4ー10桐谷 竜聖
「また、お知り合いと揉めてたんですか?」
俺が品出しする商品をチェックしていると、女性店員の小関が話しかけてきた。
「知り合いってほどでもねぇよ。」
俺はさっき会った二人組を思い出して告げた。
小関は前にもあの本郷とかいう奴と揉めているのを見られている。
だから、さっきの二人を見てまたかと思ったのだろう。
本郷と確か…山本?山代だったか?
まぁ、ケータイの女の子を見せられた瞬間はドキッとしたが、今更どうでもいい。
「ふーん…まあ、いいですけど…」
小関はもう興味を失ったのか、そう返すと俺にスッと肩を寄せて近づいてきた。
「それより、今夜どうですか?」
この言葉は小関の誘い文句だ。
夜の相手はどうかと聞かれている。
「うーん…気晴らしに行くかな。」
「やった!」
俺は迷ったフリをしてから返事を返す。
内心誘いを断るつもりなんかなかったが。
小関とは付き合っているわけじゃない。
好きかと聞かれれば好きだが、別に束縛したいわけでもない。
いわゆる気楽な関係だ。
俺にはそういう奴が山程いる。
俺と深い関係を築こうとする奴なんかいない。
そう、友達なんて表面上のもので充分なんだ。
深く付き合うから、さっきの二人のように傷つくことになる。
そう、このときはそう思ってたんだ。
例の二人と揉めてから一週間以上もたったある日。
俺はまた小関に誘われて、それを受諾しているとこっちを見つめる女の子に気づいた。
どこかで見たような顔に俺は妙に気になって声をかけた。
「お客様?何かお探しですか?」
その子は俺を見つめたまま、肩の力を抜いた。
そして、遠慮がちに口を開いた。
「いえ。あの、よ…桐谷竜聖さんですよね?」
「…はい。そうですが…?」
俺は何で名前を知っているのか不思議だった。
「私、以前あなたに会いにきた…本郷翔平と山本竜也の友人です。」
ここで、彼女をどこで見たのか思い出した。
「……あ、…ケータイの。」
あいつらと同じかと思うと気が削げた。
次から次へと来やがって…
今まで何の音沙汰もなかったのに、都合の良い奴らだ
俺はあいつらに言った宣言通り、至って冷静に返す。
「じゃあ、君も何か確認しに来たわけ?人を見世物みたいに。」
彼女の瞳が大きく見開かれた。
明らかに傷つきましたという顔にイラッとする。
「記憶のある奴は勝手だよ。人の気もしらねーで。」
俺がこの5年どんな気持ちで生きてきたか、こいつらには絶対に理解できない。
俺は今までを振り返って顔をしかめた。
「私は確認しにきたわけじゃない。」
「は?」
彼女のはっきりと言い切った言葉に、驚いた。
「私は…大事な友人があなたと会ったことで、傷ついた姿を見た。だから、私の友人に謝ってほしくて、ここに来たの。」
あの二人のことか…
俺は俺にすがりついてきたあの二人の姿を思い出した。
あいつらほど自分勝手な人間は見たことがない。
「傷…って…。そんなん向こうが勝手に人に理想押し付けて、違ったからって傷ついただけだろ?俺には関係ないね。」
「関係ないなんて嘘。」
「は!?」
彼女は何の核心があるのか、まっすぐ俺を見て言いきった。
俺はその凛とした姿に怯んだ。
すると彼女は何か思いついたのか、考え込んだあと思いもよらないことを言った。
「ねぇ、謝るのは…いつかでいいから。…私と友達になって。」
「はぁっ!?」
俺は彼女が何を考えているのか、まるで見えない。
俺は俺の昔を知る奴と関わりたくなかった。
絶対に一方的な思い出話や昔の俺の話を出して、俺に同意を求めてくるのが目に見えているからだ。
思い出してほしくての行為だと分かるが、その行為自体が重いし面倒だった。
俺は彼女に諦めて欲しくて、真実を告げる。
「何言ってんの?俺は何も覚えてないんだよ!今更…友達になんかなれるわけねぇ。」
「覚えてないから何?」
彼女は一歩も引かない姿勢で言い返した。
俺は思わず口を噤む。
「私は今のあなたと友達になりたい。それじゃあ、ダメ?」
俺は彼女の覚悟の目を見て、言い返す言葉が見つからない。
「…そ…それは…。」
今の俺で…いいのか…?
何も…昔のことは聞いてこないってことか…?
俺は彼女の真意が分からずに混乱した。
すると彼女は満面の笑顔を浮かべると俺の手を握ってきた。
その柔らかい手に心臓がドクンと跳ねる。
「私、沼田紗英です。高校で音楽の教師してます。今日からよろしく!」
この五年、どんな状況でも他人に対して動かなかった心臓が動悸を奏で始めた。
俺は自分の変化に戸惑って、思わず顔を背けた。
手を離してほしくて、とりあえず今は友達という事を受け入れる。
「……桐谷…竜聖。…よろしく。」
俺の返答に満足したのか、彼女の手が離れてホッと胸をなで下ろす。
何だ…これ…?
