2-7夏休み
「紗英ちゃんってば鈍いんだから!!」
あの日、翔君に『これからも見ててほしい』と言われて
当然だと思って、返した言葉が友人たちにとって気に入らなかったらしい。
彼が帰ってからは大変だった。
しばらくの間質問攻めにされ、挙句の果てにはこうして説教されたのだ。
いい女は察す力がいるらしい…なんじゃそら…
そのあとは修学旅行でスポーツ科と一緒に回りたいというクラスメイト達に
無理やりグラウンドに連れていかれ、
翔君に同じクラスの男の子を呼んでもらい約束をとりつけた。
すごく疲れた一日だったが、
必然的に翔君と回ることになった私は彼の嬉しそうな顔を見れて満足していた。
そして修学旅行の準備や学校の課題などに追われ
あっという間に夏休みに突入した。
私は最初の何週間かは学校で夏期講座があり、足しげく学校に通っていたが
今は家でゴロゴロしたり、たまに課題をやるぐらいで暇を持て余していた。
野球部は今日も練習してるのだろうか…
あまりにも暇すぎたので、
私は修学旅行のお願いのお礼もかねて差し入れを持っていくことにした。
外に出て5分も歩くと、汗が止まらなくなった。
あつい…
帽子をかぶってくればよかったと後悔した。
そしてスーパーで適当にスポーツ飲料とアイスを調達して、電車に飛び乗った。
電車の中は冷房が利いていて涼しくて快適だった。
ただスーパーの袋を持つ手だけが、重さで指に食い込んできて痛くなってきた。
買いすぎたかな~…
私は床に荷物をいったん下ろし、手をブラブラと振った。
駅に着くと、あと一頑張りと奮起して早足で学校に向かった。
アイスを買っているので、早く届けなければいけない。
私は痛む手を気にせずに、掛け声の聞こえるグラウンドに着くと
一度会ったことのある、監督(?)さんに声をかけた。
「すみません。」
監督さんは私に気が付くと、
かけていたサングラスを押し上げて目で入ってきなさいと合図してくれた。
私はグラウンドのフェンスの扉を開けると、
いつも翔君がやっているように「失礼します。」と言って頭を下げた。
そして監督さんに駆け寄って、一度お辞儀した。
「練習中に邪魔してごめんなさい。以前は本郷君の事、許していただいてありがとうございました。
この間のお礼に飲み物とかアイスを持ってきたんですけど…もしよかったら皆さんで。」
私は袋を監督さんに差し出した。
監督さんは無言で若い先生(コーチかな?)に目配せすると、
練習している部員に向かって歩いて行ってしまった。
私は差し出した袋をどうしようかと思ったが、横から若い先生が受け取ってくれた。
「ありがとう。今日は暑いから嬉しいよ。
監督もそう思ってるから、安心していいよ。」
私の心を読み取ったのか、フォローしてくれた。
さすが大人だ!とさりげない気遣いに感動した。
そこへ野球部員たちが監督さんに連れ立って、こっちまで集まってきた。
その中に翔君の姿があり、私を見て驚いていたが声は出していなかった。
「彼女が差し入れを持ってきてくれた。全員お礼!!」
監督の掛け声に
部員の声のそろった「あざーす!!」という一糸乱れぬお礼に私はびっくりした。
「どういたしまして!」
気迫に圧倒されて私まで大きな声で返してしまった。
私は自分で自分の声にびっくりした。
そしてコ若い先生やマネージャー(?)の先生たちの手で
部員たちに配られた差し入れを見ながら、私は来てよかったと思った。
「はい。君の分だよ。」
若い先生が私にもアイスを持ってきてくれた。
私は足りたんだろうか、キョロキョロするとその先生が笑った。
「大丈夫。部員の皆には渡ったよ。余ってるから、これは君の分。」
言わなくても察してくれる姿に、私は恥ずかしくなって素直に受け取った。
受け取ったときに、袋を持っていた方の手が痛んだ。
アイスの袋についていた滴が手の傷にしみたためだ。
私は家に帰ったら手当しようと思いながら、アイスの袋を開けようとしたら
腕をグイッとひっぱられた。
ひっぱったのは翔君だった。
無言でズンズンとグラウンドの端に連れていかれ、
フェンスを出ると水道の前でアイスを取り上げられた。
「手出して。」
怒ってるのか翔君の顔は怖かった。
私は威圧感に負けて、両手を差し出した。
袋をを持っていた右手が赤くなっていた。
翔君は私の右手をつかむと水道の水を出した。
「しみるから、我慢して。」
それだけいうと、強引に私の右手を洗い始めた。
私は痛みで一瞬顔をしかめた。
洗い終えると、翔君は右腕をつかんだまま、また私を引っ張って行く。
話しかける雰囲気ではなかったので、黙ったままついていくとそこは野球部の教官室だった。
ノックもせずに中に入るとやっと右腕を離してくれた。
そして奥の方から救急箱を持って戻ってきた。
「座って。」
命令されたかのように言われ、私はすごすごとそばの椅子に腰かけた。
そのあとはずっと無言のまま、私の手の手当をしてくれた。
沈黙に耐えかねて、私は怒っている理由だけでも聞こうと口を開いた。
「な…なんで怒ってるの?」
私の質問に翔君の手が止まった。
そして私を見ると、眉間にしわを寄せたまま答えた。
「な・ん・で?」
彼の気迫に押されて私は後ろ重心になった。
本当に何で怒ってるのかわからない。
彼はため息をつくと、私の手当てを終え立ち上がった。
「手。大事だろ。ピアノ弾くのに。」
救急箱を直しながら言った彼の言葉に、私はハッとした。
もしかして私のために怒ってた…の?
