4-37紗英のお兄さん
ペンションの掃除を終えたのは夕方になってからだった。
俺たちが草むしりとペンションの外側の清掃を終えて、ペンションの中に入ると女性陣がソファや椅子に座り込んで項垂れていた。
唯一颯太の妹だけが、手を振って元気に駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん!外も終わったの?」
「あぁ。終わったんだけど…みんなどうしたわけ?」
颯太が部屋の中を見渡して尋ねた。
「なんかお掃除で疲れたみたいで~…。みなさん相当おばさんなのかも~?」
「「おばさん!?」」
颯太の妹の言葉に項垂れていた浜口さんと竜也の同僚の…城田さん?が声を上げた。
二人は颯太の妹に詰め寄ると目を吊り上げて怒っている。
「大学生の小娘におばさんなんて言われたくない!!」
「そうだよ!!私たちは昨日も仕事だったから疲れるの当たり前じゃん!!夏休みのある学生に言われる筋合いはない!!」
小娘って…俺は可愛らしい印象だった城田さんの印象が変わった。
城田さんは失言だったのか、ハッと我に返ると笑顔を浮かべて取り繕いだした。
「わ…私ってか弱いから、すぐ疲れちゃうんですよ~。元気な学生さんが羨ましい~…。」
俺は主に竜也目線で言い訳をする城田さんを見て、裏表のあるタイプだと悟った。
竜也もバカな奴ではないので、すべて分かった上で「へえ。」と言って笑っている。
言われた本人である颯太の妹は「何この人たちー!」と不服そうに颯太にすり寄っている。
俺はそんな一団から離れて紗英の元へ向かった。
紗英はソファに横になって眠っていた。
余程掃除が疲れたらしい。
俺は寝てる紗英の横に腰を下ろすと、顔にかかってる髪をよけてあげた。
スースーと一定のリズムの寝息が聞こえていて、熟睡しているのが見て取れた。
「沼田さん、すごくはりきって一番動いてたんですよ。」
上から声をかけられて見上げると、紗英の同僚の村井さんが俺を見下ろしていた。
「そっか…。何でも全力なんだな…紗英は。」
俺がキリキリと働く紗英を想像して微笑むと、紗英が唸って寝返りを打った。
寝返りを打った拍子にシャツが捲り上がるのが分かって、思わず引っ張って下げる。
紗英は変に抜けてることがあるから焦る。
「ふふっ。本当に沼田さんの事、大好きなんですね。」
俺の行動を見てか村井さんらしくない言葉が飛び出して驚いた。
もっと固いイメージだったので、色恋には興味がないのかと思っていた。
俺はクスクスと笑ってる彼女に向かって言った。
「好きじゃなきゃ付き合ったりしないよ。」
村井さんは俺の言葉に驚いたのか目をパチクリさせたあと、少し切なそうに笑った。
「…ですよね。沼田さんが羨ましい…。」
「え…?」
羨ましいと言った言葉の意味が分からなくて彼女を見つめていたが、彼女は笑顔だけを残してまだ騒いでいる一団に向かって歩いていってしまった。
何だったんだろう…?
颯太と上手くいってないんだろうか?
俺は以前感じた彼女の恋心を思って、村井さんの背中を見つめた。
「…あれ…竜聖?」
紗英が目を覚ましたのか、声がかかって俺は紗英に目を戻した。
紗英は目を擦りながら起き上がると、開ききってない瞳で俺を見た。
「お疲れ、紗英。今日、すごい働いたんだってな?」
「あー…うん。…ちょっと考え事を吹き飛ばしたくて、我武者羅に…。」
「考え事って…何考えてたんだ?」
俺の質問に紗英は寝ぼけてた目を完全に覚醒させると、焦りながら首を横に振った。
「な…何もない!!何でもないよ!!ホントにつまらない事だから!!」
紗英が全力で隠してくるので、俺は追及するのはやめてとりあえず頷いておくことにした。
すると紗英は明らかにホッとしたあと、グシャグシャになった髪をほどいている。
長い髪が首筋にかかっていて、ちょっとした色気にドキッとした。
紗英は気にもしてないようで「絡まってる…。」とブツブツ言いながら髪をくくり直している。
俺は変な感情が湧き上がらないように目線を逸らして、無駄に目を泳がせる。
するとそこへ翔平がニヤニヤ笑いながらやって来た。
「晩御飯なんだけどさ~今日は宅配でいいかだってさ!二人はそれでいい?」
俺は気持ち悪い翔平の顔を睨むと「俺はいいよ。」と返した。
すると紗英が俺の腕を支えにして翔平に顔を覗かせると「私も!」と声を上げた。
