3-32やっぱり好きだ
「バカーッ!!」
俺は沼田さんが泣きながら走っていってしまう姿をただ呆然と見つめた。
俺は自分の気持ちを自覚してから、彼女にこの気持ちを気づかれないように距離をとっていた。
目が合うだけできっと嬉しくて顔に出てしまう。
話をするなんて絶対ダメだ。
俺は自分の気持ちが落ち着くまで、このままでいようと思っていた。
でも、そんな俺の態度が彼女にとったら怒っていると感じたようだ。
怒ってるわけじゃない。
ただ、以前と同じ接し方が分からなくて戸惑ってただけだ。
このまま彼女を放っておいて、また関係を修復できるのだろうか…
考えて、このままじゃダメだと確信した。
「あ、山本君。見つけたー。人多いよね~。今度ははぐれないようにしないと。」
山口さんが俺に駆け寄ってきて、俺の腕を掴んだ。
俺は沼田さんを追いかけなければいけなかったので、その手を優しく引き離した。
「ごめん。ここで待ってて。ちょっと…飲み物でも買ってくる。」
「えっ!?山本君!!」
俺は山口さんから離れると、沼田さんの走っていった方向へ足を進めた。
人混みをかき分けながら彼女の姿を探す。
彼女の今日の服装が思い出せなくて、見ないようにしていた自分の行動を後悔した。
何色のコートだった…?
俺はそれらしい背中を見つけると、覗き込んでは違うと心の中で悪態をついた。
どこだ…?
俺は人混みから逃げるように、一旦人気の少ない所に出ると人の流れを見回した。
通って行く人を見ても、一向に姿が見つけられない。
じっとしていても見つけられないので、人気のない道を入り口に向かって歩く。
視線を人混みから外さずに探していると、ふと言い争う声が聞こえた。
「なんで泣いてんの?」
「気にしないでくださいっ!」
「もしかしてこんな日に振られたとか?」
「俺たちが慰めてやるよ?」
「結構です!!」
俺は聞き覚えのある女の子の声にそっちへ目を向けた。
すると入り口付近の石畳の傍で男三人に囲まれてる沼田さんが見えた。
俺は頭にカッと血が上ると、そこへ向かって走った。
男の一人が沼田さんの腕を掴んだのが見えたとき、俺は声よりも先に手が出た。
手を掴んでいたそいつの横っ面に向かって、拳を振り下ろす。
「っぐがぁっ!!」
そいつは無防備だったので、そのまま地面に倒れ込んだ。
沼田さんが目を丸くさせてこっちを見ているのが見える。
「なんだてめーっ!!」
仲間の一人が俺に向かって拳を振り下ろしてくるのが見えて、下に屈むと鳩尾に一発押し込んだ。
そいつは鳩尾を押さえて膝をついて倒れる。
残った一人は仲間と俺を見比べて、諦めたように拳を下げた。
そして仲間を起こすと、俺を睨んで逃げていった。
しばらくボクシングから離れていたが、感覚ってのはすぐ抜けないようで軽くのせたことにホッとした。
俺は固まっている沼田さんに目を向けると、口を開いた。
「……怒ってるわけじゃないし…無視するつもりじゃなかった。…ごめん。」
彼女は俺の謝罪にやっと体の動きを取り戻したように首を横に振った。
「ううん。私も…ひどい事言って…ごめんなさい。バカなんて…子供みたいで…ちょっと反省してたの。」
彼女は恥ずかしそうに俺から目を逸らした。
そんな何気ない仕草に胸が苦しくなってくる。
ダメだ…まだ、いつも通りになんて戻れねぇ…
彼女から顔を背けると、頭を掻いた。
「いいよ。沼田さんが謝ることなんて何もない。全部、俺が悪いから…。」
「……そーなの?」
彼女の呆けた声に俺はちらっと彼女に目を戻した。
彼女は自分が悪いと思い込んでいたようで、ほっとしたように満面の笑顔を浮かべた。
「良かったぁ…よっぽど怒らせるような事をしたんじゃないかと思ってたよ…。」
彼女の笑顔にぐわっと体温が上昇する。
頬が尋常じゃなく熱くなってきて、腕で顔を隠すように彼女から体を背けた。
「と…とりあえず、そういう事だから。気にしないでくれよな。それじゃ。」
「あ、待って!!」
彼女は行こうとする俺を引き留めると、ポケットから小さな箱を取り出した。
リボンがついていて、プレゼントだというのは見て分かった。
「これ、クリスマスのお返し。」
彼女は自分の手首についている髪ゴムを示して笑った。
俺は顔を隠していたので、それが受け取れずじっと見ている事しかできない。
すると痺れを切らした沼田さんが俺の腕を掴んで引っ張った。
「受け取ってよ!!」
俺は引っ張られているのと反対の手でその箱を受け取ると、ポケットに突っ込んだ。
「あ…ありがとう。」
「どういたしまして!!開けてほしいんだけど…開けないの?」
