3-34スピーチ原稿
二月に入ったある日――――
俺と紗英は俺の家で頭を抱えていた。
「どうしよう…今頃になって焦ってきた…。」
「俺もだ…どうしよう…。」
俺と紗英はテーブルの上の真っ白の原稿に目を落とす。
なぜ、二人してこんな事をしているかというと…
三月に控えた安藤の結婚式で俺は新郎側スピーチに、紗英は新婦側のスピーチを頼まれているためだ。
コーチも何で俺にスピーチを頼むのか意味が分からない。
あの人友達の一人もいないのかとさえ思ってくる。
「あ、俺そういえば卒業アルバム持ってた!あれ見ながら考えよう!」
「えーっ!!ずるーい!!」
俺は文句を言う紗英を横目にクローゼットにあるはずのアルバムを取りに向かった。
確か実家から持ってきていたはずだ。
俺は整理されていないクローゼットを漁って、奥の方からアルバムを探し当てた。
ふうと一息つくとそれを持ってテーブルに戻る。
「あ!アルバム、私も見たい!!」
紗英が手を伸ばしてきたので、俺は仕方なく手渡した。
紗英は外箱からアルバムを出すと、テーブルの上でアルバムをめくった。
「あははっ!!これ翔君変な顔~!!」
紗英が高1のときのページを見て笑った。
その一枚は球技大会のもので、みんな笑って写ってるのに俺だけ白目で映っていた。
「うぇっ!?こんなんあったの気づかなかった!」
「今頃!?あははっ!!変なの~!」
本当に知らなかった。
アルバムなんてもらってから一度も目を通していない気がする。
紗英は笑いを堪えながらページをめくっていく。
そのとき音楽科にスポット当てたページが出てきて、紗英の手が止まった。
笑顔を消して寂しそうに写真を眺めている。
「紗英…。」
「…うん…何だか懐かしいなって思って…。大学もだいたい皆と一緒だったから…あと一カ月で離れ離れになると思うとさ…ちょっと…寂しい。」
紗英は切ない笑顔を見せた。
俺はページをめくろうとするのを押さえると、紗英を見て言った。
「大丈夫だよ。会おうと思ったらいつでも会えるさ。長い付き合いなんだし。」
「…そだね。ごめん。しんみりしちゃった!アルバム返すよ!」
紗英はアルバムを閉じると俺に差し出した。
俺はそれを受け取ると、紗英に笑いかけた。
「俺も寂しいよ。でも、紗英や竜也…浜口も近くにいるから、俺は大丈夫だ。」
紗英は優しく微笑むと頷いた。
「私も大丈夫だよ。さっ!原稿しよ!!」
紗英は気持ちを切り替えるためか、ペンを手に持つと顔をしかめた。
俺は膝にアルバムをのせると野球部のページを見ながら、原稿に書く思い出話を考えた。
紗英と俺のペンを走らせる音だけが室内に響く。
静かだったので、内容がだいぶまとまってきて集中力が増してきた頃、紗英が大きく伸びをした。
「だいたい書けたから、休憩するね。30分ぐらい経ったら起こして~。」
紗英はそう言うとその場でコロンと横になった。
俺はそれを目を細めて見ると、自由人めと思った。
紗英のことは気にせずに自分の原稿に取り組む。
しばらくすると紗英の寝息が聞こえ始めた。
俺も寝たい衝動にかられるが、一段落つくまで頑張ろうと自分を奮い立たせる。
そのときインターホンが鳴って、誰かがやって来た。
俺はキリの良いところまで書ききると、「はーい」と返事して立ち上がった。
そして扉を開けると、そこにはコンビニの袋を下げた竜也が立っていた。
「よう!久しぶりだな。」
「竜也!!うっわ、かなり久しぶりだな!一月以来じゃねぇの?」
「おう。やっと一段落ついてさ、沼田さんとこ行ったんだけどいなかったから、こっち来たんだ。」
竜也はそう言いながら靴を脱ぐ。
俺は寝入っている紗英を振り返って、紗英ならここにいると言いたかったが先に竜也が気づいた。
「うえぇ!?沼田さんいるじゃん!お前、彼女いるくせに何やってんの!?」
竜也は軽蔑するような目で俺を見てくる。
俺はとんだ濡れ衣を着せられて、不愉快だった。
「ちげーよ。安藤の結婚式の話してたんだっつの!」
「へぇ、安藤って結婚するんだ?」
竜也は初耳だったようで驚いていた。
俺は差し出されたコンビニの袋を受け取ると、説明した。
「俺の高校の時のコーチとずっと付き合ってたんだよ。そんで大学卒業と同時に結婚すんだ。
だから、俺と紗英がスピーチに当たってて、その原稿書いてたんだよ。」
「ふーん…。まさかあの安藤がねぇ…世の中分からないもんだなぁ~…。」
竜也はヘラヘラ笑いながら紗英の隣に座ると、寝入っている紗英の顔を見下ろしている。
そして愛おしそうな表情で微笑みながら、紗英の顔にかかっている髪の毛を払っている。
