4-17溢れ出る
吉田君の苦しさの一辺を垣間見てから、私は苦しい気持ちを抑えきれなくて机に突っ伏していた。
あの日、私は彼が辛さを我慢しながら笑ったのを見て気持ちが溢れた。
好き…大好き…
そう口走りそうになった。
今も言いたくて胸が苦しい。
やっぱりこんなに人を愛おしいと思うのは、吉田君だけだ。
会いたい、今すぐ会って気持ちを伝えたい
『友達』と言い聞かせてきたけど、もう限界だった。
「沼田さん?どうしたんだよ?」
横から野上君がいつものテンションで話しかけてきた。
私は顔を上げると、虚ろな目で「何でもない。」と返してまた突っ伏す。
「変なの」と野上君の呆れた声が聞こえたが、私は頭の中が吉田君でいっぱいで気にも留めなかった。
私は机に突っ伏したまま何度もため息をついて、ムズムズした気持ちが渦巻いて気持ちが落ち着かない。
そんなとき腕をグイッと引っ張られて、私は誰かに無理やり立ち上がらされた。
私は無言のままその主を見ると、私の腕を掴んでいたのは村井さんだった。
村井さんはいつもの冷めた視線を私に向けたあと、私の腕を引っ張って行く。
「え…!?む…村井さん!?」
私は引っ張られるままに職員室を出る。
半分横歩きの状態で村井さんと一緒に中庭とグラウンドの間のベンチまで来ると、やっと腕を離してくれて止まった。
村井さんはいたって普通の表情で振り返ると、私を鋭い目で見つめた。
私は何かしただろうかと不安になる気持ちを押さえて、愛想笑いを浮かべた。
「沼田さん。…もしかして、恋してるの?」
「へぁ?」
村井さんから出たとは思えない質問に変な声が出る。
村井さんは表情も変えずに返事を待っている。
私は何でそんな事を聞いてくるのか分からなくて、頬を掻くと訊いた。
「何で…そんな事聞くの?」
ここでやっと村井さんは表情を崩すと、照れ臭そうに頬を染めた。
私は村井さんのその顔に見覚えがあったので、思わず尋ね返した。
「もしかして…村井さんも恋してるとか…?」
村井さんはあからさまに気まずそうに口をもごつかせると、ゆっくり頷いた。
そしてちらっと私を見て言った。
「…沼田さんが何度もため息ついてるのを見て…私と一緒だったから…そうかなって…思って。」
いつも表情の固い村井さんが表情を崩して、初めて女の子らしい事を言った。
その姿が可愛くて、私は自分のことよりも村井さんの事が気になった。
「村井さん…野上君の事…好きだよね?」
村井さんは驚いて目を見開くと、口をパクつかせて私を凝視した。
その反応だけで丸分かりで、私はなるべく傷つけないように続けた。
「いつから、野上君のこと好きなの?」
村井さんは恥ずかしそうに一度口を閉じると、ふうと息を吐いて諦めたようだった。
「…初出勤の日の次の日から…。野上君がイメチェンしてきて…、カッコいいなと思って見てたら…いつの間にか…。」
私は野上君の変貌ぶりを思い出して納得した。
確かにあのときは私も驚いたなぁ~
「沼田さんは…前に飲みに行った桐谷さんでしょ?」
村井さんに切りかえされて、私は思わずむせかけた。
まさか、村井さんにまで見透かされているとは思わなかった。
「…私って…そんなに分かりやすいかな…?」
マスターさんにも見透かされていたので、そこまで駄々漏れなのか気になった。
村井さんはそんな私の気も知らず、平然と頷いた。
私は恥ずかしくなって村井さんから顔を背けると、傍にあったベンチに腰掛けた。
すると村井さんも隣に座って、私の顔を覗き込んできた。
「沼田さん。苦しいなら、人に話すと楽になるかも。私で良かったら話して?」
「村井さん…。」
村井さんが私の事を気遣うなんて初めての事で、どう答えればいいのか分からない。
「沼田さん、以前、私と野上君を二人っきりにしてくれたじゃない?あのとき、幸せだったから…何かお返しがしたいの。」
村井さんは話そうとしない私に焦れたのか、力強く告げた。
私はそんな風に思われていたなんて知らなくて、少し村井さんを見る目が変わった。
彼女も同じなんだ。
私と同じで打ち明けたい気持ちを抱えてる。
私は村井さんの強い目を見て、少しだけ打ち明けることにした。
「…私…。りゅ…桐谷竜聖の事が…好き。どこがなんて分からないけど…、ずっと隣であの笑顔を見ていたい。…もう友達でいるなんて…我慢できない…。」
『好き』と言葉に出しただけで、体の体温がぐわっと上がる気がした。
自然と吉田君の笑顔が頭の中に浮かんで、目の奥が熱くなってくる。
村井さんはそんな気持ちが分かるのか、ふっと微笑むと私の背中を優しく叩いた。
「分かるよ。一歩踏み込みたくなるよね。好きだから…独り占めしたく…なるんだよね。」
私は熱くなった頬を手で押さえて、ちらっと村井さんを見ると、村井さんはまっすぐ前を見て切ない顔をしていた。
私も彼女と同じ顔をしているのだろうか?
