3-30次の恋
竜也が変だ。
急に真っ赤な顔になったと思ったら、洗面所に駆け込んだまま出てこない。
さっきの例え話と何か関係があるのだろうか?
俺はさっきの話を思い出して首をひねった。
えっと確かある女の子がいて、その子が友達を竜也に紹介してきたんだよな?
で、竜也は紹介してきたその子に腹を立てたと。
例え話だと言っていたが、どう見てもこれは竜也の今の心情なのだろう。
竜也がその女の子を好きになったってことだけど、その子が誰か分からない。
なんとなく予想はつくが、その子だと認めたくない複雑な気持ちだった。
ふとソファに転がっている竜也のケータイが目に入って、俺はそれを手にとった。
さっきの電話の相手がきっと竜也の好きな奴だよな。
俺はいけない事と思いながらも、ケータイ画面に着信履歴を出した。
そこの一番上に記されていたのは『沼田紗英』の名前だった。
俺は予想していたとはいえ、体の力が抜けるようだった。
ゆっくりケータイを下げると、もとの場所に戻す。
やっぱり…竜也は…
あの様子だと紗英への気持ちを自覚したんだろう。
あいつのあんな顔は初めて見ただけに、本気で好きなのが分かる。
だからこそ、友達の竜也と、ずっと想い続けてきた紗英を量りにかけて悩んだ。
紗英のことは好きだ…
でも…竜也のことも好きだ。
竜也は大事な友達だし、あいつが紗英の事を本気なら応援してやりたい。
でも…今は、大好きな紗英の顔もちらついて心から応援なんてできない。
紗英は…紗英はどう思っているんだろう…?
紗英は俺の事は友達としてしか見てないのを知っている。
でも、竜也の事はどう思ってる?
俺は夏に浜口が言っていたことを思い出した。
『紗英の気持ちは変わる』
今になってその言葉が重くのしかかってくる。
紗英も竜也のことが好きなら、俺は心から応援できなかったとしても…身を引く選択肢しかない。
俺の中には竜也と紗英を奪い合う構図なんか、浮かばなかった。
竜聖のときのように焦ったり、悔しかったりという感情はない。
これが何でなのか、今の俺には分からない。
俺が一人悶々と考え込んでいると、落ち着いたのか竜也が洗面所から出てきた。
様子は普通に戻っていたが、心なしか元気がないように見えた。
「あ、翔平。さっきは変な事訊いて悪かったな。」
「いや…いいんだけどさ。」
俺は竜也に確かめたくなったが、何かを悩んでいるような姿に声が出なかった。
竜也はソファまで来ると、ケータイを手に取ってズボンのポケットに戻して腰を下ろした。
俺はそんな竜也の様子が気になりながらも、手に持っていた洗濯籠を洗面所に戻しに行く。
そして部屋に顔を向けるとソファに座り込んでため息をつく竜也の姿が目に入って、その切ない姿に胸が痛くなった。
竜也…紗英が好きだって気づいたはずなのに…
何であんな悲しそうな顔してるんだよ…
俺は竜也を元気づけたくて、顔に笑顔を浮かべると明るく声をかけた。
「なぁ、そろそろ昼食べに行こうぜ?昼食べたら、そのまま紗英のとこ行こう。」
竜也は考え事をしていたのか、俺の声に少し遅れて頷いた。
「――――あぁ。そうだな。行くか。」
竜也はいつものように笑顔を浮かべて立ち上がった。
俺はいつものようだと思ったけど、少し違う気もして竜也の心情が気になって仕方なかった。
***
俺たちは昼を食べたあと、紗英の家にやってきた。
昼食べている間もここに来るまでの間も何気ない話をしていたが、竜也の返事は何だか頼りないものばかりだった。
いつもだったら厳しいツッコミが入る場面も笑って流されたり、適当に相槌をうってるだけだったりだった。
そんな竜也の様子に歯痒い気持ちでいっぱいだった。
「あ、翔君に山本君。いらっしゃい。」
「よ!紗英。迎えに来たよ!」
俺は出てきた紗英に明るく挨拶した。
紗英は俺にはいつも通りの笑顔を向けていたが、竜也の様子に気づいて笑顔を消した。
一言もしゃべらない竜也を見て、じっと固まっている。
俺はぼーっとしている竜也の肩を叩いて声をかけた。
「おい、竜也!」
「あ…、悪い。ぼーっとしてた。」
竜也は紗英に気づいているはずなのに、紗英とは一度も目を合わせずに俺の方に目を向けている。