俺はそんな竜也を見たのが初めてで、グッと胸を鷲掴みにされたような気持ちになった。
今まで聞けなかった事がサラッと口から飛び出した。
「竜也…紗英のこと好きなのか?」
竜也は紗英に触れていた手を止めると、肩を強張らせて俺の方にゆっくり振り向いた。
表情からものすごく驚いているのが見て取れる。
「な…何…言ってんの…お前。」
竜也はしらばっくれる気なのか、目を泳がせると掠れた声でそう言った。
隠す気なのはいいけど…隠しきれてねぇし…
モロ分かりな態度に俺はため息をついた。
「バレバレだから。気づいてないの紗英ぐらいじゃねぇ?」
俺はコンビニの袋を台所に置くと、元いた場所に戻った。
竜也はバレているのが余程ショックだったのか、絶句して固まっている。
スマートで何でも軽くこなすこいつにしては珍しく表情に出している。
動揺しているのが見え見えで面白い。
「そ…そんなに丸分かりか?」
「あぁ。丸分かりだ。俺の観察力なめんなよ?」
俺が挑発するように笑うと、竜也は言いにくそうに口を噤んでから言った。
「…俺のこと、裏切り者とか…思ってるんじゃないのか?」
「はぁ?何言ってんの?お前。」
「だって…お前…沼田さんのこと好きだったじゃねぇかよ…。」
俺に遠慮している竜也が無性に可愛く見えた。
図体のでかい男に可愛いはないかもしれないが、このときは本当にそう見えた。
「いつも自信に溢れたお前の言葉とは思えねぇなぁ~。何?罵ってほしかったわけ?」
「べっ…別にそういうわけじゃねぇけどさ…。」
「なら、気にする必要ねぇじゃん?お前にしては珍しく本気なんだろ?」
俺の問いに竜也はみるみる頬を赤く染めると、恥ずかしそうに俯いて頷いた。
俺はこんなに自分の気持ちに正直な竜也は初めて見た。
本気で恋してる顔にこっちが照れ臭くなる。
「本気なら俺からいう事なんか何もねぇよ。紗英は俺の大事な友達だし、お前も俺の大事な友達だ。」
俺は恥ずかしい空気を壊そうと、拳をテーブルの上にのせて竜也に差し出した。
竜也はそれに気づくと同じように拳を出して、俺の拳にコツンと当てた。
「ありがとな。翔平。」
「別に。俺は応援なんかしねーよ?」
「ははっ…厳しいな。」
「あったり前だろ!紗英に近づく奴なんか皆滅べばいいと思ってるさ。」
「彼女いる奴のセリフとは思えねーな。」
「ふん。俺が上手くいかなかったのに、これから紗英と上手くいく奴のことなんか考えたくもないね。」
「へー?じゃあ、俺は見込みあるわけだ?」
「うわ、出たよ。モテ男の自信発言。いーやーだーねー。」
「ははっ!」
少し前までは二人の関係はどうなるかと思っていたが、今の竜也は何かが吹っ切れているように見えて安心した。
今なら少しぐらい嫌味を言ったって許されるだろう。
まぁ、今のは全部本心だけど。
俺たちの口喧嘩がうるさかったのか、紗英が唸り声を上げた。
「う~…うるさいんだけど…。誰か来てるの…?」
紗英はうつろな目で起き上がると、ゴシゴシと目を擦った。
俺はどこから聞かれていたか気になったが、いたって普通なので何も聞かれてないようだった。
「あれ?いつの間にか山本君がいる。」
「おはよ。」
竜也は嬉しそうな顔で紗英を見ている。
紗英はそれに気づく様子もなく頭をふらつかせている。
どうやら半分寝ぼけているようだ。
「だめだ…もうちょっと寝る…。」
紗英はそう呟くとそのままふらーっと頭を下ろして、隣に座っていた竜也の膝に頭をのせた。
「っへ!?ぬ…沼田さん!?」
竜也は突然の事に驚いて焦っている。
紗英の重みを感じて照れているのか、顔が真っ赤だ。
俺はそんな竜也を見て、笑いを堪えるのに必死だった。
あの竜也が…すっげー取り乱してる…笑える…
「っぶはっ!…っ…っく…!」
俺は何度も吹き出しそうになりながら、テーブルに突っ伏した。
「翔平!!笑うなよ!他人事だと思って!!」
竜也は紗英を起こすべきか自分がどくべきかで悩んでいるようで、しばらく手を不自然に動かしていたが、諦めたのか両手で顔を覆うと天井を見上げて止まった。
手で隠した隙間から見える肌と耳がまだ真っ赤で、俺は竜也の新鮮な反応に顔がにやけて止まらなかった。
俺は二人が上手くいってほしいと思いながらも、その度に竜聖の姿がちらついて複雑だった。
もし、今あいつが現れたら…この関係は変わってしまうのだろうか?
俺はそれだけが不安で、できるなら二人が上手くいくまで現れない事を願った。
和やかな雰囲気の話でした。
翔平と紗英は親友になりつつあります。




