2-10修学旅行Ⅰ
お盆の週も明け、野球部の練習が再開した。
修学旅行まであと二週間。
俺は竜聖に会ったあの日以来、紗英と会えていなかった。
竜聖と別れたあと、紗英はいつも通り笑っていた。
以前会ったときと違う反応に少し戸惑ったが、
見る限り平気そうだったのであえて大丈夫かとは聞かなかった。
ただ、ずっと俺のところに顔を出さないのは何でなのか…
それだけが気になっていた。
陰では傷ついて泣いているんじゃないだろうか
強がりの紗英だからそれもあるかと考えていた。
お盆休みに無理してでも会いにいけば良かったと後悔した。
お盆休みは毎年母の実家に帰るのが本郷家のきまり事になっていたので
俺も無理やり母の実家に連れていかれていて、帰ってきたのは練習が始まる前の日だった。
帰ってきた日に家に行けば会えたかな…と考え、やめた。
女の子の家に訪ねに行くなんて、男子高校生の心臓に悪い。
そして練習後、考え事をしていたからか監督にしこたま怒られた。
まだ耳に残る怒鳴り声に顔をしかめて、部室へ行くと部員達は帰ってしまって誰も残っていなかった。
薄情なやつらだ…
待っていてくれてもいいのにと思いながら、
着替えると自分のロッカーに入っている袋に目が留まった。
竜聖に会った日、帰りに慌てて買いにいった野球帽だ。
帽子をかぶってなかった紗英に渡そうと思っていたのだが、
竜聖に会ったことで忘れてしまい、今度会ったときに渡せるようにここに持ってきていた。
俺はそれを手にとると持って帰ることにした。
部室を出て、まっすぐ校門に向かう。
夕焼けの日差しが目に入り痛かった。着替えたのにムシムシとした暑さに汗が滲む。
ガサガサと音を立てる袋を握り返して、校門を出たときそこに座りこんでいる紗英を見つけた。
「紗英。」
紗英は座り込んで本を読んでいた。
彼女は俺の声に反応して顔を上げると、本を鞄の中にしまった。
そして立ち上がると「お疲れ。」と言って笑った。
突然のことに俺は足が動かなかった。
「翔君、遅かったね。他の部員の人たちとっくに帰っちゃったよ。
あ、私は会ってないからね!私服見せたくないとか言ってたし、隠れてたから!!」
必死に弁解する彼女を見て、彼女が俺に会いに来ない理由がわかった。
俺が嫌がると思って来るのを避けていたようだ。
私服を他の奴に見せたくないという俺の言葉を律儀に守って…
すると紗英は俺に向かって手のひらを見せてきた。
「見て!治ったよ。」
そういえば差し入れに来てくれた日、俺は怒って手当てしたっけと思い出した。
もしかして…これも…?
怪我が治らないと、また俺が気にするとか思ってたとか…?
「荷物持てるから、貸して?」
そしてそのまま手を差し出してくる。
俺は彼女の勢いに負けて渡しそうになったが、寸でのところでひっこめた。
「いや、平気だから!」
それだけ言うと、何だか気まずくなってしまい
紛らわすように駅に向かって歩き出した。
彼女は追いかけてきて、横に並ぶ。
何も言わずにまっすぐ前を見る彼女を横目に見ては、前を向いた。
それを繰り返しながら、なぜ紗英は今日ここに来たんだろうと思った。
息を吸い込んで、思い切って聞いてみる。
「紗英。何で…俺のこと待ってたんだ?」
「何でって…しばらく会ってなかったし、
きっと翔君の事だから気にしてるんじゃないかと思って。」
「吉田君のことで。」とこっちを向いて言う紗英を見て、目をそらした。
図星だ。そのことで考えすぎて監督にも怒られた。
「まぁ、ただ会いたかったってのもあるんだけどね。」
楽しそうに笑う紗英を見て、俺の心臓がドクンと跳ねた。
会いたかったなんて今まで言われたことがあっただろうか…
何だか最近の紗英は無防備で俺の心臓に良くない。
心を落ち着かせるためにふーっと息をつくと、
ふと手に持っている荷物に気が付いた。
俺はガサガサと袋から帽子を出すと、紗英の頭にかぶせた。
「わっ!!」