紗英はさすがに気まずかったのか、またいつものように笑顔を浮かべると中へ促した。
「まだ準備できない人がいて…ちょっと、中で待ってて。」
「あぁ、いいよ。」
俺は返事すると、竜也の背を叩いてから中に入った。
竜也は俺のあとに続いて入ってくるが、紗英とは会話どころか目も合わせずに靴を脱いでいる。
これじゃあ、ただのシカトだ。
明らかに傷ついている紗英の表情に胸が痛くなる。
「あ、山本君っ!!待ってたんだよ~!!一緒にツリー見に行けるなんて嬉しいなぁ!」
俺たちが入るなり山口が竜也に駆け寄ってきた。
竜也は山口に笑顔を見せると、少しいつもの状態に戻った。
「ははっ…大げさだろ。ツリーなんて大学行くとき、いっつも目に入るだろ?」
「分かってないな~。こうしてみんなで行くっていうのがいいんでしょ。」
「まぁ、クリスマスだしな。」
「そうそう。」
急激に仲良くなってる二人に驚いた。
友達を紹介ってのは…こういうことか…
竜也の質問の全貌が明らかになって、俺は何となく紗英を見た。
紗英は口を引き結んで二人を見ている。
少し眉間に皺が入っていて、二人を気にしているのが伝わってきた。
紗英…
そんな紗英の顔は初めて見た。
竜聖と付き合ってるときにも見たことのない顔だった。
そんな顔を見て、紗英は竜也を少なくとも男として見ていることが分かった。
友達と思っている俺とは違う気持ちが見え隠れしていた。
「紗英。」
俺は思わず紗英に声をかけた。
紗英はハッと俺の視線に気づくと、いつ通りの笑顔で俺を見た。
「何?翔君。」
「いや…その、準備どうなのかな…と思ってさ。」
「あぁ!岡山さんが、まだ半分寝ぼけてたんだった!!」
紗英は焦って奥の部屋に駆け込んで行った。
するとそれと入れ違いに浜口がやってきた。
「おはよ。」
「おはよってもう昼過ぎてるけど?」
「私たちが寝たの朝方だったのよ。だから気分は朝なの。それより他のメンバーは?」
浜口が俺と竜也だけしかいないのを見て言った。
俺は昨日のメンバーである佑と智之を思い出して、浜口に答えた。
「あぁ、駅で待ち合わせてる。わざわざここに来てもらうのも何だったからさ。」
「ふーん。そういえば初詣の話聞いた?」
「初詣?」
俺は初耳の情報に首を傾げた。
浜口は腕を組むと俺と同じように首を傾げた。
「聞いてないの?山本君が初詣行こうって言いだしたらしいけど。まぁ、私は沼田さんから聞いただけだけど。東京組の縁起担ぎらしいよ。本郷君も行くよね?」
「ん…あぁ。そういう事なら…行くよ。地元だろ?」
「うん。そう聞いてるけど?」
「そっか。分かった。」
俺は山口と話を弾ませている竜也を横目で見た。
竜也はいつものように見える。
でも、紗英と一言も会話しないなんておかしい。
俺はそこだけが引っかかって気分が悪かった。
「ごめん、ごめん!!準備できたよ!」
部屋の奥から紗英が岡山さんと連れ立って出てきた。
それを確認した竜也が一番に部屋を出ていく。
山口は当然とばかりに竜也についていくし、俺は慌てて後を追いかけて部屋を出る。
最後に紗英が出て家の鍵をかけると、俺たちは駅に向かって足を進めた。
***
この街で一番大きなツリーのある駅に着くと、佑と智之と合流した。
竜也は二人と話すときはいつも通りだった。
それを見て少しほっとする。
紗英もいつものように浜口と話して笑っていたし、二人が会話しない点を除くと何気ない日常の一場面だ。
違和感のあるいつも通りに、俺は何かできないか考えながら足を進める。
でも、二人の関係に俺が口出すべきじゃないと結論に達する。
俺は一番後ろを歩きながら、昨日と関係の変わってしまった集団を見つめて拳を握りしめた。
点灯前のツリーの前に来ると、それぞれが二人組になり始める。
竜也は当然のように山口と一緒にいるし、紗英を狙ってたはずの佑は岡山さんを捕まえていた。
一番驚いたのは浜口だ。
智之に捕まっていて、楽しそうに会話しているのが目に入った。
あいつが俺以外の男と二人でしゃべっている姿を見るのは初めてだった。
一歩進みだそうとする足を止めると、胸がモヤモヤしているのに気付いた。
は…?
何、浜口とられてこんな気持ちになってんの…?
