表に出さないとは!あの腑抜けにはお前ぐらい上昇志向のある女の方があってるかもしれんな!!」
譲太郎氏は私の本心を見抜いた上で、受け入れてくれたようだった。
私は上手くいった事に心の中でほくそ笑んだ。
そのとき扉が開いて、鴫原が戻ってくると口を開いた。
「竜聖さんから呼び出されましたので、少し出てきます。」
「ふん。変な所で勘でも働いたか。」
譲太郎氏は竜聖の心の中を見透かしているのか、パンと膝を手で叩くと鴫原に目を向けた。
「鴫原。あいつに何を聞かれても適当に流しておけよ。それっぽい本当の事で誤魔化せば簡単に信じるからな。」
「分かりました。では、少しの間だけ失礼いたします。」
鴫原は丁寧に頭を下げると扉を閉めて出ていってしまった。
私はその姿を見て、自分もお暇しようと口を開いた。
「では、報告も終わりましたので、ここで失礼いたします。」
「ああ、ご苦労だった。また、盆が明けたら鴫原から連絡を入れる。」
「了解しました。」
私が背を向けて部屋を出ようとすると、譲太郎氏が声をあげて引き留めてきた。
「あ、くれぐれもお前は動くんじゃねぇよ?特に調べた人物には接触するな。分かってるな?」
私は自分のしようとしていた事を見透かされドキッとしたけど、平然を装うと「分かっています。」と返事をしてから、部屋を後にした。
部屋を出てから、私は緊張からかドッと脱力感に襲われた。
あの親父…本当に手強い…
私の本心もどこまで見抜いているのか分からない…
私は気持ちを整えるとスッと前を見据えて、玄関に向けて足を進めた。
すると客間の扉が少し開いているのが目に入って、何となく中に目を向けた。
すると竜聖のお母さんの玲子さんがへたりこんでいるのが暗がりの室内に見えた。
私は引き戸を少し開けてから、玲子さんに声をかけた。
「玲子さん。ご気分が優れないのですか?」
玲子さんは私に暗く光のない目を向けると、目から涙を溢れさせた。
私はその反応に驚いて、慌てて玲子さんに駆け寄った。
そして彼女の背に手をおいてみて、服の上からでも分かる細さに驚いた。
「れ、玲子さん。どうされたんですか…?」
私は彼女を落ち着かせようと、背を撫でながら顔を覗きこんで尋ねた。
すると玲子さんは両手で顔を覆いながら、独り言のように言葉を発した。
「また、やってしまった…あんなに後悔したのに…またあの子に同じことをしてしまうなんて…。…もうダメよ…。…私はあの子に嫌われてしまった……もう、生きている意味なんてないわ……。」
玲子さんは何を後悔しているのか、泣き止む気配がない。
私はあの子というのが竜聖の事だというのは分かったけれど、生きている意味がないと言うほどの事とは…一体竜聖に何をしたのだろうかと思った。
さっき会った竜聖は普通だったので、私はその事を話して安心させようと口を開いた。
「玲子さん。何があったかは分かりませんが、竜聖はあなたを嫌ったりはしませんよ。さっき玄関で竜聖と会いましたが、いつもと変わりありませんでしたし…。」
「それ、本当なの?」
玲子さんはすがるように私の腕に触れると、涙に濡れた顔を上げた。
私はしっかりと頷くと笑顔を作った。
「はい。私と竜聖の関係をご存知でしょう?嘘は言いませんよ。」
「そう…そうよね。麻里ちゃんがそう言ってくれるなら、そうかもしれないわね…。取り乱してごめんなさい。」
玲子さんは涙を手で拭うと、優しく笑顔を見せてくれた。
私はほっと一安心して、その笑顔に答えるようにもう一度頷いた。
「まーた、あいつの事かよ。この家の奴はあいつの事ばかりで嫌になるね。」
背後からトーンの低いふて腐れた声が聞こえて、私は咄嗟に振り返った。
すると廊下からこっちを覗くように竜聖の義理の弟である猛が立ち止まっていた。
猛は黒縁メガネの奥の瞳を細めると、顔をしかめて告げた。
「母さんもさ、いちいちあいつの事で泣いてばかりいるなよな。あいつが出て行ってから飯も碌に食ってないし、見てるこっちが心配になるんだけど。いい加減にしろよ。」
「ご、ごめんなさい。猛。もう泣いたりしないわ。」
玲子さんは猛の顔色を伺うように立ち上がると、私の横を通り過ぎて廊下にいる猛に近付いた。
猛はそれを見て少し表情を和らげると、玲子さんから顔を背けて言った。
「母さんが辛いんじゃないかと思って言っただけだ。謝らなくてもいい。」
「猛は本当に優しい子ね。ありがとう。」
「別に…いいよ。家族なんだからさ。」
少し照れている猛を見て、私は目を細めた。
このマザコンめ…母親にデレデレするとか気持ち悪いから。
私は胸の奥が気持ち悪くなるのを抑え込んで立ち上がると、猛を蔑むように見つめた。
するとあいつはこっちに気づいて、いつもの堅物の表情に戻った。
「とりあえず、あいつはこの家を出た人間なんだから、放っておけばいいんだよ。継がないとか反抗すんのだって、父さんと母さんがあいつに構いすぎるからだよ。分かんねぇの?」
「…あの子…継がないなんて言ってるの?」
「え…?母さん知らなかったの?」
猛の言葉に玲子さんは肩を震わせ始めた。
私は竜聖が家を出ただけで、その理由には気づいていたのだが…
玲子さんは何も分かってなかったようで声を震わせながら言った。
「ど…どうして…、あの子…今までそんな事口にしたこともなかったじゃない!?」
「…そう…かな?結構態度で丸分かりだと思ってたけど…。あいつ親父の事大嫌いじゃん?」
「…そん…な。大嫌いなんて…ない…あり得ないわ…。あの子今までお父さんの言う通りにしてきていたじゃない?どうして!?」
玲子さんは明らかに取り乱し始めて、猛が今にも崩れ落ちそうな玲子さんの体を支えた。
私はそんな玲子さんを見て、疑問が頭を過っていった。
…玲子さんは竜聖の何を見てきたんだろう…?
実の母親なのに、竜聖の外側ばかり見ていて、内面を理解してないように見えてきて、私は気持ち悪くなってきた。
玲子さんは猛の服を掴んで、私をちらっと横目で見てきて、私は自分の思った事が伝わっただろうかとビクついた。
「母さん、あいつの事考え過ぎだって。一旦休もう。」
猛が玲子さんの体調を気遣って、自室へと連れて行こうと歩みを進めた。
玲子さんと猛の姿が引き戸の向こうに消えて、私はビクついていた気持ちが少し落ち着いた。
そしていつの間にか手に汗を握っていた私は、廊下に出ると二人の消えた方向を見据えた。
宇佐美がどう過ごしてきたのかを少し明かしました。
今後、たびたび絡む予定です。