俺はそんな何気ない接触にもドキドキしていて、自分という人間がいかに煩悩まみれか身に染みる。
翔平は「了解!」というと颯太の所に報告しに戻ってしまった。
また二人きりにさせられて、俺はちらっと横目で紗英を見ると、紗英はその視線に気づいてこっちに目を向けた。
「どうしたの?私、何か変?」
「や…そういうわけじゃなくて…。」
俺は自分の欲を伝えてもいいかと悩んで、紗英を見つめるが、紗英はいつも通り微笑んでいて何も分かってなさそうだった。
俺はそれを見てから周りに目を向けると、向こうの一団はこっちに何も意識を向けてないのが分かって、紗英に向き直って告げた。
「…紗英。…キスしよ?」
「……え…?」
紗英はワンテンポ遅れて反応すると、恥ずかしそうに俯いた後少し考えてから、辺りをキョロキョロと見回した。
そしてソファの上で正座すると言った。
「いいよ。」
俺は周囲を確認する紗英が可愛くて笑みが漏れると、「じゃあ、遠慮なく。」と言って顔を近づけて紗英の唇に触れた。
紗英はキスにも慣れてきたのか、以前ほど無駄に反応することもなくなった。
それを知ってるのが俺だけだと分かってるだけに、自然と嬉しくなって頬が緩む。
俺は一回じゃ足りなかったので、何回か求めてると息が荒くなってきてるのが分かって思わず、以前拒否された深いキスを紗英にしてしまった。
紗英は一瞬顔をしかめたけれど、以前のように抵抗しなくてそれが俺の気持ちを昂らせた。
紗英…大好きだ…
俺が紗英に溺れていると、紗英が動きを止めて強張ったのが分かって俺は紗英から離れた。
「お熱いねぇ~お二人さん?」
後ろから声がして、俺は一気に我に返った。
紗英は手で顔を覆って、真っ赤になって俺の背後を見つめている。
俺は緊張で息が浅くなりながら振り返ると、メンバーが勢ぞろいでこっちを見ていて目を見張った。
「りゅうせい…一度ならず…二度までも…。」
「お前ぇ…この俺様の目の前でよくも…!!俺の妹に手を出したなーっ!!!」
翔平と紗英のお兄さんが俺をすごい形相で睨んでいて、俺は肝が冷えていくのを感じた。
「なっ!?」
俺はお兄さんに羽交い絞めにされ、翔平には掴みかかられて言い訳が言えなくなった。
すると紗英が慌てて俺を羽交い絞めにしているお兄さんに詰め寄った。
「お兄ちゃん!!やめてよ!竜聖は何も悪くないって!!」
「うるせーっ!!これは俺の兄としての役割だ!!」
「意味分からないよ!!私たち付き合ってるんだからいいじゃんっ!!」
「俺はまだこいつをお前の彼氏だとは認めてねーよ!!」
「お兄ちゃんに認めてもらわなくてもいいよっ!!」
俺は息が苦しくなってきながら、二人の言い争いを聞いてるしかなかった。
紗英は俺を助けようとしてくれてるのか、お兄さんの腕を引っ張ってくれて呼吸が少し楽になった。
「離してってば!!離さないとお兄ちゃんと一生口きかない!!」
紗英のこの発言にお兄さんはあっさりと俺から手を離した。
俺は首を押さえて何度かむせるとお兄さんを見上げた。
「今日はこれぐらいで勘弁しといてやる。」
お兄さんはふんっと鼻から息を吐き出すと、俺に背を向けてリビングの椅子に向かっていった。
その後ろ姿を見ながら、俺はあることを思った。
お兄さんは本気で俺を認めてないわけじゃないのかもしれない…と
勝手な思い込みかもしれないけど、お兄さんの目が紗英と同じで優しい気がしたからだ。
紗英は俺のそばで「お兄ちゃんがごめんね。」と謝っていたけど、俺は紗英のお兄さんの事が知りたくなったので、紗英を制して立ち上がるとお兄さんの所に向かった。
広間のテーブルに頬杖をついて座っているお兄さんの向かいに座ると、俺はお兄さんを見つめてから声をかけた。
「紗英のお兄さんですよね?」
お兄さんは俺をじとっと睨むと、俺から顔を背けて言った。
「お前にお兄さんなんて呼ばれたくないね。恭輔さんと呼べよ。」
「あ、はい。恭輔さん。少しお話いいですか?」
「何だよ?」
恭輔さんは俺に視線だけ向けると、不満そうに言った。
俺は恭輔さんを初めて見たときから思っていた事を口に出した。
「あの、恭輔さんって以前俺に会いに来ましたよね?」
「あぁ!?お前、覚えてたのか?」
恭輔さんは頬杖をやめてテーブルに手をつくと、俺にまっすぐ顔を向けた。
俺は去年の秋に必死に探してたと言っていた恭輔さんに会ったことを思い返した。