彼女の開けて欲しそうなワクワク顔に負けて、俺は彼女に背を向けると腕を下ろしてポケットから箱を出した。
そしてリボンを外して箱を開けると、中から出てきたのは腕時計だった。
それも結構高そうな。
「っちょ!これ!!高かったんじゃねーの!?」
俺は自分の顔の事も忘れて振り返った。
彼女はどうだと言わんばかりに胸を張ると言った。
「日頃の感謝のお礼と就職祝いを兼ねてみました!働いてからも使えそうでしょ?」
彼女の自信たっぷりな姿に俺は腕時計に視線を落として、自然に顔が緩んだ。
照れくさくて手で顔を半分隠すと、久しぶりに彼女の前で笑った。
「嬉しいよ。ありがとう。」
俺が箱を閉じて顔を上げると、沼田さんはすごく嬉しそうな顔で笑っていた。
その笑顔を見ていると、自然と胸が熱くなって動悸を奏でていた心臓が落ち着くのを感じた。
やっぱり…沼田さんが好きだ…
竜聖…悪いな…
俺は親友の顔を思い出すと、その顔を胸の奥に押しやった。
そして、目の前に感じる幸せと向き合う覚悟を決めた。
***
俺は沼田さんを翔平に預けると山口さんを待たせている場所へ走った。
周りの人たちが一体となってカウントダウンを始めていた。
もうすぐ年が明ける。
俺は社の柱にもたれかかっている彼女を見つけて、声を上げて駆け寄った。
「山口さん!」
山口さんは俺の声に顔を上げると、嬉しそうに笑った。
俺は彼女に嘘をついた罪悪感で笑顔で返せなかった。
「遅かったね。どこまで飲み物買いに行ってたの?―――って飲み物持ってないね。」
「あ…それは、その…。」
俺は彼女についた嘘をどうしようか迷った。
彼女から視線を外して言い訳を考える。
すると、彼女は何かに気づいているのか俺の手を握るとまっすぐ俺を見つめた。
「山本君。私ね、山本君が好き。」
彼女の告白を聞いた背後で年が明けたのか、周りが大騒ぎになった。
歓声が上がって、俺はどう答えようか悩んだ。
いつもなら即OKする所だが、沼田さんに感じる気持ちがある以上彼女と付き合うのは失礼だ。
俺は今までのスタイルを壊して、初めて女の子の告白を断る。
「ごめん。俺…好きな奴がいる。」
「うん…知ってた。沼田さんでしょ?」
その言葉にドキッとした。
何でバレているのだろうか…?
そんなに分かりやすい態度をとっていただろうか…
俺は自分の行動を思い出して血の気が引いていく。
彼女は眉をひそめて微笑むと言った。
「見てれば分かるよ。山本君、沼田さんにだけからかったり、わざと怒らすような事言ってるから。私たちには優しい言葉しか言わないのにね。」
そうだっただろうか…と考えて頭を捻った。
俺は沼田さんに対してそんな風に接していた自覚がなかった。
「それに…笑顔が…。沼田さんに向けてた笑顔が…私とは違うんだよ。」
ここで山口さんの目に涙が浮かんでるのが見えた。
俺は彼女の言葉を聞いて口を引き結んだ。
「さっきも…沼田さんの所に行ってたんでしょ?」
彼女の問いかけに俺は静かに頷いた。
俺が沼田さんのところに行ってたと分かってて、彼女はずっと待っていてくれていたと思うと胸が痛んだ。
どんな気持ちで待っていたのだろうか…?
俺は気持ちに応えられないことが心苦しかった。
「ごめん…。本当に…ごめん。」
沼田さんを好きになって、初めて告白してくれる相手の気持ちが分かる。
今までの彼女達もこんな気持ちで俺を見てくれていたのだろうかと思うと、懺悔の気持ちでいっぱいだ。
「ありがとう。山本君。」
「え…?」
彼女の感謝の言葉に俺は顔を上げた。
彼女は瞳に涙をいっぱい溜めたまま、笑った。
「ちゃんと振ってくれて、ありがとう。」
断ることにお礼を言われるとは思わなくて、俺は心苦しさを胸の奥にしまうと笑顔を作った。
「こっちこそ、気持ち嬉しかった。ありがとう。」
彼女は満足気に微笑むと、手で涙を拭った。
「うん。それじゃ、私…帰るね。みんなにそう伝えて?」
「分かった。」
俺は頷くと、背を向ける彼女に「またな。」と声をかけた。
彼女は一度立ち止まると振り返らずに「またね。」と言って走っていった。
俺はその背を見送るとポケットに手を突っ込んだ。
そのとき手に沼田さんからもらった腕時計の箱が当たった。
俺はそれを取り出すと、箱を開けて腕時計を取り出した。
それをじっと見つめてから、左腕に着ける。
時刻は午前0時5分を示していた。
俺は銀色に光る腕時計を撫でると、箱をポケットに突っこんで目を閉じる。
そして新しい年に複雑な気持ちを抱えている現実に、ふーっと長いため息をついた。
やっと仲直りしました。
ここから二人の微妙な距離感が続きます。