「紗英はいつも予告なしで来るから…手伝うこともできない。」
予告なんてしたら差し入れではない気がした。
が、彼の言わんとしてることは分かった。
「ごめん…なさい。じゃあ、予告してくるね。」
こう言えば許してくれる気がしたのだが、
何だか逆に怒らせたらしい。
私を見る翔君の顔が険しくなった。
「来なくていい!」
その言葉に今度は私がカチンときた。
私はそばに置かれていた自分のアイスを取ると教官室を足早に出た。
喜ぶと思ってした事に対して、あの態度はないだろう。
ありがとうの一言だってもらえてない。
後ろから「紗英!」と呼ぶ声がしたが、無視だ。無視。
まっすぐ前だけ向いて、グラウンドを目指していた私の目の前に何かが被さって目を塞がれた。
びっくりしてそのまま後ろに倒れそうになった所を、誰かに支えられた。
ほっとして目に被さっているものをとろうと手を伸ばすと、後ろからそれを押さえられた。
「ごめん。俺、他の奴らに紗英の私服姿見せたくなくてあんなこと言った。」
声で後ろから押さえつけているのは翔君だと分かった。
私はなんで私服見せたくないんだろうか?と考えたが、分からない。
そんなことのために来なくていいなんて言ったのだろうか?
押さえていた手の力が弱まったので、私はそれをとってみると野球帽だった。
そして振り返って翔君を見て笑った。
「変なの。私服見せたくないなんて。」
「こ…これには複雑な男心がからんでるんだよ。」
男心なんて私には分からなかったが、「ふーん」と返すと野球帽を差し出した。
彼は受け取ると、また私にかぶせてきた。
「貸す。なんか暑そーだし。」
私は確かに暑かったので、借りることにしてしっかりとかぶり直した。
私が彼を見上げて「ありがとう」と言うと、彼は照れ臭そうに笑った。
そのあとは野球部の皆と話をしながらアイスを食べて、
少しの間練習を見学していたら、今日の練習は暑いので中止ということになった。
明日からは体育館も使わせてもらえるか、学校側と掛け合うそうだ。
監督さんが言っていた。
そして翔君が着替えるのを待って、一緒に帰る事になった。
他の部員の人たちも一緒でとても楽しかったが、
なぜか翔君と圭祐君(かな?)がよくもめていた。
そして自宅の最寄り駅で部員の人たちと別れると、
翔君は寄る所があるからこの先のコンビニで待っててほしいと言って走っていってしまった。
内心ついていくのになぁ~と思ったが、コンビニで涼めるのもありがたいので
まっすぐコンビニへ向かった。
私は歩きながら、かぶっている野球帽をいじって土と汗のにおいがすると思った。
私は帽子に気を取られていて、前にいた人とぶつかってしまった。
「ごめんなさいっ。」
反射的に謝って、相手の顔を見ると私はその場に動けなくなってしまった。
相手は私の野球帽を手に取ると、帽子のロゴを見つめて言った。
「紗英。」
私をまっすぐ見て、私の名前を呼んだのは吉田君だった。
監督お気に入りです。
また出てくるかもしれません。