俺はこの動揺っぷりが、自分でも理解できない。
胸の中がかき回されるような、歯痒いような変な気持ちになる。
「ねぇ、連絡先教えて?友達なんだから!」
彼女の声に弾かれて、顔を戻すと彼女は笑顔でケータイを差し出した。
俺は考えるより先に口から飛び出した。
「――――え…あぁ。……分かった…。」
何だか彼女に逆らえる気がしない。
俺はまだ動揺している心臓の音を聞きながら、彼女と連絡先を交換した。
俺は表示されている沼田紗英という字を眺めて、心がざわついているのを感じた。
ぬまた…さえ…?
心の中でそう呟くと、急にケータイが震えてメールを受信した。
慌てて開くと、目の前の彼女からだった。
ちらっと彼女を見てから中を確認する。
そこには大きく口を開けて笑っている彼女の写真が添付されていて、下に一文が添えられていた。
「私の顔、もう忘れないように。」
俺はケータイから目を離すと、彼女は画像とは違う悲しそうな笑顔を浮かべていた。
彼女はその顔を隠すように背を向けると「また来るね!」と言って、早足で歩いていってしまった。
俺はその後ろ姿を呆然と見送ったあと、メール画面に目を戻した。
『これからよろしくね。』
メールにはそう添えられていた。
俺は彼女の最後の言葉が本心のような気がして、初めて胸が痛くなった。
忘れないように…
彼女はどんな気持ちで、そう言ったのだろう…?
俺は今まで何か大切なことを見逃して生きてきた気がして、自分で決めたことに初めて心が揺らいだ。
***
彼女と連絡先を交換した次の日――――
彼女はまた俺の勤め先にやってきた。
今度は友人だか同僚だか分からないが、ヘラヘラ顔の男と能面のような女と一緒だった。
「ねぇ、一緒に飲みに行かない?」
「へ?」
彼女はニコニコと笑いながら言った。
俺は手に持っていたファイルを閉じると、誠意をこめて断ることにした。
「悪いけど、仕事残ってるから。」
嘘だ。今、終わったので俺のやることは残っていない。
「何時に終わる?待ってるよ。」
彼女は断り文句だと気づかずに、まっすぐだった。
俺はそのまっすぐさに罪悪感が胸をかすめて、仕方なく折れた。
「……もう、終わるから。ちょっと待ってて。」
「やった!じゃあ、外で待ってるね。」
彼女は嬉しそうにそう言うと、同僚の二人を連れて店を出ていった。
俺は彼女の普通な姿に、本当に俺の過去の関係者か疑いたくなった。
今まで俺の前にやって来た奴らとは反応が違って、どう接すればいいのか分からなくなる。
こんなに気の緩む関係者は初めてだった。
俺は店長に「お先に失礼します。」と告げると、彼女の所へ向かった。
彼女は店の入り口の横で、同僚と談笑していた。
俺はそこへ声をかける。
「待たせたな。」
「あ、来た来た。どうも!!俺、沼田さんと同期で同僚の野上颯太です!!気楽に颯太とか颯ちゃんとか呼んでください!」
「っぶ…!!颯ちゃんって!!」
同僚だと言った男の自己紹介に彼女が吹きだした。
「笑ってればいいよ。あ、こっちは同じ同僚の村井…理恵子さんでしたっけ?」
男がもう一人の女を見て確認している。
女はぶすっとすると「あってますよ。覚えてないなんて失礼な。」と言って目を吊り上げた。
怒っているようなのに険悪なムードにならないので、この3人は余程馬が合うのだろうと感じ取った。
和やかに笑い声が広がる。
そこに自分が自然と溶け込んでいるのも不思議な気分だった。
「そして私が沼田紗英です!!もう、覚えたよね?」
彼女が俺の顔を覗き込んでくる。
俺はその姿に気が緩んで、ふっと笑顔を漏らした。
「覚えてるよ。紗英だろ?」
俺が何気なく彼女の名前を呼ぶと、彼女は見るからに驚いた表情で固まった。
俺は首を傾げてその様子を見ていると、横から肩を組まれた。
「俺は?俺は!?颯ちゃんって呼んでくれていいんだぜ~?」
俺はヘラヘラ顔に「颯太。」と言って指さした。
颯太は「ちぇっ。」と舌打ちして落ち込んだ。
そして今度は同僚の女の子を指さすと、言う前に「村井で。」と遮られてしまった。
仕方なく「村井さん」と名前を呼ぶ。
どうも固い女の子のようだった。
そして自己紹介を終えた俺たちは飲み屋へと向かって歩き出した。
***
飲み屋では延々颯太がしゃべり続け、紗英が突っ込むという形で場が盛り上がっていた。
俺は学校のグチに耳を傾けながら、酒を口に運んでいた。
今までならこんな場に足を運ぶことすら嫌だったはずなのに、今は不思議と嫌じゃなかった。
むしろ関係のない学校の話を聞いているのが楽しいとさえ思っていた。