最初はどこで会ったのか思い出せなかったけど、恭輔さんが『紗英』と呼んでいる声を聞いて思い出した。
確かあのときも恭輔さんは『紗英』の名前をよく出していた気がする。
俺はあのときあまり相手にしていなかったので、詳しい話までは覚えていないけど…
「はい。あのときは…すみませんでした。」
「……覚えてるなら、俺がお前を嫌いな理由も分かるだろ?もう紗英に近づくな。」
「それはできません。」
「あんだと!?」
目の前で恭輔さんが怒りに目を吊り上げるのが見えたが、これだけは受け入れるわけにはいかない。
「俺は紗英が好きです。紗英も同じことを思ってくれています。紗英の気持ちが俺から離れない限りはずっと傍にいるつもりです。だから、恭輔さんのお言葉はきけません。」
俺は恭輔さんに少しでも分かってほしくて、ストレートに伝えた。
恭輔さんはふーっと長く息を吐くと、背もたれにもたれかかると腕を組んだ。
「……お前、根っこの部分は変わらねぇんだな。」
「は?」
俺は恭輔さんの言葉の意味が分からなくて口をぽかんと開けると、恭輔さんは少しだけ口元に笑みを浮かべた。
「いや、こっちの話だ。ま、紗英がお前の事が好きで好きで仕方ないってのは知ってる。だから、付き合うのは勝手にすればいい。だけどな、俺との約束を破ったお前を俺が許す事はねぇ。」
「え…?約束…?」
俺は恭輔さんの言った約束が分からない。
失くした記憶にあるものなのだろうか?
恭輔さんは鋭い目で俺を射抜いてくる。
「約束を覚えてないのは分かってる。だけどな、男が一度約束したことをなしになんかはできねぇんだよ。」
「ちょ…ちょっと待ってください。約束が何かは分かりませんけど、付き合ってもいいって事は俺は紗英の傍にいてもいいって事ですよね?」
「あぁ。紗英が笑ってる間はいてもいい。付き合ってる間ならな。でも、もしお前が結婚とか考えてるなら、沼田家としてはお前だけは認めねぇ。これは俺も、俺の親父も同意見だ。」
「えっ…!?認めないって…どうしてですか!?」
俺は正直な話、紗英とこのまま一緒にいられるなら結婚だって考えていた。
だからこそ、こうしてお兄さんである恭輔さんと仲良くなろうと話をしているのに、真っ向から認めないなんて信じられない。
「まず一つ目に俺との約束を破ったこと。それと二つ目に沼田家の期待を裏切ったからだ。」
「期待って…俺…何か期待させるようなことしたんですか…?」
俺は裏切ったという言葉に頭が痛くなってきた。
恭輔さんは一度目を閉じてはぁと息を吐き出すと、まっすぐに俺を見据えた。
「お前は俺の親父や母さんの前で紗英の傍に死ぬまで居続けたいと言って、両親に期待をもたせた。堅物の親父がお前ならと認めるぐらいに、沼田家としてはお前に期待していた。でも、結果お前はその期待を裏切ったんだ。紗英を泣かすことでな。だから結婚だけは認めることはねぇ。」
俺は過去の記憶がないだけに、告げられた事実にかなりショックだった。
…俺…紗英と結婚できない…?
そんなのイヤだ!!
俺は顔をしかめて恭輔さんを見つめると拳を握りしめた。
「嫌です!!意地でも認めてもらいます!!」
「それはねぇ!!俺も親父も反対なんだ。諦めろ。」
「すぐに結婚とか言ってるんじゃないんです!!これからの俺を見てから決めてください!!紗英を幸せにするって誓います!!」
「言ったな?なら、その覚悟見せてもらおうか。」
恭輔さんはその言葉を待ってましたと言わんばかりにニヤッと意味深に笑った。
俺は何を言われるのだろうかと唾を飲み込んで、じっと恭輔さんの言葉を待った。
「紗英を二度と泣かすな。」
「え…?そんな事でいいんですか?」
俺は恭輔さんの言葉に拍子抜けした。
恭輔さんは笑みを浮かべたまま頷くと言った。
「俺も親父も紗英が笑ってるだけでいいんだよ。だから、紗英の笑顔がずっと続くなら認めてやる日が来る…かもしれない。かもだけどな。ま、精々頑張れよ。」
お兄さんの顔で笑った恭輔さんを見て、俺は恭輔さんに試されたのが分かった。
結婚云々の話がどこまで本当か分からないけど、恭輔さんは俺の本心を引き出したくて、わざと挑発するような事を口にしていたんだ。
俺は恭輔さんが少しだけ俺を認めてくれたような気がして、素直に嬉しかった。
恭輔の複雑な兄心でした。




