2-8孤独
前から紗英が歩いてくるのは見えていた。
楽しそうな笑顔でかぶっている野球帽を見上げていた。
翔平のものだとすぐに分かった。
胸の奥が苦しく、焼けるように熱い。
一度目を閉じると安藤麻友に言われた言葉が耳に響いた。
『紗英は昔みたいにあんたと話がしたいみたいで…』
信じるかどうかずっと悩んでいた。
もしかしたら、以前のように紗英と話せるんじゃないか…
俺だって思ってきたことだ。
そんなことはないと言い聞かせてきたが
安藤からの希望の言葉を信じてみようと思った。
色々考えているうちに俺と紗英はぶつかった。
紗英は反射的に俺に謝ると俺を見て固まった。
俺は紗英の顔をもっとよく見たかったので
紗英のかぶっている野球帽を手に取ってはずした。
「紗英。」
紗英はまだ目を疑っているようだった。
何か言おうと口をパクパクしている。
「安藤から聞いた。俺と話がしたいって。」
なんて答えてくれるか期待してずっと紗英を見ていたら
紗英の表情が変わった。
驚きの表情からほっとした笑顔に…
「麻友…伝えてくれたんだね。」
紗英はそう呟くと、俺をみて頷いた。
「うん。ずっと話したかったよ。吉田君。」
俺に向けられる笑顔に、期待がどんどん膨らんでいった。
今目の前にいるのは、昔の紗英のまんまだ。
俺がずっと夢見てた、優しい紗英のままだ。
嬉しくて、涙が出そうで顔をしかめた。
「あのね、吉田君。私…」
「紗英!!」
彼女が言葉を切って振り返る。
そこには息をきらせて走ってくる翔平の姿があった。
全力疾走したのか、翔平の顔には焦りが見えた。
そういえば紗英に会うなと忠告されていたことを思い出した。
俺は気まずくなって、顔を横にそらした。
「竜聖…お前。」
発した言葉から翔平が怒ってるのがわかった。
「翔君!ちがう!!私が話したいって言ったの!」
翔君…?
視線を二人に戻すと、今にも掴みかかりそうな翔平を紗英が翔平の腕をつかんで止めていた。
なんだ…?…この違和感……
親密そうな二人の仲、さっきの紗英の表情を思い出して
すべて理解した。
そっか…そういうことか…
俺は現実に愕然とした。
俺がうだうだ悩んでいる間に、二人の仲は進展していた。
当然だ。
あれから二年以上も経っている。
でも俺は紗英は中学のときのままだと思ってた。
ずっと俺に笑顔を向けてくれてた、紗英のままだと…
「あのね、吉田君…」
聞きたくない!!
「俺は話したくない。」
俺は自己防衛で下を向いたまま吐き捨てた。
「え…?」
紗英の戸惑う声が聞こえたが、俺は顔も見ずに続けた。
「俺は話すつもりはない。そう言おうと思って呼び止めたんだ。
それだけだから。」
「…ってめぇっ!!」
「待って!!」
立ち去ろうとする俺と、掴みかかろうとする翔平を止めるかのように
彼女の声が響いた。
「話したくないならいいから、聞いて?」
俺は足を止めて紗英の方に振り返った。
「私は少しでも話せて嬉しかったよ。ありがとう、吉田君。」
取り繕った笑顔が逆にきつかった。
目の前で傷ついた表情をされた方がマシだった。
俺はその場から動けなかった。
情けない…こんな惨めな自分…
俺は奥歯を噛んで、肩を震わせた。
そこへ翔平がやってきて、俺の手から帽子を取り上げた。
何も言わなかったが、態度から立ち去れと言われているようだった。
「吉田君。…私からのお願い。…笑っていてね。」
俺は紗英の言葉から逃げるように、歩き出した。
***
俺は家に帰る道中、紗英の言葉を反芻していた。
笑って…って…
俺、いつから笑ってないだろう…
紗英は俺の言葉に傷ついたはず、
なのに俺のために最後まで笑って…
考えるほど自分が惨めになってきた。
ため息をつきながら、家のドアを開けると、
そこには久しぶりに見る父親の姿があった。
「帰ってきたのか。」
父の低い声に俺は背中に緊張が走る。
父の傍には大きなスーツケースがあった。
また、出張だろうか。
「お前は…いつまでそんなチャラチャラした格好をしてるつもりだ。
来年は受験だろう。いい加減真面目になったらどうだ?」
またか…父は帰ってくるたび俺の素行を注意してくる。
最初は怒鳴って張り合っていたが、
最後はあっちの育て方を間違ったで締めくくられるので最近は相手にしないことにしていた。
父は黙り込む俺を見てため息をついた。
「お前に期待した、俺がバカだったのかな…
警察のお世話にだけはならないようにしろ。いいな。」
父は俺を見下したように吐き捨てると、スーツケースを引きずって家を出て行った。
スーツケースを引きずる音を聞きながら、俺はその場にズルズルと座り込んだ。
「期待したことなんて…一度だってねぇだろ…」
大事なやつはみんな俺の前からいなくなっていく…
母さんも父さんも…
親友だったやつも…
紗英も…
俺が泣きたくなって座り込んで俯いていると、急に家のドアが開いた。
「わっ!!りゅー!そんなとこで何してんの!?」
板倉だった。
幼馴染のこいつは夏休みに入ってから、たびたび俺の家に転がり込んでいた。
板倉がドアを閉めて、俺のそばに座り込んだ。
「どうしたの?さっきお父さん出て行ったね。
それと関係ある?」
小さい頃からずっと俺のそばにいたこいつは何でもお見通しだった。
見透かされているのに何だか腹が立って、黙り込んだ。
「大丈夫、大丈夫。なんだかんだ言ってお父さんは戻ってくるよ。
あ、もちろん私もいるけど?」
『いるよ』
その言葉が胸に響いた。
今、一番ほしかった言葉だった。
それを感じ取ったのか、板倉は俺に抱き付いてきた。
人の温もりが俺の心を優しくほぐしていく。
この温もりにすがったらダメだと思うのに、抗えない。
「今日、一緒にいてあげる。」
板倉が俺の耳元で言った。
梓ちゃんは健気な子です。
読んでいただきありがとうございます!




