4-12笑顔の裏側
私は二人の前で宣言してしまった。
吉田君が好き――――
それも山本君の前で…
彼の驚いた顔が頭から離れない。
吉田君に会う前は山本君が好きだと思ってた。
でも…姿を見てしまったら、吉田君に対する気持ちが本当の『好き』という気持ちだと気づいてしまった。
姿を見れただけで体が熱くなって、笑顔が見れただけで胸がギュッと苦しくなる。
名前を呼ばれたときなんか、自然と目の奥が熱くなった。
こんなに心を揺さぶられるのは吉田君だけだ。
でも、吉田君とは別のところで山本君の事も好きで…
彼の前で口に出さないと、自分の気持ちをまっすぐに保てなかった。
山本君にはこんな優柔不断な私は合わない。
もっと、山本君だけを見てくれる女の子と幸せになってほしい。
私の好きな彼の笑顔がずっと続くように…
私はそんなことを考えながら、いつの間にか吉田君の働くお店の前にやって来て、思わずお店を見て立ち止まった。
あれ…?足が勝手に…
私は今日は来るつもりがなかっただけに、お店の前でUターンした。
すると、ちょうど裏口から出てきた吉田君と出くわした。
「あ、紗英。今日も来たのか?」
最初に出会った時とは違う、気を許したような笑顔を向けられて、私はギュウッと胸が苦しくなった。
それを気にしないように笑顔をで吉田君に返す。
「うん。なんか、足が勝手に…。変だよね…。」
「ははっ!勝手にって、何か考え事でもしてたのか?」
吉田君の笑顔がまっすぐ見れずに、私は目を逸らした。
「…ど……どうかな…。」
また気持ちがグラグラ揺れそうで、曖昧にぼかして返す。
「………。紗英、今から時間ある?」
「へっ?」
私が視線を戻すと、吉田君は優しい笑顔を浮かべて、ついて来てと顔で示した。
私はそれに従って、歩いて行く彼の後ろ姿に続いた。
人の流れにそって進みながら、吉田君は駅も通り過ぎてどんどん進んでいく。
私は背中を見失わないように足を速めた。
そしてだんだん人の数が減って来たとき、ふわっと潮の香りが鼻を掠めた。
ビルが消えて広い遊歩道に出たところで、目の前が開けて夕日に照らされた海が目に入った。
「…わ…。」
私は東京に来て初めて海を見た。
夕日の赤と海の青がとても綺麗だった。
顔に当たる潮風がベタッとしていたが、不思議とそれが不快じゃなかった。
吉田君は遊歩道に設置されているベンチの前で立ち止まると、笑顔で私を手招きした。
私は夕日に照らされた吉田君が輝いて見えて、一瞬足を止めて彼の姿を見つめた。
綺麗…
また胸がギュッと押しつぶされたように苦しくなって、それを押し隠すように彼の元へ駆け寄った。
吉田君は遊歩道の手すりに腕をのせると、海を眺めて言った。
「ここ、俺のお気に入りの場所なんだ。グダグダ悩んでたりとか、嫌なことがあったりしたとき、この景色見にきて元気もらうんだ。」
「……うん。綺麗だね…。落ち着く…。」
私も吉田君と同じように海を眺めて、鼻から大きく息を吸った。
「だろ?俺的ベストスポットなんだ。」
「ベストスポットか…。確かに、東京にこんな所があるなんて知らなかった。」
「ははっ!意外と知られてないもんなぁ…。まぁ、元気出たみたいで良かった。」
吉田君の最後の一言に私は彼の顔を見つめた。
吉田君は風に目を細めて微笑んでいた。
……私が考え込んでいるの気にして…ここに…?
彼の優しさが昔と変わっていないことに目頭が熱くなった。
私はそれを堪えようとグッと眉間に力を入れる。
「…うん。元気出たよ。……吉田君は優しいね。」
「…吉田って俺のこと?」
吉田君の指摘に私は焦った。
吉田君は首を傾げている。
「ご…ごめ…ごめんなさい。……つい…昔のクセで…。」
「昔…。」
私はおそるおそる吉田君の顔を見ると、吉田君は笑顔を消していた。
私はその顔がショックで息がつまった。
どうしようかと考えて、翔君たちの顔が脳裏を過った。
「りゅ…竜聖っ!って……呼んでも…いいかな…?」
初めて男の子を名前で呼び捨てにしたことに、照れて顔が熱くなる。
変な汗までかいてくる。
すると、吉田君が吹きだすように笑い出した。
「っぶはっ!!あはははははっ!!不自然過ぎるでしょっ!声裏返ってるし!」
「っだ…だって!名前呼び捨てなんて…今までした事ないから…っ!」
私は慣れない事をしたのと笑われた事に無性に恥ずかしくなった。
吉田君はお腹を抱えて笑いながらフラフラと移動した後、後ろにあったベンチに腰かけた。
「あははっ…はぁ…いいよ。呼び方なんて何でも。周りの人間も勝手に呼んでるし。ご自由にどうぞ。」
吉田君は笑いを収めると、小首を傾げてニヤッと笑った。
私は笑顔が戻ったことに嬉しくなりながらも、バカにされているようで複雑だった。
私は隣に座ると彼の名前を呼んだ。
「竜聖。」
「うん?」