私は苦しい気持ちを胸に押し込んで、グッと口を引き結んだ。
そして村井さんと同じようにまっすぐ前を見据えた。
「…あれ?紗英!!」
急に名前を呼ばれ、私は聞き覚えのある声にすぐ反応して顔を向けた。
そこには吉田君が段ボール箱を抱えて笑っていた。
「りゅ…竜聖!?」
私は立ち上がると焦って手をバタつかせた。
さっきの話が鮮明に思い返されて、頬の熱が引かない。
村井さんは私を気を遣ってくれたのか、立ち上がると一度ポンと肩を叩いて校舎の方へ歩いて行ってしまった。
取り残された私はこっちに歩いてくる吉田君を見て、気まずくて顔を逸らした。
「やっぱり紗英だった。納品に来たら見覚えのある人がいるな~って見てたんだ。会えて良かった。」
吉田君は嬉しそうに笑うとベンチに段ボール箱を下ろした。
そのあと、重かったのか肩を回して筋肉を解しているようだった。
私は会えて良かったという一言が嬉しくて、顔が緩むのを必死に耐えるので精一杯で吉田君の顔が見れない。
「今、空き時間なのか?」
「…う…うん。午前中の授業は終わったから…。」
私は俯いたまま何とか答える。
「紗英~?」
さすがに私の態度がおかしかったのか、吉田君に顔を覗き込まれて背中に緊張が走った。
すぐ近くに吉田君の顔があって、思い切り体ごと逸らした。
バクンバクンと大きく音を立てる鼓動を聞きながら、落ち着けと自分に言い聞かせる。
「……やっぱ…。気にしてるよな。」
背後で悲しげな声とため息が聞こえて、私は少しだけ顔を向けた。
吉田君は寂しそうな顔をして少し俯いていた。
私はその顔が嫌で、振り返ると笑顔を作った。
「違う、違うよ!お父さんの…事はショックだったけど…。今、考えてたのは違う事だから!気にしないで?」
私の言い訳に吉田君は安心してくれたようで、顔を緩ませてフッと微笑むとベンチに腰掛けて、隣を示した。
私はそれに倣って隣に座る。
「紗英にはさ…笑っててほしいんだ。」
「え…?」
吉田君はまっすぐ空を見上げて言った。
「…紗英の笑顔見たら…なんか和む…。色々ごちゃごちゃ考えてた事が…どうでも良くなるんだ。」
そんな風に思われていたなんて、嬉しくて顔が自然と緩む。
私も吉田君の笑顔を見てると安心する。
記憶のない事とか…この5年何があったのか…聞きたいけど…
笑ってくれてるだけで、そんな事どうでもよくなる。
吉田君と一緒の気持ちだったことが、心から嬉しかった。
「役に立てて良かった。」
吉田君は私に顔を向けると、眩しそうに目を細めて笑った。
「紗英、幸せ?」
「どうしたの?急に…」
幸せかと聞かれて、幸せだと答える人はいるのだろうか?