紗英はかぶせた瞬間ふらついていたが、帽子を手で持つと俺を見上げた。
「あげる。この間暑そうだったし、修学旅行もあるから使ってよ。」
「いいの?」
俺が頷くと、紗英は嬉しそうに頬を染めて笑った。
「ありがとう」の言葉を聞きながら、俺は心の中でガッツポーズを作った。
前見たときも思ったが、紗英と野球帽の組み合わせは最高だ。
駅までの道、俺はにやにや笑いが止まらなかった。
***
それから紗英は練習を見に来ることなく、夏休みが終わった。
始業式の次の日からは修学旅行だ。
俺は紗英と一緒に回れるのをすごく楽しみにしていた。
前の晩は練習で疲れているはずなのに、全然寝付けなかった。
しかし朝はばっちり目が覚めた。
毎日の朝練に感謝した。
そして朝ごはんをかけこむと、紗英を迎えに行こうと家を飛び出した。
さすがに家の前では待てないので、
以前待っていたことのある曲がり角で電信柱にもたれかかった。
わくわくしながら待っていると、大きなリュックを背負った紗英がヨロヨロと歩いてきた。
紗英は俺をみて驚いていたが、笑顔で走ってきた。
足取りが危ない。
「おはよっ!」
息をきらせた紗英を見ると、背中のリュックに俺のあげた野球帽がくっついていた。
ただそれだけのことが嬉しかった。
「おはよ。今日晴れて良かったな。」
俺が歩きながら言うと、紗英は頷いた。
やっぱり足取りが危ない。
俺は紗英のリュック取っ手を持って、少し持ち上げた。
すると思いのほか重かった。
「これ、何が入ってんの?」
俺が尋ねると、紗英は「女子には色々あるの。」と返されてしまった。
そのあとは、学校に着くまで紗英のリュックを持ち上げたり下げたりしながら
からかっては怒られるを繰り返していた。
学校に着くと大半の生徒は集まっていた。
俺たちは分かれてクラス別のバスに乗り込んだ。
バスの中には圭祐や哲史がすでに座っていた。
圭祐に呼ばれて、隣の席に座った。
すると肩を組んでグイッと引き寄せられた。
「おい、あの子と良い雰囲気で登校してきたな~」
「俺も見てたぞ~」
後ろから哲史までからかってくる。
俺は圭祐の鳩尾にグーでパンチすると、そっぽを向いた。
横で圭祐が腹を抱えてうずくまった。
哲史が「ひでーひでー」と頭上で言っていたが、無視した。
そんなこんなしてるうちに人数が揃ったのか、バスが出発した。
目的地の京都に向かって。
京都には昼過ぎに到着した。
京都駅に下ろされた俺たちは班別に分かれ各自昼をとり、
それぞれの班別プランで観光した後、
ここ京都駅のホテルへ午後5時に戻ってくるよう指示された。
俺の班は圭祐に哲史、そして同じ野球部員の小野大地を加えた4人班だ。
大地は俺よりも背が高く細身で無口。ぼーっとしてることも多い奴だ。
でもいざというときには気の付く奴なので、哲史のお守り役として同じ班になってもらった。
先生が「解散!」と言うと、俺は班の皆と紗英たちの班を探した。
以前約束で一緒に回ることになっていたからだ。
探していたのは向こうも同じだったようで、すぐ合流できた。
紗英の班のメンバーは、以前約束したときにいたふわふわした感じの女子、確か山森さんだ!
とメガネをかけた真面目そうな女子。それにずっと下を向いている女子の4人だった。
紗英の紹介によると、メガネの子が織田佳織さんで下を向いているのは吉岡美優さんだそうだ。
ふわふわの女子は山森涼華さんだった。ナイス記憶力。
こうして音楽科の子達と接してみると中々個性的だった。
まずメガネの織田さんは笑顔が怖い。
きっと本人的には好意的に笑っているのだろうが、ぎこちなさ過ぎて見てて痛い。
下を向いたまんまの吉岡さんは声が小さい。
恥ずかしいからだと思うのだが、ずっとモジモジしている。
そして一番強烈なのが山森さんだ。
見た目はふわふわしていて優しそうなのに、何かを決める際有無を言わせぬ迫力がある。
私が決めたんだから、良いよね?