彼が目を細めて私の顔を覗き込んできて、私は心臓がドクンと跳ねて思わず視線をそらした。
「何でもない。呼んだだけ。」
「っぶ!何それ!?」
吉田君は楽しそうにまた笑い始めた。
私はからかって遊ばれている気がしてならない。
私はまだ顔の熱が引かなくて、海を見て頬杖をついた。
そしてそこから少し沈黙が流れて、気になった私がちらっと吉田君を見ると、彼は海を見つめて微笑んでいた。
柔らかい雰囲気に少し安心していると、横から声がかかった。
「あーっ!竜聖じゃん!!」
私と吉田君が声のした方を見ると、色の明るい茶髪にショートカットの女の子が駆け寄ってきた。
「おー!由梨じゃん!久しぶりだなぁ~。」
吉田君は体の向きを変えると、その由梨と呼んだ子と向き合った。
吉田君の表情はさっき私と話をしていた吉田君と同じで、少し胸が痛んだ。
「何?まーた落ち込んでんの?」
「あははっ。ちげーよ。今日はこの子が落ち込んでたから連れてきただけ。」
「あ、そーなんだ。」
由梨さんは私をちらっと見た後、微笑んだ。
仲の良さそうな二人に居心地が悪くなってくる。
「それよか、由梨はバイト帰りか?」
「そうそう。店長にこき使われてさ~参るよ~。竜聖、良かったら慰めてくんない?」
「ははっ!ご希望とあらば行くけど?」
「マジで!?じゃあ、家で待ってるね。ごゆっくり~。」
「おう!」
彼女は嬉しそうに手を振ると歩いて行く。
何の話だったんだろう…
私は目の前の吉田君がすごく遠くに感じる会話だった気がした。
私に振り返った吉田君の顔はさっきと変わってなくて、疑問がするっと口から飛び出した。
「さっきの人…彼女?」
「えぇ?違う、違う。彼女じゃねぇよ。」
彼は驚いたように顔を歪めると、表情を緩めて笑った。
彼女じゃないことには安心したけど、でも同時に嫌な不安がこみ上げた。
「彼女じゃないなら…誰?」
こんな事聞ける身分じゃないのは分かっているけど、勝手に口から飛び出す。
吉田君はさして気にも止めていないようで、サラッと言った。
「あーあいつは、気楽な関係ってのが一番しっくりくるかなぁ…。友達って感じでもねーし…。」
吉田君は説明しにくいのか、腕を組んで考えている。
そういう気楽な関係とは程遠かった私は、それを聞いて理解するのに時間がかかった。
さっき感じた吉田君との距離がどんどん広いていく気がする。
「じゃあ…彼女は…いないの?」
一番気になっていたことが出た。
吉田君はこの問いを聞くなり、笑顔を消して無表情になった。
「そんな関係…重いだけだろ…」
そう呟くように言った吉田君の目が暗く澱んでいて、私は息をのみこんだ。
さっきまでの和やかな雰囲気が消えて、ピリッと緊張する空気が流れる。
私は聞いてはいけない事を聞いてしまったという事だけは分かって、何て答えようか必死に頭の中で考えた。
「まぁ、俺の事はいいよ。そういう紗英はいないの?」
「えっ…?」
私が考えている間に、いつの間にかさっきまでの吉田君に戻っていた。
私はそんな吉田君を見て目を逸らして答えた。
「そんな人…いないよ。」
「即答かよ。モテそーなのに、もったいねぇ〜。」
吉田君は普通に笑っていたけど、私は彼に意識してもらえてない事がショックで顔を強張らせた。
「でもさ、紗英は良い奴に囲まれてるよな。」
「えっ…?」
吉田君は立ち上がると、海を背に私の方に向いた。
彼のバックで海に夕日が反射して光っている。
「颯太や村井さんにしてもそうだけどさ…。俺に食って掛かってきた…あの二人組も紗英の事、大事にしてるのが分かる。紗英は良い奴らに囲まれてるよ。俺は…それが羨ましい。」
寂しそうに目を細めた吉田君を見て、私は立ち上がって言った。
「私がいる!よ…竜聖の隣には私がいるよ!私は絶対に離れないから!友達だから!!」
「…っふ!あははっ!!」
私の友達宣言に吉田君が身を捩るように笑い出した。
私はクサイ台詞を言った事に気づいて、思わず顔を背けた。
「ははっ!まさか励まされるとはなぁ~!ありがと、紗英!」
吉田君の大きな手のひらが私に向かってくると、頭をクシャッと撫でられた。
私は撫でられた時に目を瞑って、開けると、吉田君は撫でた手をのせたまま口の端を持ち上げた。
「本当、気が緩むよ…。ありがとな。」
私は吉田君の悲しげに細められた目を見つめて、その場に固まった。
吉田君は私から手を離すと、数歩進んでから私に振り返った。
「じゃ、俺…行くな。また。」
私は「またね。」とだけ声に出すと、吉田君に手を振った。
彼はニッと笑ったあと、一度だけ手を振って歩いていく。
私はその猫背気味な背中を見つめて、さっき撫でられた頭を触った。
私はたまに見せる彼の寂しそうな顔が何なのか分からなくて、彼の辛さを理解できない事に顔をしかめた。
紗英と竜聖が少し近くなった回でした。