すると颯太に急に話題をふられた。
「なぁ、竜聖はなんで今の店で働いてんだ?小さい頃からの夢だったとかか?」
小さい頃と聞かれて、俺は適当にぼかした。
「さぁ…どーだったかな?小さい頃の夢なんて、大概叶わないもんだろ?」
「あははっ!そりゃそーだ!!」
颯太は酒が回ってるのか、豪快に笑うとグラスのビールを飲み干した。
俺はそれを横目に店員を呼んで、ビールを追加注文した。
「でも、村井さんは小さい頃の夢だったんだよね?教師になること。」
紗英がずっと黙って飲んでいた村井さんに話題をふった。
彼女は固い笑顔を浮かべると頷いた。
「そうだね。うちは父も教師だったから…自然と小さい頃から教師になるんだって思ってたな。」
「へぇ~…すごいなぁ…。」
父親からの影響か…
俺は自分の中に残っている唯一の父親の姿を思い出して、顔をしかめた。
「私は何も考えてなかったなぁ…音楽が好きで…それだけで、ここまで来ちゃった感じかも…。」
「それもすごい事だと思うけどな。」
颯太が自嘲気味に打ち明けた紗英を元気づけるように言った。
紗英は嬉しそうに笑うとまっすぐ颯太を見た。
「そっかな…。なんか自信ついた…かも。ありがとう。」
「どういたしまして。ま、そういう俺は、安定してたからこの職についただけだしな!わははっ!!」
颯太の告白に紗英が明らかにがっかりしている。
言わなければカッコ良かったのに…バカな奴。
俺は他人事のように観察して思った。
「でも、教師になるためにはちゃんと単位とらないとなれないし…、野上君はちゃんと将来を見据えて勉強してたんだから、何も笑う事ないと思うよ。」
急に饒舌にフォローした村井さんに、一瞬場が静まり返った。
俺はこのときの村井さんを見て何となく気づいてしまった。
彼女は颯太の事が好きなのだ。
俺はそう気づいてしまい、ちらっと颯太の顔を伺った。
颯太は目をパチクリしていたが、嬉しそうに表情を崩すと村井さんの肩を叩いた。
「いや~嬉しいこと言ってくれるね!どこかの誰かさんとはえらい違いだ。」
「悪かったですね!嬉しい一言も言えなくて!!」
紗英が飲んだグラスをドンとテーブルに叩きつけて拗ねた。
颯太はそれを見て遊んでいるのか、村井さんの隣で見せつけるように彼女と内緒話をしている。
村井さんは嬉しそうに表情を綻ばせて颯太を見つめている。
俺は何となく居づらくなってきて、酒の飲む回数が増える。
すると紗英が俺の袖を引っ張った。
「ねぇ、一緒に抜けよう。」
俺は突然の誘いに飲んでいた酒を吹き出しそうになった。
紗英はいたって真面目な顔で、ちらっと視線で示してきた。
俺は紗英の視線の先を見て、誘いの意味を理解した。
そこには話の盛り上がっている颯太と村井さんがいた。
俺たちに話をふるつもりもないのか、二人の世界といった状態だ。
「…いいよ。」
俺は持っていたグラスを置くと、荷物を持った。
紗英はそれを見て満足そうに笑ったあと、二人に告げた。
「私たち帰るね。また明日学校で!」
「へ?…帰るなら、俺たちも…。」
「いいから!!二人は楽しく飲んでから帰って!じゃ、おやすみ!」
紗英は立ち上がろうとする颯太を制すと、俺の腕を引っ張った。
何気なく触れられた手に俺は内心ドキッとした。
俺は平常心を装って「また。」とだけ二人に言うと、引っ張られるままについていく。
そして店を出たところで、彼女は俺から手を離した。
「それじゃ、今日は付き合ってくれてありがと!またね!!」
彼女はそれだけ言うと帰ろうとするので、俺は思わず引き留めた。
「っちょ!送るよ!!もう遅いし、危ないだろ!?」
そう言ったとき俺のケータイが鳴った。
彼女が俺に振り返ったのを見ながら、ケータイに届いたメールを確認する。
送ってきたのは気楽な付き合いのある女子からだった。
内容は家に来る?といったもので、俺は画面を見たままどうしようか考えた。
「…彼女?」
「え…?」
画面から目を離して紗英を見ると、紗英が無表情でこっちを見ていた。
「私は平気。だから、行ってあげなよ。」
紗英は優しげな笑顔を浮かべると、そう言った。
俺は上手い言葉が見つからずに迷った。
「じゃあ、またね。」
紗英は軽く手を振ると背を向けて歩いていってしまった。
俺はその背を見つめながら、なぜか罪悪感が胸を掠めていった。
そしてもう少し紗英と話していたかったと思った自分が不思議で、俺はメールに返事をせずにケータイを閉じた。
久しぶりの竜聖視点でした。
今後彼の変化にご注目いただければと思います。