おかしいだろ…。
俺は今まで紗英にだけ抱いていた気持ちが、浜口にも向いてる事が分かって混乱した。
あいつだって彼氏ほしいって言ってたし、ちょうどいいじゃん。
俺は見ないように顔を背けると、一人でぼーっとしている紗英が目に入った。
俺はその姿が寂し気で気になり、紗英に駆け寄った。
「紗英。大丈夫か?」
紗英は俺に気づくと優しく微笑んだ。
「大丈夫って何が?」
「いや…一人だったから…気になってさ。」
「ふふっ…そんなの翔君もでしょ?」
紗英の笑顔がいつもと違って儚げに見える。
紗英はちらっと竜也を見て目を細めた。
「私…何かしたのかな…?」
「え…?」
「…山本君に避けられてる気がして…。」
俺も気づいていたことを言われて、どう返せばいいのか迷った。
細められた紗英の目が悲しそうで、胸が痛くなってくる。
「いつもケンカはしてたけど…こんな事は初めてで…どうすればいいのか分かんないや。」
切なそうに笑う紗英の表情に、紗英の悲しさが伝わってくるようだった。
俺は竜也の問題なので、返す言葉が見つからない。
俺の勝手な想像の話をしても、紗英を励ます事なんてできないだろう。
「ねぇ、それよりも翔君はいいの?」
「え…?」
紗英は俺を見つめると指さした。
俺は紗英の指さした先を見て、息を飲み込んだ。
そこには浜口と智之が肩をくっつけるほど近くに座っていた。
「翔君…、今なら間に合うよ?」
紗英の言葉に驚いて、俺は紗英を見つめた。
紗英は俺の心の中を見透かしているのか、いつもの優しい笑顔で笑った。
「勇気出して。」
俺は紗英の言葉に背中を押されて一歩足を進めた。
ここで紗英を残して浜口の所に行く意味は分かっていた。
踏み出した足が震える。
俺は一度紗英を振り返ると、紗英は口の横に手をあてて「頑張れ。」と励ましてくれた。
俺はその顔を見て、目頭が熱くなって顔を前に戻した。
ずっと紗英のことが好きだと思ってた。
でも、それと同時に諦めなきゃいけない気持ちもあった。
浜口はずっと俺の傍にいた。
紗英の好きな俺の隣にずっと…。
それこそ紗英の傍に俺がずっといたように。
あいつが俺の隣にいるのが当たり前になっていた。
だから今まで気づかなかった。
紗英は友達になってて、浜口が友達以上になってたこと。
俺は心のどこかでいつかこんな日がくることは分かってた。
分かっていたけど、いざその日が来ると足がすくむ。
紗英を好きだった時間が消えていくようで、怖い。
でも――――目の前の浜口を奪われる方が嫌だ。
俺は覚悟を決めて足を速めると、浜口と智之の前で立ち止まった。
浜口が話をやめて俺を見上げた。
智之も俺を見て、目を細めた。
俺は緊張で震える手を押さえながら、まっすぐ浜口を見て言った。
「ツリー!!俺と見ないのかよ!!」
「へ…?」
浜口は口をポカンと開けて俺を見つめた。
俺は恥ずかしくなってきて、汗を拭うフリをして顔を手で隠す。
「二人で見ないのかって聞いてんだよ!!」
「えっ!?えっ…!?見…見たい!!」
浜口は意味が分かったのか、顔を赤らめると立ち上がった。
俺は浜口の手を握ると隣の智之に軽く頭を下げてから、手を引っ張って歩き出した。
後ろで浜口が戸惑っているのが伝わってきた。
「ちょ…ちょっと!本郷君!!」
「何?」
俺は顔がにやけそうになるのを堪えるため、顔面に力を入れて振り返った。
浜口は一瞬俺の顔を見て唖然としたが、怒ったように口を開いた。
「何じゃないよ!!何なの!?あの強引な誘い文句!!」
「そのまんまだけど?」
「何それ!?期待させといて、肝心な事は言わないわけ!?」
「うるっさいな!伝わってんならいいだろ!!」
俺は友達期間が長すぎて、今更言葉にするなんて気恥ずかしかった。
浜口は握っている手に力を入れると、泣きそうな顔で俺を見上げた。
「じゃあ…勝手に本郷君は私が好きって思っていてもいいんだよね?」
不意打ちで可愛い顔をされて、俺は気まずくなって顔を逸らした。
「いいんじゃないの。」
紗英以外の女の子にどう好意を伝えればいいのか分からない。
恥ずかしくて素っ気なく返してしまった事に、まずったかなと思ったとき浜口が抱き付いてきた。
俺は体が大きいはずなのに、小さく震えている彼女の背に手を回した。
「本藤君…大好き。」
「うん。知ってた。」
俺は彼女の背をポンポンと叩いて言った。
浜口は「ずるい。」と言っていたが、声は嬉しそうだった。
このとき俺は初めて自分の気持ちが相手に伝わる喜びを知った。
俺は背中を押してくれた紗英に感謝すると同時に、長い恋心に別れを告げた。
俺に初恋を教えてくれたのは紗英だった。
そして俺に次の恋を気づかせてくれたのも…また紗英だったのだ。
近いからこそ気づかない好きもあるって事で…
悩んだ末、翔平にも前に進んでもらいました。