吉田君は顔を前に戻すと言った。
「紗英はさ…見てると幸せなんだろうなって思うんだ。いつも笑ってて…いい奴らに囲まれてて…。幸せって…紗英の傍にある気がする。だから、見てたらそれを分けてもらえるような気分になるんだ。俺ってずるいよな?」
私を見て大きく口を開けて笑う吉田君がキラキラ光っていて眩しかった。
それを見ていると、自然に想っている事が口に出た。
「…私が幸せなんだとしたら、それは竜聖がいるからだよ。」
「え…?」
吉田君が笑顔のまま私を見ているのが分かる。
私は溢れた想いが止まらなかった。
「私の幸せは…竜聖だよ。竜聖がいるから、私は幸せでいられる…。」
「さ…紗英…?」
私はまっすぐに見つめると告げた。
「好き。竜聖が大好き。」
吉田君を見ていると心がキュッと締め付けられる。
自然に笑顔で伝えられた。
私は自分の気持ちをまっすぐ言えた事に胸が熱くなった。
でも、吉田君の顔から笑顔が消えたのを見た瞬間、私は高ぶっていた気持ちが落ち着いていくのを感じた。
「…何…それ…。」
私の告白に吉田君は明らかに傷ついた表情をしていた。
私はそんな反応をされるとは思わなくて、吉田君を見つめたまま声が出ない。
すると吉田君はスッと立ち上がると段ボール箱を持って、私に背を向けて行ってしまった。
……え…?
私は状況が飲み込めなくて、その場から動けなかった。
さっきの吉田君の傷ついた表情だけが頭の中を駆け巡る。
私…何か…言ってはいけない事を…言った…?
私は不安になる気持ちを押さえて立ち上がると、吉田君の歩いて行った方向へ走った。
こんなつもりで口に出したかったわけじゃなかった。
吉田君の笑顔が消えるなんて思ってなかった。
私は自分から『友達』だと宣言していたのに、気持ちを抑えきれずに吉田君を裏切った。
どうしよう…
細く繋いだ糸まで切ってしまったのだとしたら…
私は中学のときの後悔を思い出して、顔をしかめた。
校舎の中に入ると、私は廊下の先を見て吉田君の姿を探した。
でも姿がなくて、職員室に行ったのかもしれないと、私は走ってはいけない廊下を足音を立てないように走る。
職員室の傍まで来ると、前から野上君が歩いてくるのが見えた。
私は彼に声をかける。
「野上君!」
野上君は持っていた出席簿から顔を上げると、首を傾げた。
私は彼の前で息を荒げたまま尋ねた。
「よ…竜聖、見なかった?」
「竜聖?竜聖ならさっき茂下先生と話してたけど…。」
私はそれを聞くなり、野上君の横を抜けて走り出した。
でも、すれ違いざま野上君に腕を掴まれてつんのめった。
「待てって!今、その顔で行ったらヤバいだろ!」
「な…!?ヤバいって何が!?」
野上君は焦っている私を引き留めてくる。
私はヤバいの意味が分からなくて、腕を振り払おうともがくが彼は離してくれない。
「茂下先生と話してんだぞ!?そんな私情丸出しの顔で行ってみろ!職場に私情を持ち込むなって、また叱られるぞ!?」
私は茂下先生の顔を思い出して、抵抗をやめた。
でも、このまま吉田君を放ってはおけない気持ちで気ばかりが焦る。
「竜聖と話したいなら、仕事終わってからにしろ。」
「で…でも…。」
そのとき、職員室の扉が開いて茂下先生と吉田君が揃って出てきた。
吉田君は段ボール箱を抱えている。
私は話しかけたい気持ちから、一歩前に進み出た。
すると吉田君がこっちに気づいて、目が合った。
でも彼はスッと自然に目を私から逸らした後、私とは反対方向に茂下先生と歩いて行ってしまった。
私はたったそれだけの事がショックで、息がつまった。
取り返しのつかない事をしてしまった…
彼女なんか重いと言っていた吉田君に…伝えるべきじゃなかったのに…
ただ隣で笑顔が見ていたくて…
傍にいたくて…
自分の気持ちを我慢できなかった
いつの間にか欲張りになっていた
笑顔が私に向くたび想いが募って…
もしかしたら、もう二度とあの笑顔が私に向かないかもしれない…
そう思うと胸が張り裂けそうに痛かった
とうとう打ち明けました。
竜聖の出した答えにご注目ください。