と心の声が聞こえてきそうだった。
紗英はそんなメンバーを初めて見たのか戸惑っていたが、
悪い雰囲気にならないように必死に場を盛り上げていた。
俺の仲間たちはというと、やはり接しにくいようで薄ら笑いを浮かべている。
また事あるごとに紗英に話しかけては助言をもらっているようだった。
俺もフォローしなければと、場の盛り上げ役を買って出て後悔することになった。
***
「はぁ~~~~。」
俺はホテルの部屋に戻ると大きくため息をついた。
それは仲間たちも同じようで、各々ベッドに座ったり寝転んだりしていた。
誰も口を開かないのがその証拠だった。
俺たちの部屋はベッドが二つに和室がついており、和室に二人寝られるようになっていた。
一人一番体力のありそうな圭祐が荷物を和室に置いて、口を開いた。
「なんだかすごい子達だったな。」
圭祐の言葉にそれぞれ元気が戻ってきたのか、口々に言い始めた。
「織田さんだっけ、メガネの。すっごい見てくるのはいいんだけど、
正直見られすぎて怖かった。それにあの笑顔…」
思い出したのか哲史が頭を抱えた。
確かに織田さんは哲史を気に入ったのか、やたらと横にくっついたまま離れなかった。
「見られてるだけならまだいいよ。俺、吉岡さんに気を遣いすぎて疲れた。
あの子何も言わないし、しゃべっても声小さいし…横にいられたら話しかけずにはいられなくて…」
あまり文句の言わない大地がしかめっ面で話しているのを見て
相当疲れたことが分かった。
俺なんか吉岡さんと話した記憶がない。
「お前らまだいいよ!俺なんか山森さんの自慢話オンパレードだったんだぞ!
話している間、ずっとすごいしか言ってない!」
最後に圭祐が拳を握りしめて力説した。
ははは…確かに、話している圭祐の顔ひきつってたかも…
そして皆そろってため息をつくと、一斉に俺を見た。
なんだ?と首を傾げると、圭祐がこっちを睨んで言った。
「お前はいいよな~。事あるごとに彼女と良い雰囲気になりやがって!!」
言い終えると圭祐が俺を羽交い絞めにしに来た。
哲史や大地もそれに倣う。
「いででででっ!!やめろ!!俺、盛り上げ役やってただろーが!!」
バンバンと床を叩いて反抗する。
紗英と良い雰囲気なんてなってた記憶がない。
必死に会話をふったりして頑張ったはずだ。
「俺、やっぱり沼田さんが一番話しやすかった。」
大地がポツリと言うと、圭祐の力が弱まってほっとした。
すると圭祐も哲史も頷いた。
「そうだよな。会話に困ってたら、いつの間にか横にいて…
俺の野球頑張ってる事とか笑顔で褒めてくれたり…」
心なしか圭祐の顔が赤い。
「うんうん。俺も…よく話したことないのに、会話が面白いって横で笑ってくれて…」
哲史の耳が赤くなってきた。
なんだこれ…?
嫌な予感が…
「わーーーーーっ!!!」
俺は叫ぶと圭祐を押しのけて立ち上がった。
そして皆を指さして言った。
「何言ってんの!?お前ら!!
紗英じゃなくて!音楽科の子達と仲良くなるんだろ!!」
皆が俺を睨んでくる。
やばい…
圭祐が最初に立ち上がると、俺に掴みかかってきた。
後から大地、哲史に囲まれる。
「お前ずるいんだよ!!自分ばっかり!
明日は俺だって真っ向勝負で行かせてもらうからな!!」
「は!?」
「先に出会ったのがお前だろーと、
俺たちにだって会話ぐらいしてもいいはずだ!」
「ま、せいぜい明日は頑張れよ。」
な、なんだ…
俺にそそがれる挑発的な視線の中、叫んだ。
「いやだぁーーーーーーーー!!!」
そのあと先生が部屋にやってきて、お説教をくらったのは言うまでもない。
読んでいただきありがとうございます!
修学旅行編です。
急に登場人物が増えました。




